第14話『挨拶は大事』

 土曜日にケーキ食いに行ってから(食えてないんだけどさ)、日曜日を挟み、月曜日になった。俺は「あーあ。月曜になっちまったか。でもまあまた土曜日来るし、我慢だな」とか言いながら学校にえっちらおっちらと辿り着いた。そろそろ夏になるからなのか、額に汗が滲んでいるのがちょっと不快ではあるが、しかしそれは同時に、夏休みが近づいてきた証拠でもある為、嬉しくもあった。

 今日一日は授業中何をして暇潰そうか考えながら、下駄箱で靴を履き替えようとしたら、俺は上履きの上に何か乗っている事に気づいた。封筒である。しかも、可愛らしいピンクのやつ。俺はそれを見て、脳天に雷鳴が落ちるのを感じた。そして、急いでそれをポケットに突っ込み、近くの男子トイレその個室へと籠った。

「これは……学生の青春には欠かせないが、滅多に手に入らないアイテム。ラブレター!?(小声)」

 自分の手が震えているのがはっきりと分かる。

 女顔の所為でモテない俺だったが、春が来たのか……!

 雨梨は春と認めてないしね。あんなもん氷河期か何かだ。怖い。

 じゃあ歩風は? と言われると、あれはあれでしんどい。上京したばかりのすきま風吹き荒れるボロアパートで過ごす冬くらいしんどい。いや、東京なんて行ったこともないからわかんないけどね。

 まあそれはともかく、ラブレターである。俺はワクワクを抑えながら、封を切って、中の手紙を読む。

『深澄杏樹さんへ。今回は、自分の気持ちを抑えきれず、こうして筆を取る事にしました』

 ほうほう。女の子っぽい丸い字だ。しかも出だしが丁寧。俺はこういう所にキュンと来る男です。女の子の手書き文字っていいよなー。

『あなたを見ているともうドキドキが止まりません。今日の放課後…………』

 あれ。今日の放課後、何?

 ずーっと下の方へ視線を下げていくと、『この続きが読みたかったら、同封された書類にサインして、あなたの下駄箱に入れておいてください』と書いてあった。

「……同封された書類?」

 確かに、ラブレターの中にはもう一枚の書類があった。なんだよ、その『続きはWEBで』みたいなラブレター。聞いたことねえよ。

 その書類は、ラブレターの本文より良い紙が使われているのか、手触りがいい。開いてみると、明らかに語っ苦しい茶色の文字と、住所や本籍、両親の名前。結婚後の本籍や、夫婦の職業記入欄なんかが書いてあった。

「――って、これ婚姻届じゃねえか!!」

 しかも、妻の欄に書いてある名前は、『王ヶ城雨梨』だった。あいつ何してんだマジで。俺まだ結婚できねーし。つーかする気もねえよ。

 じゃなくて。

「ああぁあああ……。なんかもうすごいがっかりだよ……」

 怒る気力もない。

 俺はラブレターと婚姻届をビリビリ破り(実は婚姻届を破く時、結婚前にこれ破ったら婚期遅れそうだなとか思ったりしたが、それは女々しいのでスルーした)、トイレに流して事無きを得た。

 そして、俺はトイレが詰まらなかったのを確認してから個室を出て、教室へと向かった。朝から疲れたので、今日はもう帰りたかった。

 いや、それよりも教室で寝よう。それが一番だ。何故か授業中に寝るのは最高に気持ちいい。これを学生時代に味わえないっていうのは、ちょっと損である。

 しかしその前に、雨梨へ文句言いに行かねば。

 教室へ着いた俺は、まっすぐ雨梨の元へ行く。どうやらまだ来たばかりのようで、周りに女子の姿はない。というか、そもそも教室の中は人が少ない。今の内だな。

「おい、雨梨」

 後ろから声をかけると、やつは「おはよう杏樹くん」といい笑顔で振り返った。

「お前な。あのラブレター、どういうつもりだまったく。男の純情弄びやがって」

 まあ、ラブレターっていうか、メインは婚姻届だったんだろうけど。この歳で婚姻届なんて触りたくねーよ。俺、母ちゃんから結婚なんてやめとけって言われてるんだから。

「もしかして、あれ書いてくれた!? 出して! 出しに行くから!」

「ややこしいことになってるから! つーか書いてねえよ捨てたわ!!」

 トイレに流したというのは、さすがに言わなかった。

「っていうか、俺まだ結婚できる年齢じゃねーし、つーかしねーし」

「大丈夫だよ。王ヶ城家の力なら、年齢詐称くらいできるから」

「してほしくねーよ!」

 なんでこの歳で、なんの問題もねーのに年齢誤魔化さなきゃならねーんだよ。くたびれて若さを取り戻したがってる主婦じゃねーんだぞ。

「ちぇっ……。でも、何事も順序よくって言うもんね。杏樹くんのお母さん、沙羅さんだよね。確か、建築デザイナーだっけ?」

「え、そうなの!?」

「なんで意外そうな顔してるの……?」

 俺、母ちゃんの仕事知らなかったんだよね。サラリーマン……というか、OLじゃなかったのか……。

「……あ? ちょっと待て。なんで俺も、多分撫琴も知らない事を、お前が知ってるんだ」

 雨梨の笑顔が固まる。

「おい」

「……」

「おーい! 返答次第では付き合い方をさらに考えるぞ!」

「なんでホットドックってホットドックって言うんだろうね……。直訳だと熱い犬だよね……」

「そんなんで誤魔化されるかぁ!! なんで雨梨が俺の母ちゃんの職業知ってんだよ! 俺も知らんかったわ!」

「い、いや、ちょっと王ヶ城家の力を使って調べただけだよ。杏樹くんに関係することは大体」

「お前な……」

 呆れて言葉が出ない。というか、言いたいことが多すぎて出てこねえ。

「それで、まずはお母様に挨拶に行きたいんだけど、いつ頃なら大丈夫?」

「母ちゃんは滅多に帰ってこねーよ。つか、挨拶も充分段階すっ飛ばしてるからね」

 俺と雨梨は付き合ってないし。まずは友達からだろ。もう友達ではあるけどさ。

「そうみたいだね。杏樹くんもスケジュールは知らないの?」

「知らない。スケジュールの変動が多いらしくてな。まあ、帰ってくるなら晩飯の材料買わなきゃならないから、すぐメール来るけどな」

 メールの話をした瞬間。俺のケータイが震えた。

 なんですかねえ、この冗談みたいなタイミングは。とってもイヤーな予感がするんですけど。

 俺はケータイを取り出して、着信を確認してみる。やっぱり母ちゃんだった。その内容は当然、『今日と明日休み取れたから帰るねー。晩ご飯はすき焼き買ってこーい。ビールはお母さんが買ってきてやる!』との事で。

「……」母ちゃん。なんて間の悪い。確かに、母ちゃんはいつも俺がゲームしはじめた時とか、ドラマでいいとこ入った時とかに必ず用事申し付けてくるくらい間が悪いけど。これは史上最高だぞ。

