第十一話

「くそっ! くっ! くそおっ!」


 フランシスは、剣術訓練場で滅茶苦茶に剣を振り回していた。竜人用に誂えられた両手大剣が、等身大の人を模して作られた藁人形をズタズタに切り裂く。

 サイラスから教わってきた剣術の基礎などどこかへ行ってしまっている。力に任せ、ただただ闇雲に剣を振るう。

 訓練場に設置された藁人形が全て藁クズの残骸と化したところで、フランシスは地面に座り込んだ。


「はぁっ、はぁっ、はっ、はぁっ……」


 がっくりと項垂れ、荒い息を吐く。顔面を伝い落ちる水滴には、汗以外のものが混じっていた。

 クリスティが竜の尾に吹き飛ばされた時の光景は、今でも瞼に焼き付いている。華奢な身体を無慈悲に襲った、黒い閃光の如き一撃。一歩間違えれば命を落としていてもおかしくなかった。そして、クリスティをそんな目に合わせたのは、他ならぬフランシスの責任だった。

 大事には至らなかったとはいえ、自分と同じ年の女の子に重傷を負わせていまったのだ。フランシスの心は、強い自責の念で苛まれる。

 竜は確かに強大で恐ろしい存在だ。しかし、サイラスやエドガー、そしてクリスティも臆せず戦っているのだ。大事な場面で竦みあがってしまった自分が恥ずかしく、情けない。堪えきれない悔しさが、後から後から溢れ出る。両の拳を、地面に叩きつけた。

 と、フランシッスは背後に何者かの気配を感じて振り返る。


「なんだなんだ、随分荒れてるじゃないか。久しぶりに汗を流そうと思ったのに、これじゃ訓練にならんな」


 それは、訓練服の上下に身を包んだ一人の男だった。年齢は五十過ぎだろうか。長身で、肩幅は広く胸板は厚い。髪の毛はきっちりと刈り込まれ、口から顎にかけて短めの髯を生やしている。年相応の渋みを感じさせるが、その瞳にはどこか少年のような輝きがある。肩には、大振りの剣を担いでいた。


「あっ、す、済みません! すぐに片付けて倉庫で新しい藁人形を――」


 訓練場の惨状に今更ながら気付いたフランシスは、慌てて人形の残骸を片付けようとする。


「いや、それには及ばない。せっかくだから、君に相手をしてもらうとしよう」

「相手、って言っても……」


 フランシスは、いまだ「切り替え」が解けていない状態だ。一般の兵士と剣術の訓練などやった日には、相手に大怪我を負わせてしまいかねない。


「まあ、そう言わずにおじさんに付き合ってくれ、よ!」


 何の前触れもなく、男の剣がフランシスを襲った。フランシスは、とっさに両手剣でそれを受ける。巻き起こった刃風が、フランシスの髪を揺らす。


「なっ、これは……っ!」


 その一撃は、凄まじく重たかった。まるで、山が落ちてきたかのような衝撃だ。男が片手で放った斬撃を、フランシスは両手を使っても受け止めるのが精一杯だった。

 竜人であるフランシスにそこまで思わせる男――導き出される結論は、この男もまた竜人であるということだ。見れば、その剣も異常に分厚く造られた竜人用の武器であることがわかる。

 そして、フランシスが未だその顔を知らぬ竜人。それに該当する人物は、一人しかいない。


「ま、まさか、あなたは――!?」

「お喋りしている余裕があるのか!」


 鍔競り合いの状態から、男が力を込める。フランシスの身体は、いとも簡単に弾き飛ばされた。フランシスが体勢を整える間もなく、次なる斬撃が襲い掛かる。


「くうっ!?」


 巨大な丸太を叩きつけられたような強烈な横薙ぎを、辛うじて受ける。次の瞬間、フランシスはとっさに顔面を後ろに引く。男の放った回し蹴りが、フランシスの頬を掠めた。肉が焼け焦げた臭いが立ち込める。


