第一話
新大陸コルドア。
時を遡ることおおよそ百年前、旧大陸エウレシアから大海を隔てた東の果てにて、ブリーディア王国の探検家・アマディアスによって発見された人類の新天地である。
われ、新大陸を発見せり。土地はきわめて肥沃にて広大無辺なり――
このアマディアスの報告に、ブリーディア王国首脳陣は色めき立った。人跡未踏のコルドアに植民地を築くことができれば、ブリーディアと覇を競う列強諸国に対し優位に立てるようになるのは明白だからだ。
早速送り込まれた第二次調査団は、コルドアの内陸に分け入った。そして、そこで信じられないものを目にする。「竜」である。
伝説や神話に語られるだけの、想像上の生物にすぎないと考えられていた竜が、コルドアには存在していたのだ。
象よりもはるかに巨大な体躯と、鉄砲の弾はおろか砲弾ですらかすり傷しか負わせられない強固な鱗。その爪や尻尾は大木をもへし折り、必殺の武器である「
火と道具を得て以来、地上のあらゆる動物を駆逐してきた人類が初めて出会った天敵と呼べる存在、それが竜であった。
コルドアはきわめて魅力的ではあるが、竜の脅威を取り除かねば植民地建設は難しい。
ときのブリーディア国王は、ここで歴史的とも言うべき決断を下す。すなわち、大軍をもって竜と戦い、コルドアをブリーディアのものとすべしと勅令を下したのである。
まさに一か八かの賭けであった。もし失敗すれば財政は破綻し、ブリーディアという国は周辺諸国に飲み込まれてしまっただろう。
しかし、この後世に第一次東方遠征と呼ばれることになる戦いにより、ブリーディアはコルドアで最初の領地を獲得することに成功する。この新領は、ブリーディア本国に多大な富をもたらした。特に、ここで発見された金鉱から産出された金は、遠征にかかった費用を補ってなお余りあるほどであった。
以降、ブリーディア領コルドアは徐々にその版図を広げていき、現在に至るのである。
――痛い。
朦朧とする意識の中で、フランシスが感じていたのはただ一つ。全身を襲う強烈な「痛み」だった。痛み以外の知覚は、全く機能していない。
たとえるなら、体中の肉という肉が内側から盛り上がり、皮を突き破ってめくれ上がるような――熱にも似た凄まじい痛みが、フランシスの身体を苛んでいた。
完全に意識を失っては、痛みで強制的に覚醒させられる。それを、数え切れないほど繰り返す。叫ぶことも、身じろぎすることさえもかなわぬ、拷問のような時が過ぎていく。
いっそ死んだほうがまし、とさえ思えるほどの苦痛。しかし、身体が全く言うことをきかない状態のフランシスには、自ら命を絶つこともできない。
どれくらいの時間が過ぎただろうか。突如――まるで朝日によって散らされた靄のように、その痛みは消え去った。フランシスの両眼が、ゆっくりと開かれる。
「……ここは……? 僕は、いったい……」
そこは、見慣れぬ部屋だった。痛みが消えたとはいえ、身体は鉛のように重い。首だけを動かし、周りを見渡す。
どっしりとした石壁と、簡素な造りの家具類。小さな窓から柔らかな陽光が差し込んでいる。どこかの建物の一室に据えられたベッドに、フランシスは寝かされていた。
頭ががぼんやりして、思考が働かない。フランシスは、自分が置かれている状況が把握できなかった。
「僕は……ジーンの村を……馬で……?」
断片的な記憶が、だんだんと繋がっていく。
「そう、僕は馬で街道を――って、うわぁぁぁーーっ!?」
ばねに弾かれたように、フランシスの上体が跳ね上がった。おぼろげだった記憶が一気に鮮明になり、洪水のようにフランシスの頭に流れ込んでくる。
にわかに鼓動が早くなり、滝のような冷汗が流れた。
「そうだよ! 僕はあそこで竜に襲われて――そうだ、たしか馬から落ちて腹を――」
フランシスは、シャツをめくり上げて自分の腹を見る。巻かれていた包帯をむしるように剥ぎ取ると、そこにはうっすらとした傷跡があった。
