第十七話・エピローグ
フランシスの奮闘はなおも続く。クリスティとスオウはフランシスのサポートに徹している。今の自分たちとフランシスの状態を鑑みて、そうするのが最善と判断したのだ。
「喰らえぇぇっ!」
サイラスの見えない斬撃によって付けられた傷に重鉈を叩きつける。そして、傷口につま先を蹴り込むと、それを足がかりに跳躍。竜の鼻先の高さまで達したフランシスは、身体を捻って重鉈を横に薙ぐ。甲高い音を立て、竜の牙が二本へし折られた。
苦悶の唸り声を上げながらも、竜はフランシスの着地際を狙って尻尾を振るう。クリスティとスオウが、二人がかりでフランシスを抱えて跳ぶ。
スオウは足を強かに打たれ、地面の叩きつけられる。しかし、そのおかげでフランシスとクリスティは無事だった。
「スオウさん、下がってください!」
スオウに礼を言う余裕は無い。フランシスはそう叫ぶと、ふたたび竜に向かう。
「済まん、ここまでか……」
スオウの大腿骨は砕けていた。這うように戦線を離脱する。
「あと少し、少しなんだ……っ!」
竜からは、もはや余裕が感じられない。こちらと同じように、竜もまた死に物狂いだ。身体の各所から血を噴出しながら、がむしゃらに爪や尻尾を振るっている。
あと一押し。しかし、決定的な一打が足りない。フランシスには、サイラスやスオウのような一撃で竜に痛手を与えられるような技術がない。
「フラン、あれだよ! さっきエドガーがやってたの!」
「でも、僕の力じゃ――」
エドガーが放ったカウンター攻撃は、彼の卓越した膂力、そして武器の重量があってこそだ。今のフランシスでは、竜に深手を負わせるのは難しい。
「一人じゃ無理でも二人なら! タイミング合わせて!」
竜の左腕が振り上げられた。クリスティが、フランシスの背後に回り背中を支える。こうすることで足りない力を補うつもりなのだ。一か八か。フランシスは迫る竜の掌に狙いを定め、重鉈を思い切り振る。
フランシスの全身に、とてつもない衝撃が走る。手首やひじが悲鳴を上げるが、重鉈を持つ手は離さない。刃は竜の掌にざっくりと突き刺さった。
「ぐぅっ!」
フランシスの身体を襲った反作用を、クリスティはその身に引き受けた。小さな身体が、地面と平行に吹き飛んでいく。まるで、黒鉄竜の尻尾からフランシスを庇ったときのように。しかし――その顔に浮かぶのは、満足げな笑みだった。
「クリス!」
「ぐっ、あ……あたしはいいから! 竜を!」
地面に倒れたまま、クリスティが声を絞り出す。
竜の両の掌は、エドガーとフランシスによって酷く傷付いている。竜は己の両手をまじまじと見つめたのち、天に向かって巨大な咆哮を上げた。
――ちっぽけな動物よ、よくぞ我をここまで追い詰めた。しかし、これで終わりだ――
竜の腹の鱗が、ゆっくりと脈動し始めた。
来た。
必殺の「灼熱呼気」が放たれる合図。そしてそれは、フランシスたちに残された唯一の希望。
竜の腹が、みしみしと音を立てながら膨れていく。
竜学の時間に、パトリシアから習ったことを思い出す。炎嚢の位置は、右足と左足の付け根を結んだ直線を三対二に分割した点から、垂直線上――正確には、体長を十二分の一にした長さだけ上に伸ばしたあたりだ。
一般に、炎竜は身体が大きければ大きいほど「呼気」の威力は増すが、一方で「溜め」の時間も長くなり、最長で十数秒と言われる。しかし、それでもフランシスに与えられた時間はあまりに短い。
「見えた!」
腹が膨れることによってできる、鱗の隙間。ピンク色の体皮が露になった。
跳躍。左手一本で腹の鱗にぶら下がり、重鉈を全力で振る。白い脂肪の層が斬り裂かれる。
「駄目だ、まだ浅い!」
サイラスが唇を噛んだ。
まだ分厚い筋肉の層が残されている。これを斬り裂かねば、炎嚢を攻撃することはできない。
竜は腹部に取り付いたフランシスを振り落とそうと身体をよじるが、フランシスの手は鱗を掴んで離さない。
「フラン、もう一発!」
仲間の声を背に受け、フランシスは渾身の一撃を放つ。重鉈の先端が、竜の筋肉に刺さり――
ぼきり。
竜の筋肉に半ばまで食い込んだところで、重鉈は、無情にも根元から折れた。これまでの戦闘によってかかっていた負荷が、とうとう限界に達したのだ。
駄目なのか、ここまでなのか――
絶望。
エドガーやサイラス、スオウが叫んでいる。退け、逃げろという声が、ぼんやりと聞こえる。
もう、諦めてしまおうか。僕だって、限界まで頑張ったんだ。神さまだって許してくれる――
諦観の念がフランシスを支配しかけたその時、必死で立ち上がり自分のほうへ向かおうとするクリスティの姿が目に入った。
クリスティは、諦めてなどいなかった。
足取りは覚束ないし、負傷したらしい左腕は力なく垂れたままだ。タイミング的にも、絶対に間に合わない。それでも、クリスティは一歩一歩前に進む。
何を考えていたんだ、僕は。
あの時レナードの前で心に誓ったはずだ。決して逃げないと。たとえ汚水を啜りながらでも、前を向いて歩くことを止めない。そう誓った。
そうだ。この程度で諦めたりはしない。諦めてなどやるものか……!
