第三話
翌朝。
フランシスは、ふたたびダイアナの執務室に呼び出された。これからフランシスに課せられる訓練課程について説明を受けるためだ。
部屋には、なぜかクリスティの姿もある。
普通は同期入隊の者たちが集められて一緒に訓練が行われるが、フランシスの場合はそれとは別にスケジュールが組まれている。
訓練時間は通常の三割増し。そのほとんどは指導教官とのマンツーマンで行われるという。
貴重な竜人を少しでも早く一人前に育てたいという上層部の意向でこのようなカリキュラムとなったわけである。
「……説明は以上です。何か質問は?」
「ありません。けど……何でもないです、じゃなくて何でもありません」
「どうしました? 遠慮なく言ってみなさい」
「いや、その……随分座学の時間が多いんだな、って思っただけです。軍隊の訓練って、ひたすら体を鍛えるってイメージだったから」
フランシスが受ける訓練のスケジュールが書かれた紙を見ながら、フランシスが答えた。
射撃、行軍、応急処置など、兵士に必要な技能と体力を鍛える訓練は当然ある。戦術学、戦史なども、軍人として必要なのは理解できる。しかし、フランシスのスケジュールには、数学、物理学、論理学から法学に至るまで、さまざまな学問が含まれていた。
「ふむ。そのイメージは間違ってはいませんよ。ただ、特例とはいえ『大鷲』隊員は士官です。人の上に立つ立場の者には、相応の教養が求められるというのがわが軍の考え方なのです。不満ですか?」
「不満だなんて、とんでもない! タダで勉強もさせてもらえるなんて、とても有難いです」
読み書きや算術の基礎程度ならば、教会の日曜学校などで誰もが学ぶ機会を得られる。しかし、それ以上の高等教育を受けようとするならばそれなりの金がかかる。金銭的な問題で、勉強したくてもできない人間が大勢いる世の中だ。勉強好きのフランシスにとっては願ったりである。
「ほう。わが軍の兵士がみな准尉のような准尉のような心がけならば、苦労しないのですが」
そう言って、ダイアナがクリスティに視線を向けた。
「へ? どうしたんですか、少佐」
ダイアナが大きくため息をつく。
「キーツ少尉。あなたをファウラー少尉の教育係に命じます。いい機会です、ついでに一緒に座学を受けて教養を付け直しなさい」
「えぇぇ~~っ!? マジですか?」
「あなたには、士官としての自覚に欠けるところがあると前々から考えていました。昨日、ここで晒した醜態を忘れたとは言わせませんよ」
「いやあ、あれはたまたまっていうか……」
「口答えは無用。速やかに指定の場所に向かいなさい」
「りょうかい……」
クリスティが、力なく敬礼した。
「あぁ~、ほんと信じらんない。呼び出されたときから、嫌な予感してたんだよ」
廊下を歩きながら、クリスティががっくりと肩を落とす。フランシスとクリスティは、最初の訓練である座学を受けるため、本部棟にある一室に向かっているところだ。
「クリスはそんなに勉強するのが嫌なの?」
「当たり前でしょ。好き好んで勉強したがる奴なんてマゾの変態だね、絶対」
口をへの字に曲げて、クリスティが毒づいた。「好き好んで勉強する」タイプのフランシスとしては、苦笑するしかない。
「あら、随分な言葉ね、クリス」
と、二人の背後から声がかかった。
フランシスが振り向くと、そこには一人の少女が立っていた。小柄なクリスティよりもさらに小さい。ぼさぼさの髪を無造作に二つに束ね、そばかすの浮いた鼻の上には珍しい眼鏡を乗せている。顔立ちは、その低い背丈と相応に幼い。
「いや、その、パティの悪口を言いたいわけじゃなくて」
「まあいいわ。軍人さんは大概そんなもんのだし。脳まで筋肉でできてるのね、きっと」
少女がやり返す。しかし、クリスティは彼女の言葉の意味がいまいちわかっていない様子だった。
「クリス、この子は?」
「ああ、彼女はパティ。本国のアカデミーからシラーズ基地うちに派遣されてる学者さんだよ。竜と竜人の専門家」
「学者? この子が……?」
