第十六話

「良い判断です」


 五人が竜に向かっていくのを見ながら、ダイアナが呟く。

 竜があのような攻撃手段を繰り出してきたのは、ダイアナにも想定外だった。過去の記録にも、そのような事例はない。あの攻撃を喰らわないようにするには、距離を縮めて戦うのが最善手だ。

 それに、これはチャンスでもある。竜に接近したまま戦うということは敵の攻撃を喰らうリスクが上がる反面、こちらの手数は増える。「燃料切れ」という弱点がある竜人としては、長期戦は避けなければならない。


「それにしても、見事な……」


 五人の連携は、何ごとにもシビアなダイアナを感心させるほどのものだった。

 五人は極めて高い集中力を保ちながら、互いを完全に信頼して戦っている。

 エドガーが大戦斧を竜の足指に叩きつける。竜は爪で攻撃しようと腕を振り上げるが、サイラスはすかさず跳躍してその脇の下に斬り上げを放つ。竜の腕が振り下ろされたところを狙い、その手首をクリスティとスオウが挟み込むように斬りつける。竜が尻尾を振り回す。攻撃範囲にいたクリスティを、フランシスが手前に引っ張って救出する。フランシスとクリスティが、笑い合うのが見えた。

 極限状態にある五人を、ダイアナは羨ましく思う。願わくば自分も、あの仲間に加わりたい――いや、無理か。堅物の上司である自分が割り込めば、彼らの連携が崩れてしまうに違いない。

 しかし、見ていて不安な要素もある。フランシスだ。フランシは、まだ二度しか実戦を経験していない。訓練はできる限り積ませたが、「燃料切れ」を考慮に入れたペース配分ができるかは未知数だ。

 フランシスは、ここまで良く頑張っている。いや、頑張り過ぎている。作戦を提案したことに対する責任感、故郷の村に対する危機感――想いが強過ぎるためか、フランシスはかなり入れ込んでいる。

 この場からフランシスに落ち着くよう指示することも考えたが、かえってフランシスの集中力を削ぐことになりかねない。四人のフォローに期待するしかない。


「神よ、どうか彼らに加護を……!」


 普段は神頼みなど絶対にしないダイアナも、この時ばかりは神に祈らずにいられなかった。




「くっ、一旦距離を取るぞ!」


 エドガーが叫び、五人は全速力で竜から離脱した。五十メートルほど距離を稼いだところでふたたび竜と向き合う。

 竜は一旦動きを止め、こちらの様子を覗っているようだった。

 奮戦の甲斐あって、竜にはかなりの傷を負わせている。しかし、竜は未だ弱っているそぶりすら見せない。

 通常の竜討伐作戦では数百発から千発、総重量にして五トンにもおよぶ砲弾を浴びせることで竜を弱らせる。竜人の力をもってしても、それに匹敵する打撃を与えるのは困難なのだ。


「このままじゃジリ貧だよ。なんとかしないと……」


 全員、体力に余裕があるとは言いがたい状態だ。「燃料切れ」を起こしてしまえば、逃げることすら叶わず嬲り殺しにされるだろう。


「……もはやここに至っては、決死攻撃を挑むよりほかないだろう」

「しかしスオウよ、いくらこっちが命を捨てて戦ったからって、奴が『呼気』を吐いてくれなけりゃ無駄死にだぜ」

「エドガー、大事なのは奴に俺たちの覚悟を示すことだ。俺たち『大鷲』は、この場より一歩も退かない。差し違えてでもコルドアの民を守り抜く。その覚悟が奴に伝われば、あるいは『呼気』を放つ気になるかも知れん」

「あの大蜥蜴がそんな精神性を持ち合わせているかねぇ。しかし――他にいい策も無いしな」


 サイラスは掌に唾を吐きかけると、両手大剣をしっかりと握る。


「二年ぶりか……奥の手を使う。皆済まんが、少しの間竜の気を引いてくれ」

「サイラス、をやる気か? は少佐に禁止されてるだろう」

「緊急事態だ、グダグダ言ってられないさ。ただ――使えるのは一回こっきりだ。それに、正確なコントロールはできないから俺が合図したら即離脱してくれ。巻き添えを食うぞ」

