特別編 小説家を目指そう

 高校生の石川いしかわひろしは机に向かい、キーボードを叩いていた。1996年のことである。


「だいぶタッチタイピングがうまくなってきたな」


 ワープロソフトに打ちこんだレポートを見つめてうなずく。自分の書いた文章がパソコンの画面に表示されると、まるで市販の本に載っていることばのように洗練されて見えた。


 休憩しようと椅子から立ちあがったそのとき、彼のあたまにふしぎな声が響いた。


 ――とん、いや博よ。


「ん? 何だ?」


 彼は部屋の中を見まわした。同室で起居する兄は大学の友人と遊びに出かけて不在だ。


 誰もいないのに、また声がする。


 ――わたしはおまえの意識に直接話しかけている。


「やばい……。ついにあたまがおかしくなったか……」


 家族のいる居間に向かいかけた彼の足下を何やら大きな影が横切った。


「めんどくさいから実体化してやったぞ」


 見ると、丸顔で大柄な猫である。


「えっ……? 猫……?」


「今日はおまえに大事なことを伝えに来た」


 猫は丸い目で彼を見あげる。


「いや、なんで猫がことばを……」


「博よ、おまえの夢は何だ」


「夢……? それはまあ、小説家になりたいな、と……」


「なれるぞ」


「えっ? マジで?」


「わたしは小説家になったおまえと暮らしている。おまえはわたしを『先生』と呼ぶ」


……? ということは、僕は弟子ってこと?」


「誰があんな弟子など取るか!」


 猫が牙をく。


「し、失礼しました!」


 気づけば彼は床に正座し、猫に対してへりくだるような態度を取っていた。どうにもこの猫には威圧感があって、あたまがあがらない。


「小説家というのは、本名でやってるんですか?」


「いや、ペンネームだ」


「実は僕、デビューに向けてペンネームをかんがえているんですよ。『ひとはんろう』こと中村なかむら半次郎あらためきり利秋としあき、それから山縣有朋やまがたありともの旧名『山縣きょうすけ』――このふたりから取って『きり狂介』っていうんです。かっこよくないですか?」


「おまえのペンネームは石川布団だ」


「えっ……ダッセエ!」


 彼はあたまを抱えた。


「キリノ云々うんぬんよりはずいぶん進歩していると思うが……」


 猫はこうで首を掻く。


「じゃあ、僕は何歳でデビューしますか? 尊敬する池上いけがみしゅんろう先生と同じ大学に入って、在学中にデビューしたいと思っているんですが」


「デビューは30だ」


「おっさんじゃないですか!」


「そしてすくなくとも39までは売れない」


「地獄じゃないですか!」


 猫が彼の横をすりぬけ、机に跳びのる。


「ふむ、パソコンか。ずいぶん大きいな」


「最近、文章を書くときはいつもこれです。ま、学校のレポートなんかは手書きじゃないと受けとってもらえないんですけどね。IT時代だってのに、おっさんたちはあたまが固いんですよ」


「いまおまえは手書きで原稿を書いているぞ」


「21世紀にもなって? パソコン使ってないんですか?」


「パソコンはもっぱらインターネット用だな」


「あっ、それ聞いたことあります。世界中のパソコンとつながれるんですよね。じゃあ僕は外国の人とも交流しているわけか」


「いや、世界中のおっぱい画像を閲覧えつらんしている」


「ちょっとそれ詳しく聞かせてもらえますか?」


 彼の懇願こんがんこたえず、猫は机から飛びおりる。


「おまえにいいたいのは、夢を追いつづけろ、ということだ。あきらめなければ夢はかなう。そのために他のことをあきらめることになるだろうがな」


「がんばります」


「そしていつか……」


 猫のすがたがぼんやりしてくる。「わたしを……小説に……」


 何事かをいいのこし、猫はかききえた。


 彼はぼんやりと床に座っていた。


「いまのは夢かまぼろしか……。いや――」


 勢いよく立ちあがり、椅子に腰をおろす。「夢! 夢だ。あれは僕の夢が具現化したものなんだ。小説家になれるというあの猫のことばを僕は信じる。そしていつかかならず小説家になってみせる」


 彼は机の引きだしを開けた。秘密のノートを取りだし、開く。


「まずはペンネームを練りなおそう。石川布団なんて絶対嫌だからな。斬野狂介がダメなら……の字をあたまに持ってきて『きょうかわ』……『狂川せつ』ってのはどうだろう。ちょっとカリスマ性ありすぎるかな~」



 こうして、彼が最初の小説を書きあげるのはここから8年後のこととなるのだった。



 了

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先生とそのお布団 石川博品 @akamitsuba

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