寿司屋と幽霊

中田君は僕の会社の同期だ。40人ほどいる同期の中で、一番仲が良いと言って間違いない。というより、他の同期とはあまり仲が良くない。これは中田君も同じことだ。二人はどうやら浮いている。入社5年目だというのに、真面目さが足りない。会社生活を舐めているところがある。一応は有名企業で、同期のほとんどは有名大卒だ。しかし、僕たちは違う。入社した時点で出世競争とは縁がないのだ。そういう奴は他にもいたが、皆まじめだ。僕たちはどこか飛んでいた。


二人は入社5年目で東京の同じ職場になった。今日は部の慰安旅行の帰りの日だった。慰安旅行は定期異動の後の秋が恒例だった。一杯やるか。僕たちは中田君の地元である高円寺の寿司屋に入った。


まだ夕方だ。外は明るい。二人はカウンターに座った。中田君は大学時代からの常連なのだろう、慣れた感じで、酒と肴を注文した。中田君に合わせて、僕もコップ酒にした。うまい。


中田君は入社した年に結婚した。ちょっと変わり者だ。おしゃれで雄弁。仕事の時は、グレーのスーツにピンクのシャツが定番だった。小太りだが、どちらかというと二枚目。頭はいいのだが拗ねたところがある。腹に一物もあったのかもしれない。入社してから5年、中田君はいろいろな経験をしていた。人間関係でも、もやもやしたものを抱えていた。


「いや、俺達なんて入社した時点で落ちこぼれだからさ。仲間だよな」


中田君は上機嫌でそう言う。確かに、昇給額でも差がついていた。一部の同期は、幹部候補生は残業をつけるなという命令に真面目に従っていた。1990年は、まだそんな時代だった。


「確かに頑張るだけ無駄だよね。こんな仕事、キリがないよ」


「まあ、今の上司は良いよ。俺の前の上司はひどかったから」


「へえ」


「お歳暮を送り返してきたんだぜ。非常識も良いところだろ。それも変な手紙をつけてね。驚いたよ」


「お歳暮か。僕は送ったことないな。ゼミの先生くらいかな、出すのは」


そんな他愛もない話をしている時、入り口で誰かが怒鳴った。


「中田。お前、酒はダメだろ。医者に禁止されてるだろ。死ぬぞ。ご両親が泣いてるぞ。いますぐ帰れ」


他の客も一斉にその男を見る。そして、俺たちを見る。迷惑な奴だと、僕は思った。大将も嫌な顔をするのを、こらえているように見える。


「誰?」


「ああ。高校の同級生さ。山口って言うんだけど。放っといていいよ」


「医者もなにも、大人なんだし、酒は自分で決めることだよ」


僕は素直に思ったことを口にした。しかし、それよりも公衆の面前で善意を振りかざして大声を上げる山口という人間の人格を疑った。学級委員がそのまま大人になったような感じだと思った。


騒ぎは5分ほど続いた。


中田君と僕は何もなかったように酒を飲み、寿司をつまんだ。話題はいつも、社内人事だ。誰が役員になるか、誰がどこの部長になるか、こういう身近な存在の幸不幸が面白い。だから、人事異動の季節になると話題禁止令が出る。きっと、どこの会社でも同じなのだろう。後は、社内での不倫の噂。こういうネタは害がない。いや、知っておくべき知識だとも言える。処世の基本だろうか。何かとキャリアを語る昨今とは大違いだった。


「ちょっとお手洗い」


僕は席を立ち、奥のお手洗いで用をした。飲み過ぎたのか、少しふらついていた。


「そろそろ出ようか?」


僕は中田君にそう言った。


「なに? 今来たばかりだけど・・・」


その声は中田君ではなかった。見覚えがある。山口だ。


「山口さん?」


「そうだけど」


「なんでここへ」


「貴方が私を呼んだんじゃないか」


「は?」


「今日は中田の一周忌だ。二人で話がしたいと言ったのは貴方だろ。私に謝りたいのじゃないのか?」


「中田君の一周忌って、さっきまでここで一緒に飲んでましたが・・・」


「ほう。幽霊とでも飲んでたのかい。それで、俺への話って何なんだ? 去年はすいませんでした、ということじゃないのか?」


「僕が貴方に謝る理由などありませんよ。大将、お勘定してください」


「まあまあ、お勘定も何も、まだ何も食べてないじゃないですか。ここは穏便に」


大将はそう言って、僕の目を見た。


「山口さん、私は貴方と話をする理由がない。変な冗談はやめてください。私は帰ります」


僕はそう言うと支払をせず外へ出た。


次の日、僕は会社で中田君に会った。


「悪かったね、先に帰って。ちょっと急用が出来て。あそこは僕が出しとくから」


中田君は事務的にそう言った。なぜか目を合わせようとしなかった。


それから1週間後、中田君は会社を休むようになった。入院したと聞いた。お見舞いに行こうと思う前に、中田君の訃報が届いた。


美味しい寿司と酒だったね。天国で待っていてね。君とは永遠の親友だから。僕はただ、そう思った。


葬儀はひっそりと行われた。後でご両親に聞いたのだが、山口という同級生はいなかった。これは実話です。

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