美しき時、美しき地
ーそれは過去であり、未来であり、今なのでしょうー
その村は綺麗な花を咲かせる木々に囲まれていることで有名でした。
年に一度、まるで色のついた雲が地面に落ちてきたかのようにその村を包む。
まるで夢の様な光景、「美しき地」だと……。
ただ、私がその村に辿り着いた時、そこには裸になった木々に囲まれたうら寂しい村があるだけでした。
ここに来るまでに山脈を超えて、荒野を超えて……予想以上に時間がかかってしまいました。
旅というものは得てして思い通りにはいかないものです。
だからこそ、それは何物にも耐え難い価値があるのですが。
「この間までは咲いていたのだけれどね……。まあ、また一年経ったら咲くよ」
寂しげに木々を見上げていたら、通りかかった村の人がつまらなそうに声をかけてくれました。
「まあ、どこへ行くのかわからないが、また帰りにでも寄ると良い」
それは困りました。
私の旅に帰路はありません。
世界が狭ければ良かったのですが、おそらく一年じゃ世界一周なんて無理でしょうし。
……では、諦めて歩を進めるか。
でも、それも違うのかもしれません。
美しい物を見る、ということが私の数少ない旅の理由でもあるからです。
私はその場でぺたんと座り込みました。
待とう、と思ったのです。
「……旅人さん。これはそんなに価値のあるものじゃないよ」
村人さんは相変わらずつまらなそうに、でもどこか寂しげに呟きました。
「この木々たちはね。確かに年に一度、そりゃもう美しい花を咲かせる。わざわざ遠い場所からこのためだけに人が大勢集まる」
恐らくこの村人さんはとても優しい人なのでしょう。
座り込んだ私を見て、言葉を続けてくれました。
「でもね。その美しい時間以外をこの木々たちと共にすることはない。こいつらは夏になっても葉をつけず、醜い裸のまま一年の殆どを過ごすんだ」
まるで病人のような木々の枝を私は見上げました。
「そして一年の本当に短い間だけ……美しい花を咲かせる。その『美しき時』だけを見に、人は集まる」
座り込んだ足の先には茶色く変色した花弁がまるで死骸のように敷き詰められていました。
「だからね。もし美しいこの木々たちを見に来たのなら、美しい時でないといけない……じゃないと」
じゃないと?
「我々のように『呪われた地』になってしまうよ」
恐らく、世界で一番この美しい木々を見てきたであろうこの人は、そう淋しげに言いました。
その顔はとてもつかれていました。
……でも。
別にそれで良いですよ。
私はそう答えました。
村人は呆れて、そのまま村に帰って行きました。
私の旅は別段急ぐものでもありません。
悲しいことに時間だって、在るのです。
だから私はこの木々の下で一年待ってみようと思いました。
この、寂しい裸の木々達に抱かれて。
一月が経ちました。
周りに大きな変化はありません。
しいて言うならば、足元に敷き詰められていた変色した花びら達が、土に還っていきました。
三月が経ちました。
二つ、気づいたことがありました。
一つは、旅をしていないと時間が恐ろしい速さで流れていくこと。
夕暮れまでに次の街につかないと、と。
あれほど旅をしている時は時間の無さを憂いたものですが、さてただ待つだけの日々はまるで恐ろしいほどに時間は早く過ぎ去って行きました。
それはあるいは、私が時間から手を離してしまったからかもしれません。
二つ目は、村人たちのこと。
彼らは最初のほうこそ私を見るたびにぎょっとしていたようですが、今ではもう「在るもの」として私を認めてくれているようでした。
彼らは週に一度は木々たちの世話をしにきます。
木々に手をやり、生きているか、の確認をしたり。
既に死んでしまった木を切り倒したり。
いつかの村人が私にこう語ったこともありました。
「美しいものは、脆いんだ。だから誰かが手当てを続けなければならない。『きょうせい』なんだ」
木々の世話に来た人たちは、皆疲れた顔をしていました。
それでも彼らは「手当て」を欠かさずに行っていました。
半年が経ちました。
ただ空を眺めるだけだった夏が終わり、次第に風に寒さが混ざるようになりました。
私が手を離した時間は、いよいよ私を忘れて流れているようでした。
そのことを、悲しいと思うべきなのでしょうか。
旅とは場所だけではなく、時間を追うことだ、と昔誰かが言っていました。
その二つを放棄している私は最早旅人では無いのかもしれません。
まるで、この寂しい裸の木々たちと同じ。
彼らもじっとただ、そこに立ちすくんでいるだけです。
時折やってくる手当てに感謝も文句もつけること無く。
ただ、生かされて、死んだのならば、処理されて。
やがて来るだろうその美しき瞬間を待っている……そう思って居たのですが。
私も半年とは言え、彼らの仲間になったつもりです。
「美しき地」は彼らにとっては特別なことではないのでしょう。
なんとなく、ですけど。
十月が経ちました。
ある日、目を覚ますとあたり一面、銀色の世界になっていました。
私は久しぶりに時間に会ったような気がしました。
裸の木々たちはより一層寒々しく見えました。
どこか近くで、何かが倒れる音がしました。
恐らく彼らの誰かが、死んだのでしょう。
その音が聞こえたのか、午後には村人たちが手当てにやってきました。
「死なないでくださいね」
いつかの村人が言いました。
「花が咲かなくなってしまうから」
それは私に向けて言ったのか、木々に向けて言ったのか。
私が尋ねる前に、彼らは忙しそうに手当てを始めてしまいました。
恐らく、家から持ってきたであろう毛布を裸の木々に巻きつけているようでした。
木々はこの村を囲むように生えています。
