Develop 20

「Re-17って何なんですか」

 不意に口にした麗紅を見る近江の目は点であった。何を言ってるんだ、と言いたげなのを理解しながらも、麗紅は近江の目をじっと見たまま離さない。

「どういう目的で彼は作られたんですか」

「どうしてそれを?」

 どうやら簡単には口を割ってはくれないらしい。「何となく…」と麗紅は小さく笑う。

 もうRe-17と出会ってもう直ぐで半年が経つ。会っては、読んでいる本の話や研究員の話、自分の昔話なんてしながら楽しんでいるが、麗紅はまだ彼をよく知っているとは言えない。一度、生まれた理由を本人に訊いたことがあったが、Re-17は「分からない、教えてくれないんだ」と笑うだけだった。

「あるじゃないですか、知り合った友達のことをもっと知りたいって思うこと」

「でもなあ」

「どうせ、私、もう叔父さんと叔母さんとも連絡取れないし…外部とは繋がらないでしょう?」

 近江はしばらく眉間に皺を寄せて唸り、そして、重たそうに口を開いた。

「これは、須賀野博士が計画したプロジェクトってことは、知ってるよね」

 近江は、ゆっくりと全てではないが、麗紅に言えることは話してくれた。

 Re-17は博美を中心として開発されたヒューマンタイプの人工知能型ロボットである。しかし、ただのロボットではなく、感情プログラムを搭載したロボットということを、重要視していた。それが、この計画【アンドロイド開発プロジェクト】だった。このプロジェクトの名目上では、精神障害者のケアロボットということになっている。これは、決して嘘ではない。───嘘ではないが、彼、Re-17にはもう一つ、開発理由があった。

「もう一つの……」

 麗紅は近江の言葉を繰り返し、近江の次の言葉を待った。近江は小さく頷き、少しだけ麗紅に顔を近づけ、口許に手を添えた。

 ───“恋”のメカニズム。

 麗紅は目を丸くした。そして、直ぐに眉間に皺を寄せる。もう、恋のメカニズムは研究で発表されている。遺伝子によるものだという者も入れば、ドーパミンによるものだという者もいる。近江は麗紅の考えを察したのか、少し笑ってみせる。

「確かに、過去の発表に恋愛におけるメカニズムはあるけど、須賀野博士はそういう次元とはまた違うところで恋のメカニズムについて研究しようとしたんだよ」

「違うところ……ですか」

 近江は頷く。博美が着目したのは、脳ではなく、感情。脳科学や生物学といった視点ではなく、誰しもが持つ感覚的部分から恋のメカニズムを導き出そうとしたのだ。“like”と“love”の違いを、恋の一つの過程を、正確に取りこぼさないように把握することこそが、博美の行うプロジェクトの理由である。

「でも、そんなことが本当に可能なんですか」

「さあね、僕にはまだ分からない。開発段階だからね、まだ断定は出来ないよ。そもそも深層学習ディープラーニングでの感情プログラム自体初めての取り組みだから、それだけでも凄いんだけどね」

 麗紅は大きく頷く。麗紅にはRe-17がロボットではなく、穢れを知らない人間に見えるから。人工物となった両手脚に視線を落とす。義肢と言えども、ほとんど人肌と変わらぬそれはRe-17と同じものだ。同じであるのに、彼はロボットで、麗紅は人間である。

 いつか、全てが彼と同じもので取り替えられたら、自分はどうなるのだろうか。

「───何を基準に、私たちは人間って言うんでしょうね」

 麗紅は自分の両手脚を見たまま呟く。今の私には、それを判断出来ない。それが判断出来る時が来るまで、麗紅は今まで通り、Re-17を人として見るだろう。ロボットとして接することが出来ずに───今の自分の行動が、この先、吉と出るか凶と出るかはその時になって知ることになるかもしれない。でも、もうそれでも構わない。

 だって、私は──────。

「麗紅さーん」

 近江の呼びかけではっとする。「すみません」と一言添えて頭を下げる。「いえいえ」と近江は麗紅に微笑みかけ、そして、目の色を変えて表情を固くする。

「今週の手術のことですが……」

 麗紅は黙って次の言葉を待つ。両手脚を左手脚、右手脚と来た。四肢を替えれば次に待っているのはだ。

「今回は消化器官になります。食道、胃、小腸、大腸といったところですね」

 ここの器官を替えてしまえば、もう食事の必要はなくなる。必要なのは水だけ。近江が開発した人工消化器官は水分をエネルギー源として電気を発生させ、半永久的に活動可能である。

「ここからは、あらゆる部位を出来るだけ早く替えていきます。消化器官だけ替えるのでは、栄養分欠陥でその他に異常をきたしますから。過酷なものにはなると思いますが、頑張りましょう」

 麗紅は口を閉じたまま頷く。


 部屋に戻り、麗紅はベッドの上に腰を下ろす。

 自分が幼い頃、私はこんな環境を予想することが出来ただろうか。限られた部位の人工臓器移植を最先端だと思っていたあの頃と違うのが身をもって分かる。もう今の科学は全身の臓器の取り替えが人工物で出来るようになってしまったのだ。それが麗紅には凄いというより恐ろしく感じられた。

 親の望むような子供を産むことが可能なデザインベビー。優秀な者と同じように作ろうとするクローン人間。完璧を求め過ぎる今の人間の欲望は、もう、自分たちの価値を下げていっているのではないか。人間の価値は、人間の素晴らしさは忘れられてしまうほどちっぽけなものなのだろうか。

 麗紅は自分の両手に視線を落とす。

 ───私は最後まで人間として生きられるのだろうか。

 胸の奥で何とも言い難い色のもやがじわじわと広がっていく。この靄が悲しみなのか恐怖なのか何なのか分からない。分からないのが怖い。

 全てがどうでもいいと思っていたのに、いつから私は自分に対してこんなにも惜しむようになったのか。変わりつつある内側に気付かぬまま麗紅は自分の両腕を抱いた。不意に頭に浮かんだのはRe-17の顔だった。麗紅自身、手術があったというのもあるが、ここ最近、彼には会えていない。麗紅の部屋のドアをノックする音もない。麗紅は部屋のドアを見る度、音の立たないドアが寂しそうに見えた。

 ───会いたい。

 麗紅はゆらりと立ち上がり、ドアの方へ、ドアのその先へ歩を進めた。


 To be continued...

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る