善良な市民

「この街には善良な市民しか居ません」

丸眼鏡に蝶ネクタイ、それに……何と言うんでしょう、あの役所の人がよく腕につけてるモコモコ。

「誰一人不平不満を言わず、誰一人これ以上街を汚さず、誰一人争わない。なんて理想的な街だと思いませんか?」

私がこの「門」を通るための手続きを待っている間、頼みもしないのにそのいかにも「お役所」な感じの男は延々と自分の街の素晴らしさを語ってくるのでした。

「旅人さんなら分かるでしょう? 都会の夜の喧騒を。本来人間が寝るべき時間帯だというのに、誰も彼も眠らない。まるで獲物を探す夜行性の獣のようだ」

この男は旅人の間でも有名な人でした。

正直、通りたくは無かったのですが、不便なことに山に囲まれたこの地域ではここを通らないと大きく迂回しなければならないのです。

多少の勇気は入りますが、別段もう害は無いらしく、私の後ろにも順番待ちをしている旅人が何人か居ます。

「さあさあ皆様! こんな素敵な街なのですからただ通りすぎるだけではなく、一晩ご宿泊されては如何かな? 都会にはない静かで素敵な夜を約束いたしますぞ!」

しかし、誰一人としてその声に返事するものはありませんでした。

それでも、男は気にするでもなく、延々と自分の街の素晴らしさを語り続けています。

「そもそもこの街は交通の要所として栄えたのが始まりでしたな……」

並ぶ顔はうんざりとしたものばかり。

でも誰一人として文句を言う旅人は居ません。

私も例外なくうんざりしてきましたが、でも文句を言うつもりはありませんでした。

この男は旅人の間では有名なのです。

いや……「この男の街」は、と言い換えたほうが正しいかもしれません。




ようやく、手続きが終わり、私が門を通る番が来ました。

「真っ直ぐ大通りを抜ければ、問題無くすぐに反対側の門に着く。間違ってもその道からは外れないこと。まあ、これは保険だと思ってくれれば良い。……この街へようこそ。そして、さようなら」

幾分疲れた顔の門番がそう言いながら私にガスマスクを渡してくれました。

私はそれをピッタリと顔に付け、墓と廃墟だらけの街を駆け足で通り抜けました。

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