「うん。歳は十四だけど、うちの竜類研究所の主任なんだよ。アカデミーの博士号もたくさん持ってるんだって」
「へぇ、凄いな。天才なんですね」
フランシスの言葉に、少女は謙遜するでもなく当然だ、とでも言いたげに薄い胸を張った。
「パトリシア・グラッドストーンよ。あなたが新しい竜人ね、よろしく」
「あっ、フランシス・ファウラーです。よろしくお願いします、博士」
「ああ、堅苦しいのは無し無し。パティでいいわ。これからあなたにはいっぱい協力してもらうことになるんだし。仲良くやりましょう」
「協力って?」
「生きた竜人は格好の研究サンプルだから。あなたにはいろいろ実験に付き合ってもらうことになるわね」
なんとも形容しがたい怪しい笑みを浮かべるパトリシアであった。
「で、こんなところでなにしてんの?」
場所は、シラーズ基地本部棟の一角にある小講義室の前だ。パトリシアが勤務する研究所とは、そもそも建物が違う。
「目的地はあなたたちと一緒よ。この部屋」
「どういうこと?」
「フランシス、これから受ける授業が何か知らないの?」
「ええと、確か『竜学』だったかな」
竜学とは、生物学の中でも特に竜の生態について研究することを便宜的に表す言葉だ。
「少佐直々にに頼まれてね。竜学の教官をすることになったの。よろしく、フラン」
「よろしくお願いします、先生」
「あと、クリスには特に厳しくしろって言われてるから。覚悟してね」
「勘弁してよ、ほんと……」
「最初だから、今日は概論的な話をするわね」
そう前置きし、パトリシアが講義を始めた。
「竜という生物が発見されたのは、一二一〇年。第二次コルドア調査団が、今で言うダストン
フランシスが頷く。
「竜の研究が本格的に始まったのは、第一次東方遠征以降。当時のブリーディア軍には、悠長に竜を観察している余裕なんてなかったのね」
この遠征によってある程度の領地が切り拓かれ、確固とした拠点が築かれた。そして、竜と戦うためにはその生態を知るのが不可欠だということで、竜の研究が始まったのだ。
「本国から派遣された生物学者たちは、さぞ苦労したでしょうね。なにせ、竜という動物は旧大陸の既知の動物とまったく共通点がなかったから」
竜の研究は、まさに手探りだった。相手はきわめて危険な生物なため、観察すのも一苦労なのだ。
「さてクリス、今のところ確認されている竜の種類をすべて挙げなさい」
「ええと……
「
「だって、琥珀竜なんて見たことないし……っていうか、あたし炎竜しか見たことないや」
「まあ、数はかなり偏ってるからね。今までに討伐された数では、炎竜がだいたい八割。黒鉄竜が一割で、森林竜、銀晶竜、琥珀竜の三種類で残りの一割、ってとこ」
「じゃあ、大洋竜は?」
フランシスが挙手して質問する。
「大洋竜は、まだ一度も討伐されたことがないわね。海中を自在に泳ぎ回る大洋竜に対し、人類はまだ有効な対抗手段を持っていないの。生息数はかなり多いと見られてるけど、はっきりとはわかっていないわね」
鉄砲の銃弾にせよ、大砲の砲弾にせよ、海面に衝突した時点でその威力は大幅に減衰する。頼みの綱の竜人も、身動きが取りにくい水中では竜を相手取ることはできないのだ。
「大洋竜がいるせいで、コルドアには西海岸からしか上陸できないわけだけど……ブリーディアにとっては幸運だったかも」
大洋竜は、コルドア大陸東部から南部の海に広く生息しており、近づく船は片っ端から沈められる。北岸は氷に閉ざされた極圏で、こちらも船で近づくのは難しい。ゆえに、コルドアには西海岸からしか上陸できない。
コルドアは豊かな土地だ。コルドアに進出したいと考える国は数多いだろう。しかし、ブリーディアとしては西海岸を防衛できさえすればいいのだ。
探検家アマディアスが大洋竜のいない航路からコルドアに到達したというのも、幸運なことだったといえる。