ぶちん。
フランシスの中で、何かが切れた。
「がああぁぁぁーーーっ!」
竜に負けないほどの咆哮。
フランシスは右腕にありったけの力を込め、重鉈がつけた傷に突き入れる。緻密な竜の筋繊維を鷲掴みにすると、今度は左腕を突っ込む。
「おおおお雄雄ぉぉーーーーっ!!」
背筋、腹筋、胸筋――上半身の筋肉が盛り上がる。さらに力を込め、両腕を開いていく。
みちみち、と湿った音を立てて。フランシスは、竜の筋肉を素手で引き千切った。
真っ赤な臓器が露出する。それは、鞴腹の鱗の動きに合わせて収縮していた。炎嚢だ。
フランシスの四肢から、急速に力が失われていく。「燃料切れ」の兆候だ。
でも、これでみんなが救われる。
あとは、ダイアナの炸裂弾がケリをつけるはず。心地良い達成感と安心感。意識を手放してしまいそうになるフランシスを繋ぎとめたのは、クリスティの存在だった。
このまま炎嚢に着火されれば、竜は爆発炎上する。このままでは、クリスティも爆発に巻き込まれてしまう。
まだだ!
これが、フランシスに残された本当に最後の力。太股を強く叩き、活を入れた。
疾走る。一歩ごとにフランシスの身体は加速する。
クリスティを抱きかかえると、更に疾走る。
「フラン、ごめん。あたし、足手まといに……」
「違う。クリスがいたから、僕は最後まで諦めずにいられたんだ」
危機的状況の中、フランシスは笑顔を見せる。寄り添う二人は、互いに力を貸しながら走る。
背後では、竜の腹の膨張が限界に達していた。
「ファウラー、良くやりましたね」
小高い岩山の上。ダイアナは伏せ撃ちの姿勢をとっている。
照準の先には、フランシスが強引にこじ開けた竜の腹部があった。
クリスティを抱えたフランシスは、大きな岩の陰に向かって走っている。このタイミングならば――間に合う!
「よくも私の部下たちを痛めつけてくれたな。お礼に、とびきりのプレゼントをくれてやる。受け取るがいい、クソ野郎」
ダイアナとは思えぬ雑言を吐くと、ダイアナは引き金に指をかけた。
当てる部位は勿論、入射角までをも綿密に計算して行わなければならないいつもの狙撃に比べれば、今回は実に容易いものだ。外しようもない。
ダイアナは、ゆっくりと引き金を引いた。
闇を切り裂いて飛翔する弾丸は、竜の炎嚢に直撃した。
一瞬の間を置き――巨大な爆発が巻き起こった。
「くっ!」
フランシスたちが岩陰に飛び込んだその直後、竜の身体は爆発四散した。
爆発の勢いは凄まじく、フランシスは岩ごと吹き飛ばされるのではないかと思ったほどだ。爆風とともに押し寄せた熱風が、髪の毛の先をちりちりと焦がす。
時間にして数秒だろうか。爆炎は徐々に収まっていく。
「ごほっ、く、クリス、大丈夫?」
「う、うん。なんとか」
「そ、そうか……よか、っ…………」
フランシスの言葉は、そこで途切れた。
「ちょっと、フラン!?」
クリスティが慌てて顔を近づけると、フランシスの口元の空気が動くのが感じられた。「燃料切れ」によって意識を失っただけのようだ。
遠くから、仲間たちが駆け寄る足音が聞こえてくる。
クリスティは自分たちの姿が岩で仲間たちから隠されているのを確認すると、フランシスの前髪を押さえる。
「格好良かったよ、フラン」
そう言うと、クリスティはフランシスの額にそっと口付けた。
フランシスが目を覚ましたのは、六日後のことだった。
全身を包帯でぐるぐる巻きにされた自分の姿には、フランシスも苦笑するしかない。
竜との戦いの最中は気分が高揚していたためか気にならなかったのだが、フランシスの身体は限界に達していた。シラーズ基地に運び込まれたときには、全身の腱や筋肉が断裂しボロボロの状態だったという。
フランシスが意識を取り戻したとの報せを受け、「大鷲」の面々は病室に駆けつけた。ダイアナ意外は皆、フランシスに負けず劣らずの酷い有様であった。
「よくやってくれた。諸君のこと、誇りに思う」
そう言ったのは、連絡を受け急遽帰還したレナードである。
「あっ、パーシヴァル閣下! 失礼しまし……いててっ!」
