渡れない川

「ほら、お姉さん! こっちだよ!」

そんな賑やかな子供たちの声に手を引かれてやってきたのは大きな川のほとりにある小さな舟着場でした。

「おや。今日はガキだけじゃないのか」

……思わず身構えてしまいました。

そこに居たのは、目つきの悪い一人の老人でした。

「生憎、今日はもう渡し舟は無いよ」

船頭さんなのでしょうか?

でも、それにしては格好が……余りに私と同じ匂いがします。

つばの広い帽子。

雨風にも耐えられそうな革で出来た上着。

そして、古びた旅行鞄。

「……俺は船頭じゃない。あいつらは仕事が終わるとすぐに帰ってしまうんだ」

「でもねー。このじーさんはずっとここに住んでるから、船頭なんかよりこの川に詳しいよ」

子供達がきゃっきゃと楽しそうに騒いでいます。

……自分の浅はかさを反省しました。

どうやらこの老人はそこまで悪い人ではないようです。

子供に好かれている人は、どこかしら優しい人ですから。



それにしても、近くに村があるのにどうしてこんな場所に住んでいるのでしょうか。

何より、この人もきっと私と同じ……。

「……待ち合わせをしてるんだよ。ほら、ガキども。今日はもう遅いからそのお姉さんと一緒に村まで帰りな」

そうぶっきらぼうに言いつつも、やはりどこか優しさのある声でした。

「あんたも……見たところ急いではいないんだろう? 無駄足になってしまったが、この子たちを送ってやってくれないか?」

はい。それは……良いんですけれど。

でも、さっきは気付かなかったけれど、あなたは……。

「心配するな。舟なんて毎日出てるんだ。なんなら橋のある場所まで歩くのも悪くない」

私がその違和感を口にする前に、「ほら、暗くならないうちに早く行け」と追い払われてしまいました。



村へ戻る道すがら、子供たちがあの老人について話してくれました。

自分達が生まれる前から……それこそ子供たちのお父さんやお母さんが生まれる前からあの老人はずっとあの船着場に住んでいるようでした。

いえ、待っていると言ったほうが正しいのでしょう。

「でもねー。誰を待っているかは教えてくれないんだ。口笛とか笹舟の作り方は教えてくれるのに」

「そして絶対村には来てくれないんだあ。祭りの日もずっとあそこに居るんだ」

これまでにも何人かの旅人とすれ違いました。

その数は両の手では足りない程ですが、誰もが二つの匂いを持っていました。

一つの所に留まれない、という匂い。

そして、それと共にそれまで旅してきた土地が混ざり合った匂い。

……あの人には後者の匂いが無かったように思うのです。

ただ、旅立つ決意だけを持って、ずっとあの場所に居るようでした。

旅人になれずに。




次の日の朝。

また子供たちと連れ立ってその舟着場を尋ねると、そこにはもう老人の姿はありませんでした。

ただ、老人の座っていた場所には、あの古びた旅行鞄が置いてありました。

悪戯好きな子供の一人が、その鞄を開けると。

中には白いウエディングドレスが一着だけ、入っていました。

……私はそっとそれを鞄に戻すと、子供たちに礼を言って舟に乗り込みました。



老人の待ち人が来たのかどうか、それは今はもう私には知る術はありません。

私も、旅人だから。

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