「それ、まだまだ!」


 男は、なおも責めの手を緩めない。まるで竜巻のような連撃が、四方八方からフランシスに襲い掛かる。フランシスは防戦一方だ。

 不思議な剣だった。単純なテクニックならばサイラスが上。パワーならばエドガーが上。スピードならば、クリスティが男を上回るだろう。しかし、なぜかフランシスは確信する。自分たちでは、この男には勝てないと。


「どうした、守ってばかりでは稽古にならんぞ! 打って来い!」

「そ、そんなこと言われてもっ!」


 間断無く放たれる男の斬撃には、とても付け入る隙など無い。一度距離を取って仕切り直さないと――フランシスは、足下の藁人形の残骸を、男に向かって蹴り上げる。


「む?」


 ほんの一瞬の隙を突き、フランシスが後ろに大きく跳んで距離を取った。


「まだまだ行くぞ!」


 男が斬りかかるのに合わせ、フランシスも剣を振るう。剣と剣がぶつかり合い、火花が飛び散った。

 斬っては避け、避けてはまた剣を振る。無我夢中で戦い続ける。余計なことを考えている余裕など無い。今フランシスの世界には、自分とこの男の二人しかいなかった。先ほどまでフランシスを苛んでいた罪悪感や後悔といった負の感情は、いつの間にか薄れていた。

 なぜだろうか。藁人形を相手にしていた時は、ただ胸の痛みが増していくばかりだったのに。フランシスは、自分でもそれがなぜか分からぬまま戦い続けた。

 十分後。

 フランシスは、ふたたび地面に座り込んでいた。「燃料切れ」を起こしたわけではない。男の放つ斬撃に、腕や足腰が持たなくなってしまったのだ。

 一方の男は、汗を流してはいるものの息はほとんど乱れておらず、まだまだ余裕がありそうだった。


「どうだ、少しは気が晴れたかね」

「はぁっ、はぁつ、あ、ありがとうございます。それで、あなたは……」

「うむ。私はレナード・パーシヴァルだ。初めまして、ファウラー少尉」

「や、やっぱり! 申し訳ありません、無礼を――」

「ああ、そのままでいい」


 レナードは慌てて腰を上げようとするフランシスを制し、フランシスの隣にどっかりと腰を下ろした。


「話は聞いている。初陣は散々だったそうじゃないか」


 笑いながら、レナードがフランシスの肩を叩いた。


「そ、そんな……笑い事じゃありません!」


 相手が「英雄」レナードであることも忘れ、フランシスが反論する。


「責任感が強いのは悪いことじゃない。しかし、あまり気に病むな」

「でも! 僕のせいでクリスが……」

「戦場では、どんな損害が出たとて、特定の個人に責任を負わせることはない。責任を負うべきなのは、強いて言うなら作戦指揮官だ」


 レナードの言葉は、理屈では理解できる。しかし、目の前で人が傷つくのを見て、そう割り切れるフランシスではなかった。


「いいか、互いに支えあい共に進むのが仲間というものだ。キーツ少尉も、何かの利害を求めてお前を助けたわけではないだろう。ただ単に、目の前の仲間に危険が迫ったから助けた。それだけのことだ」


 レナードは一旦言葉を切って、フランシスをじっと見つめる。


「ファウラー、目前の仲間に危険が迫っている。君ならどうする?」

「それは……助けたい、と思います」

「うむ。今回キーツ少尉に助けられたのなら、次はお前が皆を助けてやればいい。そうじゃないか?」

「でも……僕は」


 実際、クリスティと自分の立場が逆だったら。なんとしても助けたいとは思っても、身体が動いたかどうか。


「僕には、勇気がありません。大事なところで竦みあがってしまった臆病者です」

「勇気、か。勇気って何なんだろうな」

「えっ? それは……」


 それはフランシスが尋ねたかった質問だ。目の前のこの男なら、その答えを知っているはずだと思ったのだ。


「私も多くの人に問われたよ。『あなたはなぜそう勇敢なのか』、『勇気を身につけるにはどうしたらいいのか』とね。しかし、それに対する答えは、私自身にも見つかっていないのだよ」


