無一文のレッスン
人は誰しも無一文になる可能性がある。もっともその可能性は限りなく小さく、通常は無視して良いレベルだ。なお、ここで言う無一文とは財布の中身が百円未満の状態を言う。預貯金ももちろんあってはいけない。そんな状態になるなんて、普通は想像もしないだろう。
かくいう俺は、昨年、無一文を体験した。4日間の無一文。食事は米とふりかけ、カップ麺。それだけ。悲惨な4日間だった。精神状態も異常だった。誰にも助けを求めなかったのだ。一種の変性意識状態だったのかもしれない。
この時の教訓は、米とふりかけとカップ麺を切らすなだ。まあ、食料、飲料、タバコ、酒の在庫があれば無一文は怖くないかもしれない。在庫管理と調理スキルは鍵だ。これが無いと、無一文のレッスンは死へのスタートラインになってしまう。
無一文のレッスン。鬱で動けないというケースも想定できる。無一文のレッスンとは、無一文でも生き延びるにはどうするかというレッスンだ。一番良いのは、親戚や友人の家に飛び込むことだろう。
なに、友達がいない。まあ、無一文にならなければ良いのだ。あらかじめレッスンを受ける必要もないだろう。それでもリスクマネージメントのマニアはいる。無一文のレッスンにも需要があるかもしれない。
それにしても、無一文は精神衛生上よくない。無一文は癖になる。脱出には転機が必要だ。俺は飛んでもない体験をしてしまった。おぞましいような。
慣れは怖い。いま、俺の財布の中は3000円だ。無一文のレッスンは出来れば受けないでおくべきだった。嘆いても仕方ない。刻印をおされた気分だ。また、夏がやってくる。
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