「サイラス、何する気?」

「クリスも見たことがなかったか。なら見てのお楽しみ、さ」


 サイラスが悪戯っぽい笑顔を浮かべた。


「オオオオォォォーーーッ!」


 小休止はここで終わり、とでも言うように、竜が大きく嘶いた。


「行くぞ、野郎ども!」


 エドガーが先頭に立って突貫する。


「頼んだぜ、さて……」


 四人の背中を見ながら、サイラスは両手大剣を構える。竜との距離は、二十メートルほど。例の砂礫攻撃を放たれれば避ける術は無い。仲間の陽動を信じるしかない。

 刃を肩で担ぎ、両足を大きく開く。上体は限界まで捻られている。激しい戦闘の中でも剣術の基本を崩さないサイラスにしては珍しい、大雑把で荒々しい構えだ。鼻から大きく息を吸い込み、呼吸を整える。


「うおぉーーーっ!」


 雄叫びを上げ、フランシスが重鉈を叩きつける。自分にできるのは、全身全霊をかけてこの大地の王者に挑むことだけだ。腕が千切れようと、足がもがれようと――最後まで諦めずに戦い抜く。それが、決死の覚悟を示すということなのだろう。

 もっと強く、もっと速く――

 竜の爪をギリギリまで引き付けて回避する。肩の肉が浅く抉られるが気にしない。一層の力を込め、重鉈を振り回す。

 フランシスのやぶれかぶれとも思える攻撃を、竜は疎ましく感じたのだろうか。竜の攻撃は、だんだんとフランシスに集中していく。


「いいぞ、フランシス。これなら狙いが付けやすいぜ……!」


 フランシスの凄まじい奮闘を見ながら、サイラスは腹筋に力を込め大きく息を吐いた。一瞬きつく目を閉じ、見開く。


「今だ、どけ!」


 サイラスの声に、四人は一斉に竜から離れる。

 裂帛の気迫とともに、サイラスが両手大剣を振り下ろした。全身の筋肉を総動員して放たれた、神速の斬撃。

 竜巻の如き轟音が荒野に響き、直後竜の右膝頭が見えない何かによって鱗もろとも切り裂かれ、真っ赤な血が迸った。

 凄まじい速度で振り下ろされた剣先が空気を斬り裂き、真空の刃を作り出したのだ。


「けっ、ざまあ見ろ!」


 サイラスの両腕が力なく垂れ下がり、両手大剣が音を立てて地面に転がった。

 竜人の限界をも超える挙動により、両腕の腱や筋肉が一瞬にしてズタズタに断裂してしまったのである。竜人の回復力をもってしても、しばらくは動かすこともできない重傷だ。

 しかし、効果は絶大だ。竜は苦しげに呻くと片膝をついた。


「畳み掛けるぞ!」


 エドガーが叫び、竜の懐に飛び込む。竜は右腕を振り上げて応戦する。しかし、エドガーはこれを避けようとしない。逆に、唸りを上げて迫る竜の掌に向け、大戦斧を思い切り振り抜いた。


「おおおおぉぉーーーーっ!」


 竜の力を真正面から利用した、カウンター攻撃だ。斧は竜の掌に深々と突き刺さった。

 しかし、その反作用は凄まじく、エドガーの身体は二十メートル以上も吹き飛ばされる。辛うじて立ち上がったエドガーだが、その右腕は本来あり得ない方向に捻じ曲がっていた。

「エドガー、下がって!」

 クリスティが疾走る。竜の後ろに回ると、瞬く間にその背を駆け上がる。頭部に取り付いたクリスティは、両の剣を振りかざすと左眼球に柄をも通れと突き刺した。


「ゴギャアァァーーーッ!?」


 片目を完全に潰された竜が苦悶の声を上げ、激しく首を上下に振る。クリスティの手から剣が離れ、その小さな身体は天高く舞い上げられた。


「クリス!」


 クリスティの身体は、シラーズの時計等並の高さまで達している。いかに竜人といえど、そのまま地面に叩きつけられれば無事では済まない。

 フランシスは一瞬でクリスティの落下点を割り出すと、そこに身体を滑り込ませる。間一髪。凄まじい勢いで落下するクリスティの身体を、フランシスは寸でのところで受け止めた。しかし、衝撃は大きい。フランシスの全身がみしりという悲鳴を上げる。


