第3話『スピーカーとストーカー』


  ■



「はいっ、杏樹くん。これ、今日のお弁当」

 廊下に俺を呼び出し、にっこりとお弁当を渡してくる王ヶ城。ちらりと教室の後ろ扉を見ると、少しだけ開いた隙間から総一と優作が覗きこんできていた。見てんじゃねえよ、と睨みつけると、ドアが閉まる。

 こんなことが、最近毎日続いていた。

 付き合うか付き合わないか、ということにまったく返事ができずにいると、王ヶ城からの押せ押せが激しくなって、俺が引いてしまうという事が、だ。

「王ヶ城さ、別に無理して作ってこなくてもいいんだぞ?」

 一応やんわり、いらないと言ってみたが、しかし彼女は「だ、大丈夫だよ! 無理してないもん。杏樹くんに喜んでもらえたら、私も嬉しいし……」と言ってうつむき、もじもじとはにかんでいた。

「あ、あはは……。そ、そう。あ、ありがとう」

「それで、今日も一緒に――」

「わ、悪いんだけど今日はちょっと、総一と優作の先約があるからさ」

「そ、そっか……」

 落ち込んだ様子で、彼女は先に教室へと戻っていく。

 ちょっと罪悪感を抱いたが、あんまり簡単に応じて気がある振りをする方が俺としては悪い事に思える。

「アンジー!!」

「へ?」

 突然名前を呼ばれたので、俺は振り向くと、巨大な人影が飛んできて、俺を羽交い絞めにした。

「うぉぉぉ!?」

 首を締められ、ジタバタ暴れる俺だが、よほど相手との筋肉量に差があるのか、全然取れない。

「てめっ、優作離せっつーの!」

「離さないね! なんだこの贅沢者! オージョの誘い断るなんておこがましいぞ!」

 オージョは王ヶ城のアダ名だ。もちろん王ヶ城を略したというのもあるのだが、やっぱアイドル的存在――つーか王女っぽい境遇というのも大きいのだろう。

「うるっせえな発情ゴリラ! 俺はお前と違っていろいろ繊細なんだよ!」

「そうそう。穴があればだれでもいいお前とは違うんだよ、優作」

 俺と優作の前に立った総一は、優作の脇を人差し指で突く。優作は「あん」と気色の悪い声を出し、力が緩んだので、その隙に脱出した。

「アンジーはブス専なんだから」

「おらぁ!!」

 俺はカエルパンチの要領で、総一の顎を跳ね上げた。

「普通に美人が好きだよ! 適当な事言うんじゃねえこのそれいけアンポンタン!」

「へえ、ならなんでまたオージョのそっけないんだ」顎を擦りながら、俺に怪訝そうな視線を向ける総一。

「……だってよ、ストーカーと付き合うっつーのも怖いじゃねえの。もちろんそれだけじゃねえよ? 王ヶ城に恋愛感情持ってなかったってのもあるし」

「持ってようが持ってなかろうが、どうでもよかろうなのだ」

「なんで偉そうなんでテメーは」

 優作は俺の肩をバシバシと叩いてくる。オメーは力強いんだから手加減しろっつーの。

「まあ考えちゃいるんだよ。このまんま気を持たせ続けるのもよくねえ……。受け入れるにしろ振るにしろ、早い方がいいのはわかってるさ」

「そこまで考えてるのなら、俺は何も言わない」

「俺にオージョを譲ってくれないか」

 まともな総一と、アホなことを言ってくる優作。

 俺は優作を無視して、「ああ、サンキュー総一」と総一に軽く頭を下げた。

「俺は? ねえ俺にはなんで何も無いんだ?」

 あるわけないだろ。今までの会話の流れで優作に礼を言うところなんて一ミクロンもねえよ。



  ■



 昼休み。

 俺は飯を食べる前に、トイレへ行く事にした。二人には待ってもらって、俺も手早く用を済ませると、ちょっとだけ小走りで教室へと戻ろうとした。親しい仲とはいえ、人を待たせておいて普通に歩いて帰れるほど俺は失礼ではないのだ。

 しかしその所為で、曲がり角を曲がった瞬間、人と正面衝突してしまったのである。


 ――ところで、『ソーラープレキサスブロー』という物を知っているだろうか?


