第20話『ラブコメの謎シリアスは終盤の証』

「いや……元気そうじゃないか、杏樹」

 俺の目の前で、親父はコーヒーを啜っている。

 俺達は、近くの喫茶店の目立たない席で向かい合っていた。雨梨と銀華は近くの席で待ってくれているが、正直言って視線が相当鬱陶しい。たわしで皮膚を優しく撫でられてるみたいな視線を感じる。

 俺が親父と大喧嘩でもすると思っているんだろうか。

 いや、確かに親父は浮気した挙句ギャンブルにドはまりして俺達家族を見捨てはしたが、別にそれで借金を残されたわけでもないし、憎んでもない。クズだとは思っているがちょっと嫌いレベルなので、大喧嘩なんてしないと思うから心配しないでほしい。

「ま、それなりだよ。親父こそギャンブルにハマって借金まみれで金催促に来たとか、そういうお決まりパターンやめろよな」

「いやいやいや。俺もそこまでクズじゃないよ。それに、ギャンブルは卒業したんだ」

「ええ?」俺の、コーラを飲もうとしていた手が止まる。あんだけのめり込んでたのに、一体何がどうしてギャンブルをやめたんだ。

「ちゃんとしなきゃと思ってね……。一度、ちょっと大きな声じゃ言えないレベルの借金をして――いや、もちろん返したけど、それでちゃんとしなきゃと思ってね……」

「へえ……。いいことじゃん」

 まあ、またハマるかもしれないが。しかしその思考に到達したことは大切だと思う。度を越したギャンブルなんて身を滅ぼすばっかりでいいことなんて何もない。

「あれ、でもだったら、なんで会いに来たんだ。偶然じゃねえんだろ?」

「……実は、そうなんだ」

 親父は、まるで初恋がバレた中学生みたいにモジモジと肩を小さくする。おいなんだきっしょく悪いな。

「きちんと就職もした。まあ、給料は安いけど……。だから俺は、もう一度やり直したいと思っている」

「……あれっ、なんだろう。なんかすごいイヤな予感すんだけど」

「沙羅と、再婚しようと思ってるんだ」

「何ぃぃぃぃぃッ!?」

 俺は机を叩いて、周りの視線をおもいっきり集めてから大声で立ち上がるという、おおよそ文明人ならやってはいけない事をしでかした。しかしそれくらいの驚きだったのはわかってほしい。

 そして、それを聞いた雨梨と銀華が一目散に警棒と手錠を携えて駆けつけてきても、それは絶対俺の所為じゃないはずだ。

「どうしたの杏樹くんっ! 何かされた!? こいつ殺せばいい!?」

「いやしなくていい! そこまでのことじゃないから!」

「じゃあ捕まえればいいかしら?」

「そもそも罪じゃねえよ!!」

 雨梨と銀華さんがそれぞれの武器を俺の親父に見せびらかしている。親父はそんな二人を見て、「なんでこの子達はこんな物騒な物持ち歩いてるんだ!?」と驚いていた。それが当然のリアクションである。久しぶりに一般人の当たり前なリアクションを見れて、俺は嬉しいよ……。




  ■




 で、そんなになってしまっては彼女ら二人が無関係であると強調するのは無理だろうと思ったので、店員さんの『もう帰ってくれないかな』的なオーラをなんとか知らない振りをして躱しながら、俺は二人にも先ほどの話を説明した。

 四人がけの席だったので、俺と親父が隣り合って座り、雨梨と銀華がその向かいに座るという陣形だ。

「再婚……? 無理じゃないですか? 私の調べでは、お父様相当酷い事してますね。並の神経をした女性なら、もう絶対嫌だと思う事故物件だと思いますよ」

「なあ杏樹。この子は一体どういう子なんだ。警棒持ってたり、杏樹の家庭環境を調べてるみたいだし。っていうか、言葉キツイ」

 親父が、相当訝しんだ視線を、雨梨から俺に向ける。その眼差しはまるで、目の前に自称霊媒師が立っているかのようである。

「聞かない方がいいよ……」

 俺にはそれしか言えない。『俺のストーカーで、三大財閥の一人娘』なんて言ったら、親父は多分腰を抜かすと思う。っていうか、並の神経をした女性の意見をお前が述べるなと、俺は思う。

「ま、私も正直、ないと思うわ。もう一度やるわよこの手の男は」

「こっちの子も言葉キツイよ。杏樹、お父さんは泣きそうだ」

「俺もたまに泣きそうになるよ……」

 銀華もどういう人間か明かしたら親父はオーバーリアクション取りそうだな。

「大体、杏樹くん人が良すぎるよ。ホントにこの人借金返したの? 就職したの? まずそこから疑問だよ」

 人が良く出来てるから、お前と普通に過ごせてるんだと思うぞ。とは、言わなかった。だって怖い。雨梨さん、俺のストーカーしてること忘れてないよね?

