第十二話

 二週間後。

 この日の作戦は、平原での炎竜討伐であった。フランシス、二度目の実戦である。

 本来ならばこの短い間隔で作戦が決行されることはありえない。竜の討伐には、綿密な調査と下準備が必要だからだ。フランシスが襲われたときの作戦失敗の影響で討伐のスケジュールが遅れており、それを取り返すべしと騎士団司令部から達しがあったのだとか。

 傷が完治して間もないクリスティは、基地で留守番。ダイアナ、サイラス、エドガー、そしてフランシスと四名の竜人がこの作戦に参加している。

 「釣り出し」による誘導、トラップ発動、集中砲火。作戦は、理想的な展開を見せた。しかし、後一歩の所で止めを刺しきれない状態が続く。


「なかなかしぶといですな。……榴弾はまだ豊富ですが、通常弾はかなり少なくなっています。いかがいたしましょうか」


 砲兵隊長スコット・ベイカーがダイアナに告げる。


「……白兵戦と、『吼狼』でケリをつけるしかないでしょう。あと一斉射ののち、突撃を開始します」


 ダイアナは緊張の面持ちのフランシスに声をかけた。


「ファウラー少尉、準備はいいですか」

「……大丈夫です、行けます」


 正直、恐怖心はまだ拭えていない。手足は軽く震えているし、心臓は口から飛び出しそうだ。しかし――ここで逃げてちゃ、自分はいつまで経っても弱いままだ。そんな想いが、フランシスを奮い立たせる。

 フランシスは変わった、とダイアナは思う。レナードの助言の賜物なのだろう。こういう部分は、真似できないとダイアナは嘆息する。戦術理解、状況判断などは、経験を積めばレナードに追いつけるかもしれない。しかし、人を惹きつける魅力、人望――レナードが持つ、生まれ持ってのカリスマ性。ダイアナがいくら努力しようと、そうそう手に入るものではない。軽い嫉妬さえ覚える。


「よろしい。では、突撃に備えてください」


 ダイアナは、自分が新兵だったころのことを思い出す。初陣で、同期の連中は皆、小便を漏らさんばかりに緊張していたものだ。無論自分とて例外でなく。戦闘が開始して、頭が真っ白になり――気が付いたときには、戦闘が終了していた。我知らず、口元に微笑が浮かぶ。

 やがて、カウントが開始され――支援砲撃とともに、フランシスは走り出した。


 ――大丈夫だ。足は動く。


 心の奥から湧き上がる不安を、無理矢理押さえつける。


 ――闘う相手は自分自身。自分自身の弱い心。


 自己に暗示をかけるように、繰り返し呟く。

 次第に、周りの雑音が掻き消えていく。目に映るのは、彼方の炎竜のみ。恐怖とは違う、熱を持った何かが、フランシスの全身を支配していく。

 気付いたときには、竜は既に目前だった。砲撃が巻き上げた爆炎の中で、竜の双眸がぎらりと光ったように見えた。


「おおおおおおおぉぉっ!!!!」


 腹の底から咆哮し、跳躍。重鉈を、力任せに叩きつける。剣術の基本も何もない、純粋に感情に任せた一撃だった。

 込めた力と比して、あまりに軽い手ごたえ。フランシスが放った斬撃は、竜の鱗を浅く削り取ったに過ぎなかった。

 まるでダメージを与えられなかった、その一撃。しかし、それはフランシスにとっては大きな一歩。自分自身に勝利した瞬間だった。


「おいおい、俺が教えてやった技はどうしたんだ、フランシス。随分頭に血が上ってるじゃないか」

「いや、戦場じゃこのくらい熱くなるくらいがちょうどいいんだよ」

「サイラスさん、エドガーさん!」


 サイラスとエドガーも、自らの武器を振るって参戦する。フランシスは多少落ち着きを取り戻し、再び竜に向かった。

 足の親指に力を込めて、前方に向かって体重移動。剣を振るのは、腕ではなく足腰だ。ここ数ヶ月、ひたすら繰り返した基本を、頭の中で反芻し、動きに反映させる。

 フランシスは、恐ろしいほどに集中していた。竜の息遣い、筋肉の躍動――常人離れした竜人の感覚が、竜のすべてをフランシスに伝える。竜の左後足に体重が移動、同時に右肩の筋肉の収縮――右腕による攻撃が来る。瞬時に判断するや、後ろに跳びすさりながら身体を捻り、回転を利用した一撃をその右腕に加える。

