第十三話
初夏は足早に通り過ぎ、シラーズは夏真っ盛りである。コルドア内陸部にあるシラーズ近辺の夏は、非常に暑い。この日も、強烈な日差しがシラーズ基地に照りつけている。
「おい、そろそろ休憩しようぜ」
「さんせい~」
サイラスとクリスティが演習場の木陰にへたり込み、フランシスもそれに続いた。皆、シャツが手で絞れるほどに汗をかいている。
「なんだなんだ。お前ら少しだらしねぇぞ。兵士の基本は持久力だぜ」
腕組みしたエドガーが、呆れた表情を見せた。
「みんながみんな、お前みたいな体力バカなわけじゃないんだよ、まったく……」
サイラスがシャツの前をパタパタさせながら毒づく。
「でも、今日は本当に暑いですね。今年一番かも」
フランシスが、天を仰ぎながら言った。クリスティもそれに同意して頷く。
「喉が渇きませんか? 僕、井戸に行って水を――」
「……水だ」
フランシスが立ち上がろうとした瞬間、水で満たされた桶が四人のそばに置かれた。
「うおっ! って、スオウじゃねぇか。爺さんもそうだが、お前気配を消して近づくのは止めろよ」
エドガーの背後には、いつの間にかスオウが立っていた。
訓練する四人を見て、わざわざ水を汲んできてくれたのだろうか。
「スオウ、助かるぜ。しかしお前、最近何やってるんだ? 全然姿を見なかったが」
桶の水を含みながら、サイラスが尋ねる。
以前の作戦の際、ダイアナが「スオウは別命にてシラーズを離れている」と言っていたことを思い出す。てっきり、別の竜の生態調査に行っているものだと思っていたのだが――
「まだ、言えん。しかし――すぐわかるだろう」
「なにそれ、気になるじゃん」
「すまん、少佐のところに報告に行かねばならん」
それ以上のことは質問させない、とでも言わんばかりにスオウは四人に背を向けて歩き出す。
「いったいなんなんでしょうか」
「さあ……?」
四人は首を傾げるのだった。
ダイアナの執務室。
部屋にいるのはダイアナ、スオウ、そして参謀長ライオネル・ダグラス少将である。レナードは、首都アマディアスで行われる式典に参加するため不在であった。
スオウがシラーズ基地に戻ったのは、かねてから調査を続けていた、兵士殺しの犯人の監視に関する経過報告を行うためである。
「先日アルフ老が報告したと思うが――件の賊は、この岩石地帯の岩山に根城を構えている」
「人数は?」
「常時根城に詰めているのは、十人から十五人といったところだ。物資の輸送係や連絡員を含めた数となるとはっきりしないが」
「十五人か。なかなか大規模な集団ですね」
ダイアナたちは犯人がどこかの国の間者だと踏んでいたが、それにしては人数が多い。そして普通、間者は特別な用事でもない限りひと所に集まることは少ない。敵国の官憲に悟られた場合、一網打尽にされてしまうからだ。
「モーガン中尉、賊の正体は割れたかね?」
今度はライオネルが質問する。
「どこかの間者であることは、ほぼ間違いない。しかし――その容姿や言語・会話の内容から連中の生国を割り出すことはできなかった」
賊は、全員がブリーディア語を話していおり、スオウやアルフレッドには訛りなどからどこの国の人間なのか知ることができなかったという。
「用心深い連中だ。仲間内の会話ですら独自の符丁を用い、秘密が漏れないよう細心の注意を払っているようだった」
「では、彼らの目的も?」
「うむ……断片的ではあるが……なんでも、『水神の明星』を故国に持ち帰ることが目的、だとか」
「『水神の明星』……? 水神座の第一星のことでしょうか」
水神座は、冬の空に現れる星座である。水神座を構成する星のひとつで、全天で二番目に明るいと言われる星が、一般に「水神の明星」と呼ばれている。
「なんともわからん話だな」
智将ライオネルも、その言葉の意味を図りかねているようだ。賊の根城がある辺りは、これといった鉱物資源も発見されておらず、岩がちな地形ゆえ耕作にも向かない。既に一帯の竜は討伐されているが、開発の手が付けられないまま放置されている地域だった。価値あるものなど何も無い、はずである。
「……もうすぐ、目的が達成されるとも言っていたな。その『もうすぐ』がいつになるかはわからないが」
「ふむ……少佐、どうする」
顎に手を当て、ダイアナが考え込む。敵の正体と目的が明らかになるまで泳がせるつもりだったが、敵の目的が達せられるまで静観しているわけにはいかない。どうするべきか――ダイアナの判断を鈍らせているのは、レナードの不在と言う事実だった。
レナードに連絡を取るには、少なくとも十日はかかる。しかし、その間に事態が動く可能性は否めない。
「迷うことはない。何かあったら私が責任を取ろう」
ライオネルの言葉に、ダイアナはようやく決断を下す。
「賊の身柄を押さえます」
「作戦は?」
ライオネルが問うた。
