第十五話
「左右に散開して任意に攻撃! 狙うは足だ!」
「了解!」
フランシス、クリスティ、エドガー、サイラス、スオウの五人は、時速五十キロで疾駆する竜を追いかけていた。
フランシスの考え出した策を実行するには――というより竜と戦うためには、とにかくその足を止めなければならない。
老齢で戦闘力が低下しているアルフレッドは、一人別行動を取って伝令に走っている。
たった六人で三十メートル級の相手とは。後方から指示を飛ばすダイアナは、笑わずにはいられなかった。あまりに分の悪い賭け。石橋を叩いて渡るのが信条の自分が、こんな作戦を許可するとは。しかし、賭けに勝つことができれば被害はゼロに抑えられる。リターンは大きい。
走りながら、背中の「吼狼」の銃身を撫でる。作戦の成否の鍵を握るのは、やはりこの「吼狼」であった。元よりかなりの重量がある武器であるが、それがさらに重く感じられた。
「頼みますよ、相棒」
小さく呟いた。
「竜まで五〇! 野郎ども、気合を入れろ!」
大戦斧を振りかざし、エドガーが叫ぶ。クリスティ、サイラスはそれに呼応し抜刀する。
フランシスは、重鉈の柄を痛いほどに握り締めた。
自分の発案で皆を無謀な作戦に巻き込んでしまったという罪悪感は拭えない。フランシスの表情は固くなる。
「ほら、そんな不安そうな顔しない! 戦うときの顔は、こう!」
クリスティが眉間に皺を寄せ、目を吊り上げ、歯を剥き出しにして見せる。闘争心を露にした表情、のつもりなのだろうが、それがどうにもおかしくて、フランシスは噴き出してしまう。
「ちょっと、一応まじめに言ってるんだけど!? まあ、ガチガチになってるよりかはいいかもね……頑張れよ、男の子!」
クリスティは剣の腹でフランシスの尻を引っぱたくと、にこっと笑う。そして一気に加速し、フランシスを置き去りにした。
「クリスも変わったもんだ。手の付けられないじゃじゃ馬だったのに、あんな顔するなんてな」
「サイラスさん?」
「なんだ、気付いてないのか。まあ、お前らしいっちゃらしいな。よし、俺も行くぜ!」
サイラスも、クリスティに続いて竜に肉薄する。
「ほれ、しっかりしろよ言いだしっぺ!」
エドガーが、その大きな手でフランシスの背中を叩いた。
「今のうちに言っておくが……感謝するぜ、フランシス。あのまま少佐の言う通りにしていたら、俺は女房にどやされるところだった。この意気地なし、ってな」
「エドガーさん、ごめ……いや、なんでもありません」
妻子あるエドガーをこの戦いに引き込んだことに対する謝罪の言葉を、フランシスは飲み込んだ。この場にふさわしいのは、謝罪ではない。
「ケツは俺達が持ってやる。お前は自分ができる限りのことをやれ。いいな」
雄叫びを上げながら、エドガーも竜に突貫する。
「……相変わらず、気持ちのいい奴らだ」
そう言うスオウの口元には、微笑が浮かんでいた。
「奴らが信じると言うのなら、俺もお前を信じよう。存分にやるがいい、フランシス」
スオウは、走りながら弓に矢をつがえた。強力な板バネを幾恵にも重ね合わせて作った特殊弓だ。竜人でなければ一ミリとてその
四人の言葉が、フランシスの背を後押しする。まるで、強い追い風に吹かれたような感覚。胸中を覆っていた不安が、朝日に照らされた靄の如く晴れていく。
両足に力を込める。竜との距離を一気に縮めると、右手の重鉈を大きく振りかぶった。
「おおおぉぉぉーーーっ!!」
走る竜の右足に向け、渾身の一撃を放った。フランシスの右腕に、鈍い衝撃が走る。
続いて左の重鉈を一閃。刃は、先ほどよりも深く竜の鱗を抉り取った。
「やるじゃん、フラン!」
