第9話 取材をしよう

 書くにしたがい、彼は自由でなくなっていくように感じた。


 冒頭の文を書くむずかしさは、目的地に向けてどのルートで行ってもいいといわれたときのそれであった。

 迷いはするが、まだ見ぬ景色を思う余裕もある。


 いまはあともどりもできず、道草もできず、風景も楽しめず、足をひきずりながらゴール目指して歩いている。

 本当にたどりつけるのだろうかという不安が常につきまとっていた。


 語りの調子が一度定まってしまえば、あとはそれを徹底させるだけである。

 考えることは、場面転換をどう自然におこなうか、「○○がいった」を連発せずにどう会話シーンを表現するか、同じ助詞を重ねずにどう文章を組み立てるか、というようなまつなことばかりになった。


「何か……思ってたのとちがうな。もっとクリエイティブな感じで書いていきたいのに、これじゃただの脳トレだ」


「もの作りの大半は地道な作業だ。やる仕事のすべてがクリエイティブなのは行きあたりばったりの詐欺師だけだぞ」


 先生は音もなく机に跳びのる。


「それでも僕はひとつひとつのことば、ひとつひとつの文に深い意味とバックグラウンドストーリーを忍ばせたいんですよ」


「そんなものが書きたければ歴史の年表でも書いていろ」


 先生は原稿用紙の上を歩いたあとで、足の裏を見て顔をしかめた。「ふむ。いったいこれはどういうことだ」


「何がですか」


 足の裏にインクがついたかと思い彼はノンアルコールの猫用ウェットティッシュに手を伸ばした。

 先生は原稿用紙に鼻を近づける。


「この主人公たちがちゃんこを食べるシーンはどういうことだといっている。うまいうまいといって食べているのに、すこしもうまさが伝わってこない」


 彼は指摘された箇所を読みかえした。


「実は僕、ちゃんこ食べたことないんですよね」


「だったらどこかで食べてこい」


「でもなあ、お店に行くとなると――」


「あっ、これはすまないことをした」


 先生が尻尾を追いかけるようなかっこうでくるりとまわる。「オフトンにはともに鍋を囲むような友人はいなかったのだったな」


「僕はどこ行くにもひとりでだいじょうぶなんですけどね」


 彼は頭を掻いた。「それよりもお金が……。お店で食べたら数千円かかってしまう」


「何とかしろ。濡れ場と食事シーンが下手な作家は売れないぞ」


「う~ん……あ、そういえば、コンビニで1人用の鍋セットが売ってますね。アルミ鍋に入っていてそのまま火にかけられるやつです」


「それを買ってこい。よいものを書くための手間は惜しむな」


 先生にいわれて彼は家を飛びだした。


 4月も末だが、夜の風は冷たい。

 彼は小走りにコンビニへと向かった。


 コンビニの棚に、求めていたちゃんこはあった。

 野菜が多く入っていてヘルシーさを売りにしている。


(しかし夜食に400円は痛いな……)


(だが400円でいいシーンがひとつ書けるのなら、なかなかのコスパといえるか……)


 飲み物やデザートやホットスナックには目もくれず、彼は一直線にレジへ向かった。


 帰宅して台所で鍋を開封していると、先生が寄ってきた。


「この猫の身に鍋など縁遠いものだが、後学のために見ておくとしようか」


 そういって調理台の上に跳びのる。


 彼は鍋の蓋を開け、スープの入った袋を取りだした。


「これを注いで7分煮こめばいいのか。簡単だな」


 先生が鍋の中をのぞきこむ。


「猫の身に野菜たっぷりのちゃんこなど余所よそに見るしかないものだが、せっかくの機会だから瞥見べっけんしておくことにしようか」


「肉、食べます? 豚と鶏が入ってますけど」


 彼がいうと、先生は「豆腐も」といって床に飛びおりた。


 彼は包丁を取りだした。

 調味料の入ったスープは猫の体によくないので、煮こむ前に先生の分を取りわけておく必要がある。


「先生、念のため肉は茹でますからね」


「豆腐もだ」


 先生はいう。「沸騰しそうになったら豆腐だけ鍋から出せ。が入るといけない」


「先生、ひょっとして鍋を買ってこいっていったのは小腹が空いていたからでは……?」


 彼のことばに背を向けて先生はキャットタワーの柱で爪を研いだ。


 鍋にスープを注ぐと、ずいぶんすくなく感じた。

 これで足りるのかと不安に思いながらコンロにかける。

 先生の肉と豆腐は水を張った片手鍋の中に入れた。


 ちゃんこは汁がすくないのですぐに沸騰した。

 野菜がアルミ鍋に張りつきそうで、彼は箸を使って汁の中に押しこんだ。


 先生の分の肉は熱がとおって白くなっている。


「先生、もう茹であがりましたけど、先に食べますか」


「この猫の身の猫舌では茹でたばかりの肉など熱くて食えまいよ」


 先生がキャットタワーの中段からいう。


 彼は肉を鍋からあげ、豆腐と並べて皿に盛った。


 煮たてた鍋は野菜がしんなりしてすべての具が汁の中に浸かるかっこうとなった。


「なるほど。よくできてるなあ」


 彼は赤いところの残る鶏肉をひっくりかえした。


 よい頃合いになったので火を止めてちゃぶ台に運ぶ。


 湯気が立つのをふうふうと吹いて、まずは油揚げを食べてみた。 


「おっ、熱っ……うんうん、うまいな」


 汁を吸った油揚げは鍋全体の味を凝縮して彼の口を浸す。


 一口目での出方はわかった。


 次に彼は豚肉を取る。

 2切れしか入っていないそれは鍋の主役と見ていい。

 たくさん入っている白菜も併せて口に運ぶ。

 芯に近いところでうまみに乏しいが、歯応えは鮮烈で、肉汁と絡めばよいアクセントになる。


 先生は豆腐相手にも牙剥きだしで全力の咀嚼をしていた。


 彼は春菊に手をつける。

 この春菊とニラが白菜の白に染まった鍋に青みを添えていた。


「むっ、これは――」


 彼は鍋をじっと見た。「うまい。肉よりありがたいぞ、これは」 


 鍋に口をつけ、汁をすする。


 だしに春菊のさわやかな香が加わり上品だ。


「次はごぼう……これもいい勝負してる。肉よりこっちが主役だな」


 ざくざくとした噛み応えのあとは豆腐の柔らかさで目先を変える。


 残る白菜は豚・鶏とコンビを組ませていきおいよく食べていく。

 体温があがり、汗が噴きでた。


 額の汗を拭って息をつくと、となりで先生も鶏肉を呑みくだし、ため息をついていた。

 目が合って可笑しくなり、彼は笑った。

 先生も愉快そうに目を細める。


 食べつくし、汁を飲みほして、彼は床に寝ころがった。


「ああ、うまかった」


「いいネタは見つかったか」


 先生が彼の顔をのぞきこむ。


「野菜がおいしいってことを書こうと思います。主人公とヒロインは1年生だから、肉なんかは先に先輩たちが食べてしまっていて、でもその残り物がおいしいというわけです」


「ふむ。実感がこもっていていいな」


「あとは、誰かといっしょに食べるとおいしいってことも書こうと思います」


 そういって彼がほほえみかけると先生は「ふむ」といってAmaxonの段ボール箱に潜りこみ、丸くなった。

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