夢ではなかった。「あれ」は、本当にあったことなのだとフランシスは確信する。きっと、あのあと自分はどこかの街に運ばれて手当てを受けたのだ。全身を苛んでいた痛みも、きっと腹の傷が元で高熱でも出して、それが「痛み」として感じられただけなのだろう。そう、自分を納得させた。
「それにしても、最後のあれは――」
ひとつ、大きな疑問が残る。あのとき、フランシスは確かに見た。二人の兵士が、巨大な竜に戦いを挑み、とうとう打ち倒してしまったところを。あれは、果たして本当にあったことなのだろうか。どう考えても異常な光景だ。出血によって朦朧とする意識の中で見た夢だったのだろうか――そうも考えるフランシスだが、それではこうして自分が助かっていることに説明がつかない。
とにかく、誰か人を呼んで事情を聞かねば――フランシスがベッドから出ようとしたところで、部屋のドアがノックもなしに開かれた。
入ってきたのは、深緑色の軍服に身を包んだひとりの女性――いや、年齢的には少女と呼んでも差し支えないかもしれない――であった。フランシスには、自分と同じくらいか歳下に見えた。小柄で、明るいブロンドの髪を襟の辺りでざっくりと切り落としている。やや吊り気味の碧眼はぱっちりと大きく、いかにも快活そうな印象を与える。
「大声がすると思ったら、目、覚ましたんだね」
人好きのする笑顔を見せた少女に、フランシスはよろけつつ詰め寄った。
「あの、済みません、ここはいつ? 僕はどこで、そうだ、あの竜は――」
支離滅裂な質問に、少女は苦笑する。
「まあまあ、落ち着いて。混乱するのはわかるけど、その格好で女の子に迫るのはどうかと思うな」
言われて、フランシスは自分の身体を見る。上半身はシャツがはだけて腹や胸が丸出し、下は下着一枚という有様であった。慌ててベッドに戻り、シーツを被る。
「ご、ごめんなさい! その、ちょっと慌ててたもんだから……それで、ここはどこなんですか? あなたは?」
「ここはシラーズの町。もっと詳しく言うと、辺境騎士団シラーズ基地の医務棟ね。あたしはクリスティ・キーツ。いちおう少尉だよ」
「あっ、僕はフランシス。フランシス・ファウラーです」
フランシスは律儀に自己紹介を返しながら、少女の言葉を反芻する。シラーズといえば、辺境地方の中心都市である。この地方最大の軍基地がある町でもあり、鉱山に就職するために旅立ったフランシスも、この町を経由する予定であった。
辺境騎士団とは、ブリーディア軍を構成する七つの騎士団のうちの一つであり、コルドア内陸部、開拓の最前線であるフロンティアを含む辺境地方を任地とする。ちなみに、封建的軍事制度が廃されているブリーディアの軍制において、「騎士団」という言葉は軍の編成単位の一つとしての意味で使われている。「騎士の集団」という意味での騎士団という言葉は、とっくに廃れてしまっている。
「で……僕の身になにがあったんですか? ちょっと記憶が曖昧で……」
「街道沿いで竜に襲われたことは覚えてる?」
「ええ」
「キミがやられそうになってたところをあたしたちが助けて、ここへ運び込んだ。簡単に言うとそういうことだね」
「あの、あなたはもしかしてあの時の――」
クリスティと名乗った少女は首肯した。
はじめから、どこか見覚えのある人だとフランシスは思っていた。フランシスを助け、竜に立ち向かった二人の兵士のうちのひとりが、クリスティだったのだ。
「まあ、聞きたいことはたくさんあると思うけど――それよりお腹すいてない? ずっと寝たきりだったんだし」
言われてみれば、確かに凄まじいまでの空腹であった。タイミングを見計らったかのように、フランシスの腹が大きく鳴る。
「食べ物持ってきてあげるよ。ちょっと待っててね」
