第八話

「さあ、入って入って!」


 クリスティは、喜色満面にフランシスを招き入れた。


「じゃあ、ちゃっちゃと終わらせちゃおう」


 フランシスが、クリスティと横並びになって机に向かう。

 クリスティに出された算術の課題は、紙十数枚分の計算問題だった。

 クリスティが躓くたびに横からフランシスが助け舟を出す形で、一問一問問題を解いていく。

 三分の一ほどを消化したところで、クリスティがペンを放り出した。


「ああ、疲れた。休憩しよ、休憩」


 仕方ないな、と思いつつも、フランシスはそれに同意した。クリスティは堪え性がない性質で、時間が経つにつれて正答率が下がってくる。適度に休みながらやったほうがいい、と考えたのだ。


「お茶淹れるよ。お湯貰ってくるからちょっと待ってて」


 クリスティが部屋を出て行く。

 フランシスは、改めて部屋を見回した。部屋のレイアウトはフランシスの部屋と同じで、造り付けのベッドとクローゼット、木製の机が備えられている。

 軍人らしく全体に飾り気のない部屋ではあるが、机の隅に陶器でできた兎の人形がちょこんと飾られているのが目に付く。二体一組のつがいの人形で、なかなか可愛らしい。


(クリスもやっぱり女の子なんだなぁ)

 

 そう考えた途端、フランシスは何か落ち着かないものを感じ始めた。今更ながら、年頃の女性の部屋にいることを意識してしまったのだ。

 孤児院では男女別の相部屋で過ごしていたが、他の子供たちは皆フランシスより歳下で、弟・妹のようなものだった。性というものを意識したことはない。


「そういえば、こんな時間に女性の部屋にいていいのかな……?」


 ちなみに、シラーズ基地の士官用兵舎では消灯までに部屋に戻るべしという規則はあるが、男女間の部屋の行き来に関する規則はない。女性は本来イレギュラーな存在であり、女性がいることはそもそも想定されていないためだ。

 同じ建物には鬼より恐ろしいダイアナが暮らしているため、ここで不埒な行為を企もうなどと考える命知らずはいない。なので、特に規則を制定する必要もないのである。


「お待たせ」


 と、クリスティが戻ってきた。フランシスは、努めて平静を装わなければならなかった。

 クリスティは茶器を配すると、ふたたび机に向かう。

 よくよく考えると、クリスティの服装もフランシスにとっては刺激的だ。取り立てて扇情的というわけではない。上はシンプルな七分丈のシャツに、下は太股の真ん中辺りでざっくり切り落としたショートパンツというラフな格好だ。初夏を間近にしたこの季節らしい服装だろう。

 日頃の訓練によって健康的に日焼けした太股が目に眩しい。そして、二人は横並びに座っているわけだが、フランシスのほうが背が高いぶん上から覗き込む形になる。クリスティのシャツのボタンは上二つが開けられており――白い胸元が、時折フランシスの視界をちらつくのだ。


(いけない、いけない。勉強に集中しよう――)


 邪念を払う如く、フランシスは問題に集中する。その甲斐あってか、算術の課題は早々に終了するのだった。




「消灯まで時間あるし、少しお喋りしようよ」


 と、クリスティがフランシスを誘う。特に断る理由もないので、フランシスは部屋に留まりしばし会話を楽しむことにした。


「ところで、クリスは給料を何に使ってるの?」


 話の流れの中で、フランシスが尋ねた。神父には「パーッと使え」と言われたものの、貧乏性の悲しい性か、フランシスにはこれといった使い道が思いつかなかったのだ。


「そんなことで悩むなんて、フランらしいっちゃらしいけどね」


 と、クリスティが苦笑する。


「あたしは、実家に仕送りしてるよ。浮気で店を潰しかけたダメ親父だけど、父親は父親だからね。借金返す足しにはなるでしょ。あとは服とかアクセサリー買ったり。なんだかんだ忙しいから、服も着る機会はあんまりないけどね」