レナードを前にして身体を起こそうとしたフランシスは、全身を襲った激痛によって中途半端な姿勢のまま固まってしまう。
「ほらフラン、絶対安静だって言われてるでしょ」
クリスティに手を貸され、フランシスはふたたびベッドに横たわる。
「しかし、君も無茶をしたものだ。まあ、私が言えた義理ではないがな」
そう言って、レナードが快活に笑う。そもそも炎竜の炎嚢に火を点けよう、などという無茶な作戦を編み出したのはこのレナードなのだ。
「そういえば……あの連中はどうなったんです?」
フランシスの質問に、レナードが渋い顔をした。
「あの間者どもは――君たちが竜と戦っている間に自害して果てた。一人残らず、な」
敵にその存在を知られた間者が取る行動は、二つに一つ。逃げるか、自決するかだ。今回の場合、間者が根城を構えたのはコルドア内陸の奥深くだ。そこから港に辿り着くまで逃げおおせるのは不可能、と判断したのだろう。
「まあ、身元の割り出しに関してはライオネルに任せてある。奴なら上手くやるさ」
「そうだ、竜の卵はどうなりました?」
「あれは研究班が回収しました。興味があるなら博士を訪ねるといいでしょう」
自分たちを差し置いて、他国の間者と思しき人間が世紀の大発見をしたという事実は、パトリシアを大いに悔しがらせたという。
「ともかく、この件はこれにて一件落着だ。重ねて言うが、本当に良くやってくれたな」
「団長、一番の功労者はなんと言ってもフランシスだ。これは叙勲ものですぜ」
エドガーの言葉に、レナードの表情が曇った。
「私も勲章の一つや二つ与えてやりたいのは山々なのだが――今回の事件は極秘とされることになった。済まないが叙勲は無しだ」
「極秘? どうして? フランがあんなに頑張ったのに」
クリスティが憤慨する。
「他国の間者がコルドアに潜入し、あわや大惨事を引き起こすところだった――この事実は、外交カードとして大きな切り札となり得ます。大っぴらにしては相手に手の内を晒すことになるため、極秘とする必要があるのです」
「結局どういうこと……?」
ダイアナが説明するも、クリスティはさっぱり理解できていない様子である。
「勲章をやることはできないが――」
レナードは、一同を見回す。
「皆の負傷から癒えたら、全員に休暇を与える。どこぞの店を借り切って、盛大な宴会を開こうじゃないか。もちろん、代金は私が持つ」
「悪くない話だ。特別手当を請求しようと思っていたが、今回はそれで手を打ちましょう」
サイラスがにやりと笑う。
「団長の奢りっていうなら、豪勢な宴会になりそうだな。そうだ、せっかくだから女房と息子も呼んでいいですかね」
エドガーの厚かましい要求も、レナードは笑って受け入れる。
「久しぶりの酒だ」
スオウも乗り気だ。
「私は遠慮しましょう。口うるさい上官がいては、酒が不味くなるでしょうから」
参加を辞退しようとするダイアナに、
「何を言う、少佐。これは全員参加だ。上官命令だぞ」
とレナードが諭した。
「君だって酒はいける口だろう。久々にその飲みっぷりを見せてくれ」
「へぇ、少佐もお酒飲むんだ。意外っていうか……」
「クリス、ダイアナ嬢ちゃんはこう見えて酒の席で数々の武勇伝を残しているんじゃぞ。そうじゃのう、あれは六年前の新年祝賀会だったか――」
「その話はお止めください、ニューマン殿!」
珍しく赤面して慌てるダイアナに、皆笑いを堪えられずにいる。
「――楽しみだね、フラン」
「うん、とっても」
騒がしくも楽しげな会話を続ける仲間たちをよそに、フランシスは瞼が重くなっていくのを感じる。宴会は確かに魅力的だが――とにかく今のフランシスに必要なのは休息だった。
ドラゴンズヘブン 柾木 旭士 @masaki_asato
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ドラゴンズヘブンの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます