第17話『触らぬ神に』
その後。
「杏樹くんの首輪は私との愛の証なんです!」
という雨梨の宣言を信じて、俺が母親の前でも平気で奴隷プレイを楽しんでいるド変態であるという勘違いをされそうになったので、「無理矢理されて外せねえのこれ!!」と弁明したり。
「あたしなんか先輩に可愛いって言われたことありますし!」
などと歩風がワケの分からない嘘を吐いたので「服が似合うと言っただけだ!」とその思い違いを直してやったり。
「私は兄さんに血を吐けと強要されました」
明らかに撫琴は悪乗りだったが、俺は「そんな性癖ねえよ!」とツッコんでおいた。もしこれが全部信じられてたら、『二股かける上に母親の前でも平気で首輪をして、妹に吐血しろと命じる吐血フェチ』なる、キャラ濃すぎて胃がもたれそうな勘違いをされるところだった。設定重ねすぎだろってなるわ。
幸い、母ちゃんが酩酊しており、話を半分以上聞いておらず、雨梨が吐血しながら俺に告白したことになっていたり、その姿を見て歩風が可愛いと言い出し、その惨状を撫琴が強制したというわけのわからない状況が母ちゃんの頭の中で生まれてしまった。
その母ちゃんの酩酊具合。そしてすき焼きの材料がなくなったことで、食事会はお開きとなった。
みんなも帰り、さすがに撫琴も疲れたのか、早めの就寝を取り、俺と母ちゃんは、二人ダイニングに残っていた。
二時間くらい経った頃、母ちゃんは酩酊から回復したのか、まだ少し虚ろな目で、テーブルの向かいに座る俺をぼんやり見つめる。
「……今何時」
「一〇時。もちろん夜のだぞ」
「みんな帰ったわけ?」
「ったりめーだろ。大分前に肉も終わったからな」
「ふうん……。水持ってこい」
「はいよ」
立ち上がり、キッチンでコップに水を組んでから、母ちゃんに差し出す。
それを一気飲みして、母ちゃんは一息吐く。
「にしてもさ。……アンタ、友達に恵まれたね」
酔っぱらいが突然照れくさい事を言い出したので、俺は顔をしかめて、舌打ちをし、「はずい事言ってんじゃねえよ……」と、ついでに取ってきたコーラで唇を濡らした。
「いやいや。まあ、何人かは下心あったけど。いい子達じゃない」
「それって普通女が対象に使われる言葉じゃねえと思うんだけど」
「それはあの子達を選んだアンタの責任じゃないの?」
別に選んでないんだよなあ……。
友達は選べとよく聞くが、しかし友達が選べるシステムとはどうしても思えん。
「つうかさ。なんで急に、そういう話になるわけ? ぶっちゃけはずくてなんかこう、背中かゆいんだよ」
「親とは恥ずかしい話を人生にわたってしていかなきゃなんないのよ」
そんな決まり事初耳なんだけど。いや、まあ親と恥ずかしい話をしなきゃならない時は絶対来るとは思うけど(初恋の話とか、色恋沙汰とか?)。
「……俺疲れたから寝るけど、母ちゃんは?」
「もうちょっと飲む。おやすみ」
「ん、おやすみ」
そんなわけで、いろいろ大変だった食事会も、本当に終わり。
俺はベットに寝転がると、あっという間に夢の世界へと飲み込まれていった。
■
翌日。さすがに九人分の材料を持っていた俺の腕は筋肉痛でボロボロだった。その痛む腕をなんとか押さえつけ、登校した。
靴を脱ぐのさえちょっと苦労したが、なんとか上履きに履き替え、教室へ向かう。その途中、廊下で、「せんぱぁぁぁぁいッ!!」という聞き覚えのある叫び声。歩風である。また後ろから俺にタックルしてこようって気だな。
すぐに俺は振り返り、腰を落とす。そこには、全力ダッシュしてきている歩風がいた。あの野郎相変わらず速いな。しかし、もう慣れた俺には、その速さはきちんと目で捉えられる。
「そこだッ!!」
俺は、歩風を捕まえようと、渾身の力で腕を伸ばした。しかし、筋肉痛の所為か、ちょっとスピードが落ちてしまった。が、捕まえるのには充分だったはずだ。
……しかし、歩風はそこで、急ブレーキをかけた。
「なにぃ!?」
「あめーっすよ先輩!!」
俺の腕はギリギリ届かず、やつは右に曲がり、そして俺の懐に飛び込み、腰に思い切り抱きついてきた。慣れたからか、倒れる事無く受け止める事ができたが、しかしこれなら倒れた方がマシだ。恋人同士のじゃれあいに見えてしまう。
「お前……いっつも口が酸っぱくなるくらい言ってんだろーが! 飛びつくなって!」