 ボクシングで言う所の、『鳩尾打ち』ってやつだ。胸の真ん中ちょい下辺りを自分で軽く打ってみてほしい。それだけで、もしボクサーに打たれたらを考えると絶対死んじゃうと想像するのは難しくない。

 で、俺と正面衝突したその少女は、俺よりも幾分か身長が低い。

 ちょうど鳩尾辺りに額が来るだろう。ここまで言えばわかると思うが、彼女は俺と正面衝突する瞬間、急ブレーキをかけた。しかし慣性の法則により姿勢が前のめりになり、俺の鳩尾に激突した。

「ぐぶぉ!?」

 悲鳴と同時に俺は倒れ、地面に倒れ悶えた。

 呼吸できねえ……!

「うおおおお! あたしの頭突きで大の男が悶絶しているぅ!」

 なんだその言い方小馬鹿にしてんのか!

 怒鳴ろうとするが、呼吸ができないので何も言えない。俺はうずくまって、「うぅ……!」と呻く。

「だ、大丈夫かよぅ。勘弁してよー。男に泣かれるってなんかこええよ?」

 俺はなんとか痛みを堪え、涙を拭い、立ち上がる。

「まず謝んのが先だろうが……。ああ、いてえ」

 俺は鳩尾を押さえながら立ち上がり、ため息を吐いた。

 目の前に立つ女子生徒は、小柄な体躯をしていた。肩口で切られた茶髪のツーテール。制服のブレザーを着崩し、ブラジャーが見えそうになっている。中学生ほどで通じそうなほどのロリータフェイス。なぜか、俺と目があってから、その顔が赤くなっていた。

 しかも俺から目を離さない。――なんだ?

「んだよ、ったく。お前、何年生だ?」

「い、一年生です……。一年D組、香坂歩風こうさかほかぜ……」

「一年か。まったく、もっと気をつけて廊下は歩けよ?」

 俺はそう言って、香坂の横を通り抜けようと一歩踏み出したのだが、やつは何故か俺の手を取った。

「好き!」

「は?」

「好きです! 付き合ってください!」

「なんで!?」

 初対面だろ俺ら!?

「一目惚れしました! アイ・アム運命!」

「せめてディス・イズ運命だろ……」

 お前自身が運命ってどういう事だよ。神様か何かか。

「白馬の王子様ですよね! 白タイツ穿いた!」

「白馬も無いしタイツも穿いてないが……」

「好き!」

「お前の言ってた物と共通項は一切ないが!?」

「なんなんすかあ、男らしくないですよー? 告白されたらバシっと、イエスって答えなきゃ!」

「ノー」

「イエスって答えてくださいよ! もしかして、天邪鬼な人なんですか?」

「別にノーしか言わない男じゃないが」

「こんな美少女から告白されてノーって言うなんて……天邪鬼かホモしか考えられねっす!」

「全国の男に謝れ! ホモと同列にすんな!!」

 どうして『初対面だから』とか『単純に好みじゃない』とか考えられないんだよ。

「およ。その首……」

「あっ」やべっ。

 俺は慌てて、首輪を隠した。さっき総一からチョーカーに見えるって言われた所為で油断してたかもしれん。

「かっこいいですね! 性癖隠さないタイプの人って素敵っすー!」

「そういう解釈するんだ!? 別にちげーぞ! 俺がMだからこれしてるとかじゃねーぞ!」

「でもごめんなさい、どっちかって言うと、私もMなんですよねえ……」

 どうでもいいわ。

 っていうか、性癖隠さないタイプってなんだよ。

 それが素敵ってどういう事だ。恋は盲目ってやつか?

