第6話 ダメ出しを受けいれよう
彼はふわふわ文庫に呼びだされた。
IT企業が多く入るオフィスビルの上階にふわふわ文庫の編集部はあった。
ロビーの外壁は全面ガラスになっていて、街がはるか眼下に見おろせる。
彼は壁際に立った。
白が基調のおしゃれな空間に居心地の悪さを感じた。
いつになれば緊張せず打ちあわせに臨めるのだろうと彼は思った。
当日は食事を抜かないとかならず腹をくだしてしまう。
一番遠くにある高層ビルから自分の体に目を移すと、先生の毛がセーターにくっついていた。
ガラス越しの日を浴びて金色にかがやくそれを彼はついたままにした。
編集者の
眼鏡をかけて痩せていて、彼には親近感の湧く容貌である。
「会議室を取ってありますので、そちらで」
20人ほどが就けそうな長いテーブルを挟んで彼と木村は座った。
「企画書の方、拝見しました」
木村がプリントアウトされた彼の企画書をテーブルの上に置いた。「とてもおもしろいです。編集部内でも好評です。出版に向けて進めていきたいと思うのですが、いかがでしょうか」
「は、はいっ、ぜひよろしくお願いします」
彼は顔をテーブルに打ちつけるいきおいで頭をさげた。
木村は企画書を一枚めくる。
「さっそくなのですが、一箇所直していただきたいところがあります。いただいた企画書では主人公が女の子になっていますが、これを男の子に変更してください」
「えっ……」
彼は絶句した。
『両国学園乙女場所』の主人公・
「いや、これを男の子にかえるというのは……」
「基本的に、ラノベの主人公は男の子なんですよ。メインのターゲットが中高生男子ですからね。彼らが感情移入できるキャラにするというのは鉄則です」
「でも女の子が主人公のものもありますよね」
彼はいくつかの作品名を挙げた。
木村はひとつひとつのタイトルにうなずいてみせる。
「確かにそれらは主人公が女の子です。ですが最初のふたつは古い作品ですね。いまとは読者の傾向がちがいます。その次に挙げていただいたものは作者が女性です。ですから女の子の心理が非常によく書けています。あの水準のものを男性作家が書くのはむずかしいのではないでしょうか。それならば素直に男性キャラの心理をリアルに描いてほしいと思います。最後に挙げていただいたのは私どものレーベルで出しているものですね。男性作家の女性主人公もので、たいへん評価の高い作品です。ですが、ぶっちゃけてしまいますと、売上はよくないです。私が石川さんと企画を立ちあげるなら、そうしたマニア受けする作品ではなく、大ヒットを狙っていきたいと思います」
「う~ん……でも百合とか最近は人気ありますよね。この企画でもそういう要素が含まれているのですが」
「百合ですか……。あれはマーケットが小さいんですよね。そのうえ意外と内部が細分化していて、ヒット作が生まれにくい状況です。そこに打ってでるのはリスクが大きいですよ」
「う~ん……でも漫画だと女の子しか出てこないものってありますよね。四コマとかで。あれけっこう売れてますよ」
「あれは読者が主人公を絵として鑑賞できますからね。ラノベは文字なので、感情移入できないと厳しいです」
「う~ん……でも女の子主人公は駄目っていう固定観念にとらわれてたら、あたらしいものはできないんじゃないでしょうか。たとえば
「でも石川さんは井上さんではないし、この企画も『リアルダンク』じゃないですよね」
「まあそうなんですけど……やっぱりむずかしいなあ。これは女子校の話なんですよ。女だけの世界だからまわし一丁で相撲を取るってことが成立するわけで」
「男の子が女の子に化けてるっていうのはどうです?」
「さすがにバレるでしょう」
「何とかなりませんかねえ」
「う~ん……」
彼は頭を抱えた。
こんなとき、彼はアイデアを口に出さない。