両の剣を矢継ぎ早に閃かせながら、クリスティが叫ぶ。
「よしフランシス、その調子だ! ガンガン行け!」
エドガーもフランシスを鼓舞する。
竜が恐ろしいのは、初陣のときと変わらない。しかし、自分が怖気づいたせいで故郷の村の人々や仲間たちが死ぬのはもっと恐ろしい。
「よし……!」
さらに、一撃。しかし、その斬撃は竜の鱗に弾かれる。
竜は、フランシスたちの攻撃を受けてもその歩みを緩めようとしない。竜にとっては、小虫にまとわり付かれた程度の認識なのだろう。
「フランシス、こいつはガタイも規格外だが、鱗の厚さもとびきりだ! 見てろ!」
サイラスが走り抜けつつ、鋭い横薙ぎを放った。竜の、人間で言う踵の部分を狙い打った斬撃だ。傷はさほど深くないはずだが、赤い血が滲み出ている。
いかに全身を鎧のような鱗に覆われていても、屈曲運動を繰り返す関節の可動部は守りが薄いのだ。
「よし、あたしも!」
走る竜の左足が地面から離れた瞬間、クリスティは矢のような速度でその下に滑り込む。スライディングしつつ、竜の足指の裏側に斬りつけた。
次の瞬間、クリスティが付けた傷に、一本の鋼鉄製の矢が突き刺さった。スオウの剛弓が放ったものだ。
「うおおぉぉーーりゃぁーーっ!」
エドガーが咆哮し、大戦斧をフルスイングする。刃先が、竜の踝辺りにめり込んだ。
ここへ来て、ようやく竜のスピードが下がってきた。一つ一つの傷は、さして深いものではない。しかし、人間ならば靴の中に小石が入ったり、足の裏に棘が刺さったような状態だ。フランシスたちを気にも留めていなかった竜は、首をもたげて足下を顧みる。
「やっと振り向いてくれたか。俺をここまで袖にする女は初めてだぜ」
サイラスが気障ったらしい台詞を吐く。
「女、なんですかね」
「卵を産んだんなら雌でいいんじゃないか?」
「馬鹿者! 攻め手を緩めるな!」
後方から、すかさずダイアナの叱咤が飛んだ。フランシスとサイラスは苦笑し、ふたたび竜に向かう。
さらに戦うこと数分。
フランシスが放った二十五度目の斬撃は、先ほどエドガーが付けた踝の傷をさらに深く抉り、熱い鮮血が飛び散った。
とうとう、その竜が足を止めた。
――卵を奪ったあの動物の前に、貴様らを喰らってやろう。
竜の全身の筋肉が盛り上がる。両腕を左右に大きく開き、臨戦態勢に入った。
「ここからが本番、か」
各々が、自分の武器を握り直す。矢が尽きたスオウは、幅広の曲刀を引き抜く。
「グオオォオオオーーーーッ!!」
竜が巨大な咆哮を放った。後退りしそうになるのを、フランシスは必死に堪える。
「我らの背には、数千数万の民の命がかかっています。決死戦と心得よ! 突撃!」
ダイアナの声が荒野に響き、それが開戦の合図となった。
五人の人ならぬ戦士が、一斉に竜に襲いかかる。
ダイアナは一人、竜から百メートルほどの距離で五人の戦いを見守っていた。
巨大な竜に白兵戦を仕掛ける五人を見て、歯がゆさを感じずにはいられない。部下が危険な目に遭っているというのに、自分は離れた場所で待つことしかできないのだ。
しかし、作戦の成否は全て「吼狼」の一弾にかかっている。照準の先で味方が窮地に立たされたからといって、狙撃地点から飛び出すようでは狙撃手失格である。
フランシスの考え出した策――それは、あえて炎竜に「灼熱呼気」を吐かせるというものだ。
竜の討伐作戦において、第一に狙うのは頭である。胴体にも心臓など急所となる臓器が存在するけれども、それらの臓器は特に分厚い鱗と弾力のある脂肪・筋肉の層に守られている。脳を傷つけるには頭蓋骨を貫通させなければならないが、概して頭部は胴体に比べ鱗が薄い。
