第4話 坂道の視界

 実樹と一花ちゃんが付き合いだしたことは、瞬く間に学年いや学校中に広まった。

 当然、一花ちゃんに風当たりを強くする女子のグループも現れたけど、比較的発言力のあるあたしや里佳子のグループが後ろ盾になってあげたから、表立って波風が立つことはなかった。


 でも、あたしは戸惑っていた。

 あまりにも、あたしと実樹の関係性が変わらないから。


 学校への登下校でも、部活でも、実樹と一緒にいるあたしに一花ちゃんは何も言わない。

 言わないどころか、「ほんとに実樹君と晶ちゃんは仲良しだよね」ってニコニコしてる。

 どうして?ヤキモチやいたりしないの?

 かえってあたしの方が一花ちゃんへ遠慮してしまう。


 部活が終わって、あたしは部室の鍵を閉めた。

 今日は一番最後になっちゃったから、職員室まで鍵を返しに行かなくちゃ。

 校舎に入って鍵を返し、帰ろうとしたあたしを一花ちゃんが呼び止めた。


「あれ?珍しいね。美術部の一花ちゃんがこんな遅くまで学校にいるなんて」

「学生展に出す絵の仕上げがあってね、先生に居残りしろって言われちゃったんだ」

 話していると、同じく部室の鍵を返しに来た駿汰もやってきた。

「二人とも、外もう暗くなってるぞー。早く帰ろうぜ」


 南門へ3人で向かうと、いつものように実樹が立っていた。

「あれ?今日は3人一緒に登場?珍しいな」実樹が笑う。

「じゃあ、あたしはこっちだから。また明日!」

 一花ちゃんはあたし達とは反対方向の歩道へ渡っていく。

「実樹!暗くなってんだから、一花ちゃん一人で帰しちゃまずいでしょ!?」

 あたしの声に、歩道に渡った一花ちゃんが振り向く。

「晶ちゃん!あたしなら駅まで近いし、全然平気だよ!」

 愛嬌のある笑顔で手を振る一花ちゃん。

「いや、やっぱり送るよ。ちょっと待ってて」

 実樹が車が通り過ぎたのを確認して、パッと走って反対側の歩道へ渡った。


「じゃな!また明日」

 いつものように右手を肩まであげて、実樹が挨拶する。

 心がズキンと痛んだ。

 一花ちゃんの元へ行かせたことを後悔した。

「またね」

 あたしはその気持ちを悟られないように笑顔で手を振って、駿汰と一緒に二人を見送った。


「…ていうか、駿汰もこっち方面じゃないっしょ?」

 あたしと一緒に引寺川の橋を渡る駿汰にツッコミを入れる。

「暗くなってんだから、晶ちゃん一人で帰しちゃまずいでしょ」

 さっきのあたしの口調をふざけて真似る駿汰。

「もー!ふざけすぎ」


 本当はありがたいんだ。

 実樹と一花ちゃんが二人で帰るのを見送った後に、一人でこの道を帰るのは辛すぎる。

「…あたし、もっと一花ちゃんに遠慮した方がいいのかなぁ」

 独り言のような、駿汰への相談のような、どっちつかずの口調であたしがつぶやいた。

「さぁ」

 飄々と駿汰が答える。

 だよね。そんなこと、駿汰にとってはきっとどうでもいいことだもんね。


「…遠慮つーかさ」

 あ、まだ駿汰の話続いてたんだ。

「晶自身が、実樹以外のやつと一緒にいるのが楽しいって思えばいいんじゃね?」

「…え?あたし、実樹以外の人といても楽しいよ?里佳子とか、駿汰とか」

「じゃあ、これからは俺が一緒に登下校してやるよ」

「ええっ!?何それ!だって、駿汰んち全然方向違うじゃん」

「俺さ、実は朝練の前にジョギングしてるんだよ。

 ジョギングルートをお前んちマンションにすれば、お前を迎えに行けて一石二鳥だぜ?」

「…うち、安楽坂やすらぎざかの上だよ?大変じゃん」

「坂はいいトレーニングになる。もってこいだよ」


 駿汰はいつもどおりまったく表情を崩さない。何を考えてるかよくわからないようでいて、実際あんまり考えてないことは実樹とあたしはよくわかってる。

