第11話 ヘタレ同士

 涙で顔を濡らし、坂道を駆け上がってきたせいで髪はボサボサ、息も切れ切れのあたし。

 そんなときに限って会ってしまうんだ。実樹に――


「おい!どうしたんだよ!?何かあったのか?」

 尋常でないあたしの姿に、一花ちゃんを送って駅から歩いてきた実樹は驚いて駆け寄ってきた。

「…なんでも、ない」

「なんでもなくねーだろ!?なんで泣いてるんだよ!?」

 実樹が真剣に心配してくれるから、余計に涙が止まらなくなる。


「…駿汰と何かあったのか?」

 あたしのボサボサになった髪をなでつけながら、実樹が慰めてくれる。

 小さい頃からいつもそう。実樹はあたしが泣いてると、いつも頭をなでて慰めてくれていた。

「そこのラウンジで話そう?」

 あたしの顔を覗き込みながら、エントランスの脇にあるソファの置かれたスペースに誘ってくれる。


 あたしが泣きながらソファに座ると、実樹は向かい合ったソファに座った。

 そのままあたしが泣き止んで話ができる状態になるまで無言で待っていてくれた。


 ひとしきり泣いて、実樹に話しかけられるくらい落ち着いてきた。

「…ごめんね。心配かけて。もう大丈夫」

「だからぁ。なんでもねーとか、大丈夫とか、俺の前で強がるなよ」

 実樹になんて言ったらいいかわからなくて黙っていたら、実樹の表情が苦々しくなった。

「駿汰と何かあったんだろ?…俺に言えないようなこと?」

 このままだと駿汰とのことも、駿汰の優しさも実樹に誤解されてしまう。

「ううん。違う…。ちょっとケンカしただけだよ。あたしがワガママ言っただけ」

「……」


 実樹は、あたしが詳細を話すのを待ってたみたいだけど、本当のことなんて言えるわけない。

 それ以上聞き出すのは諦めたみたいだった。


「ワガママか…。お前でもワガママ言ったりするんだな」

 実樹が少し寂しそうに笑った。

「小さい頃はさ、お互い遠慮がなくてお前も俺もけっこう言いたい放題でケンカもしたよな。

 いつからかお前のワガママを俺は聞かなくなった気がする」

 少しの沈黙。


「お前にワガママ言えるような相手ができてよかった」


 体が氷のように冷たく固まった気がした。

 あたしは実樹を諦めるために駿汰を利用しているだけなんだよ?

 それは恋人同士のワガママとは違う。

 実樹に安心なんかしてほしくない――


「ケンカだってさ、仲良くしてなきゃできないことだろ?

 まあ、駿汰ならお前と言い合いになったって、明日にはケロッと忘れてるだろ」

 いつもなら実樹に頭をなでられて慰められると落ち着くのに、今日は苦しいくらい心がざわざわしている。

 実樹は誤解してる。あたしが一方的に駿汰を傷つけてる。

 あたしの実樹への想いが、あたしを自分勝手にさせているんだ。


「そういえばさ、さっき雷すごかったよなー!お前帰り道だったろ?平気だったか?」

「うん…」

 駿汰といたから大丈夫だった、とは言えなかった。

 今は駿汰の名前を出したくなかった。

「さ、もう遅いし、落ち着いたんなら帰るか」

 実樹はあたしの頭を2回軽く叩くようにぽんぽんとなでると立ち上がった。


 エントランスまで出て、それぞれの乗るエレベーターへ向かう。

 いつものように右手を上げてバイバイするかと思った実樹が、あたしを見つめて言った。

「俺が頼むのも変って思うかもしれないけど…

 俺、駿汰に晶のこと頼むって言っとくよ。

 幼馴染みとして、お前が幸せになるようにいつでも見守ってる。

 だから早く仲直りして元気出せよ」


 優しく微笑む実樹はやっぱり残酷な人だ。

 あたしに付いた足枷を、たった一言で地面の底に沈むくらい重くした。

 あたしはこの場所から動けないどころか、深い深い闇の底に突き落とされた。


 実樹の言葉を聞いたとき、あたしはいったいどんな表情をしていたんだろう。

 あたしを見る実樹の表情が曇った。

 それ以上顔を見られたくなくて、あたしはすぐに「またね」と言って顔をそむけて立ち去った。


 ―――――

 翌朝、駿汰は迎えにこなかった。

 当然だと思った。

 もう朝も帰りも一緒には歩けないだろうな。

 星の降った日、駿汰に”避けないでくれ”って言われたことを思い出した。

 せめて学校にいる間は今までどおりに話せるといいんだけど――


 マンションから学校までを一人で登校したのは、去年実樹が風邪で学校を休んだとき以来だった。

 部活の朝練にも駿汰の姿は見えなかった。

 クラスに入ると駿汰がいた。

「おっす」っていつもどおりあたしに挨拶してくれたけど、その後は特に話す機会もなかった。


 このまま実樹も駿汰も失うのかな――。

 自分で変えることを恐れて駿汰に甘えていた罰なんだ。

 そんなことを思いながら部室を出る。

 薄暗くなったテニスコートを通り過ぎ、ふと顔を上げるといつものように南門に人影があった。


「駿汰…」

「遅かったな」いつもどおりの口調で駿汰が言った。

「なんで…?」

「なんでって、なんで?」駿汰が不思議そうに聞き返す。

 昨日のことはなかったことにしていいの?