実戦で何度も検証が行われた結果、頭部を狙うのが最善、という結果に落ち着いたのだ。
しかし、今回「吼狼」に詰まっているのは貫通力の低い炸裂弾だ。これでは頭部だろうと胴体であろうと竜に致命傷を与えることはできない。
そこでフランシスが考えたのが、竜が「灼熱呼気」を放つ瞬間を狙うというものだ。
炎竜が「灼熱呼気」を放つ直前、その腹部は取り込まれた膨大な量の空気によってパンパンに膨らむ。腹部の表面積が広がれば、普段は腹部をびっしりと覆う鱗にも、若干の隙間ができる。
そして、引き伸ばされた腹部の筋肉や脂肪の弾力は失われる。限界まで引き伸ばされたゴムと同じだ。この状態だと、刃物による攻撃が通りやすくなる。
その瞬間にのみ、竜の内臓に致命的な打撃を与えるチャンスが生まれるというわけだ。
狙うは炎嚢――「灼熱呼気」の素となる、可燃性物質が蓄積される臓器だ。これを露出させ、そこに着火することができれば――竜は、体内で大爆発を起こして自壊する。
竜が「灼熱呼気」を放つための「溜め」を行うのは、長くとも十数秒といわれる。その短い時間に竜の筋肉を斬り裂き、炎嚢を露出させる。これは、言葉で言うほど簡単なことではない。傷が浅ければ爆発は起こらず、「呼気」に焼き尽くされることになる。
「頼みましたよ……!」
「吼狼」を握り締め、ダイアナは一人その時を待つ。
「ガタイはでけぇがやることはいつもと一緒だ! 続け!」
エドガーが先陣を切って竜に向かっていく。
竜人が竜と戦うときの基本は、攻撃の一点集中だ。いかに竜人といえど、一発や二発の攻撃では竜にダメージを与えることはできない。
竜の振り下ろした豪腕を潜り抜け、エドガーが跳躍して脇腹に大戦斧を叩き込む。そして、サイラス、クリスティ、スオウの順に次々と連続攻撃を繰り出した。
「よし、僕も――」
フランシスが踏み出した瞬間、大きく風を切る音が巻き起こった。クリスティに重傷を負わせた、尻尾の一撃だ。
本能的に危険を察知したフランシスは、重鉈を盾代わりに構える。尻尾が重鉈の刃と接触した瞬間、フランシスは軽く跳躍。竜の力に無理に逆らおうとせず、尻尾を軸にしてくるりと身体を回転させ、見事に攻撃を回避してみせた。
「そこだっ!」
竜の背後に着地したフランシスは、間髪入れず重鉈の二連撃を加える。
全感覚を研ぎ澄ます。竜の筋肉の隆起、呼吸のリズム。竜の筋肉がきしむ音すら感じられ、そこから次に竜がどう動くか予想する。
仲間にしても同じだった。目で見えずとも、聴覚や嗅覚が仲間の動きをつぶさに知らせる。それに合わせて動くことで、流れるような連携を取ることができるようになる。
全員が意識を共有することで有機的に連動する。そうすることができれば、竜人の戦闘力は人数の等倍に留まらない。
「いいぞフランシス! その調子だ!」
サイラスが両手大剣を手に、竜に切り込む。鋭い踏み込みから、雷光のような突きを放つ。剣先は、竜の膝関節を覆う鱗の隙間に狂い無く突き刺さった。
今度は、フランシスが二番手を務めた。サイラスが剣を引き抜いたその瞬間に竜の懐に飛び込むと、同じ箇所を斬り上げた。
次々に繰り出される連続攻撃によって、竜の身体にはいくつもの傷ができている。しかし、どれも深手とは言いがたい。とにかく相手のサイズが大きすぎるのだ。
フランシスたちの役割は竜を絶命させことではなく、「灼熱呼気」を使わせることだ。
しかし、一度放ってしまうとそれで終わりという「灼熱呼気」は炎竜にとっても奥の手だ。生命の危険を感じさせるほどの痛手を与えない限りは、そうそう使ってこない。フランシスたちは、それだけの脅威を竜に与えなければならないのだ。