俺は急いで歩風を引き離し、舌打ちする。そりゃあ嬉しくないわけじゃねーけど、しかしだからと言って、恋人でもない女性とベタベタして、恋人になりたい女性に見られてフラれるなんて馬鹿らしい。俺は身持ちがはっきりしてない内から女性を侍らせる趣味はまったくねえ。
「まあまあ。お母さんからのお許しも出たんですから」
「出てねえよ。出させねえよ。仮に出たとしても俺が許可しない限りそれは抱きついていいってことにはならないんだよ。この体は俺のモンなの」
「でも体は親からもらったモンだっていう言葉もありますし?」
「もらった物は所有権が俺にあんだよ! 刺青入れたりしねーし抱きついてくんじゃねーって言ってるだけなんだからその所有権くらい認めろや!!」
なんで親でもない歩風に、肉体の所有権を認めろとまるで裁判のような事を言わねばならんのか。
「ホント、何回も言うけどね歩風ちゃん。こういう場面は人に見せるもんじゃねーし、っつーか、雨梨に見られる可能性もあんだぜ。そしたら確実にめんどくさいことになる。歓迎できる事態じゃねーよな? わかるだろ」
雨梨がこの光景を見て警棒を振り下ろす確率は納豆かき混ぜたら糸を引くくらい確実。
「はいっ。わかってるから飛びついたっす!」
そう言って、歩風は後ろを指さす。つまりはやってきた方向だ。俺はその指先から視線をどんどん上げていくと、俺達から一〇メートルくらい離れた位置に、雨梨と銀華が並んでこちらを見ているという地獄の鬼も逃げ出しそうな恐ろしい光景を見つけてしまった。
「うわー……」
「ふっふっふ。あの二人が先輩に声かけようとしてるのを見つけたんで、どうせなら一番先に話しかけてやろうと思いましてねー。大声で駆け寄ったってわけですよ」
なんて恐ろしい事考えてやがる。こいつ雨梨撃退できる可能性あるからって調子乗りすぎだ。怖い目に合うのはその力がない俺なんだぞ。
「お前俺に恨みがあるんだろ!! なんだ! 気づかない内にお前の親殺しちまったりとかしたのか俺!?」
「いや、別にねーっすよ! 勘弁してくださいよー」
「勘弁してほしいのはこっちだボケェ!!」
俺と歩風の口論なんて聞きたくない、とばかりに、雨梨は思い切り地面を踏みつけた。弾けるような音が周囲に響いて、俺と歩風が固まる。ちょっとマジで勘弁して。周りみんな見てる。昼間のワイドショーで芸能人の離婚ニュースを嬉々として見る主婦のような、なんとも楽しそうな瞳である。要約すると悪趣味。
たまたま商売が上手く行って、調子に乗って似合いもしない貴金属をジャラジャラつけまくってる成金くらい悪趣味。
「……やっぱり、殺さないとダメかな……」
「雨梨さん殺すとか無し! 法律に引っかかるようなことはやめよう!」
俺は必死に叫ぶが、しかし雨梨はポケットから警棒を取り出し、ボタン一つでしゃきんと伸ばす。
「不純異性交遊の現場ね。――昨日の分と合わせて、注意一〇。私史上最高点だわ」
何故か銀華まで苛ついているらしく、手錠を手元でジャラジャラとやっている。なんでだよ。俺こんなに追い詰められるようなことマジでしてないよ。美味い料理作って、ちょっと後輩に抱きつかれただけだろ。これで怒られるんなら俺はもういいことしない。ガムとか万引きする。
「先輩。あたしの後ろに隠れてくださいっす」
「お前の所為でこうなったんだろ!! なに『お前のことは俺が守る』みてーな主人公オーラ出してんだよ! かっこいいなチキショウ譲れよ!」
「あっ、じゃどうぞっす」
歩風がすばやく俺の後ろに回り込み、俺を盾にした。
「ごめん無理! やっぱ代わって! 雨梨と銀華敵に回しても生き残る自信ないわ!!」
どうやら俺に主人公の才能は無いらしい。先ほどの歩風と同じように、俺も歩風の後ろに回り込んだ。とても男らしさに欠けるが、しかし男らしさよりさすがに命が大事。命あっての物種っていうし。
どうでもいいが、『命あっての物種』って、『命あっての物だからね』みたいな語調だと勘違いしていた時期が、俺にもありました。
「杏樹くん退いて。足、折るよ?」
「人の足をポッキーみたいに言うなよ!」
雨梨にかかれば俺の足なんて本当に簡単だと思えて怖い。
「……ま、冗談はさておき」
銀華が手錠を引っ込める。
