毒女

日曜日。俺は昼間から中華料理屋で一人ウイスキーを飲んでいた。絶望的な空虚感に包まれて、散財したい気分だ。誰でもよかった。手当り次第に女にメールした。飛んでもない返信もあったが、N子が会おうと言ってきた。待ち合わせの時間と場所を決めて、俺は電車に乗った。


ターミナル駅の改札。N子は陽気に手を振った。N子と知り合ってから、まだ2ケ月も経っていない。二人で何度か飲みに行った。ライブを見に行った。俺が左遷されて、会社人生が終わっているということをN子は知っている。しかし、クビになるわけではない。


「あと10年くらい我慢すれば。10年なんて、あっという間よ」


年下のくせに偉そうなことを言う。元経営者。昔は何億という金を持っていたらしい。しかし、今はマンション以外残ってはいない。バツイチだが子供はいない。


「人生を捨てたみたいだから、たくさん買って貰おうと思って来たんだけど、やめとくわ」


N子は俺の姿にがっかりしたようだ。


「貴方の顔には、まだ生きたいと書いてある」


そんなはずは無かった。俺は顔に落書きなどしない。N子は嘘つきなのだ。


喫茶店で1時間ほど話をした。話をすればするほど、私は悪い人の烙印を押されて行く。いや、くだらない人間というべきか。ああ言えば、こう言う。いったいどちらがひねくれているのか。しまいには、「世界が狭いな」とののしられた。


それはそうだ。N子は水商売も経験し、やくざとも付き合っていたし、シャブも経験している。そういうのを「世界が広い」というのなら俺は世界が狭い。


そう言いながらも、二人は食事をしホテルへ行った。


N子は獰猛なメスだった。この日初めて、女性には「女」と「メス」の2種類がいることを知った。それは驚くべき動物だった。


メスは快楽のために生きる。俺は体力を使い果たし眠ってしまった。


目が覚めるとN子はいなかった。俺の財布から1万円札が消えていた。30枚近くはあったはずだ。やられた。しかし、もともと奢るつもりで入れていた金だ。もちろん警察になど行かない。笑われるだけだろう。


月曜日は風邪だと言って会社を休んだ。N子にはメールもしなかったし、もちろんメールも来なかった。


あれから5年が経った。ある会合で偶然N子を見つけた。目が合った。N子は軽く会釈をする。俺から逃げる様子もない。俺も今さら金を返せと言うつもりもない。いや、何も話すことはない。俺はメスより女の方がいい。


N子の方から、俺に話しかけてきた。


「お久しぶり」


「そうだね、どうしてるの?」


「相変わらずよ。歳をとっただけ」


「変わらないよ」


もちろんリップサービスだ。40を超えた女が5年も経って変わらないはずがない。


「ありがとう」


N子はメスの目を光らせた。


「これから時間はある?」


いくら優柔不断な俺でも、その手には乗らない。


「いや、これから約束があるんだ」


「相変わらず嘘が下手ね」


N子はそう言うと不気味に笑った。


「嘘じゃない。もうそろそろ出ないと・・・」


俺はそう言うと足早に駅に行き、電車に乗った。一人暮らしのマンションに帰り、シャワーを浴び寛いでいた。


ピンポーン。玄関のベルが鳴る。


「はい」


「N子です」


俺は絶句した。もしかして、後をつけてきたのか? 住所は知らない筈だ。もう、逃げられない。俺はN子を部屋に入れた。


負けた。俺はメスに負けた。2ケ月が過ぎ俺たちは結婚した。


しかし、俺には分かっている。このメスは、またすぐ消えるだろう。いや、俺が消されるのだろうか。それも悪くない。どうせ俺はもう生きる意味を失っているのだ。


毒女。俺は逃げそこねた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る