「見ろよ、まだまだ余裕って面してやがるぜ」
エドガーが歯噛みする。
竜の爬虫類的な顔からは、感情の動きを窺い知ることはできない。しかし、エドガーの言葉はその場にいる五人全ての気持ちを代弁するものだった。
と、竜が右腕を高々と振り上げた。爪の攻撃と判断した五人はとっさに跳び退って間合いから逃れる。しかし竜はお構いなしに腕を振り下ろした。
次の瞬間――地面が爆裂した。
強大な力を持つ竜の腕が地面に叩きつけられたことにより、硬い岩がちな地面が爆発したように吹き飛ばされたのだ。
砂、石くれ、そして粉々に砕かれた岩の破片が、竜の前方百八十度に間断なくばら撒かれた。そして、その一つ一つのが弾丸並みの速度を持っている。
たとえ小さな砂粒でも、速度があれば恐ろしい威力を持つ。黒鉄竜の「砂塵呼気」がそれを証明している。
「くっ!」
フランシスは、二本の重鉈で頭部をガードすると、地面に倒れ伏した。
後ろに跳ぼうが上に跳ぼうが、半球状に広がる砂礫の弾幕からは逃れられない。五人が取れる行動は、防御しかなかった。
「みんな大丈夫ですか!?」
「あたしは大丈夫、だけど……」
幸運にも手近に遮蔽物となる大きな岩があったクリスティだけはほぼ無傷だった。しかし、他の四人は決して軽くない傷を負っている。特に、身体の大きいエドガーの怪我は重かった。
「エドガーさん!」
フランシスがエドガーを助け起こす。特に肩からの出血が激しい。フランシスはめり込んだ三センチほどの鋭い岩の破片を、素早くナイフで抉り出す。
「すまねぇ、フランシス。大丈夫だ、まだやれるぜ」
斧を支えに、エドガーが自力で立ち上がった。
「あんな攻撃は、初めてだ」
切れた頬の血を拭いながら、スオウが呟いた。
「あの竜だからできる攻撃、ってことでしょうか」
サイズが規格外なら、パワーも規格外ということなのだろう。そして、素早い敵に対して有効な攻撃を繰り出せるだけの知恵も持ち合わせている。
「どうするの? あんなの何度もやられちゃたまんないよ」
半径三十メートル以上の射程を持つ、回避不能の範囲攻撃だ。これを連発されると、フランシスたちには反撃の手段がない。
「より深く。限界まで切り込んでの超近接戦闘。それしかあるまい」
竜との戦いでは一撃当てて即離脱、というのが基本だ。しかし、それでは間合いを取った瞬間にまた例の砂礫攻撃が飛んでくる。
スオウの言葉は、竜の懐に飛び込みぴったり張り付いて戦うという意味だ。爪や尻尾を喰らう危険性は増大するけども、砂礫の弾幕を浴びせられるよりはマシ、ということである。
「やれやれ、それしかないか。泥臭いのは柄じゃないんだが」
サイラスが、大仰にため息をついた。
「畜生、俺はこの戦いが終わったら団長に直談判して特別休暇を貰うぞ。女房とガキを連れてゆっくり首都見物に行くんだ」
「……俺は、酒だ。バークリー峡谷から呼び戻されたと思ったら即この任務だったからな。少佐は人使いが荒すぎる」
「ちょっと二人とも、戦いの前にそういう先のことを話すのは不吉だ、って聞いたよ。アルフお爺ちゃんから」
爺さんの話は半分にして聞け、というエドガーの言葉に、一同は揃って苦笑した。
この窮地においても軽口を叩く仲間たちを、フランシスは不謹慎には思わなかった。むしろ、頼もしく感じる。
「行きましょう、みなさん」
重鉈を構え、竜と対峙する。
竜が、歯をむき出しにして低く唸る。恐らくは威嚇なのだろう。しかし、フランシスにはそれが不敵に笑っているように見えた。
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