第8話『女王様の横暴』
もし、首輪に手錠装備の男が校内を歩いていたら、みんなどう思うだろう。
よくて変質者、悪くて犯罪者、好意的に解釈すればイカれたファッションだろうか。
まさか、この俺がそんな事になるなんて思わなかった。もちろん、自分の趣味でつけているわけではない。首輪は雨梨に、手錠は銀華に装備させられた。
雨梨はどこに行ったのかわからないが、銀華は俺の一〇メートルほど後ろを歩いて、ニヤニヤと笑っている。
「すいませーん。銀華さーん。出来れば隣を歩いてくださーい」
振り向いて、必死の顔で懇願する。
だが、奴はスペアの手錠をクルクルと回しながら、「やだー、手錠した変質者がこっち見て話しかけてくるー」とわざとらしく言ってのけた。
「テメー!! その手錠はなんだ! 無関係だと言い張るには証拠が整いすぎてんだろうが!!」
つーか、いくら自由人揃いの学校と言っても、手錠で結び付けられる人物なんて銀華以外いないだろうが。
まあそのおかげで、『あ、こいつ問題児だな』程度の視線で済んでいるんだけど。
もし『あ、こいつ校内で束縛プレイして悦んでる変態だ』なんて思われたら、俺は学校を退学して出家する。
「俺をどこに連れてこうってんだ! っていうか、目的地があるならせめて前歩け!」
「目的地なんてないわよ。私が気の済むまで、恥を晒してさえいてくれれば」
「もうやだお家帰る!!」
泣きそうだった。
っていうか、泣いた。
なんだよこいつ。俺が一生モノの傷を負ってもそれでいいというのか。
「冗談よ、冗談」
クスクスと笑いながら、銀華は『だから泣くなうぜえ』とでも言いたげに俺を見る。
「お前の冗談は冗談に聞こえねえからやめて」
「目的地は中庭。そこに向かってキリキリ歩きなさい」
「はーい……」
俺は項垂れて、できるだけ周囲に顔を見せないよう、中庭に向かって歩いた。その後ろからカツカツとハイヒールの音が聞こえてくるのに安心している俺がいて情けない。
アイツがいなくなったら、俺はホントただの間抜けだ。
――学園の中庭。
俺はあまり利用したことがないけれど、昼休みには青空の下で昼食を摂る生徒達。放課後には、街に繰り出す前のカップルなんかがプランを練ったりする場所だ。購買やカフェテリアも近いし、学生憩いの場と言っていいだろう。
そんな場所だが、今日はカップルなんかはまったくいない。
その代わり、そこかしこに手錠をした学生たちがしゃがみこんだりトングでゴミを拾ったりしていた。
「なにしてんだこいつら?」
俺は、背後にいる銀華へ肩越しに振り返り、この異様な光景の理由を尋ねた。
「校則を破ったり、私をイラッとさせたりした生徒達よ。ゴミ拾いのボランティア中」
「校則はともかく、お前をイラッとさせただけでボランティアさせられんの!?」
それ職権乱用って言うやつでしょ!?
お前、規則にうるさいんだからそういう所はきちんとしようぜ。
「安心なさい。私は三回までチャンスを与えることにしているの。四回目からは問答無用ってだけ」
「じゃ、何か! もしかして、俺もお前をイラッとさせたからこんなことに!? ――いや、俺あの短時間で三回もイラッとさせるほど失礼なヤツじゃないよ!」
大体、歩風を捕まえるのに協力したんだから、褒められてもいいくらいだろ。
「いえ、貴方の場合は単純に面白そうだったから」
「お前ホント殴るぞ!?」
男だ女だ言う時代はもう終わった。これからは個々人の人間力が試される時代なのだ。
「いいから、貴方もやんなさいっ」
そう言うと、やつは足を振り上げ、俺のケツを蹴った。
「ほぉッ!?」
入った!! 爪先が入った!!