 竜人の戦闘は、その身体能力だけで行うものではない。鋭敏な五感すべてを駆使し、敵の動きを先読みしながら戦ってこそその真価が発揮されるのだ。


「いいぞ。その調子で俺の分まで働いて、少しは楽をさせてくれ」

「しょうもねぇことを言ってるんじゃねぇ、サイラス」

「俺はここ三週間、散々フランシスに付き合わされたんだ。少しくらいはいいだろう」


 軽口を叩きつつもサイラスとエドガーは見事な立ち回りを見せる。フランシスの好調に引っ張られるように、絶妙な連携で竜に痛手を与える。

 と、遠くから空砲が響く。それを聞き取った三人は、パッと飛びのいた。一瞬の間を置いて、巨大な銃声が轟いた。


「グルルァッ!!」


 『吼狼』から放たれた弾丸が、竜の尻尾の中ごろ辺りを貫いた。真っ赤な鮮血を噴出し、竜の尻尾は力なく垂れる。

 「尻尾は気にせず戦いなさい」、そういうダイアナの気遣いだったのだろうか。感謝しつつ、フランシスはさらに剣を振るう。


「二人とも、下がれ!」


 サイラスの警告。竜の下腹が膨らみ始めていることには、エドガーとフランシスも気付いている。前回の轍は踏まぬとばかり、素早く離脱するエドガーに、フランシスも続く。


「オオオオオォォッ!!」


 一声嘶き、灼熱の炎が撒き散らされる。一瞬にしてあたりを数十メートルにわたって焼き尽くす、必殺の攻撃。しかし、フランシスたち三人は、首尾よく範囲外へ逃れていた。

「チャンスだな」

「ああ、奴さん、相当弱っていやがる」


 ファイアーブレスは『炎嚢』の可燃性物質のみならず、竜の体力も著しく消耗する。多数の手傷を負ったところでブレスを吐いたその竜は、もはや半死半生の状態だ。

 すかさず、二挺目の『吼狼』が火を吹いた。銃口から放たれた弾丸は、狙いを違わず竜の眉間に命中。しかし――ほんのわずか角度が浅かったか、鱗を深く抉り取ったものの、致命傷には至らない。


「あそこを狙うぞ! エドガー!」

「応よ!」


 エドガーが組んだ両掌に足をかけ、サイラスが宙を舞う。自らの脚力と、エドガーの腕力を加えた跳躍だ。


「ふっ!」


 戦場という場には相応しくないとさえ思わせるほど、優美で華麗な一太刀。ダイアナが抉った眉間の傷が、さらに大きく開かれた。頭蓋骨をも切り裂く一撃だった。

 竜は前に傾くが、前足を突いて倒れそうになるのを堪える。致命傷には、まだ少し足りない。


「フランシス、今回は譲ってやるよ。お前がやれ」

「……はい!」


 エドガーに背中を押され、フランシスが走る。竜の側面に回りこむと、その身体を伝って頭部に辿り着く。


「ウゴォァァーーッ!!」


 最後の力を振り絞り、身体を激しくよじってフランシスを振り落とそうとする。片手で竜の鱗につかまりながら、フランシスは得物を眉間の傷に叩きつける。

 一撃、二撃――無我夢中で腕を振るうち、竜の動きは鈍くなっていき――遂に事切れた。地響きを立て、竜は地面に倒れ付す。


「や、やった……」


 竜の身体から滑り落ちたフランシス。地面に尻餅を突いたまま、動けなくなってしまった。極度の高揚から開放され、力が抜けてしまったのだろう。


「やったじゃねぇか、フランシス。これでお前も一人前だな」


 フランシスに肩を貸しながら、エドガーがフランシスの頭をがしがしとなでる。

「サイラスさん、エドガーさん、少佐、隊長、そしてクリス……。皆さんのおかげです」

「隊長にクリス? 二人は戦ってねぇじゃねぇか」


 エドガーは得心がいかない、という表情を見せる。と、そこに竜の死亡を確認していたサイラスが歩み寄った。


「ほれ、こいつを」


 サイラスがフランシスに投げてよこしたのは、一枚の鱗。大振りの硬貨ほどの大きさで、涙型をしている。


「こいつは竜の尻尾の一番先に生えてる鱗でな、テイル・ドロップといって俺たちの間では幸運のお守りってことになってる。竜に止めを刺した奴は、これを自分のものにしていいって慣わしでな。言ってみれば、竜を討伐した証だ」


 フランシスは、手の中のものをじっと見つめる。長年の風雨に晒され、角が取れて丸みを帯びた、赤銅色の鱗。それを眺めていると、自分が竜を倒したのだという実感がじわじわと湧いてきた。同時に、心地よい倦怠感に包まれる。引きずり込まれるように、フランシスは深い眠りに落ちた。


「なんだ、寝ちまったぜ」

「緊張の糸が切れたんだろう。寝かせといてやろう」

「ああ、そうだな。なにしろ今日のヒーロー様だ。丁重に扱わなきゃな」


 エドガーの背に揺られながら、フランシスは夢を見る。目覚めた時には忘れてしまったが、心地よい夢だったことは間違いなかった。




 基地に帰還した一同。正門で帰りを待っていたクリスティに、フランシスはテイル・ドロップを見せる。なにがあったのか察したクリスティは右手を高く上げる。初夏の空に、二人が交わしたハイ・タッチの音が、気持ちよく響いた。

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