しかしそんな銀華を見て、雨梨は驚いたような表情をしているが、お前は冗談じゃなかったんだね……。
「雨梨も警棒を引っ込めなさい。学校で暴力沙汰は禁止よ」
「うっ……わかったよ……」
グリップに棒部分を押しこみ、警棒をポケットに仕舞う雨梨。
「んだよ……驚かせんなよな。ってことは、さっきの注意一〇ってのも冗談っつーことだよな?」
「それは本気。放課後中庭に来なさい」
「そこが一番嘘であって欲しかったんだよなぁ……」
俺は一体何時間の清掃活動しなきゃならんのか。誰かこいつから政権奪い取れよ。俺の平和な学園生活の為に。
……と、思ったが、多分政権とか関係なしに、俺はこいつに振り回されるんじゃないのかなって。
「勘弁してほしいよマジで……」
「勘弁してほしい?」
銀華はくすくすと笑い、「どうしても?」と首を傾げる。
「ちょ、ぎんちゃん?」
「ああ。清掃が悪いとは言わねーけどよ、さすがに一般男子高校生が好き好んでやりてーとは言わねーもん」
「ふうん。……まあ、だから罰にしてるわけだし。なら、他の罰にしてみる?」
「ぎ、ぎんちゃん?」
さっきから、銀華が何を言い出すのかわからないのか(俺もわかってないけど)、雨梨がオロオロしながら、銀華と俺の顔を見比べている。
「他の罰ぅ? ……内容によるぞ」
「安心しなさい。そんなにすごい内容じゃないわよ」
銀華にそんな事言われても信用できないんですけど。
俺に手錠ハメて校内一周させようとしたことあっただろ。あれが校内清掃よりキツイぞ。
「今日の放課後、私に付き合いなさい」
「ああ? え、どういう……別にかまやしねーけど、は?」
なんだろう。この時点ではどうにもデートの誘いにも聞こえるが。しかし、俺の学習能力はこの状態で色っぽい事を想像できるほどおめでたくはない。
「ちょっ、ぎんちゃん!? どっ、どういうこと!?」
雨梨が、銀華の肩を掴んで、ぐわんぐわん揺さぶる。しかし、まるで柳の木みたいにゆらゆら揺れるが、堪えている様子はまったくない。雨梨が全力じゃないのか、それとも銀華がタフなのか。
「そーっすよ会長! ここに二人! 恋敵がいるでしょーが!」
まるで推理モノの名探偵みたいに、銀華をバシッと指差す歩風。
「おめーはなにデケー声でこっ恥ずかしい事言ってんだよ……」
周囲からくすくす笑われて、俺は顔が赤くなってしまう。ホントマジで勘弁してよ。モテなかったあの日に返してとは言わないが、せめて人のいない所でやってくれ。
「そんなところでデートのお誘いたぁ、交番の前で麻薬取引するよーなもんっすよ!」
「ねえ話聞いてる!? お前の声デケーからやめようねっつってんの!」
ここで逃げ出さない俺を誰か褒めて。
だって逃げたら、もっとひどい目に合うんだもん。
「うるさいわよ二人共」
そう言って、銀華は雨梨の手を取り、引っ張って、歩風へと歩み寄る。
「なっ、なにしてるのぎんちゃん……?」
「およ?」
手を引かれた二人は、困惑顔で銀華を挟んで対面する。そして、銀華は雨梨の右腕を掴むと、あっという間に手錠をかけ、その反対側を歩風にかける。つまり、雨梨と歩風は手錠でつながってしまったのだ。
「うわ、鮮やか」そんな感想しか出てこない。
「何言ってんすか先輩! こんな手錠が出てくる作品にありがちなお互いを拘束するなんてイベントいやっすよ!! これで距離が縮まって、『あ……こいつ意外といいやつだな……』って思ったりしちゃうんすか!?」
「私だってイヤよ香坂歩風! 杏樹くんならともかく、なんで香坂歩風なんかと……!! とってよぎんちゃん!」
「『なんか』ってなんすか『なんか』って!」
手錠で繋がれてもギャンギャンうるさい二人。
周囲に気を配っている暇がないのか、こっそりと俺に歩み寄ってくる
「行きましょうか」
「え、いいのかあれ……」
「女の喧嘩に首突っ込むのは男のすることじゃないんじゃない?」
むう。確かに。
その言葉に納得して、俺は銀華の後についていった。
やっぱ銀華は、誰よりも一枚上手、ってことなんだろうか。いっつもさくっと美味しいところ持ってく気がするし。
……っていうか、雨梨と歩風の手錠、とらなくていいの?
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