俺は地面に倒れ、手錠のせいで後ろに回せない手にやきもきしながら、ケツをさすろうとする。
「イントゥーしたぞコラァ!!」
痛みが回復しないまま、俺は芋虫のように這いながら叫んだ。
やつは、俺の腕を持ち、俺の制服の裾で自分のハイヒールの爪先を拭いていた。
どこまでも失礼な女だ。
俺は立ち上がり、ああ……。と溜息を吐いた。
「はいこれ、トングとゴミ袋と手錠」
「もう手錠はいいよ!! 軍手寄越せ!」
言ったらもらえた。
よかった。手錠のせいで少々難儀しながらも、俺は軍手をはめ、ゴミ袋とトングでゴミ拾いモード。
「あ、杏樹。ゴミ袋はいっぱいになったら私のところに持って来なさい」
「はいよ」
ま、ボランティア自体は悪いことじゃないし、こうしてたまに違うことをするというのも悪くないよね。
……手錠さえなきゃ、もうちょっとさわやかな気分なんだけどなあ。
刑務所の作業中でさえ、手錠はされないというのに。
俺は近くに転がっていたパンの包みを拾い上げる。
ポイ捨てっていけないことだよ、こうして拾ってる人がいるんだからさ。
俺はブツブツと言いながら、ゴミを拾い上げていく。地面に夢中だった所為で前を見ていなかった俺は、何か柔らかい物にぶつかった。
「わぶっ」
俺は慌てて飛び退き、「すいません、ゴミ拾いに夢中で……」と頭を下げた。
「あれっ、先輩! 奇遇ー!」
と、俺がぶつかったらしい相手は、歩風だった。やつもゴミ拾いモードだ。
「あー、お前注意三だって言われてたな。罰か」
「そっすー。にしても先輩、私のお腹目掛けて向かってくるなんて、やー。先輩ってお腹フェチっすか?」
「悪くないとは思うが、しかしわざとじゃねーよ。ゴミ拾いに夢中だっつたろ。――で? お前、反省小説書けたの?」
「ういっす! 頑張りました! 授業時間まで使ったので!」
それって反省の意味なくない?
「ちなみに、香坂歩風の小説は擬音たくさんで、というか擬音と台詞しかなかったから、五秒で捨てたわ」
遠くから聞こえてくる銀華の声。
「歩風、小説読もう。児童文学辺りから」
「いやっ、自分で言うのも何なんですけど、面白かったはずなんですって! ラスボスを倒したはずの主人公が何故か事件に巻き込まれる前に戻ってて、経験値とか技とか持ったまま、強くてニューゲームするっていう――」
「いや、廊下ダッシュと焼肉と爆竹の件だろ!?」
話自体変わっちゃってるじゃねーか!
つうか、反省を示すモンなんだから面白さ追求するなよ……。
「ま、大人しくやろうぜ。罰でボランティアなんだしな」
「はーい! ここで静かにできないほど空気読めないあたしじゃねーっすよ!!」
もううるせーんだけど。
静かにしろっつった途端これかよ。
ま、いいや。歩風がうるさいのはもう知っているし、こいつは独り言を大声で言うほど危ないやつじゃない。俺が率先して静かにゴミ拾いしてれば、静かについてくる。
「――って、お前はアヒルの子供か何かか!」
ほんとに、比喩とかじゃなくて俺の後ろについてきた。鬱陶しい。
「だってつまんないんですよー。エンターテイメント性に欠けるしー」
「ゴミ拾いにはいらねーんだよそんなの」
必要なのは汗をかく充実感といい事をしたという満足感だけで充分なんだよ。
それ以上楽しみまで欲するって、それもうボランティアじゃなくて娯楽。
「なので先輩、勝負しましょう勝負!」
「勝負?」
「そうそう。どっちが多くゴミ拾えるか! 負けた方が勝った方の言う事を聞く!」
「やだめんどい。そういう不純な動機でボランティアするのは、精神衛生上よくない」
「あれ、あれあれあれぇ?」
ニヤニヤと笑って俺を見上げる歩風。殴りたい。
「もしかして、勝つ自信ないとかぁ?」
「ないよー」
言いながら、俺はゴミ袋に空き缶を放り込む。
「うわぁ!? 先輩情けなっ! 男なら乗る所でしょ!」
「悪いな。将来の夢、公務員だから」
「なんて夢のない男!!」
歩風と喋りながらも、ぽいぽいとゴミを袋に放り込んでいく。
我ながら仕事のできる男である。
「もっと、ミュージシャンになるとか、ビックな男になるとか! そういうのないんすか!」
「いや、俺がそんな男でいいのお前?」
お前的に俺って憧れの先輩なんだよね?