「話が逸れたけど……陸上に生息する五種については、徐々にだけど研究が進んでいるわ。でも、この五種は骨格から筋肉の付き方から内臓の構造から、何もかもがバラバラでね。科学者としては同じ動物のくくりに入れることに抵抗を感じるところだけど」
コルドアに生息している、強固な鱗と巨大な体躯を誇る御伽噺に語られる「竜」のごとき生物。竜の定義は、非常にぼんやりとしたものなのだという。
「クリス、次の質問よ。そのバラバラな竜にも、一つだけこれだという共通点があります。それは何?」
「それ知ってる! アレでしょ、お腹の鱗の下の、膨らんだり萎んだりするやつ」
「合ってはいるんだけど……正確には『鞴腹』ね。『竜の呼気』を生み出すための器官よ」
「竜の呼気」。それは、竜が持つ最大の脅威だ。
コルドアの竜は、まさに御伽噺に語られるが如く、その口から呼気を吐き出すのである。
「フラン、あなたは『竜の呼気』について知っている?」
「竜が炎を吐くっていう話はきいたことがあるけど」
「それは炎竜の『
一二一〇年に行われた最初の竜討伐作戦。相手をただの巨大な蜥蜴と高をくくっていたブリーディア軍は、炎竜の吐き出した「灼熱呼気」によって、多大な損害を受けた。
「充分に育った炎竜が繰り出す『灼熱呼気』は、射程百メートル以上。鉄製の装備が溶けたという実例があり、人間がまともに喰らえば骨も残らないわね」
「そんなに凄いのか……僕を追いかけていた竜が『呼気』を使ってこなくて本当に良かった」
あの時の状況下で「呼気」を使われていたら、万に一つの幸運もなかっただろう。フランシスが身震いする。
「それは大丈夫だよ。あのときの炎竜は、その前に一回『呼気』を使ってたから」
「クリス、どういうこと?」
「『灼熱呼気』は、一回使ったらしばらくは使えないんだってさ」
「へぇ。どうして?」
「さあ。あたしに聞かないでよ」
クリスティの言葉に、パトリシアがやれやれと首を振る。
「クリス、あなたも昔習ってるはずなんだけど……それは、『灼熱呼気』の仕組みに関係しているの。時にフラン、あなたは曲芸師がやる火吹きって知ってる?」
「うん。昔収穫祭のとき旅芸人の一座が村に来てて、その時に見たよ」
火吹きは大道芸の一種だ。ランプ油など可燃性の液体を口に含み、手に持った火種に噴きつけることにより、あたかも口から火を吐いているように見えるのだ。
「基本的に仕組みは一緒。炎竜は、食物の消化のある段階で、非常に高い温度で燃える可燃性の液体を作り出すことができるの。それを体内――『炎嚢』と呼ばれる臓器に溜め込んで、いざというときに吐き出す。火種は、牙を噛み合せることで火打石代わりにしていると考えられているわ」
フランシスは、しきり感心しながらパトリシアの話を聞いている。パトリシアは――というよりおよそなにかの知識に秀でた人間には共通の特徴だけども――教えたがりな性質のようで、聞き上手なフランシスに対しますます口が滑らかになる。
「で、一度『呼気』を使うと、体内の可燃性物質を使い切ってしまうから、しばらくは安全ってわけ。をそして、この『呼気』を吐くとき、重要な働きをするのがさっき話した『鞴腹』」
五種類の竜の腹部に共通して存在するのが、この「鞴腹」という器官だ。腹部の一部の鱗の下には、皮膚が変化してできた袋が付いている。そしてその部位の鱗は任意に動かせるようになっており、この鱗で袋を押しつぶすように動かすことで、外気を体内に取り込むのだという。
鍛冶屋が火を熾すときに使う鞴に似ていることから、この鱗と袋を含めた全体を「鞴腹」と呼ぶようになった。
「体内に取り込んだ膨大な量の空気を一気に噴射することで、『呼気』の射程と威力は格段に跳ね上がるの」
「へぇ、よくできてるんだなぁ」
「まさに、自然の神秘としか言いようがないわね。人間だって大昔から火炎を放射する類の兵器を作ろうとしているけれど、これほどのものはできていないから」
と、パトリシアは肩を竦めた。
「さて、そろそろ時間ね。話が飛び飛びになってまとまりがなかったかもしれないわね」
「いや、とてもわかりやすかったよ。ありがとうございました」