 ここでも、クリスティの女の子らしい面を知るフランシスであった。


「うーん、神父さまも素直に受け取ってくれればいいんだけど。うーん、やっぱり貯金するのが一番かなぁ」

「フランって欲がないよねー。二ヶ月もキツい訓練やらされたんだから、こうブワーッと贅沢しようとか思わないの?」


 実際、兵士にはそういう金の使い方をする人間が多い。給料が出れば街に繰り出し、酒を食らい女を抱く。そうして、日頃の任務でたまった鬱憤を一気に発散させるのだ。


「訓練、確かにキツかったなぁ……あ、そうだ!」


 フランシスが妙案を思いつく。フランシスにとって有意義だと思える金の使い方だ。


「クリス、今度休み取って街に行かない? ご飯でも奢るから」


 そう申し出た。


「えぇっ!? も、もしかしてデートの誘い?」


 クリスティが驚き、椅子から小さく飛び上がった。


「で、で、デート!? あ、いや、そんなつもりじゃなくて……」


 クリスティは、二ヶ月間ほとんど付きっきりでフランシスの指導役を務めてくれた。かねてから、何か礼がしたいと考えていたのだ。

 しどろもどろになりながら、フランシスがそう説明する。


「あ、ああ、そういうことね。いやーびっくりしちゃったよ、アハハ」


 クリスティが照れ笑いを浮かべる。その頬は薄く赤に染まっていた。

 フランシスは頭を掻いた。男女が共に街に出て過ごすことをデートと定義するならば、フランシスの誘いは間違いなくデートである。先に事情を説明するべきだったと反省する。


「と、とにかくどうかな? 世話になったお礼がしたいんだ」

「……うん、いいよ」


 クリスティが笑顔を見せる。フランシスは、自らの鼓動が期せずして高まるのを感じた。




 十日後。 

 フランシスは、基地正門にて、クリスティが来るのを待っていた。

 デートではない、とは言ったものの、どうにも気分が落ち着かない。そわそわしながらクリスティを待つ。


「ごめん、待った?」

「わっ!」


 背後からの声に、フランシスは思わず飛び上がる。振り返ると、そこにはクリスティの姿が。

 すみれ色のフレアスカートに、純白の絹シルクのブラウス。首元の桃色のリボンを結んでいる。足には、花の装飾をあしらったサボを履いていた。

 いつもの無骨な軍服姿とは、まるで印象が違っていた。パッと見では、彼女が対竜部隊の、それも最前線で戦う兵士であることなど想像もできないだろう。


「…………」

「どうしたの、黙り込んじゃって」

「ご、ごめん! そういう格好してるの見たことなかったから、驚いちゃって」

「どう、似合う?」

「えーと、その……」


 どぎまぎするフランシスを見て、クリスティが笑う。


「まあ、とっさに気の利いた台詞なんて言えないのもフランシスらしいよねー。じゃ、行こっか」


 赤面するフランシスをよそに、クリスティは歩き出した。

 季節は初夏。照りつける日差しも、次第に強くなってきている。街路に植えられた樹木の緑も、その色を濃くしている。汗ばむような陽気の中、二人はシラーズ市街に辿り着いた。


「とりあえず、どうしようか」

「こういうときは、男がリードするもんでしょうに……。まずは、フランの服をなんとかしなくちゃ」


 フランシスは、礼服用のシンプルなシャツにスラックスという出で立ちだ。竜に襲われたとき、少しでも重量を軽くしようと手持ちの荷物は全て放り出してしまった。そのため、今のフランシスは支給品の服しか持っていないのだ。

 軍服に見えないような組み合わせを選んだつもりだし、実際おかしな格好ではないが、華やかなクリスティと不釣合いなのは否めない。

 二人は、辻に店を構える服飾店に入った。

 これは、個人の体型に合わせて注文する仕立て屋と違い、特定のサイズで画一的に作られた服、いわゆる既製服を扱う店だ。ごく最近コルドアで生まれたこの業態は、軍服の大量生産を行う際のやり方を商売に応用したものだ。商品の安さが魅力で、瞬く間に大人気となった。

 クリスティはあれこれと悩み、店員に相談しながらフランシスのコーディネートを決めていく。


「野生的なのも意外に悪くないけど――フランはやっぱり、清潔感がある格好が似合うかな」


 彼女が選んだのは、薄い水色の立て襟シャツと、藍色のスラックス。シャツのボタンの一番上を外し、金属製のバックルが付いた新大陸風のベルトを締めるのが、最近の流行だとか。


