Develop 14
博美は眠る麗紅の隣で壁に背中を預けていた。手術は無事成功したと近江から聞き、安心した。ベッドの上で眠る麗紅の頭を優しく撫でる。自分の娘のように愛おしく感じる。
───あの子がまだいたら、こう接してたのかしら。
想像しても意味のないことが博美の頭を過ぎった。
「博美さん」
麗紅の頭から手をのけると、麗紅がゆっくりと目を開けた。
「お疲れ様。手術は成功したわ」
博美が麗紅に笑い掛けると、麗紅はゆっくりと自分の左手を上げて見た。特殊樹脂で義手の骨組みは覆われており、ほとんど人肌と変わらない腕がそこにはあった。麗紅は左手を閉じたり開いたり指を意味もなく動かしてみせた。
「……」
麗紅は上体を起こして、左脚を見る。左脚もつま先まで自由に動かしてみせる。諦めていていたはずの左手脚の自由を今、取り戻した。
「動いてる……っ」
泣きじゃくる麗紅の背中を、麗紅が落ち着くまで博美は
麗紅が落ち着いて、また眠りについた後、博美は音を立てないように、ゆっくりと部屋を出ていった。
書斎に戻って直ぐに髪を下ろす。腰近くまである髪がさらさらと重力に従って垂れ下がっていく。椅子に座り、深呼吸する。
ズキン、と脈打つ度に頭が痛む。
失った左手脚の自由を取り戻した麗紅の泣きじゃくったあの顔を思い出す。希望に安堵したあの顔を。
「───私も取り戻せるものだったら良かったのに」
自分の手の中で冷たくなっている小さな小さな赤子がフラッシュバックする。初めてその子の顔を見て嬉しいはずなのに、込み上げてきた思いは、己に対する怒りと悲しみと絶望感だった。
博美には何かを作り出すことは出来ても、本当に取り戻したいものを取り戻すことは永遠にできることはない。
───おめでとうございます。女の子です。
医師に言われて喜んだ。
───何て名前にしようか。
───そうね。何にしようかしらね。
二人で博美の腹に宿る命のことを考えるだけで幸せだった。幸せだったのに。
数週間経った時、博美は腹に違和感を感じていた。自分から血の気が引いていくのを嫌というほど感じた。
───博美、どうした。
───動いてないの。
今にも泣き出しそうな中、震える声で泰久に訴えた。
───何だか冷たく感じるの。
博美の嫌な予感は当たっていた。医師から伝えられたのは「死産」という言葉だった。その言葉の意味を冷静に汲み取る暇もなく、医師たちは手術の準備に急ぐ。
手術が終わって博美が抱いたのは、温かな命ではなかった。博美の体温を
───この子の名前、私、思いついたの。
───何て名前?
───
───いい名前だな。天羽。きっと、これからは雲の上で俺達を見ていてくれるさ。
───そうよね。
博美の隣で眠る天羽を泰久と二人で顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら朝まで見つめていた。
書斎のドアをノックする音が聞こえる。いつもと違うノックの仕方。博美は机の上のスタンドに掛けられたアンティーク調のハンドベルを鳴らした。ノックの主にしか使わない応答。心地好い音が書斎中に響き渡る。その音と共に一人の白衣を着た男が書斎に入ってくる。
「駄目もとでノックしたけど、まだ起きていたんだね」
背中を向けたままの博美に男は話し掛ける。
「───天羽のことを思い出していたの」
男は一瞬黙って「そうか」と小さく呟いた。
「ねえ、泰久」
博美は男の名を呼ぶ。
「どうした?」
泰久は博美の肩にその大きな手を乗せる。
「私、貴方をサイボーグプロジェクトに入れなくて良かったと思っているの」
「どうして」
「麗紅ちゃん……榎宮麗紅を見ていると、時々思い出しちゃうの」
「天羽を?」
「うん」
「似てるの?」
「そんなの分からないはずなのにね。今までもあのくらいの歳の子見てきているのに、あの子だけは、天羽を重ねてしまう。愛しくて仕方がないの」
「博美」
「私、これからあの子にプロジェクトを実行していくことが辛くて仕方ないのよ」
博美の声は震えていた。榎宮麗紅の最終的な状態予定まで全て把握する博美には、自分が考えたはずのプロジェクトが恐ろしく見える。
「でも、人なんて見たら駄目よね。このプロジェクトに臨んだのはあの子なんだもの」
「あの子自身の心を殺すわけじゃない。成功を祈ろう。成功をするために頑張るんだ。きっと、天羽が見守ってくれている」
「うん……うん」
二人で机の上のハンドベルを見た。ハンドベルの鐘の綺麗な装飾の中にラテン語で天羽の名前が彫られている。
「俺はプロジェクトスタッフじゃないから、そこまで深入りすることは出来ないけど、博美の相談なら受けられる。いつでも頼って」
「ありがとう」
「夫なんだから当然だよ。おやすみ」
泰久は博美を優しく抱き締めてから、書斎を出ていった。
博美は【完全サイボーグ化計画】プロジェクトの内容にもう一度目を通す。成功すれば、科学だけでなく医学の世界での発展も望めるもの。逆に失敗すれば───その後は想像したくない。道は成功させるのみ。
博美は伸びをし、髪を結び直して、両頬を思いっ切り両手で叩いてから書斎を出た。
今日はもう寝よう。明日からまた気を引き締めて、あの子と関わろう。
博美が四階フロアの自室へと向かう中、研究所の大時計が午前三時を告げる鐘を鳴らしていた。
To be continued......
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