第12話 二人でいること

 体育祭が近づいてきた。

 うちの高校はなぜか11月3日の文化の日が体育祭と決まっている。

 地区の公立高校の中では一応トップの進学校だけど、文武両道がモットーの高校だから、体育祭もかなり力を入れている。

 各クラスの体育祭実行委員だけでは毎年人手が足りなくて、運動部も準備の手伝いをするのが恒例になっている。


 今日はテニス部から準備係を出すために、練習の後に男女合同ミーティングがあった。

「じゃあ立候補もいないようなので、例年どおり準備係は副部長の二人にやってもらうってことでいいですかぁ?」

 3年生が夏休みで引退し、あたし達2年生に代替わりしている。

 男子テニス部部長の牧田君が言うと、部員の間からパチパチとやる気なさげな拍手が起こった。

 あたしと実樹が立ち上がっておじぎする。

 そう。あたしは女子テニス部の、実樹は男子テニス部の副部長になっていたのだった。


 この日は今後の大会スケジュールや練習日の調整なんかの話し合いもあって、部活が終わったのはいつもより30分以上も遅かった。

「実樹。森川さん待たせてるのか?」とミーティング後に駿汰が実樹に尋ねた。

「今日は遅くなるってわかってたし、さすがに先に帰ってもらってるよ」と実樹が言う。

「じゃ、今日は久しぶりに三人で帰るかぁ」と駿汰。

 あたしは少しドキドキする。

 久しぶりに実樹と一緒に帰れるのは嬉しいけど、三人でどんな話をすればいいんだろう?


 女子は着替えやら身支度やらでどうしても部室を出るのが遅くなる。

 あたしが南門へ急ぐと、もう二人のシルエットがそこにあった。

「お待たせ!」

「おう」と駿汰が手をあげる。

 実樹は前歯をこぼして微笑む。

 その微笑みがあたしに向けられていることが嬉しい。


「副部長って、なんだかんだ雑用あるよなぁ」と実樹が愚痴をこぼす。

「実樹なんて、みんなの推薦だから頼りにされてるってことでまだいいじゃん!

 あたしなんかくじ引きで決まったんだよ?押しつけられた感ハンパないんですけど」

「まーまー。部長にならなかっただけマシじゃん?」

「駿汰はいいよなー。部長にって声あったのに、のらりくらりと逃げてさ」

「俺はヒラのまま横からチャチャ入れる方が性に合ってる」

 とりとめもなく三人で絡み合いながら歩くのって本当に久しぶり。


「じゃ、実樹いるから俺はここで」

 引寺川の橋の手前で、駿汰が手をあげた。

「えっ」あたしはちょっと戸惑った。

 このまま夏休みみたいに三人であの坂を上って帰るものだと勝手に思い込んでたけど…。


「おう。じゃな」実樹が右手を肩まで上げてバイバイのポーズをする。

 夏休みにはあたしと二人で帰ることをあんなに遠慮していた実樹も、今日はここで駿汰が帰っても構わないらしい。


「…また明日」あたしも手を振る。

 駿汰はあたしが実樹と二人で帰るの、気になったりしないのかな?

 実樹はどうして今日は遠慮しないのかな?


 実樹と二人で橋を渡る。

 街灯の明かりが引寺川を照らして、真っ黒に見える川面がところどころキラキラと反射している。

 この時間は車通りも少なく、黙って歩いているとサラサラと川の流れる音が心地よく耳に入ってくる。


「久しぶりだね。二人で帰るの」

 沈黙が気まずくて、あたしが切り出した。

「そうだな。2学期になってからは一度も一緒に帰ってなかったからなぁ」と実樹が言う。

「さっきさ、南門で待ってるときにお前が小走りにこっち来たの見て、すげー懐かしい感じがして嬉しかった」

 前歯をこぼして実樹が微笑む。

 今日の実樹は、一花ちゃんのカレシって感じがしない。あたしがよく知ってる実樹のままだ。

 懐かしさと嬉しさで心がぽかぽかあったまる。


 久しぶりすぎて、話題に困るな…。

 とりあえず駿汰の話を出しておこう。

「そういえばさー。こないだ駿汰が好きなゲームソフトの発売日だっていうから、部活帰りにショップについてったんだけど、発売日の夕方にはソッコー売り切れてて!人気あるんだってびっくりした」

「…へぇー」

 あれ?たしか実樹も同じゲームが好きなはずなのにノリが悪いな。

 じゃあ一花ちゃんの話でも振ってみるか。

「そうそう。一花ちゃん、今部活でどんな絵描いてるって?こないだ廊下に展示されてた風景画、めっちゃ細かくて綺麗だったよね」

「……」

 一花ちゃんの話でものってこない。

 もしかして、また不機嫌スイッチ入っちゃったのかな?

 さっきは実樹スマイルで機嫌よさげだったのに、なんでそうコロコロ変わるかなー。


 安楽坂やすらぎざかの手前で気まずい空気を漂わせながら信号待ちをしていたとき、やっと実樹が口を開いた。

「…あのさぁ」

「ん?」

「今日は、俺、お前の話が聞きたいんだよ。俺の話もしたい。

 他の奴らの話題はいらない」

「え…」

「だってさ。今日みたいに二人で話すのすげー久しぶりで貴重じゃん?

 俺だってほんとは駿汰とのこと聞きたいよ?