「よくやった。俺も、少しは格好をつけねばな」


 スオウが曲刀を手に、竜と対峙する。

 右の掌に傷を負った竜は、左手をスオウに叩きつけようとする。スオウはするりとそれをかわすと、竜の右足首に全力で曲刀を叩き込む。

 すると、不思議なことに竜はたたらを踏んでその場に転倒した。スオウは、竜の右足にあった重心が地面から離れる瞬間を狙い打つことで、身体のバランスを崩してみせたのだ。

「……もう一撃!」


 スオウは曲刀を放り出すと、倒れ伏す竜の側頭部に向け右拳を突いた。拳が鱗に接触した瞬間、スオウは肩、肘、手首の関節を栓抜きの如く捻り込む。分厚い鉄板を思い切り叩いたような鈍い音が荒野に響いた。

 竜は、一見なんのダメージも受けていないかのように立ち上がった。しかし、様子がおかしい。酔っ払ったかのように首をふらつかせ、眼も焦点を結んでいないようだ。

 スオウの放った拳は鱗と頭蓋骨を貫通し、脳に直接衝撃を伝えた。そして竜は、人間で言う脳震盪の状態に陥ったのである。


「拳を痛めたか」


 痛めた、などという生易しい表現で済むものではなかった。指から手の甲にかけての骨がぐしゃぐしゃに砕け、所々で皮膚を突き破っている。


「フラン、一本貸して!」


 クリスティの双剣は、竜の目玉に突き刺さったままだ。フランシスは小さく頷き、片方の重鉈をクリスティに放ると竜に突撃した。

 もう少し。竜は皆の猛攻でかなりのダメージを受けている。あと少しなのだ。フランシスは、竜の雰囲気が変化しつつあるのを肌で感じ取っていた。

 しかし、エドガーとサイラスは戦闘不能。スオウは片手が使えない状態だ。頼れるのは、クリスティと自分のみ。


 ――研ぎ澄ませ。もっと、もっと――!


 頭にあるのは、どうすれば竜を傷つけ得るのか、どう身体を動かすのが効率的か――そのことのみ。竜の爪を避け、斬る。ひたすらそれを繰り返す。

 先ほどから、自身の身体に違和感がある。関節が軋む。腕や足などあちこちから時折ぶちぶちと何かが千切れるような音が聞こえ、酷く痛む。しかし、そんなことを気にしている余裕はない。

 不思議なことに、身体の違和感が増すほどに、フランシスの感覚は研ぎ澄まされていった。五感が、今まで以上の情報をフランシスの脳に伝え、脳がそれを高速で処理していく。微細な空気の動きまでもが、フランシスの味方だった。

 見える。竜の腕の筋肉が収縮――それに合わせて体表の鱗が微妙にずれる。そこだ。跳躍し、わずかに生まれた鱗の隙間を正確に斬り裂く。

 身体を捻って着地。背後から迫る尻尾を、フランシスは見もせずに避ける。しかも、高速の尾撃を避けながら、その尾に斬撃を加えている。

 エドガーが、クリスティが、そしてスオウまでもが驚愕の表情を浮かべている。フランシスには、それを見て取る余裕すらあった。

 身体の痛みは、既に熱として感じられるほどだ。しかし、身体の熱さに反比例するかのように、フランシスの頭は冴え渡っていく。




「なんだ、あの動きは……!」


 ダイアナが、目を見開いて驚く。フランシスの動きは、ダイアナの目から見ても異常だった。


「あれではまるで――」


 フランシスと同様の動きを可能とする人物を、ダイアナは知っている。レナード・パーシヴァルだ。


「火事場の馬鹿力というやつだよ、少佐。人間追い込まれればなんでもできるもんさ」


 とはレナードの弁であるが、ダイアナはそれを半ば冗談だと捉えていた。レナードが強いのはあくまで彼個人の特別な資質によるものとして、深くは考えようとしなかった。

 しかし、フランシスの戦いを見るに、レナードの言葉にもある程度の真実があるように思えてくる。

 戦場において極限状態に立たされた兵士が、人間離れした働きを見せることが稀にある。医学的な裏づけは無いが、この現象は信頼できる記録でいくつも確認されている。

 フランシスの身に起きた変化が何なのか、ダイアナには知る由もない。しかし、これは僥倖だ。竜は傷を負って弱り、苛立ちを隠せないでいる。ここで駄目押しすることができれば、チャンスが生まれるはずだ。


「部下たちがあれほどの働きをしているのに、最後の最後で私がしくじるわけにはいきませんね」


 「吼狼」を握る手に、力がこもる。

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