第4話『涙じゃないです、血です』

 陸上選手もびっくりのスタートダッシュを決めた俺は、結局その後、予鈴のチャイムが鳴ってからだが教室へと戻った。

「おっ、ギャルゲー主人公のおかえりだぜ」

 と、優作の言葉が教室の爆笑を誘った。

 俺は「ぶっ殺すぞ」とにこやかに言ってから、机に座って深い溜息を吐く。王ヶ城はクラスの女子に囲まれ、何かを話しているようだった。断片的に聞こえてくる「深澄がはっきりしないから」とか「深澄のヘタレ」とかって言葉から察するに、どうも俺の事を話しているようだった。女子からの話題の的になってこんなに嬉しくないと思わなかった。

 あの状況で俺にどうしろってんだこんちくしょー。

 しかし、そんな浮き足立ったクラスの雰囲気などいざしらず、教師っていうのはさすが授業するのが仕事だけあって、五限六限の授業は滞り無く終わった。



「あー……。終わった終わった」

 伸びをして、今日何回目かの溜息を吐く。授業の内容なんて覚えちゃいねえ。普段もそうだが、今日は特別だ。

「さて……」

 カバンを持ち、教室から出ようとする。

「あれっ、アンジー帰んの?」

 優作の言葉が後ろから飛んできたので、俺は振り返らず「そうだよ」と言って、とっとと教室から出る。

「……アンジーなんか怒ってね?」

「そりゃ、そうだろう」

 最後にそんな優作と総一の会話が聞こえてきたけれど、もう反応する気概すら俺には残っていないのである。優作の所為でいろいろ大変だったんだから、明日一日シカトしてもお釣りが来ていいくらいだ。総一と相談して復讐の方法でも考えよう。アイツだけヘラヘラしてんのムカつくし。


 そんなことを考えながら、帰りのホームルームが終わったばかりでごった返す廊下をすり抜け、階段を降り、昇降口で靴を履き替えていた。そこに、「兄さん」と風鈴のように儚げでよく通る声がした。振り返ると、立っていたのは妹の撫琴なこと

 肩より少し下に落ちたハーフアップの黒髪と、きっちり着こなした制服。ちょっと不健康だと感じるくらい真っ白な肌と骨に皮が直接ひっついているのではと疑ってしまうほどの痩せた体躯。

「よう撫琴。珍しいな。文芸部はどうした?」

 いつもは文芸部で最終下校時刻まで本を読んでいるという、俺には度し難い習慣を送っている撫琴が、こうして俺と帰りに出会うのは稀な事だった。つまりは文学少女なのだが、しかし男は文学少女って響きに弱いよな。なんとなくだけど。

 俺の問いに、撫琴は「サボりました。特に理由はないんですけど」と、本当になんでもなさそうに言った。

「大丈夫なのか?」

「ええ。ゆるい部活なので」

「あっそ。なら帰るか」

 頷いて、俺の隣を歩き出す撫琴。

 そうして珍しく、兄妹二人で並んで帰る事になった。あんまりこういう事はないので、少し新鮮である。

「――ところで、兄さん?」

 学校を出て、少しした辺りで、撫琴が口を開く。

「なんだ?」

「ストーカーの件、どうなったんですか?」

「ああ……」

 あの日、優作と総一に撃退を依頼した日。

 俺は撫琴に、『ストーカー撃退の為に、ちょっと遅く帰ってきてくれ』と言っていた。それから、結果を報告していなかったが……。

「まあ、そんなものをもらったようですし、上手くはいったんでしょうね」

 と、まるで道端に転がっている汚いぬいぐるみでも見るみたいに、俺の首――まあつまりは首輪を見た。

「違うわ。これはなあ、複雑な事情ってものがあるんだよ」

「首輪をつけられる複雑な事情という物が想像できません」

 俺もだよ。奇遇だな。

 これだから真面目なやつは。人生たまに常識じゃ考えられない事があるからめんどくさいんだ。全部思い通りに進めばいいのに。

 そしたら沖縄辺りで釣りでもしながら悠々自適に暮らすのに。

「その事情とはなんですか? 首輪をつけられる事情とは」

「うるせえ。そこに触れるな。あらゆる意味で大人の事情だ」

「……教えてくれないんですか?」

「関係ないからな」つーかあんま知られたくない。いろいろと情けなさすぎるし。

「……そうですか。私、悲しいです。悲しすぎて……ぶふぁ!」

 叫んだかと思った瞬間、やつは突然大量の血を吐き出した。

「うわあああああああッ!! どうした撫琴ぉ!?」

 口を押さえ、ぼたぼたと垂れる血をなんとかしようとしている撫琴だが、周囲の生徒達はドン引きしている。どうして俺の周りには妙に注目を集める女しかいないんだ。

「悲しすぎて……悲しすぎて……血が止まりません……」

 なんでそんな涙みたいに言うの!? 涙感覚で吐血されちゃたまんねえよ!!

