第四話
歓迎会から一夜明けた翌日。
その日最後の訓練は、演習場にある射撃場で行われた。
当然、据えられた標的を規定の位置から狙う仕組みになっているわけであるが――フランシスの姿は銃を構える位置ではなく、標的の側にあった。
しかも、その身体は地面に突き立てられた太い杭に、これまた太い縄で縛り付けられている。
「ほ、本当にやるの、これ!?」
「まあ……少佐の命令だからねぇ」
三十メートルほど離れたところで銃を構えているのはクリスティである。銃はブリーディア軍に制式採用されたマスケットで、開発者の名をとってスマイサー銃と呼ばれているものだ。燧石式で口径二十ミリ、有効射程は八十メートルだ。
弾丸と炸薬が装填されたスマイサー銃が十数丁、クリスティの前にずらりと並べられている。
「フラン、大丈夫だって! あたしはこれでも結構射撃上手いんだから。それに……」
「それに?」
「あなたたちなら一発くらい食らったって五日も入院すれば快復するわよ。眉間を打ち抜かれて即死しない限りは、ね」
クリスティの代わりに答えたのは、パトリシアである。手にした用箋挟クリップボードから顔も上げずに、恐ろしい言葉を吐く。
しかしそれは、眉間を打ち抜かれればいかに竜人といえど死は免れないということだ。
「ほら、さっさとやるよ。これを終わらせないといつまで経っても帰れないんだから」
クリスティが、銃口を上げる。
「ちょ、心の準備が……」
発砲。銃弾は、フランシスの右隣にある標的の真ん中に命中した。
「ひぃっ!」
「今のはわざとだよ」
二丁目の銃を手に取りながら、クリスティが真顔で言った。
それ本当なら、クリスティの銃の腕は信用していいということになる。しかし、フランシスは言葉の真偽を確かめるすべを持たない。
「もういっちょ!」
ふたたび銃声が響く。弾丸は、フランシスから十メートルほど前の地面に着弾した。
「次行くよ!」
発砲。今度は、フランシスから五メートルほど前の地面に着弾。
発砲。今度は二メートル前。
フランシスの額に、冷や汗が流れる。
「ほら、次!」
「……っ!」
弾丸はとうとう、フランシスから一メートルのところまで迫った。
傍から見れば、腕の悪い処刑人による銃殺刑である。これは一体何の訓練なのだろうか。
自己の生命の危機を感じたとき、竜人はその力を解放させる。しかし、戦場において、実際に生命の危機に陥ってからでないと「切り替え」できないのでは不便である。
「切り替え」の感覚を身体にしみこませることで、いざというときの「切り替え」をスムーズに行えるようになる。この訓練は、生きるか死ぬかギリギリの状況に立たせることにより、その感覚を掴むためのものなのである。
さらに発砲。フランシスのすぐ足元で、地面が弾けた。
「ほら、『切り替え』できなきゃ本当に当たっちゃうよ!」
無論、クリスティに当てる気などないし、狙いは本人の言葉通り正確だ。しかし、この訓練はフランシスが「切り替え」して縄を抜けるまで繰り返し行われる。そのうち何かの間違いが起きないとも限らない。
続けて何発もの銃弾が撃たれるが、「切り替え」はなかなか起きない。
「うーん、ちょっと反応が鈍いわね。もう少し刺激を強くしたほうがいいのかしら」
用箋挟になにごとか書き込みながら、パトリシアが呟く。
「でも、あたしの腕じゃ無理だよ。これ以上着弾を近づけようとしたら本当に当たっちゃう」
「そうねぇ。サイラスにでも協力してもらおうかしら。彼の剣の腕なら皮一枚のところで寸止めすることも可能なんじゃない?」
「ああ、今日は無理。昨日出すはずの書類が出てなかったって、少佐にこってり絞られてたから。結構な量の書類みたいで、まだ終わりそうにないね」
「困ったわね。どうしようかしら」
と二人が頭を悩ませているところに、声がかかった。
「どうしたのです。まだ終わらないのですか」
「あっ、少佐!」
声の主は、ダイアナだった。
「それが、なかなか『切り替え』できないみたいで」
「やり方が生ぬるいのではないのですか。退きなさい」
クリスティを押しのけ、ダイアナが銃を手に取る。
「准尉! 準備はいいか!」
「は、はい!」
