Develop 25

 麗紅は目を開けることが怖くて、意識が戻った後も寝た振りをしていた。

 目を閉じている間は痛みを忘れられるから。

 小説やドラマのようなフィクションの中では、こういう時、苦痛に悶えた記憶もその前後の記憶も忘れ、私は……というシーンをよく目にするが、残念ながら、現実はそう簡単にはいかないらしい。少なくとも麗紅は、その残念な現実を突き付けられた一人となった。

 思い出したくないのに、あの時の自分の身体が、声が、思いが、重く鈍色に光るハンマーか或いは先端が鋭く尖ったツルハシのように、ガンガン、と麗紅の脳を嫌に刺激して、頭痛を促していく。眉間には自然に皺が寄った。

 カーテンで囲まれた空間の外で、微かに近江とRe-17の声が聞こえる。

 ───来てくれたんだ。

 頭痛を忘れて、少しだけ口許が緩む。その間だけ、彼が麗紅を襲う鈍器から守ってくれているようだった。

 実験が進むのは怖い。痛みも人間から離れていくことも将来も目を開ければ受け入れなければならない。

 それでも、彼と───。

 ドアが開き、閉じる音。Re-17は帰ってしまったのか。麗紅は落胆を隠せなかった。

 前までは毎日会っていたのが嘘のように、Re-17の存在が夢だったかのように、彼が麗紅の前に立つことはここ最近ない。

 やっと、自分の気持ちに気づき始めたと思ったのに、このままでは苦しいだけだ。

 不意にカーテンが開けられる。咄嗟に麗紅は緊張気味に体を爆睡モードに切り替える。近江には悪いが、今はもう少し実験から離れていたい。

 目は閉じているが、近江が顔の隣に立っているのが何となく分かる。腕を動かしたのか微かに布の擦れる音。そして、麗紅の頬を優しく撫でる手。

「麗紅」

 麗紅はその声に反応して目を開けた。Re-17が瞳の中に映る。急に目を開けたせいか、Re-17は驚いた顔をして一瞬動きが止まる。

「ごめん、起こしちゃった」

 慌てて謝り、焦りの表情を浮かべるRe-17の顔。それがたまらなく愛おしくて───。

 二人のカーテンで囲まれたその空間が、その時間ときが止まった。

 モーターの摩擦音で少し温まったRe-17の体温が、麗紅の体を温め、心を満たしていく。

 この感覚もあと少しで消えてしまうのだろうか。

 それを考えると、Re-17の背中に回した麗紅の腕の力は増した。

 もし、彼に呼吸器官があったなら、彼に心臓があったなら、Re-17は今頃どんな呼吸をしているのだろうか、鼓動は高鳴っているのだろうか。

 不意に麗紅はいつもは意識していなかったものが急に気になり始めた。麗紅は横目でせめて腕の中に包んだRe-17の表情だけでも、と見ようとする。しかし、見えるのは耳と後頭部のみ。彼がどのような顔をしているかは分からない。

 腕を解いてその顔を見ることも出来るが、麗紅は敢えてそれをしない。そうしない代わりに麗紅は口を開いた。

「何でずっと来てくれなかったの?」

 会わない間、会えない間、ずっと麗紅が疑問を抱いていたこと。

 麗紅は答えを待ったが、Re-17は黙ったままで口を開かない。ただ、麗紅を優しく包み込んで、背中に回された手を上下に動かした。

「レイセ」

「ごめん」

 麗紅の言葉のその先を遮るように、Re-17は麗紅の耳許みみもとで呟いた。更に、彼の腕に力が入り、麗紅の顔はRe-17の肩に埋もれる。

 自然と鼓動は高鳴る。麗紅は鼓動の音をRe-17に気付かれないように、咄嗟に息を止めるが、それで解決するわけでもなく、むしろ高鳴りは増すだけである。

 そんな麗紅の気持ちも知らないRe-17は麗紅の後頭部を優しく撫でた。

「……男って難しいね」

「え?」

「先生に言われたんだ。『男なら、しゃきっとしなさい』って」

「博美さんが?」

「僕、どうしたらいいか分からなくて、それで、逃げてばかりで……」

「何に?」

「えっと……」

 顔は見えなくても、麗紅はRe-17が困り顔しているのが分かった。そう思うと、ずっと知りたかったことがどうでもよくなってしまうから、不思議なものである。

「いいよ、言える時になってから言えば」

 麗紅はくすり、と笑って甘える猫のようにRe-17の肩に顔をうずめて、ふるふる左右に動かす。

「でも、もう、寂しいのは嫌だな」

 少しカーブの入った麗紅なりの甘え言葉。

 Re-17はその言葉に応えるように、麗紅と同じように麗紅の肩に顔を埋めた。

「……大丈夫。ごめんね、もう逃げない」

 その「逃げない」が何に対する逃げないなのか、麗紅の中ではまだ曖昧のままであったが、今はまだ曖昧のままにしておく。直ぐに言えないことだってある。それはRe-17だけでなく、麗紅も同じことだ。

 今はこの時を大事にしたい。

 自分にはもう、時間が残されていないのだから。

 確証はないが、麗紅はそんな気がしていた。

 麗紅の指先に微かに力が入った。


 To be continued...

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