「ふふっ、そう言ってもらえると次の講義もやりがいがあるわ」
パトリシアが破顔する。年齢相応の可愛らしい笑顔だ。
「それからクリス、ちゃんと話聞いてた?」
「えっ、あ、ちゃんと聞いてたよ?」
途中からクリスティが舟をこいで半分眠っていたことには、フランシスもパトリシアも気付いていた。
「あなたには講義の最後にフランと一緒に試験を受けてもらうことになっているからね。合格できないと課題が出るけど、ちゃんと聞いていたのなら余裕よね」
「えぇ~!? パティの悪魔! 鬼軍曹!」
「私は少尉相当官だからその罵倒は適切じゃないわ。まあ、文句があるなら少佐に言ってちょうだい」
そう言って、パトリシアは出て行った。
フランシスは力なく項垂れるクリスティをなだめながら、次の訓練に向かうのだった。
初回ということもあって、この日の訓練は専らフランシスの知識・技術の習熟度の確認に費やされた。
訓練は昼食時間を除いてほとんど休みなくみっちりと詰め込まれており、フランシスが自室に戻ったのはほかの兵士たちが夕食を取り終えるよりも遅い時間だった。
この部屋は士官用兵舎の二階にある個室だ。
本来、訓練期間中の兵士は士官候補だろうと兵卒だろうと相部屋で共同生活を送る。個室が与えられるというのは特例であり、それだけ竜人という存在が重要視されているということだろう。
部屋には予めフランシスの体のサイズに合わせた各種兵装、教本類、基本的な日用品などが取り揃えられていた。準備のいいことだ。
フランシスは備え付けのベッドに座り込むと、大きく息を吐く。
身体を使う科目は少なかったため肉体的な疲れはさほどでもない。クリスティが一緒だったとはいえ、一日のほとんどを訓練教官と一対一だったため、精神的に疲労している。
「そうだ、早く食堂に行かないと……」
基地には兵士が無料で利用できる食堂があるけれども、決まった時間で閉まってしまう。クリスティに教わったその店じまいの時間までは、あとわずかだった。
フランシスが重い腰を上げようとしたとき、部屋のドアがノックされた。
「はい? 開いてますよ」
入ってきたのはクリスティ。そして、彼女の背後には二人の男がいた。
「仲間を連れてきたよ。『大鷲』のね」
「『大鷲』っていうと……じゃあ、竜人の?」
「うん。本当はあと二人いるんだけど、今は任務でシラーズを離れてるんだ。じゃあ二人とも、自己紹介してよ」
二人の男が前に進み出る。
「俺はエドガー・ノリス中尉だ。よろしくな」
一人目は、筋骨たくましい巨漢だ。年齢は三十台前半、身長は二メートル近いだろうか。身体の厚みも半端ではなく、フランシスは部屋が一気に狭くなったように感じた。髪は短く刈り込まれ、顎には無精ひげを生やしている。歴戦のベテランといった風格である。
「フランシス・ファウラーです。ご指導お願いします、中尉」
「ああ、堅苦しいのはナシだ。エドガーでいいぜ」
フランシスは物言いたげな視線をクリスティに向ける。
「気にしないでいいよ、少佐もいないんだし」
「そうなの? じゃあエドガーさん、よろしくお願いします。あの……もしかして、僕が竜に襲われたときに……」
「ああ、あん時は済まなかったな。もう少し早く駆けつけてりゃ、あんなことにはならなかったんだが」
クリスティと共にフランシスを助けた大柄の男。それがエドガーだったのだ。
「いえ、助けてもらってありがとうございました」
「まあ、こうなったのもなにかの巡り会わせだ。仲良くやろうぜ」
エドガーは、白い歯を見せて笑った。
二人目の男は、エドガーとは対照的な優男だった。
年齢は二十代半ばで、身長はフランシスよりわずかに高いくらいだがすらりと足が長い。髪は緩くウェーブした綺麗な金髪だ。顔のつくりは整っており、美形と言っていいだろう。
「俺はサイラス・ガーランド少尉だ。家名で呼ばれるのは好きじゃないんでな。俺のこともサイラスでいいぜ」
フランシスは、差し出されたサイラスの手を握る。サイラスの掌はその容貌からは想像できないほど固く、関節も節くれだっている。この男もやはり兵士なのだとフランシスは思う。