「杏樹くん。お母様、帰ってくるんだね?」

「そーですね……」

「挨拶、行ってもいいよね?」

 笑う雨梨に、俺はもう諦めの一心で頷いた。

「へえ。面白そうね」

「どわあああああッ!!」

 突然後ろから聞こえてきた悪魔の声に驚いて、悲鳴を上げながら飛び退き雨梨の後ろに隠れる。その招待は、もちろん銀華だった。

「び、びっくりした! いきなり現れんじゃねーよ!」

「雨梨の後ろに隠れながら何を言ってるの貴方は」

「杏樹くん。ずっと私の後ろに隠れてていいよ?」

 そう言って雨梨に頭を撫でられ、俺は我に返って雨梨の陰から出た。突然だったとはいえ、女の陰に隠れるとは男らしさのかけらもない。

「私も行っていいかしら? 杏樹のお母さんには会ったことがないから、会ってみたいわ」

「お前らなあ。母ちゃんの貴重な休みなんだから、あんま大人数で押しかけるような真似すっと、母ちゃんの疲れが取れねーだろ?」

「注意一」にっこり笑って人差し指を立てる銀華。

「俺が母ちゃんを庇ってもイラっとさせちゃうの? お前の頭には人情とかないの?」

 いや、確かに俺の頭には母ちゃんの休みより、面倒事を回避する方法ばっかり考えてたけどさ。そういう点では、ある意味罪滅ぼしになるかもしれんが。

「注意二」中指も立てちゃう銀華さん。ねえちょっと。このまま三まで行ったら、俺は反省小説書かされるの? 罪犯してないよ。

「お前らなあ……。人数多くなると、俺だって大変なんだぞ? 料理の仕込みだって時間かかるし……」

「手伝うよ? 料理できるもん、私」優しい事を言う雨梨。

「めんどくさいから私はパス」相変わらず優しさのかけらもない銀華さん。

「いいよ。俺は手伝わられると料理するスピードが落ちちゃうタイプなんだ」

 一人で台所に立つ事が当たり前だったので、料理する時には決まった順序がある。それを乱されるとイラッとしちゃうので、俺の台所には誰も入ってほしくない。

「一応母ちゃんにメールしてみるけど、許可されなかったらゼッテーだめだかんな。母ちゃんが休むのが第一だぞ」

「マザコンね」

「杏樹くんがマザコンでも素敵!」

 お前らが男だったらマジでぶっ飛ばしてるからな。

「じゃ、俺はトイレ行ってくら」

 俺はその場から離れ、トイレに向かう。実は教室についた辺りからちょっと来てたのである。

 やばい漏れる漏れる。

 廊下を走らないよう競歩でトイレへ向かっていると、俺の背筋に何か悪寒が走った。

「これは……」

 俺の磨かれまくった勘が告げた通りに振り返ると、そこには背後からダッシュしてきて俺に抱きつこうとしている歩風が居たので、俺はサッと身を躱してみせた。

「ちょっとぉぉぉぉぉっ!」

 躱された事で慣性の行く先が迷子になり、歩風は床に顔面からダイブした。パンチラは見えない。ちっ。

「よぉ。朝からご挨拶だな歩風」

 あのまま体当たりされてたら漏らしてた可能性もある。マジでグッジョブ俺。

「ういっす先輩! 気配でも読んだんすか? さすがっす!」

「いろいろと今は敏感になってるもんでな」

 主に膀胱が。

 しかし、それを歩風は何と勘違いしたのか、「やだーエロいっすー!」とはしゃいでいる。別にそんな意味じゃねーよ。シモであることには間違いないが。

「つか、お前な。いっつもタックルしてくんじゃねーよ」

「いいじゃないっすか別に。スキンシップですよー」

「もっとまともな、友人同士の高校生らしいスキンシップってあるだろ。例えば、昨日のテレビ見たー? とかよ」

「先輩今日の予定はー?」

「そうそう。そういうのでいいの。今日は母ちゃんが帰ってくるから、豪華なごちそう作るんだよ」

「先輩って料理できるんですねー」

「おうよ。ちょっとしたもんだぜ。そこらの女子よりは間違いなく上手い自信があるね」

「ほぉーん。なこちーは?」

「あいつは昔っから病弱……っつーか、体弱いからな。昔は入院しまくってたし、覚える時間がなかったのもある」

 まあ、その前に、家事全般の才能がまるっきりないんだよね。

 料理は全部焦がす。掃除すれば逆に散らかす。洗濯すれば何故か柄物さえも真っ白にする。手伝わせると仕事が増えるので、俺はもう撫琴が家事を覚えるというのは無理だと思っている。

「へー。なこちーにそんな過去がねえ。今は元気なのに。友達として、そこら辺もっと聞きたいなー」

「ん? そうか?」

「はい! ――あ、それに今日は先輩のお母さんいるんすよね? もっと詳しい話が聞けそうだなー」

 歩風の視線が熱っぽい物になる。

 ……しまった。こいつ。来ようとしている……!!

 アホか! もう雨梨と銀華が来るかもしれねーんだぞ!? 歩風まで受け入れてられっか!

 そんな大人数の料理なんてめんどくせーし、歩風と雨梨じゃ喧嘩になるだろ!