 つーか恨みがましくこっち見るんじゃねえ! 絶対関係ねえよ!

「わかった言う! 全部話す!」

「じゃあ……今日のお夕飯はハンバーグでよろしくお願いします……」

「わかったよこんちくしょう!!」

 俺は地団駄を踏んで叫んだ。

 女の武器は涙と言うが、撫琴の場合は血がその変わりらしい。女子に泣かれると果てしない罪悪感があるけれど、しかし血を吐かれると罪悪感云々よりパニックになる。

「では、そういうことでよろしくおねがいします」

 ケロリと血を止め、ハンカチで口元を拭く撫琴。こいつ、そのハンカチも洗濯するの俺なんだぞ。

「もう二言とかねえけどさ……。つーか、え? なに、お前って、自由に吐血できる系の人なの?」

 どんな系だよ。そんな系列いてたまるか。言いながら思った。

「はい、吐血系女子です。昔取った杵柄ですかね」

 確かに撫琴は、幼少期身体が弱くて入退院を繰り返していたが、そんな杵柄とらなくてもいい。返して来い。

「なんだよそれ、こえーよ。ゾンビかよ」

「いいえ、病弱系女子です」

「もう何系かわかんねーよ!!」

「まあ私が何系かなんてどうでもいいです。そもそも系列でくくれる女っていうのも安っぽくありません?」

「なにを急にかっけえこと言ってんだお前は!」

「それもいいんですよ、どうでも。そうじゃなくて、ストーカーの事、話してください。やはり家族としては気になりますからね」

「ああ、わかったよ……」

 このまま、ごまかしきれればそれが一番だったのだが、結構頑固な撫琴をごまかせるわけもなく。俺は淡々と、まるでフラグ立てが繊細なゲームでミスり、登場人物を死なせてしまった主人公みたいに語った。

 それを聞いた撫琴のリアクションはというと。

「ぶふぉぁ!」

 血を吐いた。

 お前マジで勘弁しろよ。

 注目を集めるっていう一点に限れば、お前が一番タチ悪い。

「ふ、ふふふ……。ちょっとおもしろすぎますよ、兄さん……。警棒振り回すバイオレンスな女性と、スピーカーみたいなうるさい女性……。ふ、ふふ……。ギャルゲーの主人公みたいな境遇になってしまいましたね……」

「やめて、妹の口からギャルゲーとか聞きたくない」

「まあ、私みたいな妹がいる段階で素質はあったんでしょうね……」

「ねえちょっと、ギャルゲーの主人公ってわりと悪口だよ、それ」

 俺「え、なんだって?」とか言ったことないし、難聴設定も別に持ってないから。

「しかしですね、女顔とか不幸体質とか、見事に最近のラノベ主人公っぽい設定してますよね」

「人の特徴を設定って言うな! つーか不幸体質じゃねえから!!」

「ストーカーに呪縛(首輪)を科せられた上、一目惚れされた女性から風評被害を受けそうになってる人が言っても説得力ないです」

 ぐうの音も出ないほど論破された。

 これだから頭のいい妹は。兄より優れた妹がいると生態系のバランスが崩れるんだよ。もっとバカになってほしいものである。

 で、俺達は近所にあるフルーツ屋で、店番をしながら日本酒をラッパ飲みしているお姉さんに帰り際挨拶をしてから、スーパーへと寄り、ハンバーグやらの材料を買って、家へと向かう。

「本当にハンバーグ作ってくれるとは思いませんでした」

 スーパーから家へと向かう途中、先ほど血を吐いて脅迫してきた張本人が、そんなことを言い出した。

「お前が血ぃ吐いてまでお願いしてきたんだろうが。――つか、全部で何リットル吐いた? 致死量は完全に超えてそうなんだけど」

「安心してください、貧血にもなってません。血の気は多いほうなんで」

「マジか」

 それはそれで健康に悪そうな気もするんだけど。いや、血を吐いてる時点で健康じゃないだろうが。

「お願いされりゃハンバーグくらい作るだろ。可愛い妹の頼みだしな」

 というより、血を穿かれたくないだけなんだけど。

「……もっと高いの頼めばよかった」

 小さい声でなんてこと呟いてんだ、テメー。

「聞こえてんぞ! 人の善意をなんだと思ってんだ!」

「聞こえてしまいましたか。ヒロインの小声は「え、なんだって?」と返すのが正しい主人公の礼儀です」

「お前こそ、ヒロインだっつーんなら、そこは「あ、ありがとうございます……」くらい言えよ」

「兄さん……。現実はギャルゲーじゃないんですよ……?」

「お前が最初に言い出したんだろうが!!」

 なんでお前発進なのに、そこまで哀れんだ目で俺を見れるんだ。逆に尊敬するわ。

「ん……?」

 ふと、俺に対して冷蔵庫の隅で朽ち果てたキャベツみたいな視線を向けていた撫琴は、ちらりと後ろへ一瞥をくれる。

 なんだろうと思った俺も後ろを見ると、そこにはサッと電信柱に隠れる人影。

「……兄さん、もしかして」

「ああ。あれが俺のストーカー、王ヶ城雨梨だ」

 その名を聞くと、撫琴は目を丸くした。

「え、オージョ先輩ですか。……兄さん、妄想のしすぎでは?」

「マジだから。なんだよ、みんなして最初は信じねーのかよ」

 いや、確かに学園のアイドルからストーキングされるって、俺も他人から聞いたら「妄想を人に話すな」と冷たいリアクションすること間違いなしなので、あんま強く言えないんだけど。