「つーか手ぇ離せ! 付き合う気はねえ!」

 俺は勢いよく手を振るい、やつが掴んでいた手を切って、走りだした。

 なんもしてないのに好感度マックスとか、かなり怖い。ギャルゲーとかじゃよくあるけど。

 まるでジェイソンにでも会ったようなテンションで教室に飛び込み、隅っこの方ですでに昼食をとっていた二人の元へ駆け寄った。

「どうしたアンジー。そこまで急がなくても、別に俺達そんなすぐ食べ終わったりしないぞ」

「一人で飯食うのがいやなのかー? 寂しんボーイめ!」

 総一と優作がケラケラと笑いながら、息を切らす俺を見ている。

 気楽な事言いやがって。なんか温度差があるとカチンと来るな。

「ちげーっつーの。ちょっと、変なのに捕まったんだよ。なんつーか、あれはやべーな。現代的な距離感解離性障害的な何かを感じる」

「なーに言ってんだお前?」

「なんでもいいけど、早く飯食った方がいいんじゃないのか」

 それもそうだ。もう逃げ切ったことだし、俺も安心して優作と総一の輪に加わり、王ヶ城特製の弁当を開く。

「女子のお手製弁当か……いいよなマジで。俺は購買のしじみケチャップサンドだよ……」

 優作はしょんぼりとしながら、食パンにケチャップで炒めたしじみを挟んだだけという、やる気がなさすぎる購買人気ワーストトップのパン。まったく売れないのに購買から消えてないのは、多分優作みたいに熱狂的なファンがいるからなんだろうな。

「俺も購買のねぎとろ丼だが」

 そう言って総一は、プラスチックの丼に入ったねぎとろ丼を掻き込んでいく。

「お前は彼女いるから別にいつだって作ってもらえんじゃねえか」

「いや、俺の彼女は料理できないんだ。俺が作って食べさせた事はあるが」

「なんだ、そうなの?」ホッと胸を撫で下ろす優作。

「でも、食べた時の顔が可愛いんだろ?」

「ああ。すごく幸せそうだった」

 俺の問いに、総一は照れくさそうに頬を掻いた。

「死んでしまえッ!!」

 勢い良くしじみケチャップサンドをかぶりついて、優作は机に突っ伏し、さめざめと泣き始めた。

「どうでもいいが、彼女欲しいって言ってるやつほど彼女できないような気がするよな……」

「それを優作前にして言うか……」

 総一、結構酷いやつなのかもしれん。

 まあ俺もその意見はなんとなくわかるので、それ以上は何も言わず、王ヶ城が作った弁当を食べる。午後は授業もあるし、友達と遊びに行く可能性だってあるので、午前中より断然エネルギーが必要だ。

「せぇぇぇんぱぁぁぁぁぁぁいッ!!」

 その大声で、机に突っ伏して泣いていた優作も顔を上げ、廊下の方を見た。

「ん……? なんだ?」

「……嫌な予感がする」

 教室全員がその聞き覚えのない声を不信に思う中、俺だけはその声に聞き覚えがあった。

「てぇぇぇんぱぁぁぁぁぁい!!」

 テンパイってどういう事だよ。リーチ直前なのかよ。

「先輩ッ!!」

 と、教室の扉が開かれた。顔を覗かせたのは、もちろん香坂歩風その人である。彼女は教室中を見渡した後、俺を発見し、「せんぱーい!」と飛んできて抱きついた。

「ぶわぁぁ!! 離れろってこええから!!」

「逃げるなんて酷いですよう。あっ、でも先輩のクラスもわかったし、それはそれで結果オーライです! 後は名前と住所とLINEのIDだけですね!」

「それだけって量じゃねー!!」

 俺は首に抱きついてきた香坂をなんとか引き剥がそうとするが、まったく離れない。

 総一は普通にしているが、優作はもう目が死んでて、呆然と俺を見てる。

「そいつは深澄杏樹。住所は――」

「言おうとしてんじゃねーぞ総一!!」

「杏樹先輩……! 素敵なお名前!」

「もしかして、さっき言ってた変なヤツってこいつか」

 総一はジッと香坂を見る。

 彼女は∨サインをして、高らかに叫んだ。

「どうもどうも! 杏樹先輩の婚約者、香坂歩風ですっ」

「初対面だろうがぁ!!」

 香坂の声がデカイ所為で、教室中に俺達の痴態は知れ渡ってしまっている。

 勘弁しろよ、王ヶ城もすげーこっち見てんだけど。真顔なんだけど!!