「せんぱーい。こないだのデート。なこちーもついてきたしぃー」

 ついてきたのはお前の方だぞ。

「オージョ先輩達の方行ってて、私達の相手はほとんどしてくれなかったくせにー」

 まあその件については申し訳ないと思うけれど。しかしあの場である程度相手にしないと、雨梨も雨梨でめんどくさいんだからしょうがないだろ。

「ほとんど約束守ってくれてないようなもんじゃないですかー。あたしぃ、これ以上ほっとかれると、うるさいですよー?」

 本当にうるさそうだから困る。そしてそれが脅しになってるのが恐ろしい。

「……わーかったよ。一応、母ちゃんに聞いてみるよ……。雨梨と、銀華と、歩風で三人か……」

「えーっ! オージョ先輩に会長も来るんすか!? 二人っきりじゃないのー!?」

「お前話聞いてた?」どっちにしても母ちゃんと撫琴いるんだから、二人っきりには確実にならないぞ。

「その話。僕も混ぜてくれないかな?」

 突然響いてきた空乃さんの声。

 しかし、周囲には誰もいない。学校の廊下に隠れる場所があるわけもないのに。いったいどこだ?

「ここ、ここ」

 そう言うと、突然目の前に、空乃さんの顔が振ってきた。上下逆になったにこやかなそれに驚いてしまい、俺はまた「どわあああああ!!」と悲鳴を上げてしまった。

「な、なにやってんですか空乃さん!!」

 俺は落ち着いてから、空乃さんをジッと見た。どうやら寝袋に入り、天井からぶら下がっているようだった。

「いやあ、気持ちのいい寝方をいろいろ模索してたんだけどね。ぶら下がってみたらどうかと思ったんだけど、ダメだったね。血が登って眠るどころじゃないや」

 寝袋を脱ぎ、するりと器用に降り、寝袋を天井から引き剥がす。この人って実は運動神経いいんじゃねえの?

「じゃ、僕も行くからよろしくー」

 言いたいことだけ言って、するっと去っていく空乃さん。

「あたしも教室帰りまーす! なこちーにも言っておかないと」

 歩風も去っていった。

 ホント勝手な連中ばっかりだな。

「ま、これ以上増える事もあるまい……」

 母ちゃん、撫琴、雨梨、銀華、歩風、空乃さん……。

 俺以外女しかいねーじゃねーか。なんて胃の痛くなりそうな空間だ。つーか、これ母ちゃん誤解しそうだな。俺に男の友達いないって。

「まあ、あのバカ共が来ないだけマシだろ。全然マシ」

「ほっほう。ダーレがバカどもなんだよぉアンジー」

 この野太い声は……!

「バカって呼ばれるのは心外だな。バカをやってはいるが」

 そしてこのねっとりとするイケメンボイスは。

 俺が振り返ると、やっぱり優作と総一がニヤニヤしながら立っていた。

「……ちなみに、どこから聞いてた」

「アンジーがオージョに向かって『おーい! 返答次第では付き合い方をさらに考えるぞ!』って怒鳴ってる所から」

「すごい最初!! 歩風との所からじゃねーんだ!?」

 シレッと言った総一ではあるが、それなら声かけろお前ら。なんで友達尾行してんだよ。

「ま、もう俺らも一年ちょい友達やってるわけだし……わかってるだろぉ?」

 下衆い笑みを見せる優作の言いたいことは、確かに言われなくてもすぐわかる。

「ここまで人数増えちゃ、ゼッテー母ちゃんダメっていうかんな」

「いいのいいの! 仲間はずれはいけねーよな!」

 俺の背中をバシバシ叩く優作。だから痛いって。手加減しろ。お前と違って繊細なの俺は。

「がーっはっはっは!! 俺のワイルドな魅力に気づかせてやるぜ!」

 と、大股でアホみたいな事を言いながら教室に帰っていく優作。

「アンジーの飯、楽しみだ」

 総一も、よだれを制服の袖で拭い、優作の後を追った。こいつは純粋に飯目的なのね。

「……っと。そうだった。トイレ行かねば!」

 今まで尿意が来てるのをすっかり忘れてたので、俺はもう走ってトイレへと向かった。

 そして、なんとか漏らす前に用を足し、母ちゃんにメールを飛ばしてみると、『お母さんが酒飲めるんならなんでもかまやしないわよー』と返って来た。

 まあ、こうなりゃとことん楽しむしかないわな。雨梨と歩風の動向に気をつけてりゃ大丈夫だろうし、母ちゃんの手前、派手なことはしねーだろ。

 俺は自分にそう言い聞かせて、教室へ戻った。

 正直、あのメンバーが一筋縄で行くとは、到底思えないのだ。

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