自分でもつまらないこと言ってるなとは思ってるけど。
しかしだからと言って、そんなダメ男が語ってそうな夢を俺が語ってて歩風的にはいいんだろうか。
「杏樹、後輩の頼みでしょ、受けてあげなさいよ」
背後からの声に振り向くと、銀華がベンチに座り、偉そうにふんぞり返っていた。
……お前はやんねーのかよ。
「さっすが地獄の学園警察! よく言った!」
「注意一」
にっこりと微笑み、残酷な宣告をする銀華。
「いやぁー!!」
絶叫する歩風だが、しかし切り替えの速さはさすがと言うべきか、すぐに俺へと向き直り、「じゃっ、やりましょうか先輩!」と拳を握る。
「わかったよ……やりゃいいんだろ」
「じゃ、とりあえず新しいゴミ袋がこれ。――勝った人が負けた人に命令できるってことで、いいわね? 制限時間は三十分で、最終的により多くのゴミ袋を集めた人の勝ち」
「上等っす!」
「オッケーだ」
俺と歩風は返事をしてから、銀華からゴミ袋を受け取って、「レディー……ゴー!」という掛け声で同時に走り出した。
「うおおおおお! 侵略する事風の如し!」
アホな声をあげながら、歩風はすごい勢いでゴミを拾っていく。それを言うなら火の如しだ、というツッコミを言う隙もない。
周囲の生徒は「すげえ……」とか「どんだけの罪を重ねたらあんな頑張るハメになるんだよ……」とか、歩風が重犯罪者だという認識が広まっていた。
一方、俺の方はどう頑張っても熱心な生徒の域を出ない頑張りしかできず、俺が一個銀華の元へ持っていくと、奴は二個持っていくという離れ業を魅せつけてくれる。
やべー!! やべえってこれ!
そう慌てはしたが、慌てたからと言ってゴミが増えるわけもなく、結局、ゴミが見つからないくらいまで綺麗になってしまい、制限時間を前にして、銀華から終了コールがかかった。
「結果発表ー」
力のない声で、銀華がそう言った。
俺と歩風は、銀華の前に並んで、その結果を待ちわびた。
――と言っても、確実に歩風の勝ちなのだが……しかしまあ、諦めずにしてたら、何かのミスで俺の勝ちってこともあるんじゃねえかなと。
「深澄杏樹、三袋」
ううぬ……。
始めた時にはもう半分以上片付いてしまっていたというのもあるが、やっぱ少ないな……。
「香坂歩風、五袋」
「やったー! 先輩とデートだー!」
俺はがっくりと項垂れた。
しかし、約束だ。それにこの口ぶりだと、デート――というより、遊びに行きたいだけっぽいし、まあそれくらいならいいか。
「私、武蔵野銀華、八袋ー。はい、私の勝ち」
「「はぁッ!?」」
唐突な銀華の勝利宣言に、俺と歩風は声を揃え、素っ頓狂な声をあげた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 会長はそもそも参加してないじゃないですか!」
さすがに歩風が抗議する。それはそうだ。これは俺と歩風の勝負だったはずだし。
「そんな事言ってないわよ? 私はさっき、勝った人が負けた人に命令できるとは言ったけど、誰が参加するとまでは言ってないし」
「いや、その前に、お前ずっとそこのベンチでふんぞり返ってたじゃねーか! ゴミなんて集めてねーだろ!?」
「集めたわよ。ほら」
と言って、奴はゴミ袋を掲げて見せた。ベンチの下に置いてあったのは、俺達が先ほどいっぱいになったゴミ袋と新品のゴミ袋を交換した時に渡したそれである。
「そ、そんな小学生みたいな言い訳通用しないっすよ地獄の学園警察! それは私達が集めたゴミ袋であることは間違いない! その中にある泥だらけになった、しじみケチャップサンドの包み。私には確かに見覚えがあるんですよ!」
と、鬼の首を取ったように捲し立て、どや顔の歩風。
「ええ、そりゃそうでしょうね。これがあなた達の拾ってきたゴミじゃないとは、私もさすがに鬼じゃないんだから、言わないわよ」
「……へ?」
ど、どういうことだ?
だってそれなら、歩風の勝ちじゃん。
「私はこう言ったの。『最終的により多くのゴミ袋を集めた人の勝ち』ってね。どのような手段でとも、深澄杏樹か香坂歩風のどちらがとも、言ってないのよ」
「――あっ」
き、きったねええええええええ!!
なんてダーティーな女だこいつ! 確かにその言い回しは、ちょっと無茶ではあるが、そういう解釈もできるかもしれんが!
だからって利用するか普通! そんな細かいところ!?