「どう?」

「うん、似合う似合う。一気に都会風になった感じだね」

「じゃあ店員さん、これください」


 会計を済ませ、店を出る。時刻は十一時を少し回った辺り。


「少し早いけど、お昼にしよっか。この時間ならまだどこも空いてるし」

「わかった。じゃあ、店は僕に任せて」


 街の情報に明るいサイラスに聞いて、下調べは済ませてある。

 次に二人が入ったのは、洒落た感じのレストランだ。旧大陸風のコース料理が食べられる、少々高級な店だ。


「いいの? この店高いって聞くけど」

「大丈夫。僕がいくら給料貰ってるか、クリスも知ってるでしょ」

「まあ、そうだね。じゃ遠慮なく」


 デザートまでしっかり食べた二人は、どこへ行くでもなく街をぶらついた。他愛もないお喋りをしながら、通り沿いの店々を冷やかす。なんでもないような時間が、フランシスには新鮮に感じた。


「あっ、これ可愛い」


 クリスティが、宝飾店の前で足を止めた。

 それは、紅玉ルビーがトップに据えられたペンダントだった。石の大きさの割りに、値段はさほど高くない。店員曰く、石に不純物が多くて価値は低いが、その不純物が作る独特の模様をデザインとして好む人も多い、とのこと。また、ここまで安いのは、多数の宝石が産出されるコルドアならではだ、とも教えられた。


「じゃあ店員さん、これください」

「フラン、いいの?」

「うん、プレゼントするよ」


 そう言って、フランシスはさっさと会計を済ませてしまう。

 早速ペンダントを身に着けて、ありがとね、と笑うクリスティの姿は、確かに「女の子」だった。




 西の空が茜に染まり始める頃、二人は帰路についた。

 半日街を練り歩き、疲労は溜まっていたが――その疲れすら、フランシスには心地良く感じられる。それほど、楽しい一日だった。


「今日はありがとね。楽しかったよ」

「良かった。ちゃんとお礼できたか不安だったんだけど」

「もう十分すぎるくらいに。こういうの初めてだったけど、思ったよりいいもんだね」

「えっ、クリスは誰かに誘われたことないの?」


 クリスティは、シラーズ基地で数少ない女性だ。デートに誘われることも多いだろうと考えていただけに、フランシスにとっては意外だった。


「なんか、竜人ってことで怖がられてるみたいなんだよね。失礼しちゃうよ、ほんと」


 気持ちはフランシスにもわからなくはない。竜人の力の異常性は、自身でも嫌というほど実感している。

 あまりに現実離れした力を見せ付けられたシラーズ基地の兵士たちの中には、竜人を過剰に恐れるか、逆に過剰に敬う者が多いのだ。


「パティとか、普通に付き合ってくれる人もちょっとはいるんだけど」


 まだ年若いクリスティにとって、同世代の友人がほとんど得られない環境というのは、地味に堪えることだったに違いない。元来明るく社交的な人間であるクリスティなら、尚更だろう。そして、部隊にクリスティという存在がいたことにに、フランシスは感謝する。


「エドガーやサイラスと飲みに行くことは結構多いけど、こういうのは新鮮だね。今度はあたしがオススメの店に連れてってあげるから、また遊びに行こうよ」

「うん、是非」


 基地と市街地とを結ぶ一本道を、二人は夕日に照らされながら歩く。

 と、背後から馬の蹄と車輪の音が響いてきた。振り返ると二頭立ての立派な箱馬車が迫ってくるのが見えたため、二人は道の端に寄る。

 馬車は二人の横を通り過ぎ、そのまま走り去るかと思われた。しかし馬車は減速を初め、二人から三十メートルほどのところで停まった。


「どうしたんだろ?」

「さあ」


 馬車のドアが開き、一人の男が降りてきた。長身ですらっとしたスタイルの、中年の男だ。髪の毛を油で撫でつけ、口元には綺麗に形を整えられた髯をたくわえている。糊の利いた軍服を、一分の隙もなくかっちりと着こなしていた。


「やあ、見たことがある女性だと思えば、キーツ少尉じゃないか」

「あっ、ダグラス少将!」


 慌てて姿勢を正そうとしたクリスティを、男は手で制する。


「おめかししているところを見るに、今日は休暇なのだろう。そう堅くならないでよろしい……今日は、そちらの色男とデートかね?」

「そっ、そんな、デートじゃないです! からかわないでください」

「ハハハ、済まん済まん。さて……そちらの君は、もしやファウラー少尉かね」

「あ、はい。フランシス・ファウラーです。僕のことをご存知で?」

「勿論。辺境騎士団で私が知らぬことはない」


 男が笑みを浮かべる。一見すると温和に見える笑顔だが、その眼光は剃刀のように鋭い。


「自己紹介が遅れたな。私はライオネル・ダグラスだ。ブリーディア・コルドア方面軍参謀部長を務めている」


 ライオネル・ダグラスの名はフランシスも知っている。英雄レナード・パーシヴァルと同期の入隊であった彼は、卓越した作戦立案能力を買われて出世した男で、戦史の講義でもたびたび名前が出てきたのだ。「コルドアの剣」パーシヴァルと「コルドアの頭脳」ライオネル、と並び称されるほどの智将である。


「少将、今日はこれからシラーズ基地に?」

「ああ。少し気になることがあってな。レナードの奴に会いに行くところだ」

「えっ、団長が今基地にいるんですか?」


 レナードは多忙を極める。辺境騎士団の長としての業務はもちろんある。そのほか、士気高揚のために各地の基地や駐屯地を回って訓示を行う。ブリーディア本国から賓客が来たときは、パーティに駆り出される。一日として同じ場所に留まることはない、というほど目まぐるしい日々を送っている。全ては、英雄としての高すぎる知名度を利用しようとする軍上層部の思惑によるものだ。


「奴も、出先からとんぼ返りして来たらしい。まあ、案件が案件だから――いや、少し喋りすぎたな」


 今のは聞かなかったことにしてくれ、とダグラスは苦笑した。


「では、私は行くか。君たち、乗っていくかね?」


 将官であるライオネルと同席するのは気が引ける。それに、なにやら深刻な事情でレナードと会談を持とうとしているところらしい、というのは二人にも察せられた。気まずい空気になるのは御免である。


「ではお先に。二人も、閉門までには戻るのだぞ」


 馬車は、けたたましい音を立てて走り去って行った。


「そういえば、団長――パーシヴァル閣下、まだお会いしたことないんだよなぁ」


 本来、兵卒ならば兵学校の修了式、士官ならば任官式で騎士団長の訓示がなされ、そこで顔を見ることができる。しかし、フランシスは変則的な入隊であったため、いまだレナードの姿を見たことがない。


「あたしも会ったの随分前だよ。あの人、忙しすぎ」

「どんな人なの?」

「うーん、格好いいっていうか……ちょっと違うかなぁ。フランも、本で団長のこと読んだことあるでしょ? 多分、本に書いてあるそのままの人だよ」


 過去の歴史、とりわけ戦史というものは、少なからず誇張されるものだと神父から教わった。しかしクリスティは、レナードが本で語られる通りの人間だと言う。


「へぇ。僕も早くお会いしてみたいなぁ」


 フランシスの、レナード・パーシヴァルに対する興味は深まるばかりった。




 シラーズ基地本部棟最上階に、辺境騎士団長レナードの部屋がある。


「すまんな、ライオネル。お前も忙しいだろうに」

「なに、ニエマイアでいくつか業務をこなしてきたついでだ。兵士殺しは国家の威信に対する反逆であり、一般市民の生活を脅かす行為。私としても、見過ごすわけにはいかん」


 テーブルを挟んで会話するのは、レナード・パーシヴァルとライオネル・ダグラスだ。


「では少佐、始めようか」


 後ろに控えるダイアナが、手にした書類をめくりながら口を開く。


「はい、閣下。ご存知とは思いますが、念のため事件の概要をふたたび説明させていただきます。事件が起きたのは、イーニド・カリム間の旧街道。西の新街道が整備されて以来、極端に人通りが減っていた場所です。予定時刻を大幅に過ぎても三人が戻らなかったため街道警備隊が捜索したところ、二日後の朝に死体が発見されました。被害者は、第十七街道警備隊隊長以下三名」


 ここで会談が持たれたのは、先日起こった殺人事件の真相を追究するためだたっだ。


「同日、現場に近い街道にて行商人が殺され金品を奪われる事件が四件起きています。警備隊に追われた盗賊が、居直って警備隊を返り討ちにした。普通ならば、そう考えるのが妥当です」

「しかし、この事件は普通ではない、と」

「はい。三人の死因は、どれも喉への一撃。見事な喉切りカット・スロートで、殺された者たちは声一つ上げることができなかったでしょう」


 単なる盗賊にしては、殺しの手際が良すぎる。そういうことだ。


「では、四件の強盗と兵士殺しは無関係だと?」

「だと思います。しかし――その強盗事件も一見雑な手口の強盗殺人に見えますが、詳しく調べてみるとどうにも不審です」


 たとえば、とある事件の被害者は、棍棒のような鈍器で身体の数箇所を殴られて死亡している。数人がかりで滅多打ちにされたかのように見えるが、後頭部への一撃はあまりに的確に被害者の急所を砕いていた。


「なるほど……さっぱりわけがわからん。結局、どういうことなのだ少佐」


 レナードが首を捻った。


「レナード、お前ももう少し頭を使ったらどうだ」

「なにごとも適材適所だ。頭脳労働はお前や少佐に任せたほうが効率的というものだ」

「私も直接死体を検分したわけではないのですが……報告書を見る限り、後頭部への一撃で相手を葬ったあと、身体に傷を付けたように思えるのです」

「いったい、なぜそんな面倒な真似をする」

「それはなんとも……まれに、殺したあとの死体を傷つけることを楽しみとする異常殺人者がいる、という話は聞いたことがありますが」


 と、ライオネルが小さく笑いながら口を開いた。


「少佐、君は観察眼は鋭いがもう少し発想の柔軟さに欠けるな」

「ライオネル、ではお前の推理を聞かせてみろ」

「逆転の発想だよ。雑な手口に見せるために、あえて死体に傷を付けた。そう考えれば辻褄が合うだろう」

「……なるほど。流石はダグラス少将」

「いや、君も察しが早いな。レナードもいい部下を持った」

「なんだなんだ、二人とも。勿体つけないで教えてくれ」


 一人だけ話に取り残されたレナードは不満顔である。


「全ては兵士殺しを強盗の仕業だと思わせるための擬装だった、ということだ、レナード」


 まず最初に強盗事件があって兵士殺しが起きたのではない。兵士殺しが先にあって、その兵士殺しをカモフラージュするために犯人は強盗殺人を行った、ということだ。


「少将の推理が正しいとすると、兵士殺しの犯人は擬装のためだけに殺人を犯せる人間ということになります。そういう人種は限られるでしょう。たとえば職業的な殺し屋、犯罪組織の構成員、あるいは――間者スパイ

「なるほど、だから遠路はるばるライオネルが出張ってきたというわけか。少佐、このことは誰かに?」

「いえ。報告書を読み、不穏な空気を感じましたので。極秘に少将に連絡を取り、同時に独自の調査を始めました。出過ぎた真似をしてしまったでしょうか」

「いや、正しい判断だ。もし他国の間者の仕業だとすると、どこから情報が漏れるかわからん」

「すると、私は少佐から信頼に足る人物だと思われているということだね。嬉しいじゃないか」

 ライオネルが微笑する。

「では、少佐の期待に応えるとしよう。この事件に関連がありそうな人や物の動きについて調べて来たぞ」


 ライオネルが、書類の束を二つテーブルに放り出した。中身は複写された同じものだ。レナードとダイアナはそれぞれ紙束を手に取った。


「……二ヶ月前の密航船事件、そしてその二週間後……武器密売人が内輪もめで殺されたとされる事件、か」

「まず、二つ目の事件。これは、手口があまりに兵士殺しと酷似している」


 これは、武器の密売人が死体で見つかった事件だ。金と、売り物である武器が消えていたことから、分け前を巡る争いで同士討ちをしたと見られていた。


「しかしライオネル、一つ目の事件は?」

「この事件に関連があるという確証はない。もしかしたら、という程度だ」


 それは、コルドア西海岸の人気のない入り江に停泊していた密航船が摘発されたと言う事件だった。多数の密航者が捕縛され、大量の密貿易品が押収されている。よくある事件ではあるが――逮捕された密航船の船長が、気になる証言をしたのだ。