ダイアナは考える。
岩山の自然洞穴に篭る、十数人からの敵。閉所での乱戦となることは間違いない。そして、一旦突入したからには迅速に制圧する必要がある。
「少数精鋭――『大鷲』による急襲。それも、少しでも早いほうがいいかと」
「よろしい、妥当な作戦だな」
ライオネルがにっこりと笑う。生徒の優れた回答を見たときの教師のようである。
「そうと決まれば、一刻も早く決行しましょう。明朝――夜明けとともに出発します」
「まったく眠いったらないぜ。あんな時間に叩き起こされたんだからな」
水筒から口を離すと、サイラスが大きな欠伸を漏らす。
時刻は正午過ぎ。荒野のど真ん中で、「大鷲」の面々は小休止を取っていた。
「それにしても、抜き打ちの行軍訓練だと聞いていたけど、そんな作戦だったんですね」
フランシスが起こされたのは、夜もまだ明け切らぬころだ。完全武装で集合するよう命じられたフランシスは、眠い目を擦りながらも集合場所へ向かった。
軍隊では、しばしば抜き打ちの訓練が行われる。いつでも有事に備えられるようにするためだ。呼び出された「大鷲」メンバーも、そういった類の訓練だと考えていた。
道なき道を走ること数時間。ここで一行は、ダイアナからようやく本当の目的を告げられた。荒野に潜む間者を捕縛する作戦だ、というのだ。
相手が間者である以上、どこに内通者がいるとも限らない。そのため、作戦に参加する「大鷲」の面々にも、ここに至るまで情報を伝えなかったのだ。
「それでスオウよ、その根城まではあとどのくらいかかるんだ」
エドガーが尋ねる。
「……このペースでいけば、日暮れ前には」
「ふむ、予定通りですね」
夕刻までに現地入りし、日が暮れるのを待って突入を行う、というのが当初の予定であった。
「でも、人間相手ならわざわざこんな重いもの持って来る必要無かったんじゃ?」
腰の双剣に手をやって、クリスティがぼやく。
「一応、行軍訓練という体裁ですので。それに、敵がバリケードを築いて抵抗した場合、それを崩すのに竜人の武器が役に立ちます」
ダイアナも、長大な「吼狼」を背中に斜めに括り付けている。バリケードの破砕用としては威力が強すぎるため、竜と戦う時より炸薬量は減らしてある。そして、弾丸も普段の撤甲弾ではなく炸裂弾が込められていた。
「クリスやフランシスはまだいいだろう。俺なんてコレだぜ」
大戦斧をポンと叩きつつ、エドガーが苦笑する。
「そういえば――エドガーさんたちは普通の人間相手の戦いって経験あるんですか?」
「一応な。なんだ、不安か?」
「不安といえば不安ですね」
竜という、竜人を遥かに越える力を持つ相手に対してその力を振るうのは納得できる。しかし、生身の人間に対しその力を行使するのに抵抗感があるのは否めない。
「しかしフランシスよ、どっかの国と戦争になったときは俺たちだって人間相手に戦わにゃならなくなるかも知れないんだぜ」
エドガーの言葉ももっともだ。竜と戦うのが専門のシラーズ独立大隊が特殊なのであって、本来の軍人の役目は自国を脅かす外敵と戦うことなのだ。
「気持ちはわからなくもないがな。しかし今回の目的は生け捕りだ。殺しじゃない」
サイラスがフランシスの背中を叩く。
「ファウラー少尉は、余計な心配をする必要はありません。今回実際突入するのは私、ガーランド、ノリス、モーガンの四名です。あなたとキーツ少尉、ニューマン殿には後詰めをしてもらいます」
狭い空間での戦闘においては、人数が多ければ多いほどいいというわけではない。過剰な人員の投入は、同士討ちを起こす危険性を高めてしまうのだ。そのため、経験が浅いフランシスとクリスティ、高齢のアルフレッドは後方で支援行うことになっっている。
「さて、そろそろ休憩は終わりです。全員、起立!」
ダイアナの号令で、一行はふたたび走り出した。
「おお、さすがはダイアナの嬢ちゃんじゃ。予定通りじゃの」
空が茜に染まる頃、一行はアルフレッドと合流した。目標である間者の根城まであと数キロという地点だ。アルフレッドは小高い岩山の裏手にキャンプを張って、拠点としていた。
「ニューマン殿、敵の動きは」
「二日ほど前、二頭の騎馬が東に向かったきり戻っておらん。その他の人間の出入りはないようじゃの」
「東……?」
ダイアナが首を傾げる。ここから東は、まだ辺境騎士団の調査も入っていない地域だ。そして恐らくは、竜が生息している。
「どうする? その騎馬が戻るまで待つかね?」
「……いえ、いつ戻るともわからない相手を待つわけにはいきません。予定通り、日没を待って奇襲を仕掛けます。皆、食事を取って体力の回復に努めなさい」
一行は装備を解くと、糧食を取って一休みした。
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