第15話『タイムセールという戦い』

 いつもであれば放課後というのは楽しみでしょうがない時間なのだが、今日に限っては授業がずっと続いてくれればいいなと思った。しかしそんな時に限って時間っていうのは早く過ぎていく物である。

「ああ……放課後になっちまったか……」

 終業時間を差す時計。スピーカーから流れてくるチャイム。教室から出て行く教師や生徒。すべてが俺に放課後だという事実を突きつけてくるかのようだった。

「うっしアンジー! 行こうぜ!」

 イラっと来るほど元気な優作が、俺の前に立つ。

 朝から選挙カーが近所通ったみたいな不快感がある。あれって実際うるさくて名前覚えるどころか憎しみしか湧かない。もうちょっと方法考えた方がいいと思う。

 と、俺がそんな文句を何故か優作に言おうとしていたら、横から警棒が優作の頬に突き刺さり、優作がふっ飛ばされた。

「うごぅお!?」

 いくつかの机を巻き込み、吹っ飛んでいく優作。

 誰がやったのかは明らかではあるが、俺はその警棒が飛んできた方向を見る。そこには、大リーガーばりの投球フォームを取る雨梨が立っていた。そして、何事もなかったかのように優作の傍らに転がる警棒を拾い、優作の制服でそれを拭ってから、俺の前に笑顔で立ち「行こっか、杏樹くん」と言ってのけた。

 なぜここまで大惨事を引き起こしておきながらそこまで無垢な顔ができるのか、その思考回路が俺には甚だ疑問ではあるが、しかし雨梨の思考回路は一世紀経っても俺に理解できるとは思えない。

「ああ……うん……」

 俺は優作に手を合わせてから、雨梨の後へついていく。

 こいつ、ウチに来れんのかと少し心配になったが、しかし総一もいるし、大丈夫だろう。ぶっちゃけ来ても来なくても、どっちでもいいので、俺はそれ以上深く考えなかった。

「あ、おい雨梨」

 教室から出た所で、俺は奴に声をかけ、振り向いてもらった。

「まあ、お前はウチの場所はストーカーしてたから知ってるとは思うけど、空乃さんは知らねえだろ。呼びに行かねーと」

 優作に総一はもちろん知ってる。何度も遊びに来たことあるし。歩風も撫琴と一緒に来るだろう。ってことは、俺が空乃さんを家に連れていかなければならんのだ。雨梨と違って、GPSも尾行もしてないだろうしな。

「えー、いいんじゃないの? 空乃さんならたどり着けるよ」

 たどり着けねーだろ。

 あいつらがエスパーだってんならまだしも。なんでお前は俺絡みになるとキャラが変わるんだ。

「んなわけに行くかよ。いいから、空乃さん迎えに行くぞ」

 俺がそう言って、空乃さんのクラスに向かおうとした瞬間、「僕はもう来てるよー」と、空乃さんが俺の後ろに立っていた。どうして三大財閥の人たちは気配もなく後ろに立つ事が多いんですかね。

「ちっ……空乃さん来てたんですか……」

 舌打ちして、忌々しげに空乃さんを睨む雨梨。

「はっはー。まさか妹分の子からそんな目を向けられるとは思わなかったねー。あと五秒その目で見つめられたら僕は泣いちゃうよ」

 と、口調はなんでもなさそうだが、ばっちり涙目の空乃さん。俺は雨梨の肩に手を置き、「お前ら二人が来て、空乃さんだけ仲間はずれってわけにはいかねーだろ? ここまで揃ったら大勢のが楽しいしよ」なんてフォローを入れる。

「……杏樹くんがそう言うなら」

 納得はしてないようだが、矛は収めてくれた。

「はっはー。さすが杏樹ちゃん。懐の深さに感謝するよ」

 そう言いながら、俺と雨梨の頭をピコピコハンマーで叩く空乃さん。

「じゃ、銀華迎えに行きますか」

「「はーい」」

 二人の返事を聞いて、銀華の教室二年A組へと向かう。そこでは一年の頃クラスが一緒だった連中もいるので、挨拶もそこそこに、教室の真ん中に席がある銀華の元へ。鞄に教科書を詰め、帰る準備をしていた。