 あたしと並んで歩くのがさも当然のような駿汰に少し戸惑いながら橋を渡る。


「今朝…マンションに来なかったよね」

「うん」

「今も駿汰は待ってないって思ってた」

「…ちょっと話してかないか?」

 駿汰が昨日の公園のベンチを指さす。

 あんなことがあった場所で、何を話すというんだろう?

 戸惑いながら、あたしは体一つ分くらい距離をあけて駿汰の横に座った。


「昨日は悪かった」駿汰が言った。

「…駿汰は全然悪くないよ。あたしの方こそごめん…」

 あたしは言葉を続ける。

「あたし、駿汰に甘えてた。自分が変われないのを棚に上げてた」

 もうあたしに優しくしないでいいよって言おうと思ったときだった。


「俺、変わらなくていいって言ったじゃん」

 駿汰がいつものように飄々と言った。

「俺が晶を好きになったのは、中2で同じクラスになったときだった。

 その時には俺は実樹と同じ部活で仲良かったし、晶が実樹の幼馴染みで実樹のこと好きなんだっていうのはわかってた。わかってたのに好きになったんだよ。

 だから、初めからお前が実樹を好きだっていう部分をひっくるめて好きになってるんだ」

「……」

「だから、俺は好きになった時点から、お前を諦めなくちゃいけないとか、俺のこと好きになってほしいとかないんだよ。そんな風に思うくらいなら初めから好きになってない。

 だから、晶が変わらず実樹のこと好きでいて構わないっていうのは本心なんだ」


 目から鱗だった。

 あたしは実樹を好きになった時点から、実樹を諦めなくちゃいけないって思ってた。

 恋人としての実樹を得ることはあたしにはできないと思ったから。

 一緒に過ごす月日を積み重ねていく中で実樹を好きになっていたから、好きにならないなんて選択肢はなかった。

 だから駿汰の言うこと全部納得できるわけじゃないけど、淡々と話す駿汰の言葉が本心だっていうのは信じることができた。


「それなのに、昨日はお前に手が届きそうな気がして思わず手をのばした。

 なのに中途半端なところで躊躇してしまった。

 今の状態が変わるのが怖いのは、お前だけじゃないんだ。

 俺も、実樹も含めた俺らの関係が変わっていくのが怖い」

「…駿汰の口から”怖い”なんて言葉が出ると思わなかった」

「俺も、意外とヘタレなんだなって自分で思ったよ」駿汰が苦笑いする。


「変わるのが怖いヘタレ同士、俺らのんびりやっていこうぜ」


 また駿汰が救ってくれた。

 どうして駿汰はいつもあたしの欲しい言葉をくれるんだろう。

 それなのに、どうしてあたしはあんなに残酷な実樹が好きなんだろう。


「今日さ…実樹に呼び出された。

 改まって何だろうって思ったら、晶を頼むって言われた」

 本当に実樹、駿汰にそう言ったんだ――。

 あたしの心がまた深く深く沈んでいく。


「でも俺は実樹に、お前に頼まれる筋合いはないって言った。

 これ以上晶を幼馴染みっていう鎖で縛るのはやめろって言った」


 ドヤ顔で言う駿汰に、あたしは唖然とした。

「それって…

 カレシがカノジョの幼馴染みに”オレの女に構うな”って言ってるみたいに聞こえない?」


「えっ!? そうなの!?

 俺的には、幼馴染みっていう色眼鏡を外して晶を見てやれって言ったつもりだったのに…!」

 珍しく駿汰があたふたと動揺してて、あたしは思わず吹き出してしまった。

「んもー。駿汰ってば、言ってることが裏目に出すぎ!」


 実樹が駿汰の言葉をどうとらえたかはわからない。

 でも、もしそれを実樹が誤解したとしても構わないっていう気がした。

 自分から変わるのが怖いなら、周りの見る目が変わることで何かが動くかもしれない。

 今のまま動かなくてもいいし、動いてもいい。


 ”ヘタレ同士、のんびりやっていこうぜ”


 駿汰の言葉が、沈んでいくあたしの心をすくい上げてくれた。

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