俺も呆然としていたが、俺の隣に立つ歩風は鯉みたいに口をパクパクさせている。
「――さて、どんな命令にしましょうか」
じゅるり。
舌なめずりをし、蠱惑的な笑みで俺と歩風を見る銀華。
「せ、せせせせせせせ先輩! か、会長がすごいイキイキしてます……!」
「お、おう。し、知ってるぜ歩風隊員。俺はあの笑みを幾度と無く見てきた。銀華が悪いこと考えている顔だ……」
思わず抱き合い、俺と歩風はまるで寒い日のカップルのように震えていた。
「で、命令ね。――杏樹、香坂歩風の命令を一つだけ聞いて上げなさい」
「……は?」
「……い?」
俺と歩風は、またポカンとして、銀華の顔を見る。その顔は妙に優しげだ。
「さすがに、杏樹との勝負って点では勝ってたし、予定より大分早く清掃活動が終わったのは貴方のがんばりがあったから。その評価として、杏樹に対する命令を一回だけ許すわ」
「ま、まじですか! 地獄の学園警察もいいとこあるんですね!」
「注意三。死刑、極刑、打首獄門」にっこりと微笑む銀華。
「うぎゃー! しっかりさっきの反論も加算されてるしー!」
どうも、銀華も『地獄の学園警察』は気に入ってないらしい。
っつーか、一回注意入れられてんだから学習しろよ。
――しかし、確かに銀華もたまにはいい事をするな。いや、それなら茶々入れなきゃよかっただけなんじゃねーの、と思わなくもないが。
「じゃっ、先輩。今度、予定が空いたらでいいんで、遊び行きましょうね! あと、アドレス交換!」
「ああ、わかった」
ここまでお膳立てされて嫌だとか言い出すほど、俺も無粋ではない。
歩風が嬉しそうな顔をしていたので、それをわざわざ濁すこともないだろうと、俺はケータイを取り出し、アドレスを交換した。
「ま、近々連絡する」
「ういっす! それじゃ!」
そう言って、歩風は銀華に手錠を外してもらい、ダッシュで帰っていった。また怒られるぞ、とその背中に声をかけてやろうとも思ったが、しかしここは外なので、校則違反ではないらしく、銀華が何も言わなかったので、「じゃーな!」とだけ別れの挨拶を投げかけた。
「――にしてもお前、いいとこあるな。頑張った歩風にご褒美くれてやるたあ」
「私は鬼じゃないと言ったでしょ? 厳正な判断をするまでよ」
「ちょっと前ならそれに悪魔もつけるとこだけど、今なら信じてやってもいいか」
そうだよな……。
銀華だって成長してるんだ。かつての、俺をいじめて喜んでいた天性のドSではないのだ。生徒達の模範となる、立派な生徒会長。まあ、どう考えてもジャイアン映画版理論のような気がするけど……。しかし、人に優しくできるようになったのは事実。その点だけは評価しよう。
「お褒めに預かり光栄だわ、杏樹。――ところで、私の命令の件なのだけど」
「……は?」
え、なに言ってんのこいつ。
「だから、さっきの勝利報酬。勝者の言う事はなんでも聞くっていう、あれ」
「それはさっき歩風にあげただろ?」
「ええ、一回だけ香坂歩風の命令を聞けと、貴方に言ったわよ? 命令権自体はあげてないし」
「いやだから、命令は一回だけ……」
「いつそんなことを言ったのかしら。私は一言も、一回だけなんて口にしていないはずだけど?」
俺は体前進から、血の気が引いていく音を聞いた。まるで潮が引く海のような音。
「ぎ、ぎ、銀華テメー……!」
「ふふ……。ほんと、変わらないわね。からかい甲斐があって嬉しいわ」
「お前もな! 鬼、悪魔、第六天魔王!」
「注意二」
微笑んで言う銀華を前に、俺はがっくりと膝をついて四つん這いになった。
こいつマジで変わってねえ……。っていうか、知恵がついてタチ悪くなってる……。
っていうか、命令権なんて無くても俺に命令してくるじゃん! いらなかったじゃん! なんなんだよくそぉ!
「じゃ、早速命令権使わせてもらうわね。今日は晩御飯食べないで、家にいなさい。夜の七時頃に迎えへ行くから」
その言葉に、俺は「わかりました……」と頷いた。
どうも、俺の安息は放課後も約束されないようだった。
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