その数はひょっとしたら村人達よりも多いかもしれません。
村人たちはお世辞にも恵まれた格好をしているわけではありませんでした。
むしろ木々たちの方が、まだ温かな格好をしているかもしれません。
でも、それでも村人たちは木々に「手当て」を続けました。
毛布がなくなると、自分が着ている服すら使って手当てを続ける人も居ました。
十二月が経ちました。
この辺りは荒野が広がっています。
山脈が雲を押しとどめて、冬には信じられない程の雪が降ります。
そしてそれ以外の季節でも、辺りに草木は見られません。
この裸の木々達以外には。
ある人はこの地を「美しき地」と呼びました。
また、ある人はこの地を「呪われた地」と呼びました。
一年間ここで美しき時を待っていて。
確かに「呪われた地」だと言うことはわかりました。
そしてそれ故に「美しき地」だと呼ばれていることも。
恐らく、あともう少し。
この冬を乗り切れば、私が背にしている裸の木々たちが枝々に花を咲かせ、それはさぞ美しき時がやってくるのでしょう。
でも、それは本当に一瞬。
この荒れ果てた大地で輝く、ほんの一粒。
限られた時。
限られた場所。
その儚さは、美しいことでしょう。
そして、この木々たちを見に来る人々は「限られた場所」である美しさしか知らないのです。
「限られた時」をも併せ持った美しさは、ここで木々と共に生きた村人達にしか分からない。
夢のような一瞬と。
寂しい、それ以外。
でも、彼らは決してその美に目を細めることはない。
ただ黙々と手当てを続ける。
美しき時を……その奇跡を。
彼らの日々となってしまった奇跡をまた起こすために。
一際、風の強い夜でした。
まるで地面に落ちた銀色の粉を全て巻き上げて、無理やり春になろうとしているようでした。
何人かの村人が、木々の元を訪れました。
「まだ、生きてたんだな」
いつぞやの村人が私を見て笑いました。
それは私がこの場に座り込んで以来、初めて見た彼の笑顔でした。
「あともう少しだ……あんたもよく頑張ったよな」
今までの疲れた顔とは違い、どこか希望を含む顔でした。
「ところで……。ここまで来たらあと少しなんだ。今更だけど、花が咲くまで村で過ごさないか」
やはり彼は優しい人なのだと思いました。
だから私は黙って首を横に振りました。
彼と共に来た村人たちは三々五々木々の中へと入って行きました。
この場には私と彼しか居ません。
……いや、私と彼と、私がもたれ掛かっている裸の木しか居ませんでした。
「そうか……。ただここに居ると、旅人さんがこれほど待ってくれた花を、美しく思えなくなってしまうかもしれない」
彼は一本のナイフを取り出しました。
泣き叫ぶべきなのでしょうか。
全てを忘れて逃げ出すべきなのでしょうか。
それとも、彼を抱きしめるべきなのでしょうか。
ここで過ごした一年。
この木々たちと過ごした一年。
荒れ果てた地で、時間にすら置いて行かれて。
ただ静かな心だけが在った一年。
私には分かっていました。
だから私はその場から立ち上がることはありませんでした。
「そう」
その声は私のものではなかったのかもしれません。
この木の声だったのかもしれません。
その一声には一体何が含まれていたのでしょうか。
一年足らずの私では分かりません。
でも、目の前でナイフを持った優しい人は、静かな笑顔で頷きました。
「あなたに、美しき時があらんことを」
そう言うと彼はナイフを振り上げ。
自分の胸に深々と突き立てました。
一年が経ちました。
ある日、目を覚ますと辺りは「美しき時」に囲まれていました。
見知らぬ人々が花一面の木々達に賛美の声を投げかけています。
でも、その顔ぶれの中に村人達の姿はありませんでした。
まるで自分達の方がより一等美しいとでも言いたげな服に身を包んだ人々だけ。
年に一度、この時だけやってくる人々。
「美しき地」とこの場所を呼ぶ人々。
村人たちは続々とやって来る彼らの相手をするために、この花達を見ることはないのでしょう。
荒れ果てた地に咲く、奇跡の花。
それはこうも言い換えられます。
奇跡の花しかない、荒れ果てた地。
この地で生きていくためには、一年の内、奇跡が起こっているこの時期に稼がなければならない。
作物も育たない。
動物も居ない。
そんな荒れ果てた地で生きるには、この奇跡に縋るしか無い。
そしてその奇跡を起こす木々たちは、彼らに縋るしか無い。
いつから始まったのかわからない「きょうせい」。
葉をつけることも出来ない木々たちは冬を越せない。
その命が一番の危機に瀕する時期に、村人は木々たちを生かすために糧を与える。
自らの命を持って。
それしか、ないのだから。
人々の中からこんな声が聞こえてきました。
「ここの村人たちは幸せだな。こんな美しい木々に囲まれているのだから」と。
私は一年ぶりに木々を見上げました。
薄い赤の洪水。
それは桃色と言うのかもしれません。
でも、私には薄い赤に見えました。
命を薄めた色。
生命力に満ちた色ではなく、命を薄く薄く引き伸ばして……そしてそこから少しだけその命を使って「なにか」の為に咲かせた花。
足元には既に散ってしまった花びら達がありました。
茶色く変色したそれらを見る人は誰も居ません。
「美しき時」の終わったその花びらを一つ摘んで、私は旅を記している本に挟みました。
それは空白の一年のページに、茶色く染みこんでいきました。
「美しき時」を語る為に、これ以上の言葉は要らないでしょう。
私は立ち上がり、人々を掻き分け、「美しき地」を後にしました。
ククルの断片紀行文。 水上 遥 @kukuru
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