「あたしたちはなんだかんだで一緒にいることが多いからね。早いうちに紹介しとこうと思って」
竜人の身体能力は、常人のそれとは比べ物にならない。身体を使う訓練の場合、竜人は竜人を相手にしなければ勝負にならない。そのため、戦闘時以外も行動を共にすることが多いのだ。
「それで、フランシスよ。お前、晩飯はもう食ったのか?」
「晩飯……あっ、そうだ。早く食堂に行かなくちゃ」
エドガーの質問に、フランシスははっとなった。自己紹介の間にも、食堂の閉まる時間は近づいている。
「ああ、慌てる必要はないぜ」
サイラスに肩を叩かれ、フランシスは首を傾げる。
「あたしたち、フランシスの歓迎会をしようと思って。ご飯奢ったげるから、行こう」
クリスティがフランシスの手をぐいぐいと引っ張って部屋から連れ出そうとする。
「行くって? 食堂?」
「いいから、ほれ、行くぞ」
エドガーに背中を押され、訝しく思いながらもフランシスは歩き出す。
「本当にいいのかなぁ」
思わずフランシスが呟いた。表情からは、不安がありありと見て取れる。
フランシスら四人の姿は、シラーズ郊外の基地から市街地に向かう路上にあった。
「大丈夫だって、フラン。皆よくやってることだから」
「そうは言うけど……」
シラーズ独立大隊の隊規では、月に三度ある休暇日のほかは、夜間の無断外出が禁じられている。フランシスが怯えているのはそのためだ。
「要はバレなければいいんだ。兵舎の当直と点呼係は買収してあるから問題ないさ」
サイラスが、悪そうな笑みを浮かべる。
「いつまでもシケた面してんなよ。まあ、旨い飯を食やぁ余計な心配も吹っ飛ぶだろ」
ガハハと豪快に笑いながら、エドガーがフランシスの背中をその大きな手で叩く。
「しょうがない、か」
この時間に基地の外にいること自体、既に隊規違反なのだ。諦めるしかない。
そうこうしているうちに、一行はシラーズ市街地に辿り着いた。
シラーズの町は、人口およそ十二万人。コルドア内陸部、フロンティアに広がる
街並みは木造の建物と石造の建物が入り混じる雑多なもので、旧大陸の歴史ある都市に比べれば見劣りするものだ。しかし、こと活気という点では、このシラーズは世界有数のものを持っている。新たな世界を切り拓いて生きる人々が放つエネルギーが、街に満ち溢れているのだ。
既に晩飯時を過ぎた時間ながら、通りはいまだ多くの人々で溢れている。人ごみを縫うように進む四人は、やがて盛り場に辿り着いた。
「ここだぜ、フランシス。俺たちの馴染みの店なんだ」
表通りから道一本奥まったところにあるその酒場は、「跳ねる野牛亭」といった。
ドアをくぐった途端、フランシスは酒場独特の熱気と喧騒に包まれた。店内は酔客でいっぱいだ。
「よう、ベス! 席の準備はできてるか?」
サイラスが手を上げて若い女給に声をかけた。女給は愛想のいい笑顔で一行を案内する。
店の隅には一つの空きテーブルがあり、そこには既にいくつかの料理とパンやチーズ、数本のワインの瓶とカメ一杯のビールなどが用意されていた。ご丁寧に、予約席と書かれた札まで置かれている。
「今日も混んでるな。席を取っておいてよかったぜ」
サイラスが陶器のタンブラーを配り、クリスティがそこにビールを並々と注いでいく。
「さあ、何はともあれ乾杯だ。ホレ、フランシス」
エドガーに押し付けられようにして、フランシスがタンブラーを手に取った。
「じゃあ、新たな仲間・フランシスを歓迎して――乾杯!」
サイラスの音頭に、四人は景気良くタンブラーを打ち鳴らした。
フランシスは、恐る恐るビールに口をつけた。なにしろ、酒など飲んだことがない。
まず口の中に広がったのは苦味だ。思わず顔をしかめそうになるが、ビールが喉を通り過ぎた瞬間、ホップの醸し出す爽やかな香りが鼻に抜ける。泡が弾ける感覚も心地良い。
「どうだフランシス、旨いか」
「はい。お酒って初めてですけど、意外と飲みやすいですね」
