穴の空いた絵

想像もつかないものを探して歩き続けるのが旅人ならば。

想像の果てを探して、想像し続ける彼らもまた旅人なのでしょうか。



そこは、ある街の、古い劇場でした。

彼らのお爺さんのそのまたお婆さんが生まれる前から、世代を変えながら演じ続けているという劇を私は観に来ていました。

題名は「穴の空いた絵」

少し硬くて、でも驚くほど豪華な装飾のなされた椅子に座り、かれこれ30分程その劇を観続けて居るのですが、なんとも奇妙な劇でした。


まず、ステージの背景には一枚の大きな絵が飾られています。

その絵は巨大な風景画で、縁のところは木々に囲まれ、絵の中心部には夕暮れ時の草原が見えます。よく森の終わりに見る風景でした。

そして、その前で演者達は、絵とそっくりな色使いの衣装を着て演技をしているのです。

それはまるで、絵の中からその人々だけ飛び出してきているようでした。



果てさて。

それだけを観ていれば、何とも確かに美しいステージではあるのですが……。


「さあ、こんな薄暗い森から飛び出して、あの光輝く草原へと飛び出そう!」

役者の中で、恐らく一番人気のあるだろう、若い二枚目の男性がその台詞と共に絵に向かって突進していきます。

当然、絵の中に入れる事もなく、跳ね返されて、無様に舞台に転がりました。被っていた羽飾りのついた帽子が何とも悲しげに舞っています。

「……。」

間髪入れずに今度は、年配の女性方に人気のありそうな、中年程のベテランといった具合の俳優が無口に、同じように絵に突進していきます。

まあ、当然そのベテランさんも同じように跳ね返されて、苦い顔でステージに転がりました。


劇が始まってからずうっとこの調子。

ステージ上は死屍累々。

至る所に演者さんたちが、ある者は肩を抑え、ある者は頭を抑え、そんな感じで転がっています。

それは観ようによっては例の風景画の切れ端が散らばっている様でもありました。


「……退屈、しませんかね」

そろそろステージ上の切れ端が30人程になろうかと言う頃。

隣に座っていた紳士的な格好をしたおじさんから話しかけられました。

一体全体、理解は出来ませんが、どうにもこの劇は人気らしく、客席にはこの辺りでは余り見ない遠方の服装の方々ばかりでした。

そのおじさんも余り見ない燕尾服のような、高そうな服に身を包んでいます。


正直言って、退屈ではあります。

この街の、この劇は非常に有名で、旅人の私でさえ噂を何度も耳にするほどです。

ですから、大分苦労してこのチケットをとったのですが……。

いささか、詐欺にでもあったような気分です。

「まあまあ、まあまあ、お嬢さん。この劇の面白さはね……」

案の定、頼んでも居ないのにおじさんが語りだしました。

たまーに居ます。こういうおじさん。

でも、代わり映えのしないステージを観ているのにも飽きてきたので、私はちょっと不貞腐れながらもその話に耳を傾けました。



……この劇の主役と言っても過言ではない、あの風景画。

今でこそ綺麗な額縁に収まっているように見えるが、その実あれは巨大な石の塀に描かれている。

街をぐるっと囲むその塀は、この街の住人を閉じ込めるために造られた物で……。


――じゃあ、ここは奴隷の街だったのですか?


……ああ、そうさ。

聞いたことないかい? 戦争で負けた都市をぐるっと囲ってしまうのだよ。

街としての機能を残したまま、生かさず殺さずで住民を閉じ込めてしまうんだ。ここもそういう街だった。

戦線はずっと先の方へと伸びていっても、補給基地の役割を果す為に、住民は閉じ込められて、働かされていた。

そんな生き地獄の中、一人の画家志望の青年があの絵を描いたんだよ。

暗い森にも終わりが来て、そしてあの光輝く草原へと、自由へと繋がっている、そんな願いを込めてね。


――ステージ上には、もう100人程の切れ端が転がっています。

  一体、何人役者が居るのでしょうか。


……そして、あの絵を描き終えた時、その青年はあの絵に向かって走りだした。住人は皆、青年の気が狂ったと思ったらしい。まあ、そうなってもおかしくない状況ではあったからね。

それに、一人仕事もせずに絵を描き続ける青年を住人達は疎んでいたんだよ。

ところが、だ。なんとその青年はそのまま絵の中に入り込んでしまった。

そして、悠々とあの草原の彼方へと走り去って行ってしまった。

それからと言うもの……。



私はそこで、席を立ちました。

もう話のオチが見えてしまったからです。

手早く荷物を纏めて、何か言っているおじさんの声も無視し、腰を曲げながら劇場の入口まで足早に移動しました。

どうして、もっと早くに気づけなかったのでしょう。

私はここ最近で一番の憤りを感じながら、もはや走っていると言ってもいい位の速さでそのまま街の出口まで移動しました。


「おや……。まだ劇の途中だと思うのですが、宜しいのですか?」

門番が、先ほどの隣に座っていたおじさんと同じような嫌な薄ら笑いを浮かべて聞いてきます。

私は精一杯、無遠慮にならないように手だけで挨拶し、そのままその街を出ました。


気持ちが落ち着くまで草原を歩き、ちょうどいい丘の上でその街を振り返りました。

まるで、遠い昔の劇場のようにぐるりと石の壁に囲まれた古い街。

人々はこの街を「演劇の街」と呼びます。

住んでいる住人は皆、演劇の事しか頭に無く、その中でも延々と演じ続けられている「穴の空いた絵」は格別だ……。


場末の酒場でその話を聞いた時にどうして思いつかなかったのでしょう。

門番がまるで兵士のようだった時点で、どうして思いつかなかったのでしょう。

そして、客席に居るのが皆、この辺の服ではないと気づいた時に、どうして気づかなかったのでしょう。


あの街はまだ、奴隷の街だったのです。


「穴の空いた絵」は演劇をしているのではなく、させられているのです。

例え、見世物にされても、ひょっとしたら青年のように抜け出せるかもしれない……。

そんな希望に縋って。


……。


一介の旅人には、彼らをどうすることも出来ません。

私は一人、沢山の罪悪感を抱えながら、絵の向こうへと歩き出しました。

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