「ストーカーの次は自称婚約者か……濃いな」

「ストーカー? どういう事だよーそこの燃えカス頭」

 どうやら総一の事を言っているらしい。総一が灰色の髪をしているのは、オシャレなんだからそういう事を言うな。

「最近、アンジーはストーカーに悩まされてるんだよ」

「あー、杏樹先輩厄介なのに好かれそうな感じしますもんね」

 その『厄介なの』には、自分も含まれてるってことを、香坂はわかってるんだろうか。

 わかってねえな、多分。

「おっ、先輩のお弁当美味しそうですねー。手作りっすか? いただきぃ!」

 と、俺の前にあった王ヶ城お手製弁当のミニハンバーグを手で掴み、口に放り込んだ。

「あ、お前。俺の大好物を……」

「あたしもお肉は大好物っすよ?」

 その瞬間、教室にガタンッ! と大きな音が響いた。

 音の主は、もちろん――と言っていいかはわからないが、王ヶ城雨梨その人だった。

 俺のクラスで、王ヶ城雨梨がそんな目立ち方をすると思っている人間は一人もいないはずであり、つまりはその瞬間、教室が水を打ったように静寂で満たされた。

 王ヶ城は、ズンズンと大股で俺と香坂に歩み寄ってくる。

「そのお弁当――私が杏樹くんの為に作ったんだけど……」

「あれ、オージョ先輩じゃないですか」

 どうやら一年にも王ヶ城の名前は知れ渡っているらしい。

「もしかして……杏樹先輩のストーカーって、オージョ先輩?」

 くっついたまま、俺に視線を向けてくる香坂に頷き返してやる。

「へえ。オージョ先輩はモテると思ってたんすけどね。あれっすか、モテる人ほど本命にそっぽ向かれるみたいな」

 少女漫画みたいっすねーと笑う香坂。

 王ヶ城はスカートのポケットに手を突っ込むと、警棒を取り出し、それを俺と香坂の間に振り下ろした。

「ほぁッ!!」


 しかし、その俺達が目視することさえできなかった王ヶ城の警棒を、香坂は白刃取りした。


「「なにぃ!?」」

 俺達男三人の声がシンクロする。当然だ。大の男三人が防ぐことさえできなかった王ヶ城の一撃を、小柄で非力っぽい少女が受け止めたのだから。

「きゅ、急に警棒たぁ……デンジャーな性格してやがりますねえオージョ先輩……!」

 力んだ所為でゆっくりと区切られた声を口から漏らし、警棒を頭に叩きつけようとしている王ヶ城を睨む香坂。

「殺す……!!」

 睨んでいるのは王ヶ城も一緒だ。彼女らは警棒を挟み、火花を飛ばし合っていた。もちろんクラスの視線は釘付けである。

「まあまあお二人さん。暴力はよくないんじゃねえの暴力は」

 そう言って、二人の間に割って入ったのは、呆然としていたはずの優作だった。持ち前の力で二人の肩を押し、距離を置く。

「まったく。非常識だぞ二人共。教室で警棒振るったり、いきなりアンジーの意思を無視して婚約者宣言したり」

 おお、優作が珍しくまともな事を言ってる。やはり持つべきものは友ってことだな。普段はおちゃらけていても、友達思いなヤツなんだ……。

「こういうのはアンジーの意思で決めないとな。さあ二人共、アンジーにすべて任せなさい」

 めちゃくちゃいい笑顔で、二人の肩を叩き、俺の方へと視線を向けさせた。

 こいつっ!! 俺に全部なすりつけやがった!!

 いや、確かに俺の責任だけど、さっき『答え出せてない』って言ったろ俺!

 優作すげえいい笑顔してるし、クラス中が俺見てるし! 王ヶ城と香坂もなんか待ってるし!

「え、いや、だってほら……お、王ヶ城とは今まであんま話してねーし、香坂とは今日会ったばっかじゃん?」

 その瞬間、クラス中から落胆のような声が響いてきた。

 お前らマジでふざけんなこのやろう。この状況で片方選べるやつとかいんのか。

「ち、ちなみになんだけど……どっちか片方を選んだら、残された方はおとなしくしてくれてるんだよね……?」

「あなたを殺して私も死ぬ」これは王ヶ城。すげー真顔じゃねえか。

「先輩に弄ばれたって吹聴して回ります」ものすごくいい笑顔の香坂。


 俺は勢い良く立ち上がり、多分一生で一番のスタートダッシュでその場から逃げ出した。


 どっち選んでも地獄じゃねえか!!

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