「特別料金を払った数人が、先に小船でコルドアに上陸したということだ。殺人事件と関連している可能性は否定できないが、確信があるわけでもない」

「ふむ。では、目下のところ重要視すべきは武器密売人の殺人事件か」

「同様の事件が起きていないか、既に調べさせているよ」

「仕事が早いな。少佐、次は君のほうの報告を」

「はっ。信頼のおける調査員を事件現場に派遣し、下手人の行方を追わせております」

「そしてその調査員というのが、このわしじゃよ」

「~~~っ!?」


 ダイアナが、口をパクパクさせて声なき悲鳴を上げる。

 背後には、いつの間にかアルフレッド老人が立っていた。そして、その右手はダイアナの臀部に伸びている。


「……ニューマン殿。手をどけていただきますか」


 低い声でダイアナが言った。口調こそいつも通りだが、こめかみには青筋が浮き、握り締めた拳はぶるぶると震えている。


「怖い目で見るでない。ちょっとした挨拶みたいなもんじゃろうに……さて、二人とも久しぶりじゃのう」

「アルフ老、ご無沙汰だったな。しかし、気配を殺して入ってくるのは止してくれ」

「済まん済まん、つい悪戯心が湧いての。さて、早速本題じゃが」


 アルフレッドは、一枚の大きな地図を取り出しテーブルに広げた。


「さて、ここが兵士の死体が見つかった場所じゃの。わしとスオウは、残された痕跡を辿って犯人を追った」


 朱のインクで地図に印をつけながら、アルフレッドが続ける。


「犯人のものと思われる馬車の轍は街道ではなく、なぜか荒野のさらに奥に向かったんじゃ」

「相変わらず見事な追跡術だな、アルフ老」

「なに、野の獣を追うことに比べれば容易いもんじゃよ。さて、そのあとじゃが……」


 地図上に矢印を引いていたアルフレッドの手が、一旦止まる。


「この辺りは、地面が固く馬車の轍を追うのは困難じゃった。そこで、我々は今度は下手人の血の臭いを頼りに荒野を進んだ」


 狡猾さと残忍さとを兼ね備えた犯人。しかし、その犯人にとっても竜人に追われるのは想定外だったに違いない。その卓越した移動速度、感知能力をもって追われたならば、逃げ切れるのは極めて困難だろう。

 そして、アルフレッドは地図上の一点に丸印をつけた。


「ここじゃ。エルコ平原の更にその先、未だ地名すら付けられておらん岩石地帯。岩山に開いた天然の洞穴、そこを根城アジトにしているようじゃ。今は、スオウが監視を続けておる」

「相手の正体は割れたましたか?」

「いや、今日はとりあえず根城を発見したことを報告しに来ただけじゃからの。命令とあらば、わしとスオウで奴らを捕らえてやってもいいが」

「ふむ。少佐、君の意見は?」

「個人的な考えを申し上げるならば――今しばらく泳がせたほうが得策かと」

「レナード、私も少佐に賛成だ。他にも仲間がいるとすると、こちらの動きが知られれば繋がりが絶たれる可能性が高い。性急に動く必要はあるまい。機を見て一網打尽にしたいところだな」

「お前が言うのならそうすべきだろうな。それに、もうすぐ次の作戦だ。間者も気になるが、今は作戦に集中すべき時だ」


 レナードが決断する。


「ではアルフレッド殿、引き続き監視をお願いします」

「うむ、任せとけ」


 アルフレッドは、ひらひらと手を振りながら部屋を出て行った。


「レナード、お前はまた首都へ出張だろう。途中まで私の馬車に乗っていくか?」

「うむ、そうしよう」


 レナードとライオネルが立ち上がる。戻ってきたばかりだというのに、レナードはまたすぐに出発せねばならないらしい。


「少佐、また作戦の間基地を空けることになりそうだ。済まんが、よろしく頼む」

「はっ! お任せください!」


 直立不動で敬礼するダイアナの肩を一つ叩き、レナードはライオネルと連れ立って部屋を出て行く。


「さて、作戦の最終確認をしなければ」


 珍しく独り言を呟くと、ダイアナも二人に続くのだった。

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