 きっとこの提案も駿汰にとってはトレーニングにもってこいっていう理由以外の何ものでもないんだろう。

 駿汰のこういう表裏のなさに、あたしはいつも甘えさせてもらってる。


「そうかな。じゃあ、お願いしちゃおうかな」

「トレーニングもできるし、かわいい女子と一緒に登下校できるし、我ながらナイスアイデアだな」

「またいただきました!あざっす!」


 信号を渡り、安楽坂の歩道に入る。

 いつもならすっと実樹があたしの前に出て坂を上り出すんだけど、駿汰は立ち止まってあたしに道を譲るしぐさをした。

「上っちゃっていいの?」

「何言ってんの。上るんだろ?」

「あ、うん」


 あたしの前に、いつもの後ろ姿がない。

 いつもより視界が広い坂道は、いつもの通学の道じゃないみたいに思えた。

 後ろで駿汰が「マジきっつ…。これはいいトレーニングだわ」ってぶつぶつ言ってる。


 きっと実樹は明日も一花ちゃんを送って帰るだろう。

 これからは毎日こんな風に安楽坂を上るのかな。

 実樹の後ろ姿を失くした喪失感に、あたしは涙が流れた。

 駿汰が後ろを歩いていてくれて、ほんとによかった。



 翌朝。

「あれ?駿汰」

 エントランスであたしと落ち合ったジャージ姿の駿汰に、エレベーターを降りてきた実樹が気づいた。

「おっす」

「おはよ」

「何?お前、俺ら迎えにきたの?」

「実樹じゃねーよ。晶を迎えにきたんだよ」

 飄々と答える駿汰に、あたしはドキッとした。

「は?そうなの?…お前ら、そういうこと?」

 驚く実樹にあたしは慌てて否定する。

「違うよ!駿汰がジョギングで坂がトレーニングになるからって、ついでに一緒に学校行こうって」

 答えがしどろもどろになる。

「え?で、俺はお邪魔虫なの?」

 と少しとまどっている様子の実樹に、

「そ、お前はお邪魔虫だから、電車乗って森川さん迎えに行ってこい」

 駿汰が平然と言う。


 確かにうちの最寄り駅は高校の最寄り駅の一つ手前で、そこから電車に乗れば駅で一花ちゃんと待ち合わせることができる。

「そっか。その手があったな。じゃあ俺、朝練少し遅れるわ」

「おう」

「また後でね」

 一花ちゃんに連絡するのか、実樹はスマホをいじりながらエントランスを出て行った。


「あたしを迎えに来るのは、あの二人のためでもあるんだね。

 …さすが、恋のキューピッドですね、田澤さん!」

 小さくなった実樹の後ろ姿が切なすぎて、あたしは駿汰に冗談を言った。

「お前がキューピッドなんだろ。今回は」

 そう。一花ちゃんの人の好さに、あたしはつい実樹との仲を取り持ったような形になってしまった。


「同時にピエロでもあるけどな」


「…え?」

 駿汰のつぶやきが、あたしの心に突き刺さった。

 駿汰は気づいてる?あたしの実樹への気持ち。

 二人を見るあたしの気持ちを察して、一緒に登下校しようとしてくれてるの…?


 駿汰に確かめたいけど、自分からその気持ちを言葉にするのが怖い。

 駿汰にすら、あたしが実樹を好きだって認めてしまったら、その時点で終わりになる気がする。

 実樹と一花ちゃんがずっと付き合って、お互いすごく好き合って、

 そんな二人を見て、自分の気持ちにけじめをつけられるようになるまで、

 あたしの気持ちは誰にも知られちゃいけないんだ――



 その日の帰りから、南門であたしを待つ人のシルエットが変わった。

 細く長いシルエットから、筋肉質で少しがっしりしたシルエットになった。


 安楽坂では、視界を遮る後ろ姿のない道を前を向いて歩くようになった。


 あたしの見てるものが変わった事実は、あたしの心が見てるものまで変えていこうと強制しているようだった。

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