「王ヶ城! もうバレてるから出てこい!!」

 そうして、俺が電柱に向かって叫ぶと、王ヶ城が恐る恐るといった調子で出てきた。そのおかげで、「この人ついに妄想が現実まで侵食してきたよ」と言いたげだった撫琴の目が、普通に戻る。もうちょっと兄に対する信頼度上げてこうぜ。

「ぐ、ぐーぜんですねっ」

 笑ってごまかそうとする王ヶ城。俺も微笑み返し、「あくまで偶然って言い張るんだな?」と、すべてわかっている事をアピールした。

 が、突然ブレーカーが落ちたみたいに、王ヶ城の瞳から光が消え去り、俺の隣に立つ撫琴を睨んでいた。

「それで……その女の子は……誰……?」

 ポケットから警棒を取り出し、王ヶ城はそれを撫琴に向かって振り下ろそうとした。

 しかし、それよりも早く、撫琴は口から血を吹き出した。

「うぶ……っ」

「え、え?」

 その光景を見てテンパる王ヶ城。そりゃあ、人が血を吐いてテンパらないわけがない。警棒を落とし、オロオロと撫琴に近寄って背中を擦るその姿を見て、いいやつなんだけどなあ、と人知れず肩を落とす。

「だ、大丈夫?」

「え、ええ。大丈夫です……昔から、吐血しやすい体質なんです……身体、弱くて……」

 今は健康体だけどな。

「昔は……一五歳の誕生日までしか生きられないとまで言われたんですけどね……」

 調子に乗って嘘重ねてやがる!!

 なんで誕生日きっかりに余命尽きるんだよ。呪いかよ。

「も、もう治ったの?」

「ええ……兄さんの看病が効いたんですかね……」

 そう言って、俺を見て微笑む撫琴。

 さらには、その言葉で嫉妬心が刺激されたのか、こめかみがピクピクと動く王ヶ城。しかし相手は病人(嘘)。さすがに刺激的な事はしないだけの常識が彼女の中に残っていたらしい。

「ご、ごめんね、驚かしちゃったみたいで。……兄さん、ってことは、妹さんなのかな」

「はい……妹の、撫琴と言います」

「そっか……。いつか私の妹にもなる子なのに、失礼なことを……」

「そんな予定はない」

「えへへ……そっか、まだ付き合ってもないもんね」

 いや、付き合う予定もないんだが。

 しかしそれが口を出る前に、王ヶ城は撫琴との会話に戻っていた。

「王ヶ城さん……すみませんが、今日のところは、帰っていただくと……。兄さんには、私からよく言っておきますから……しっかり食べて血を作らなきゃ……」

 と、息を切らしながら言う撫琴。

 ここでしっかり帰ってもらおうとしているのが、さすが俺の妹である。

「ん……でもそれじゃ私の気が……あ」

 と、王ヶ城は何かを見つけたらしく、何故か俺の手元を見ている。持っているのは、学校のカバンと買い物袋だけである。

「……杏樹くんの家、今日晩御飯なに?」

「ハンバーグだけど?」

「……お詫びに、私が作る! 撫琴ちゃんにも悪いことしたし、ここは信頼回復ってことで、ね?」

 と小首を傾げる王ヶ城。

 俺はまあ、料理する手間が省けるのでありがたいと言えばありがたいのだが……。しかし、それはストーカーを家に入れるということだ。ちょっと抵抗あるよなあ。

「いいじゃないですか、兄さん。作らせてみましょうよ」小声で耳打ちしてくる撫琴。

 俺も小声で「いいのか……? ストーカーだぞ?」と返した。

「いいんですよ。ここで適当に「マズイ」だの「こんなんじゃあ嫁に来てもらっても迷惑だわ」とかって、私が昼ドラばりに嫌な小姑を演じて、兄さんに近づかないようにしてあげますから」

「……できんのか?」

「安心してください。私は演技で血が吐ける女です」

「よくわからんがすごい説得力だ。任せた」

「任されました」

 小さく胸を叩く撫琴が俺から離れ、俺は何を話してたんだろうと疑問に満ちた目で俺達を見ていた王ヶ城に、「じゃあ、お願いするかな」と言った。

「任せて!」

 本当に嬉しそうな王ヶ城の返事。

 ……こうして普通にしてりゃあ、さすが学園のアイドルなんだが。

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