ダイアナは銃を交換しながら、立て続けに三発撃った。銃弾はそれぞれフランシスの肩、太股、そして頬から数センチのところを通過した。
「…………」
フランシスは、声も出せない。
「次は、もう少し寄せますよ」
「っ、ちょ、少佐! 本当に大丈夫なんですか!?」
「大丈夫だって! 少佐の狙撃の腕はシラーズ基地でトップなんだから」
クリスティの言葉も、フランシスにとっては気休めにもならない。
次に放たれた弾丸は、首筋を掠めた。まさに紙一重だ。首筋にはうっすらと火傷の筋ができ、鼓膜は衝撃でビリビリと痛んでいる。
最初に「切り替え」をしたときの記憶が、脳裏に蘇った。フランシスの鼓動が、早鐘のように高鳴る。身体が熱くなるのを感じた。
「さあ、次です」
ダイアナが構える銃の銃口が、フランシスを向いた。当たる――狙撃には詳しくないが、フランシスにはその予感があった。
どくん。
瞬間、フランシスから見える世界が止まったような気がする。心臓から熱い塊がせり上がり、頭の中で弾ける。
ひどくゆっくりに感じる時の中で、ダイアナが銃を構え引き金に指をかけるのがはっきりと見えた。
「――っ!」
四肢に力を込める。地面に深々と突き刺さった杭が抜けた。とっさに脇に転がる。フランシスの身体があったあたりを、銃弾が通り過ぎた。
「何です、やればできるではありませんか」
薄く煙をたなびかせる銃をクリスティに手渡すと、ダイアナは立ち去って行った。
「ほらフラン、立てる?」
クリスティが、フランシスを拘束する縄を解く。
「ああ、死ぬかと思った……少佐、目が本気だったし」
「あの人は容赦ないからね~。でもフラン、杭引っこ抜くより縄を千切ったほうが簡単だったんじゃない?」
「そうかもしれないけど……もうどうでもいいよ」
と、フランシスは大きく息を吐いた。
「戻ったぞ、少佐」
本部棟の廊下を歩くダイアナに、一人の男が声をかけた。
「お疲れ様でした、閣下。いつお戻りに」
「ああ、ついさっきな。しかし何一つ実りのない会議だったよ。去年の年始に総督が垂れた訓示のほうが、まだしも有意義だったかもしれん」
男の暴言にダイアナが眉根を寄せるが、男は気にも留めない。
「首都の役人どもは、現場を知らんくせに要求だけは一丁前だからな。首根っこ掴んで、竜の縄張りに放り出してやりたいくらいだ」
男は、大げさに肩を竦めてみせる。
「それで……例の新人はどうだね?」
「はい。性格は真面目で勤勉。士官向きでしょう。戦闘要員としては気優しすぎるところがあるやもしれませんが」
「ふむ。死んだベケットの代わりになれるような男であって欲しいものだな――いや、済まん。失言だった」
ダイアナの芳情に生まれた微妙な変化。それは悔恨か、それとも哀惜か。気まずそうに、男が頭をかいた。
「色々押し付けて済まないと思っている。それは、本来ならば私が負うべき責苦なのだ」
「とんでもありません。すべては、私の詰めの甘さが招いたこと」
「あれは事故のようなものだったと何度言えばわかるのかね、君は」
男の言葉にも、ダイアナは首を横に振るのみ。
「まったく、頑固過ぎるのが君の数少ない短所だな……ともかく、彼の指導よろしく頼む」
「お任せください、閣下」
「明日はまた朝から出張だ。次の作戦までには戻りたいと思うが、それは難しそうだな」
「ご無理はなさらず。次こそは完璧を期しますので」
「あまり肩肘を張らないことだ。気負い過ぎると判断力が鈍る」
「肝に銘じます、パーシヴァル閣下」
背筋を伸ばし敬礼するダイアナに返礼し、男――レナード・パーシヴァルは立ち去って行った。
彼の背を見つめながら、ダイアナは一層心を引き締めるのだった。
フランシスの訓練が始まって五日ほどが経った。
目下の最優先課題は、「切り替え」をスムーズに行えるようにすることだ。
クリスらほかの「大鷲」の面々はほぼノータイムで「切り替え」を行うことができるのだが、フランシスはまだまだその域には達していない。
いまだ、銃や刃物などをちらつかせなければ、「切り替え」が始まらない状態だ。これでは、自分の意思で「切り替え」ができるとは言えない。
この日も演習場にて「切り替え」の特訓が行われていた。たまたま手が空いていたということで、クリスティのほかサイラスが訓練を手伝っている。