「そうか、どんどん飲め」
エドガーが、大雑把にビールを注いだ。タンブラーから溢れそうになった分を、慌てて啜りこむ。
フランシスがタンブラーを空ける間、クリスティとサイラスは三杯。エドガーに至っては五杯を飲み干していた。カメのビールは、早くもそこを尽きかけていた。
「みんな、そんなに飲んで大丈夫なんですか」
どれだけ飲めば酔っ払うのかという感覚はわからないフランシスだが、さすがに心配になってくる。
「ふふっ。その点は大丈夫だぜ、フランシス」
「大丈夫、ってどういうことですか? サイラスさん」
「ここだけの話、竜人は普通の人間に比べて酒に強いんだよ。酔っ払わない、ってわけじゃないんだが――酔いが醒めるのが早くなるんだな」
「そうそう。一眠りすればケロっと醒めちゃうからね。二日酔いにもならないし」
「そうなんだ」
つくづく便利な身体である。こんなところでも竜人の超人っぷりを思い知ることになるとは、フランシスも想像していなかった。
「そういうわけだ。料理もこれからジャンジャン来るから、遠慮なく食ってくれ」
エドガーが、ふたたびフランシスのタンブラーを満たした。
酒が進み、会話が弾む中で、フランシスの身の上の話になった。
「そうなんだ、フランのご両親は本国から移民してすぐに……」
「うん。流行りの熱病に罹っちゃって」
「それで、孤児院育ちか。しかし、孤児院に仕送りするために軍に入るとは、泣かせる話じゃねぇか。うちのガキもフランシスみたいに育って欲しいもんだ」
さも感心したといったふうにエドガーが頷く。
「エドガーさん、お子さんがいるんですか」
「ああ、カカアと一緒にガストンの町で暮らしてるよ」
「こいつ、こんな顔して凄い親バカなんだぜ。子供から手紙でも来た日には、一日中ニヤニヤして仕事にならないくらいさ」
「お前も、結婚してガキができりゃあ俺の気持ちがわかるだろうよ」
エドガーが、大きな手でサイラスの頭を軽く叩く。
「でも、本当にそんな立派なものじゃないですよ」
「まあ、若い男が手っ取り早く金を稼ぐなら兵士になるのが一番だわな。俺も最初の動機は似たようなもんだ」
エドガーは職人の家の長男だったが、生来手先が不器用だったため家業は弟に継がせて自分は家を出たのだとか。
「まあ、俺はこの通りのガタイで腕っ節にも自身があったからな。兵士が天職だったのさ」
「ところでクリスはどうして辺境騎士団に?」
フランシスが、かねてからの疑問をぶつけてみる。軍隊というのは、無論男の世界だ。うら若い女性であるクリスティがなぜ兵士になれたのか、疑問に思うのは当然だ。
「う~ん、話せば長くなるんだけど……父さんが借金こさえちゃったのがそもそもの始まりでさ」
クリスティの実家は、コルドアの玄関口である港町・ハサで、貿易商を営んでいたという。
「商売はそこそこうまくいってたらしいんだけど、ある時父さんが悪い女に引っかかっちゃって」
出来心でしてしまった浮気だったが、実はそれは商売敵の罠だった。商売の内情がライバルに筒抜けになった挙句、偽の情報をつかまされたクリスティの父は、気付けば多額の負債を抱えていた。
「にっちもさっちもいかなくなってね。で、あたしは結婚させられることになったんだ」
「結婚? どうして?」
「政略結婚、ってやつだろうよ」
サイラスが口を挟んだ。
クリスティを嫁に寄越せば借金を肩代わりしてやろう、と言う金持ちが現れたのだ。
「それが、潰れたカエルみたいな脂ぎったオッサンでさぁ。父さんの浮気が原因なのに、なんであたしがこんなのと結婚しなきゃならないんだ、って」
昔から直情径行の性格だったクリスティは、始めて婚約相手と会ったその日のうちに、荷物をまとめて家を出た。
「流れ流れてシラーズまで来たんだけど、そこで『あれ』を見たってわけよ」
クリスティが、酒場の壁を指差す。そこには、辺境騎士団からの告知が貼られていた。フロンティアでは、どこの町・村に行っても同様の張り紙が見つけられる。
「来たれ、若者!