 フランシスにとっては意外だった。英雄と呼ばれたレナードから、そんな言葉が出るとは思わなかった。

「私は、竜の力を手に入れるまでは何の取り得も無い一兵士に過ぎなかった。戦いへの恐怖から夜も眠れないこともあったし、竜の叫び声に小便を漏らしたことだってあったさ」


 レナードが笑う。


「幾人もの戦友たちが、目の前で死んでいったよ。私にはどうすることもできず、それが酷く惨めで情けなかった」


 英雄レナードの、竜人になる前のエピソード。それが、書物に語られることは無かった。


「それでも――今思い返してみて、唯一過去の私が自慢できること。それは、その惨めな自分を見捨てなかったことだ」

「自分を見捨てる……?」

「ああ。駄目な自分を受け入れ、より良い自分になれるよう努力することだ。昨日よりも今日、今日よりも明日。少しずつでも歩みを止めないことだ」


 フランシスは、レナードの言葉に聞き入る。


「その決意は、竜人となってからも変わっていない。そうして戦場を渡り歩くうち、いつしか私は勇気ある者と呼ばれるようになった。だから、私は勇気というものが何なのか、わからないのだよ」

「…………」

「私が勇者と呼ばれるようになったのは、ただの結果に過ぎない。勇気なんて、その程度のあやふやなものなのかも知れんな」


 空を見上げ、レナードが大きく嘆息する。


「……ファウラー、難しいのは自らの弱さを知り、受け入れることだ。その点、おまえは既に入り口に立っている。真の戦士へと至る、回廊の入り口だ」

「僕が、ですか」

「ああ。このまま惨めな思いを抱いて生きていくか、それとも弱い自分を乗り越えて先に進むか。あとはお前次第だ」


 そう言って、レナードが立ち上がる。


「ゆっくり考えるがいい。では、私は行くとしよう。少佐を待たせているのでね」


 ゆっくりとした足取りで、レナードが去っていく。その大きな背中に向かって、フランシスは敬礼する。


「ありがとうございました、将軍」


 レナードは足を止めず、鷹揚に手を振ってそれに答えた。


「弱い自分を受け入れる、か……」


 レナードの言葉を、今一度思い返す。次いで頭に浮かぶのは、クリスティやサイラス、エドガーの顔。仲間たちと過ごした日々の思い出――

 竜に対する恐怖は未だ拭いきれない。できれば、戦いたくないと思う。しかし――自分の無力が原因で仲間たちの命が失われるのは、竜よりも怖かった。


「僕は、逃げたくない」


 フランシスの足は、自然と医務棟に向かっていた。




「あれは、ファウラー少尉?」


 シラーズ基地本部棟近くの道で、ダイアナはフランシスとすれ違った。しかし、フランシスの目にはダイアナは映っていないようだった。わき目も振らず、医務棟に向かっている。