「……あら、杏樹に雨梨に空乃じゃない」

 鞄を持ち、向き直る銀華。その顔は、『出迎えご苦労』とでも言いたげな偉そうな物だった。

「よっ、迎えに来たぜ」

「あら、ご苦労様ね」

「あれ……? そういえば、ぎんちゃんは、杏樹くんの家、知ってるの……?」

 雨梨の言葉に頷く銀華。

「あれ? ――そういえば、なんでお前が知ってんだ? 前に食事誘ってきた時も、ごく自然に誘いきたけど。……まさか、お前もストーカーを」

 と、俺が震えた声で言うと、やつは手錠を取り出し、それを拳に握りこんで、俺の頬を殴った。

「痛い!? 何すんだてめえ!」

 歯が折れるかと思った。涙も出るし、頬も腫れてる気がする。何も手錠で殴ることないじゃないの。

「注意一。――ストーカーなんてするわけないでしょ、杏樹如きに」

 ものすごく腑に落ちないが、しかしまあ、確かに銀華が俺をストーカーするというのは考えにくい。っていうか、雨梨の目が泳いでる。もしかして俺にストーカーしてたこと銀華は知らないのか。

「昔、小学生くらいの頃、遊びに行ったことがあるじゃないの」

「……あー、そういえば」思い出した。俺が一回だけ家に呼んだことのある女子って銀華だったのか。

 確かに、かつて親しかった女子って銀華くらいしか思いつかないし。考えればわかりそうなことだよな。

「……もしかして、あ、杏樹くんが部屋に招き入れた最初の女の子って……」

「まあ、私でしょうね」

 丸い目で銀華を見つめる雨梨だが、銀華はそんな彼女に対しても澄まし顔。友達だから我慢しているのか、それともまだ怒りのゲージがマックスまで行っていないのか、雨梨は歯を食いしばりながら警棒が入っているのであろうポケットに手を突っ込んだままジッとしている。何がそこまでお前を怒らせるんだよ。

「あらあら。雨梨を怒らせてしまったかしら?」

 くすくすと笑う銀華。その挑発してるっぽい口調やめてちょっと。それで雨梨の怒りが爆発したらどうする気なの。

「おいおーい。修羅場も結構だけどね、僕のお腹はもう我慢の限界なんだよ。早く食材買って杏樹ちゃんに料理してもらわないとさー」

 ナイス空乃さん!

 空気読んでないけど空気読んでるその絶妙な発言!

 本人は自分の欲求に正直なだけだろうけどな!!

「そうだぜ二人共! 撫琴や歩風も待ってるんだろうし、さっさと買いに行こう!」

「まったく。雨梨はその、思い込みが激しい所を直しなさい」

 と、雨梨の額を人差し指で突く銀華。

「……むぅ」

 ぶすっと頬をふくらませる雨梨。この短いやりとりで、どういう関係性なのかすぐわかるな……。

 っていうか、

「雨梨って昔から思い込み激しかったのかよ……」

 子供の頃って今より酷いんじゃねえの。イメージだけどさ。

「思い込みが激しいのは王ヶ城家の血筋みたいね。雨梨の母も、よく雨梨の父に向かって包丁投げてたわ」

 ……金持ちでもそんな庶民的な喧嘩すんだなー。

 って、普通包丁までは投げねえけどよ。何が原因でそんな殺傷に至りそうな喧嘩が起こるんだよ。

「ちなみに、小鳥遊家も代々怠け者よ」

 と、まったくいらないことをちなんでくれた銀華さん。

 いやちょっと待て。代々怠け者でなんで三大財閥になんてなれるんだよ。……やっぱり一番スペック高いの空乃さんなんじゃねえの……?

「そんな事言ったら、銀華ちゃんの所も代々眉間にシワ寄ってる系じゃないか」

 お父さんとか日本の首領って感じだもんねー。とへらへら笑う空乃さん。

 そんな人と絶対会いたくねえよ……。もうヤクザみたいな人しか想像できねえもん。

「各々家庭の事情には興味あるけど、また今度聞かせて貰うとして、今はとりあえずさっさと行こうぜ」

 やっと話が途切れたので、俺はいつ爆発するかわからないニトログリセリン並に扱いの難しい三人を引き連れ、教室を出る事に成功した。その後も、学校を出るまでやれそっちの母親はどうだやれそっちの父親はこうだ、と親の話題で盛り上がっていた。

 それを聞いてわかったのは、金持ちも結構庶民と変わらないということだ。




  ■



 我が家の近所にあるスーパー、マルフジ。

 近年の個人経営に優しくない流れのおかげで、安売りが売りになってしまったちょっと寂れたスーパーではあるが、俺とか近所の奥様方、節約に命をかけている人間にとってはありがたいスポットである。

「へえ……スーパーってこうなってるんだ……」

 商店街のど真ん中にあるスーパーに入ると、雨梨はキョロキョロと周囲を見回す。俺はカゴを取り、頭の中で買う物をリストアップしながら「やっぱ来たことねえの?」と三人に訊いてみた。