 雷の日、お前すげー泣いてたし…。

 あれからどうしたかなって。

 気にはなるけど、今日は前みたいにどーでもいい話とかしながら晶と帰りたいんだ」


 信号が青になって助かった。

 横断歩道を渡れば坂が始まる。

 幅の狭い歩道だから、実樹がいつも私の先を行く。

 実樹に涙を見られなくてすむ――。


 実樹が、あたしとの時間をこんなに慈しんでくれていることに感動した。

 せっかくそう思ってくれてるからバカな話をいっぱいしたいのに、涙が邪魔して頭に浮かんでこない。

 実樹も、話がしたいって言ったくせに前を向いて黙々と坂を上っていく。

 涙越しの視界に、久しぶりに実樹の後ろ姿が映る。

 この後ろ姿だけはあたしだけのものだ。

 あたしだけが知っている、あたしの宝物。


「最近電車ばっかでこの坂使ってなかったから、久しぶりだとやっぱきついなぁ」

 少し息をはずませながら実樹が言った。

「実樹、トレーニング不足なんじゃないの?あたし達この坂を10年間上り続けてるから、足腰相当鍛えられてるはずだよね」

 やっと話ができた。坂を上りきるまでに涙は引いてくれるかな。

「高校も結局坂の下の徒歩圏内に決めちゃったしな」

「実樹だったら、私立のトップ高行けたんじゃない?もったいないなー」

「俺って親孝行だからさ。公立の方が金かかんないだろ?」

 もうすぐ坂を上りきる。

「それに中学卒業しても、晶と一緒に安楽坂を歩きたかったんだよ。

 俺の通学には晶と坂が欠かせねー気がして」

「……」


 坂を上りきって振り返った実樹が驚いた顔をした。

「おい、お前なんで泣いてるの!?」

 せっかく止まった涙が、実樹のせいでまたあふれてきていた。

 困った様子で、でも優しくいつものように頭をなでてくれる。

 小さい頃はあたしより小さな手で、髪がぐしゃぐしゃになるくらいなでてくれた。

 今は指の長い大きな骨ばった手で、ゆっくりそっとなでてくれる。


「お前…ずるいよ」ため息まじりに実樹が言う。


「お前の涙見たらさ…。俺…。

 あの雷の日だって、お前、別れ際に…」

 やっぱりあたしあの時ひどい顔してたんだ。

 実樹は歯切れ悪そうにそれだけ言いかけて、あとは黙ってしまった。


 ―実樹こそずるいよ―

 あたしは心の中で実樹をなじった。

 通学にあたしが欠かせないって言いながら、実樹は一花ちゃんの方へ行ってしまった。

 あたしに足枷をつけて置いてけぼりにして、自分だけ前へどんどん行ってしまう。

 あたしの大切な実樹の後ろ姿もいつか見えなくなってしまう――


 せっかくの二人の会話は、ぎこちない空気だけを残して終わってしまった。



 体育祭準備委員会の日。

 放課後の視聴覚室に、クラスの委員と運動部の係が集まった。

 クラス委員の方である程度の準備は進めてくれているから、運動部の係としては補助的なことをやるのと、運動部対抗リレーの段取りを決めるのが仕事だ。

 そう、毎年恒例の運動部対抗リレーは点数が計上されない種目だけど、体育祭の中でもかなり盛り上がったりする。

 各部が男女別に各10人ずつ選抜し、ユニフォーム姿でリレーをするんだ。

 テニス部はあたしも実樹も駿汰も選手として出る予定になっている。


 テニス部の準備係はあたしと実樹。

 あの日の帰り以来、実樹とはちゃんと話せていなかったけど、教室にあたしを迎えに来てくれた実樹はいつもどおりの態度でちょっとほっとした。


 今日の委員会では運動部の準備係の担当を決めた。

 あたし達テニス部は、くじ引きで備品の買い出し係に決まった。

 実樹と二人でホームセンターや文房具店を回ることになる。

「晶、今度の日曜ヒマ?」

「うん。部活ないし、その日に行っちゃおうか」

「だな」

 週末に実樹と二人で出かけるなんてこと初めてかも。

 デートみたいでうきうきしている自分がいる。


 委員会の後、あたし達は遅れて部活に参加した。

 部活の帰り、いつものように駿汰とあたしは二人でマンションへの坂道を上る。

「そういえばさ…今度の日曜、実樹と体育祭の備品の買い出しに行くことになった」

 あたしの後ろを歩く駿汰に伝える。

「ふぅん」

 特にどうでもよさそうな返事。


「…駿汰はさ、気になったりする?…あたしが実樹と出かけたりするの」

 こんなこと自分で聞くのは恥ずかしいけど、駿汰に黙って行くのもなんとなく気が引けるし…。

「うーん…考えたことねーな」

 と素気ない駿汰。やっぱりあたしとは思考回路が違うらしい。

「俺の場合は、お前らがいつも二人でいるところから始まってるからな。

 それが自然ていうか…」

 そういうものなんだろうか。


「最初はさ、今みたいに俺と晶が実樹抜きでいるのも、すげー違和感あったんだよ。

 ほんとにこれでいいのか?みたいな。

 けど今は、俺と晶の二人でいるっていうことにもだいぶ慣れてきた。…し、ちょっと嬉しかったりもする」


 初めて駿汰の言葉にドキッとした。

 あたしと二人でいることを嬉しいと思ってくれてるんだ。

 でも少し戸惑う。

 あたしが二人でいられて嬉しいのは――


「ま、でも、所詮ヘタレだからな。

 お前と実樹が一緒にいるのを見るのはいつも通りって感じで安心もするんだよ。

 だからせっかくだし、気にしないで楽しんでこいよ」

 また駿汰の優しさに救われてしまった。

 ”のんびりやっていこう”っていう言葉に、またあたしは甘えてるんじゃないかな…。

 でも、あたしが焦ることであの雷の日みたいに駿汰を傷つけるのも嫌だ。

 自分に都合の良い言い訳かもしれないけど、今は駿汰の優しさに甘えたままでいようって思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る