「まったく、あの方はどういう魔法を使ったのやら」


 フランシスの顔つきは、先ほどとは全く違っていた。罪悪感に苛まれ、憔悴しきったフランシスの姿はもうない。その瞳には、強い意志の力が宿っていた。


「少佐、待たせたな」


 首からかけた手拭いで汗を拭きながら、レナードが現れた。訓練服のボタンをはだけ、腕まくりしたその姿はとても将官とは思えない。


「いやあ、若者はやはりイキがいいな。私も、久しぶりにいい汗をかいたよ」


 そんなレナードに、ダイアナが苦笑を漏らす。


「御手数をおかけしました、閣下」

「いいさ。若者を教え導くことが、年長者の役目だからな」

「自らの未熟を恥じます。本来私が彼を励まさねばならなかったのですが」

「君だって、まだまだ若者の範疇に入っているじゃないか。こういうことは、おいおい覚えていけばいい」

「お気遣い痛み入ります」

「では、さっさと打ち合わせを済ませてしまおう。明日は午後まで予定が無いからな。今晩は久しぶりにゆっくり酒でも飲みたい」

「了解しました。しかし――その前にお着替えを。将官たる閣下が乱れた服装をしていては、兵たちに示しが付きません」

「まったく、少佐は相変わらず堅いな」


 レナードは、やれやれと肩を竦めるのだった。




 クリスティは、ベッドから上半身を起こして本を読んでいた。普段読書などほとんどしないクリスティだが、絶対安静を命じられている以上やることがない。パトリシアに頼み、彼女の蔵書から数冊の本を借りて暇を潰しているのだ。

 読んでいるのは、最近本国ブリーディアで流行っているという、恋愛が題材の戯曲だ。しかし、肝心の本の内容はほとんど頭に入ってこない。部屋を飛び出したフランシスのことが気にかかっているのだ。

 夕飯の時間までは、まだ少しある。一眠りするかと本を閉じたところで、部屋のドアがノックされる。


「はい?」

「……フランシスです。入ってもいい?」

 

その声は、わずかに震えている。フランシスの緊張は、クリスティにも伝わって来た。


「どうぞ、入って」


 ゆっくりとドアが開き、フランシスが病室に入って来る。表情はやはり硬い。


「フラン、さっきは急に飛び出しちゃうから心配したんだよ。病人に心配させるなんて、酷いよほんと」


 冗談めかした明るい声でフランシスに話しかける。フランシスは若干表情を緩めたが、なかなか口を開こうとしない。言うべき言葉を選びかねているように見える。


「みんなにも言われたと思うけど……こんなのよくあることなんだから、気にしないで。ちょっと痛かったけど、大した怪我でもないんだしさ」


 クリスティが、白い歯を見せて笑う。

 先ほどまでのフランシスならば、この気丈なクリスティの言葉すら重荷に感じたことだろう。しかし、今のフランシスは違っていた。

 ごくりとつばを飲み込むと、フランシスが口を開いた。


「ごめん――いや、違う。クリス、助けてくれてありがとう。君があの時戻ってきてくれなかったら、僕は死んでいたかもしれない」


 あの時のフランシスは、空中に跳んで無防備だった。その状態で竜の尾を食らっていたら、クリスティよりも酷いことになっていたのは間違いない。


「いいってば。あたしたち、仲間でしょ。あんな状況になったら、助けるのが当たり前。サイラスやエドガーだってそうだよ」

「うん。それでも言わせて欲しい、ありがとうって」


 真摯な瞳でフランシスが言った。クリスティは、時刻がちょうど夕方であったことに感謝する。窓から差し込む西日によって、頬が赤く染まったのを悟られずに済むからだ。


「僕はまだまだ弱くて、みんなの足を引っ張ってしまうかもしれないけど――それでも、僕は頑張るから。頑張って強くなりたい。一回助けられたら二回みんなを助けられるように、二回助けられたら三回みんなを助けられるように」


 フランシスは、先ほどまでと比べてぐっと大人びて見えた。確固たる決意が宿ったその姿は、すっかり戦う男のものだった。


「ごめん、なんか一人で語っちゃって……」


 言ってから恥ずかしくなったのか、フランシスは目を逸らして頭をかく。


「じゃ、じゃあそういうことだから! お大事に!」


 そう言うと、フランシスはそそくさと病室を去って行った。

 閉じられたドアを見ながら、クリスティはくすりと笑う。

 昔から、男子が一人前になるには三日あれば充分と言われる。しかし、フランシスはほんのわずかな間に一気に大人の男になったように見えた。


「敵わないなぁ、男の子には」


 そう呟き、クリスティは大きく嘆息するのだった。

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