「うん。そもそも家じゃ、ほぼ取り寄せてたし」俺の貧困な想像力じゃ、家の食材が取り寄せっていうのがもう想像できない。

「私はネットスーパーね。重い荷物持って帰るのなんて想像するだけイヤになるわ」それを今からするんですよ銀華さん。

「僕はそもそも自分の家の食材環境なんて知らないなあ」と、あくびをしながら言う空乃さん。まあ、空乃さんがそれ知ってたらなんかイメージ違うからな。

「えーっと。肉と野菜買わねーと。ちょうど、肉はタイムセールしてるみてーだしな」

 俺の目線の先には、我先にと肉を狙うおばさん達。あの中に突っ込むのかと思うとげんなりするが、しかし生きる為だ。せねばなるまい。

「うわあ……。すごいね。――タイムセール、ってあんなに必死になるものなんだ……」

 雨梨の呟きは、なんだか初めてサバンナで野生の弱肉強食を目撃した子供のようだった。動物園ではおとなしい動物達が肉を求めて争ってるのを見て、軽く引いてる感じ。

「っていうか、タイムセールって何よ?」

「えっ、銀華タイムセール知らねえの?」

 どうやら雨梨も知らないようで、頷いている。

「タイムセールってのは、決められた時間内なら安く買えるって事だよ。いつもなら高い肉だが、今日この時間だけは安く買えるってわけ」

「……なんで? ならいつも安くしておけばいいのに」

 雨梨が子供ばりに屈託のない瞳で、返答に困る疑問をぶつけてきた。

「え、えー……?」

「私はわかったわよ雨梨。元々適正価格を跳ねあげておいて、売れなかったら『今だけ限定』ってバカが釣られる煽り文と時間制限で迷う時間をなくして判断力を鈍らせ、売上を上げようっていう涙ぐましい努力ね」

 したり顔の銀華。俺は思わず「スーパーで何言ってんだお前!?」と怒鳴ってしまった。

 話聞いてたっぽいおばさんとか店員さんとかこっち睨んでる……。来づらくなったらどうするんだよ。行きつけだって言ってるでしょ。雨梨と空乃さんも、「さすが頭いいねー」とか言わないで。真実かもしれないけどこの場は真実ってことにしちゃいけないから。大人の世界は切ないから。

「お前らこれから俺買うんだから余計な事言わないでねマジで。この常識知らず共」

「あの中に入ってくの……?」

 と、首を傾げる雨梨。

 確かにタイムセールのおばちゃん達に突っ込んでいくのは、結構ヘヴィな勇気がいるだろう。

「私達も手伝いましょうか」

 今まで優しさのかけらも見せなかった銀華が、突然そんなありがたいことを言い出したので、俺は瞬間的にリアクションが取れなくなってしまった。

「……なによ。その『犬がにゃーって鳴いた』ような、ありえない物を見るような顔は」

「いや、まさか銀華が手伝うって言葉知ってたなんて……」

「三回のチャンスもなく死刑にされたい?」

「いえ、ごめんなさい」

 すぐに謝った。意地を張らなきゃならない時が男にはあるが、俺は銀華相手に意地を張れるほど強い人間ではない。

「僕は面倒だからパスしたいね」

「空乃さんには最初から期待してねっす」

 この人が手伝うとか言い出すのは、ある意味銀華より驚きである。

「そいつはいいね。期待されるというのは面倒くさくてねえ。僕は気が向いた時に好きなことやらせてもらうよ」

 そのスタンス羨ましいわー。俺も面倒な事は全部ほっぽりたい。

「――って、そんなこと言ってる場合じゃねえや。早く行かねーと肉なくなっちまう。雨梨と銀華も頼むぞ」

「杏樹くんの為にたくさん取ってくるよ」

「お腹も減ってきたし、ちょっと働いておきましょうか」

 そう言って、雨梨と銀華は、それぞれ警棒と手錠を取り出した。

「傷害沙汰は禁止!!」

 やっぱダメだ。この二人じゃあどう考えてもマジの戦争になる。

 結局、俺が一人で肉をかき集めるハメになり、この時間ロスがもろに影響して、ちょっと肉が足りなくなってしまった。

 まあ、金持ち三人いるので、全部食材費持ってくれるって事になったので、タイムセールは気にしないでバカバカ買い込んだ。

 ……っていうか、それなら最初から言ってよ。無駄に気まずい思いしただけだよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る