わが騎士団は、竜と戦い新たなる世界を切り拓くための若い力を必要としている。国家のためにその身命を捧げる覚悟がある者は、是非シラーズ基地の門を叩いて欲しい。健康な男子・十六歳から四十歳まで。その他詳しい条件・報酬等は、最寄りの駐屯部隊にて尋ねられたし」
「シラーズまで来たけど、小娘一人じゃろくに仕事も見つからなくてさ。このままじゃ娼婦になるしかない、ってところでこのポスターを見たんだ。娼婦になるより、竜と戦うほうが面白そうじゃん」
「面白そう、って……でも、女性は志願できないでしょ」
「だから、ちょっと男装をね。まあ、ばれたらばれたでそん時だと思って」
当時の募集で集まった数百人の志願者に紛れ、ひとまずクリスティは潜り込むことに成功する。
「で、全員が集められて最初に『試験』を受けさせられたのね」
「試験……?」
「うん。試験って言っても、コップ一杯の酒を飲み干すだけ」
酒と説明されたもの――実態は、竜の血が配合された度の強い蒸留酒だった。
「で、あたしは竜の血を飲んですぐに熱を出してぶっ倒れて――当然寝込んでる間に女だってのはバレたんだけどね」
竜人の存在が知られるようになってから、すべての入隊志願者にこれが課せられてきたのだという。
資質のない者は、竜の血を摂取してもなんの変化も起きない。資質を持つ者の場合、数時間以内に身体に異変が起きる。
フランシス同様、ひと月近い期間をベッドで過ごしたのち、クリスティは竜人となった。
女性とはいえ、竜人は貴重な人材だ。クリスティの処遇については議論がなされたものの、結局は特例として入隊が認められることになったのだ。
「あたしが入隊したいきさつは、そんな感じかな」
「なんか、僕よりずっと凄い経緯のような気がするなぁ……そういえば、少佐はどうやって軍に入ったんだろう」
ダイアナの成熟した肉体では、男装したところですぐにバレてしまうだろう。そう考えたフランシスだったが、なんとなく厄介なことになりそうな気がしたので口には出さない。
「あの人は、なにやら込み入った家の事情があるらしいぜ、俺も詳しいところは知らねぇが。それで、特例として軍に入れたんだと」
答えたのはエドガーである。
「へぇ、そうなんですか。そうだ、サイラスさんはどうして軍に?」
「俺か? 俺はまあ……色々だ」
「いいじゃねぇかサイラス。教えてやれよ、ほら」
エドガーがサイラスの肩に腕を回し、首を抱くように締め上げた。
「うぉっ、暑苦しいから離せ! わかった、喋るから!」
と、サイラスがすぐに音を上げる。
「まったくお前は『切り替え』しなくても馬鹿力だな……その、大した話じゃないぞ?」
前置きして、サイラスは語り出した。
「俺の家は一応貴族で、俺はそこの三男坊さ。家督は継げないから、とりあえず士官学校に入れられてたんだが……」
「貴族? ということは本国出身ですか?」
植民地であるコルドアはブリーディア王の直轄領であり、そこに封建制に基づいた貴族という身分は存在しない。ゆえに貴族といえば必然的に本国で生まれたということになる。
勿論フランシスは貴族なる存在を見るのは初めてだ。尊敬と畏れの入り混じった視線が、サイラスに向けられる。
「おいおい、そんな目で見るなよ。貴族って言っても落ち目の貧乏貴族だぜ? それに俺は勘当された身だからな」
「勘当って……なにがあったんですか?」
普段のフランシスならば、個人的な事情を遠慮もなしに尋ねたりはしないだろう。自分では気付いていないが、しっかりと酒が回っているようだ。
「女だよ、女。人妻に手を出したのがバレちまってな。家をおん出され、とうとうこんな世界の果てに流れ着いたってわけだ」
サイラスは肩を竦め、おどけた表情を見せた。
「さあ、つまらん話はここまでだ。今日は思い切り騒ごうぜ」
そう言って、サイラスは酒と料理の追加を頼む。
(サイラスさんもエドガーさんもいい人みたいでよかった。この人達となら、何とかやっていけるかもしれない)
フランシスも、三人に負けじと杯を傾ける。宴は、まだまだ終わりそうになかった。
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