そう言って部屋を出たクリスティは、程なくトレイに乗せた食事を持って戻ってきた。山盛りの黒パンに太い腸詰めが五本ほど、刻んだ野菜がたっぷり入ったスープ、ピクルスの盛り合わせと、貧乏孤児院出身のフランシスにとってはご馳走といえるメニューだ。
水差しの水とともに流し込むように平らげると、フランシスはようやく人心地つく。
そろそろ詳しい事情を聞かせてもらおう、とフランシスが口を開けかけたその時、部屋のドアがノックされた。
「失礼、入りますよ」
入ってきたのは、一人の女性であった。年齢はフランシスたちよりも上で、二十代中ごろ。女性にしては長身で細身だが、いわゆる「出るところは出ている」プロポーションである。艶やかな黒髪を肩のあたりできっちりと切りそろえていおり、切れ長の瞳は、いかにも理知的な雰囲気をかもし出している。服装はクリスティと揃いの軍服。やや着崩しているクリスティに対し、この女性の軍服には皺一つなく、一点の隙もないほどきっちりと着付けている。
抜き身の刃のような、鋭い威圧感を放つ女性である。フランシスは、部屋の空気が一瞬にして引き締まるのを感じる。
そして、彼女はベッドに近づくなり、フランシスにとって――おそらくクリスティにとっても――意外な行動に出た。
「このたびは、本当に申し訳ありませんでした」
と、片膝をついて頭を垂れ、フランシスに謝罪したのである。
「ちょ、ちょっと待ってください! そんなふうに謝られても、何が何だか……」
開口一番の謝罪に、フランシスが困惑する。
「少佐少佐、彼が困ってますよ」
クリスティに促され、その女性は立ち上がった。
「私としたことが、見苦しいところを……失礼しました。私は、ダイアナ・ヘイワード少佐。ここ辺境騎士団で、騎士団長レナード・パーシヴァル中将の副官を務めています」
「パーシヴァルって……もしかして、あの『
ダイアナが口にした名前に反応し、フランシスが驚きの声を上げた。無理もない。レナード・パーシヴァルといえば、コルドア領拡大のため三十数年前に決行された大規模な竜討伐作戦――第三次東方遠征で多大な戦功を上げた、コルドアの英雄的人物なのだ。コルドアにおいてその名を知らぬものなどない傑物であり、男の子がごっこ遊びをするときはパーシヴァル将軍役を巡って喧嘩が起きるほどだ。辺境騎士団――いや、コルドア領全体を象徴する人物と言っても過言ではない。
フランシスにとっては、雲の上のような人物だ。少佐という階級がどれほどのものなのかフランシスにはピンと来なかったが、そんな男の補佐役ということは、眼前の女性もかなりの地位にあるに違いない――フランシスが推測する。
「さて、なにはともあれ詳しい説明が聞きたいでしょう」
フランシスが頷く。
「あなたが竜に襲われたあの日――正確には今日から二十八日前になりますが」
「ちょっと待ってください、二十八日前?」
思わず、フランシスがダイアナの言葉を遮った。
「あれ、言ってなかったっけ? キミ、ひと月近くも眠りっぱなしだったんだよ」
「ひと月って……僕の傷、そんなに悪かったんですか」
フランシスの質問に、ダイアナの右眉がぴくりと動いた。が、すぐに何事もなったかのように言葉を紡ぐ。
「……ええ、そんなところです。あの日、我々はあなたが通っていた街道から南東に六十キロの地点において、一匹の竜の討伐作戦を決行していました。部隊の指揮を取っていたのは私です」
作戦は、途中まではきわめて順調に進行していた。目標の竜をおびき出し、大きな痛手を与え、あと一歩で倒せるところまできたとき、予想外の事態が起きたのだという。
「激昂した竜に、包囲網を突破されてしまったのです。そしてその竜は、自らの縄張りを大きく逸脱して逃走しました」
「縄張りの外に? そんなことが……」
フランシスが驚くのも無理はない。竜とは縄張り意識が強い生き物で、何があっても自らの縄張りから出ることはない。これは、フロンティアに暮らす者の常識である。そうでなければ、コルドアのフロンティアで安心して暮らしていくことなどできない。