「そこは調べてみればわかることよ」そう言って、銀華は制服のポケットからケータイを取り出し、耳に当てる。「もしもし。玖島季助って人物を調べてほしいの。ええ、杏樹の父親」と手短に要件を告げて電話を切る。

「今、ウチの人間にこの男を調べさせてるわ。すぐ結果は出るでしょう」

「ねえホントに何者なんだいこの子達は!? ウチの人間って何!?」

「親父! 聞くな。聞いたら無事じゃ済まないぞ」

 別にまったくそんなことはないのだが、説明するのが面倒だったので、適当ぶっこいてみた。

 すると親父は信じたらしく、口を神妙な顔で噤む。我が父親ながら単純である。

 銀華のケータイが鳴った。彼女はそれを開くと、溜息を吐く。

「……残念だけど、借金を返したのも、就職したのも本当らしいわね」

「おい。別に残念じゃねえよ。いいことだろうが」

 嫌われてるのかな、俺……。

 そう落ち込んでいる親父に代わり、俺がつっこんでおく。

 銀華はいっつもこんな感じなので気にしなくていい。そう言おうと思ったが、しかし普段からこんなに不機嫌そうな人間がいるものかと信じなさそうだ。

「ま、残念じゃねえとは言ったが、実は俺もあんま信じてなかったし。親父偉いじゃん」

「ああ。頑張ったんだよ。真人間になろうとしてね」

「ただし。正確には、借金はまだ少しだけ残ってるわね。――とは言っても、月給を考えれば、無理なくすぐに返せるでしょうけど」

「へぇー。お父様すごいですね!」

 雨梨はここでようやく、親父を歓迎したかのようなリアクション。ここまでお嬢様二人に冷たくされていたので、親父の心にストライクだったらしく、親父は感動したように目を潤ませていた。

 正直気持ち悪い。男が簡単に涙を見せちゃいけないとか言われてるのって、多分単純に見苦しいからだよなぁ……。

「確かにすげえけど、なんで返しきってからこねーんだよ?」

「いやぁ、返せるのは確定したわけだし、早くみんなに会いたくてね……。特に、沙羅とは根気を入れて話し合わないと……」

 ぶるり。

 親父が自分の肩を抱き、震える。

 母ちゃん怒ると怖いもんな。よく逃げられたよねって思うレベル。

「でもその前に、沙羅は付き合ってる人とかいるのかな今。再婚してないか?」

「再婚はしてねーよ? 付き合ってる男がいるかどうかは、正直親の恋愛とか知りたくもねーから知らねえ」

 別に母ちゃんが恋人作ってもいいのだが、それはホント最後まで隠しといてほしいっていうのが俺の本音――というか、全国の息子の本音だと思う。過去の恋愛は思い出だから聞いてもいいけど、現在進行形の恋愛はなんかキツイ。

「……訊いてみてくれないか?」

「ええー! ヤダよ!」

 なんでそんな、母親に向かって「今付き合ってる人いるの?」なんて。中学生みたいなことしなきゃならねーんだ。絶対嫌だ。男のプライドが……体裁が……よくわからないけど俺の大事な物がぶっ壊れそう。

「あっ。雨梨、銀華でもいい。訊いてみてくれねえか」

「いいよ!」

「イヤよ」

 同時だったが、ばっくり意見は割れた。

 まあ、割れたんならいいけど。銀華さんはそろそろ俺の頼みを一つくらい聞いてくれてもいいよね。


 で。

 雨梨は、何故か俺の母親のケータイ番号を知っていたらしく(俺も母ちゃんも教えてないが、知っててもおかしくないと思えるから怖い)、自分のスマホで電話をかけた。そして結果、母ちゃんは今付き合ってる人間はいないようだった。

「「よかったー……」」

 同時に漏れる俺と親父の安堵な溜息。

「……なんで杏樹くんが安心するの? まさか、禁断の愛なの?」

「ちげえよ!! なんでも色恋沙汰に絡めない!」

 母親まで恋愛対象になる可能性を含められると、俺はもう異性は誰とも話せない事になる。

「単純に、そういう話がイヤなだけだって。雨梨だって、親父が恋愛してるとか知りたくないだろ?」

「……確かに」雨梨は、心底納得したのか、何度も頷いた。

「いや、でもこれで安心して沙羅と話ができるな……。ありがとう雨梨ちゃん」

「いえ。本当に再婚するのなら、私の義理のお父様ですから」

「へ? ……杏樹、まだ結婚できる年齢じゃないよなお前」

「してねえよ。婚約もだ。もちろん付き合ってさえいない」

 親父は首を捻る。いろいろな思いが交錯してるんだろう。

 俺が恋愛に意欲的じゃないのは、親父の影響もあるんだからな。俺も親父みたいになって、家族不幸にするんじゃないかとか。付き合う前からこんなこと考える俺は多分相当重いと思うが、しかしきっと無駄な考えではないはず。

 そもそも、俺の周りは愛が重いやつばっかりだ。俺が重くても許してもらえるだろ。

 会計は親父が全額持ってくれ、その場は解散になった。本当に再婚するんだろうか? いろいろ面倒くさそうだなあなんて思ったが、もっと面倒くさいことが起こるとは思わなかった。っていうか


 拉致されるとは、思わなかった。

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