第12話 身の振り方を考えよう

 ふわふわ文庫の木村から「会いたい」とメールがあった。


 先生がパソコンの画面をのぞきこむ。


「ふむ。何かあったのだろうか」


「もしかしたら『出版前にアニメ化決定』とかいう話ですかね」


 彼は鼻先をくすぐる先生の尻尾から顔を背けた。


「ふむ。出版社もずいぶん分の悪いギャンブルをするものだ」


「それともハリウッドで映画化とか」


「TPPが悪い方向に作用したのだろうな」


「まあ、原稿の催促でしょうね」


「そんなところだろう」


 締切の5月末がすぎても原稿は完成しなかった。


 物語の後半に入ってペースが落ちたのと、父の付き添いに時間を取られたのが原因である。


 残る第6章とエピローグを書きおえるには6月の半ばまでかかるものと予想された。


 あちらから訪ねてくるというので、約束の日、彼はバイトが終わってから浪宮駅前のカフェに向かった。


 白木の椅子とテーブルが置かれた店内に、木村はすでに来て待っていた。


 コーヒーも紅茶も飲まない彼は、コンビニの野菜たっぷりちゃんこがふたつ買える値段のオレンジジュースを注文した。


 前回ふわふわ文庫の会議室で会ったとき、彼は緊張していたのだが、今日は木村の方が表情を硬くしていた。


「今日は石川さんにお詫びしなければならないことがありまして――」


「はあ……」


 彼は木村とのやりとりを思いかえした。


 最初の打ちあわせのあとは5月の頭に一度、進捗状況の報告として原稿を送ったきりで、謝罪されるようなことは何もされていないはずである。


「実は……ふわふわ文庫が7月でクローズすることになりまして」


……? それって……潰れるってことですか」


「そうです。今回、グループの出版事業を縮小することになりまして、ふわふわ文庫を含む小説部門は閉じられることが決まりました」


「それじゃあ僕の原稿はどうなるんですか」


「申し訳ございません。現在刊行予定に出ているもの以外は出版取りやめとなります」


 木村はテーブルの天板に顔がつくほど頭をさげた。


 彼は呆然として、木村に頭をあげるよういうことも忘れた。


 オレンジジュースを運んできたウェイトレスが木村にテーブルを覆われて困っている。


 彼は目で合図してテーブルの端にそれを置かせた。


「僕は……どうしたらいいんですか」


 彼がいうと、木村は頭をあげた。


「石川さんの原稿は、私が責任を持ってかたちにします。私もふわふわ文庫との契約が切れますので、他のレーベルを当たってみるつもりです」


 そこから話がどうなって、家までどうやって帰ったのか、彼はおぼえていない。


 気がつくと、玄関のあがりかまちに靴も脱がずに寝ころがっていた。


「まるで酔っぱらいだな」


 先生がやってきて鼻を近づける。


「先生、ふわふわ文庫、潰れるみたいですよ」


「ふむ。あそこは無理してアニメ化したシリーズもたいして売れなかったことだし、当然の帰結だろう」


「僕はもう……疲れた……」


 彼は『両国学園乙女場所』執筆にこぎつけるまでのことを思った。


 またあの出版社まわりをくりかえさなくてはならないと思うと気が滅入る。


 しかも今度は完成間近の原稿を抱えているのだ。


 プロットの変更を指示されれば、原稿の方も大幅に書きあらためなくてはならない。


 彼は玄関の天井を見あげていた。


 ドアと電灯の中間あたりに小さな段差があることを彼ははじめて知った。


 この部屋に住んで3年以上たつのに、いままでまったく気づいていなかったのだ。


「もう……潮時なのかな……」


 彼がいうと、先生が彼の視界に割りこんできて尻で天井を隠した。


「何の話だ」


「作家を……やめようかと」


「ふむ」


 先生は尻尾を大きく振った。「急にどうした」


「書いても書いても発表まで行きつけなくて……僕は小説の神様に見はなされてしまったような気がするんです」


志賀しがのことなら気にするな。あいつはもう死んだ」


 先生がいつもの軽口を叩いても彼は応えない。


「ふむ」とつぶやき先生は彼の顔をのぞきこんだ。


「本気でいっているのか」


「本気です。父が退院したら、就職口を世話してもらおうと思います」


「まあ、作家などの世界だからな。引きとめはしない」


 先生は小さな前足を彼の胸に乗せた。「オフトンはスタートが遅かったから見きりをつけるのも遅れた。だがいまならやりなおしは利くだろう」


 そういって音もなく部屋へともどっていく。


 彼は仰向けのままでいた。


 時代小説を投稿しつづけて、あるとき何とはなしに書いたライトノベルが賞を獲った。


 自分の本が書店に並んだ。


 作家が味わう苦悩と法悦をひととおり、一時ひとときながらその舌に受けた。


 夢のようであった。


 ほとんどの投稿者・作家志望者がここまでたどりつけずに終わることを思えば、何と幸福なことか。


 彼は目を閉じ、さらに滲む光をさえぎろうと腕で瞼を覆った。


 目近な闇の中で天井の段差がじわりと大きくなっていった。

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