「あたしたちにとっても、完全に想定外ってやつでね。なんせ、こんなことは今まで無かったもんだからさ」
「少尉、何を言っても言い訳にしかなりません。すべては、指揮官である私の見通しが甘かったことが原因です。結果として、民間人であるあなたに重傷を負わせてしまうことになり……重ねてお詫びします」
「あたしたちの力が足りなかったばっかりに……本当に申し訳ありません」
先ほどまで気安くフランシスに接していたクリスティまで、姿勢を正して謝罪の言葉を述べた。
「いえ、こうして助かったんだし、そんなに謝らないでください」
「寛大な言葉、痛み入ります。それでは、次にあなたの話になりますが……勝手ながら、身元を確かめさせてもらいました。フランシス・ファウラー、ジーン村出身の十八歳。間違いないですか」
「はい」
「就職先であるサーデーン金山に向かうため村を出て、竜に襲われたと」
フランシスは首肯する。
「残念ですが、金山への就職はなくなりました」
「ええっ!? どうして……ああ、一か月も眠ってて連絡もしなかったから……?」
約束の日時に現れず、その後一か月近くも連絡もしなかったのだから、普通の雇い主ならフランシスを許さないだろう。
「……まあ、そんなところです。しかし安心してください。あなたの勤め先なら、すぐにでも紹介することができます」
「それは、もしかして……」
「軍に入りませんか、フランシス・ファウラー」
「軍に……」
「金山で働くよりは、多くの収入が得られますよ。もちろん危険もありますが」
「そうですね……わかりました」
フランシスは、さほども悩まずに答えた。
軍に入るということは、もともとフランシスの選択肢の一つにあったのだ。性格的に向いていないのではないかという周囲の懸念から、その案が採られることはなかったのだが。
それに、フランシスは一刻も早く一人前に稼げるようになって、貧しい孤児院に仕送りをしなくてはならない。ただでさえひと月も遅れをとってしまったのに、これから新たに勤め先を探すなどと悠長なことはしていられないのだ。事務方に回されるかもしれないし、という希望的観測もあった。
「よろしい。では、まずは身体を癒すことを最優先させてください。正式な入隊は、あなたの身体が完全に回復してからになります。療養期間中の給料は支給されるように取り計らいますので、心配なく」
「ありがとうございます、助かります」
思わぬ厚待遇に、フランシスは謝辞を述べた。
「いえ、何度も言うように今回のことは私たちの不手際が原因。当然のことです。では、私たちはこれにて。今日のところは、ゆっくり休んでください」
そう言うと、ダイアナはクリスティを伴い病室を辞去した。
久々に腹に食物を入れたこともあり、フランシスは急激な睡魔に襲われた。数秒とかからないうちに、深い眠りに落ちる。
「いいんですか、少佐」
ダイアナの後を歩くクリスティが、疑問を投げかけた。
「どういう意味ですか」
「あんな、騙すようなこと……ちょとかわいそうかな、って」
「……仕方のないことです。『われわれ』に求められる役割はあまりに大きく、『われわれ』の数はあまりに少ない」
「……今年に入って、もう二人ですもんね」
「ベケット中尉を喪ったあの戦いで、新たな素質を有する者を得られたというのは皮肉な話です」
ダイアナの言葉に、自嘲めいた色が混じる。
「それに、彼が本当に有資格者ならば、どの道その身柄は軍の管理下に置かれることになります。偶然の成り行きで『力』を得るというのは異例のこととはいえ、です」
「それはわかるんですけどねぇ」
クリスティには、先を歩くダイアナの表情を窺い知ることができない。ただ、その声がわずかに震えているのをクリスティは聞き逃さなかった。
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