思いつくままにいくつか並べたてることはできる。
だがそうしたブレインストーミングじみた方法でひねりだし、編集者との合議によって決められた案は、合理的であるがゆえに、浅い。
本当はもう自分の中に答えはあるのだと彼は思う。
それは彼の奥深いところを淵源とし、長い年月をかけて彼の表面に湧きでてくるものだ。
正しいかどうか、おもしろいかどうかは彼にもわからない。
ただ、読者が金を払うのはそれに対してなのだ、と彼は信じていた。
「持ちかえって考えてみます」
彼はそう答えるに留めた。
話はそれから原稿の書式や印税の件に移ったが、彼の頭にはひとつも入ってこなかった。
□□□□□□□
駅からの道を行こうとして彼は考えた。
(どうやって主人公を男の子にすればいいのだ……)
(トップレス大相撲を開催している女子校に男子が入るなんてありえない)
(男の子が女の子に化けるのではなく、完全に女性化してしまうというのはどうだろう)
(ふだんは男の子だが水を浴びると女の子に――)
(いや、ちがうな)
(主人公が完全な傍観者というのはどうだろう)
(永遠の生命を得た主人公は肉体も風化してしまい、空間と時間を超越した「超生命体」として両国学園でおこなわれるおっぱい相撲をただ見まもるだけの「存在」に――)
(いや、ちがうな)
家に帰ると、本を読んでいた先生が顔をあげた。
「うまくいかなかったようだな。顔を見ればわかる」
「駄目でしたよ、全然」
彼は打ちあわせの様子を話して聞かせた。
先生は後足で首のあたりを気持ちよさそうに掻いた。
「その編集者がいうことにも一理ある」
「そうなんですかねえ。納得できないですけどねえ」
彼は布団を伸べ、その中にもぐりこんだ。
「
先生が彼の腹の上に乗っていう。
彼がため息をつくと、先生の体が一度持ちあがり、また沈んだ。
「僕、もうこの企画は捨てようと思います」
「いやに弱気だな」
「弱気にもなりますよ、こんなに否定されてばかりじゃ」
彼は
窓の外にはまだ日の光が残っている。
(これが限界……自分の限界であり、和泉さんのいうラノベの限界なのだ)
(女の子が裸で相撲を取るなんて絶対おもしろいのに)
(漫画やアニメなら絶対見栄えがするのに)
(コミカライズなら『A LOVEる ブラックネス』の
(あの人の描く、華奢だけど柔らかそうな女の子が僕は好きなんだ)
(ムチムチのアンコ型もいいけど、ああいう細い子たちが相撲を取るというのも……)
(んっ? 待てよ……)
彼は跳ねおきた。
掛布団といっしょに床に投げだされた先生が怒って牙を剥く。
それに構わず彼は本の山から『A LOVEる』の単行本をひっぱりだした。
「そうだ……この毎回毎回女の子の裸に動揺する主人公のミトさん……彼がいなければこの作品の魅力は半減してしまう。女の子が裸になるだけなら、それはただのちょいエロ漫画にすぎない。だがここに、裸を見てしまった永遠のピュアボーイ・ミトさんが加わることにより、エロスは倍増する。彼の真ん丸になった目――これが僕の企画に足りなかったものだ。あの白い丸になってしまった目は、読者が物語世界をのぞく窓だ。あの白い丸を埋めるのは読者の瞳だ。エロスがただ存在するだけでは読者にとって遠いものでしかない。男性主人公はエロスと読者をつなぐ回路だ。それが必要だったんだ。よし、僕は書く。男性主人公を書く。たとえ設定が根底からくつがえったとしても僕は書かねばならぬのだ」
彼は机に向かい、猛然とペンを走らせはじめた。
「おいオフトン、その企画は捨てるのではなかったか」
先生が声をかけても彼は聞かない。
それを横目に見た先生は彼の捨てた掛布団の隙間にもぐりこみ、腹を出して眠りこんだ。
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