フランシスは、例によって柱に縛り付けられていた。
「じゃあ、準備はいいか」
サイラスが構えているのは、自らの愛剣だ。刃は幅広で、長さは地面からサイラスの肩ほどまである。それでいて厚みは木こりの使うまさかり以上あるのだから、その重さは相当なものだ。竜人の力がなければ持ち上げることすら困難な代物である。
当然、人間相手に使うものではない。竜との戦闘のために鍛えられた剣である。
「それ、真剣ですよね」
訓練の趣旨からして明らかなことなのだが、フランシスは聞かずにいられない。
「ああ。しかし真剣つっても、重さに任せて叩きつける武器だから、切れ味は大したことはないがな。ただし――」
「ただし?」
「この手の武器も、扱う者の腕次第でずいぶん変わるんだ。そうだな、エドガーあたりがこいつを人間に叩きつけたなら、相手は挽肉になるだけだろう。しかし――」
突如ごう、と風を切る音が響いた。フランシスの頭上を、何かが凄まじいスピードで通過した音だ。巻き起こった風で、フランシスの髪が揺れる。
続いて、ごろりと何かがフランシスの足元に落ちる。フランシスが縛り付けられている柱――その上部が、フランシスの頭上十センチほどのところで断ち切られ、地面に落ちたのだ。切断面は、包丁で切ったチーズのように滑らかだ。
「――ということだ。なまくらでも、竜人の力と、ある程度の技量があればこの通りだ」
「切り替え」できていないフランシスの動体視力では、何が起きたのか捉えることができなかった。サイラスが放った斬撃によって柱が断ち切られたらしい、ということは理解できたのだが。
「さあ、次は本番だ」
サイラスが中段に構える。
「ちょ、まだ心の準備が!」
今日も演習場にフランシスのやけっぱちな叫び声が木霊する。
「だいぶ進歩したじゃん。三回目で『切り替え』できるようになったんだから」
クリスティがフランシスの背中を叩く。
フランシスは、竜人の状態から常人の状態に戻る逆の「切り替え」――「切り替え」を切る、と称される行為であるが――をしているところだ。これは比較的簡単で、深呼吸するなどしてしばらくリラックスした状態を続ける。そうすると自然と身体が元に戻るのだ。
「それはいいんだけど……寿命が縮むよ、ほんと」
「切り替え」の練習であるから、心底生命の危機を感じさせなければ意味がない。しかし一方で本当に死なせてしまっては本末転倒だ。
その点、サイラスの匙加減は絶妙だった。それは、彼の卓越した剣技があってこそである。
まるでお手本のように整った構えから、一部の無駄も無い流れるような体裁き。「切り替え」が成功したフランシスは、サイラスの動きをつぶさに見届け――その斬撃に一瞬目を奪われた。
剣に限らず、なにごとかを極めたものの動きというのは、美しさを併せ持つものだ。サイラスの剣は、フランシスが見惚れるほどの腕前だった。
「ぼやくな、ぼやくな。俺が新兵だったころの訓練なんてもっと過激だったぜ。爆薬が仕掛けられた小屋にがんじがらめに縛られた状態で放り込まれ、時間内に『切り替え』できなきゃ爆破される、なんてこともあったな」
「とにかく、早く自由に『切り替え』ができるようになれば、こんな訓練ともオサラバだよ」
まるで精神をいたぶる拷問のような訓練である。
「じゃあ、後は適当にやってて」
「あれ? 次は算術の授業だけど。受けないと少佐に怒られるんじゃないの」
「今日は特別。これから
「作戦?」
「俺達がやる作戦ったら、竜の討伐に決まってるだろ」
フランシスの表情が強張った。どこか遠い世界の出来事のように感じていた「竜との戦い」が、にわかに現実味を帯びてくる。
「お前が固くなる必要はないぜ。いくら竜人といっても、訓練始めて数日の新兵を前線に放り込むほど俺たちは切羽詰っちゃいないさ」
そう言って、サイラスはクリスティと共に去って行った。
二人の表情こそ、普段と変わらないように見える。しかし、二人の背中から独特の空気――戦に赴く戦士の香りが漂うのをフランシスは感じていた。
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