戦場の広報部員
午前9時、警察から電話があった。
「警視庁刑事1課ですが、おたくの会社に山本昌幸さんという社員はおられますか?」
「はい」
山本昌幸は俺と同期の営業部員だ。調べなくてもわかる。
「今朝、権瓶川で死体があがりましてね、財布に池田さんの社員証が入っていました。身元確認に署まで来ていただけませんか?」
「本当ですか? では、上司に話をしてから直ちに伺います。私、池田雄一です。お名前は?」
「佐藤です」
俺は森田副部長とタクシーで警察署に行った。受付で話をすると、すぐに会議室に案内された。
「刑事1課の黒田です。こちらが、先ほどお電話させていただきました佐藤。私の部下です。まあ、ご挨拶するまでもない、いつものことですね、森田さん」
黒田はそう言うとニヤリと笑った。
「いつもの通り、死体の本人確認からお願いします」
別室に安置された遺体の顔は、間違いなく山本だった。俺は全身がピリッと震えた。
「死因は溺死。死亡推定時刻は午前2時。第一発見者については申し上げられません。財布の中に現金が無かったことから推定して、喧嘩かなにかでやられて、お金を盗られ、意識を失った状態で橋から川に放り投げられたのでしょう。そんな時間にあの辺りで酒を飲んでいたようですね。まあ、なんと申し上げたら良いのか」
黒田は飄々と言うと、斜め上の天井に目をそらせた。
「今年で4人目。まだ5月です」
佐藤刑事はそう付け加えた。
「お手数をお掛けして申し訳ありません。いつも通り自殺扱いにしていたでけますでしょうか?」
森田副部長はそう切り出した。
「そうですね。いつもの条件で」
いつもの条件とは1000万円を支払うということだ。事件としてマスコミに出ると企業イメージに傷がつく。山本がどんな事件に巻き込まれて殺されたのかは問題ではない。広報部の役割は企業イメージを守ることだ。自殺も問題だが、殺人事件となると部長の首が危ない。それに、この自殺は社員の自殺とはならないよう、システムができている。
警察から遺族に電話をしてもらう。山本は独身だったから田舎の両親ということになる。警察にアポを取ってもらい、その場に会社側の人間が同席する。俺は同席しない。それなりの歳の、怖い顔をした男たちが同席することになる。すべては示談だ。
社員は自殺などしない。いったん自己都合退職をした後に自殺したということにする。これならば社員が死んだということにはならない。在職中の社員の死亡者が多いなど問題なのだ。
情報がマスコミに漏れる場合もある。その時も俺たち広報部員がうまく処理する。なんと言っても、わが社は日本を代表する超一流企業なのだ。情報が洩れれば世界的なニュースになる。広報部はこの会社の最前線で日々戦っている。
山本昌幸。300人ほどの同期の中では、優秀だがおとなしい男だった。学生時代は吹奏楽やっていたと聞いていた。ビジネスよりも芸術に向いていたのかもしれない。あまり話をしたことはない。ライバルになることの無いような人間とつながりを作る必要もないと考えたからだ。もちろん、敵になることもない。そんな人間だった。俺には感慨も涙も無い。
数日後、同期の阿部から電話があった。
「山本が殺されたんだって?」
「いや、殺されたんじゃない。自殺だ」
「馬鹿な。山本が自殺なんかするわけないだろ」
「いや、自殺だ。警察もそう判断した」
「権瓶橋から身を投げてか? 有り得ないな。きっと何人かの浮浪者に襲われたんだ。そうだろ?」
「俺は広報部員だ。いくら同期でも公式発表以外のことは話せない」
「お前はそんな奴に成り下がったのか?」
「いや、これが企業というものだよ」
阿部は一方的に電話を切った。甘い奴だなと俺は思った。企業倫理、コンプライアンス、ガバナンス。そんなものは飾りだ。市場経済という戦場における軍隊、それが企業だ。そんな認識もなく入社する馬鹿は定年まで一兵士として使われて終わる。同期であっても、入社前から一人づつの役割は違っている。初任給が同じだから横一線のスタートだと勘違いしているような奴に用はない。そんな馬鹿とは話をするだけ時間の無駄だ。
戦場で人が死ぬのは当たり前だ。何人死のうが、問題は勝つか負けるかだ。しかし、最近ではきれいごとが好まれる傾向にある。世の中の空気に敏感であることも必要だ。
阿部の電話から1週間が経った木曜日。会社に5人の警官が来た。何事かと思って見ていると、まっすぐに俺の方へ歩いてくる。
「池田雄一。山本昌幸殺害の容疑で逮捕する」
「そんなはずはありません」
「弁解は無駄だ。殺害現場を撮影したビデオが届いた」
「そんな馬鹿な」
嘘だ。これは何かの陰謀だ。意味がわからない。いろいろな想像が駆け巡り、意識が朦朧としてきた。おれは警察署で水を飲まされ、病院に連れて行かれた。
6月6日。池田雄一、病死。死因は心不全。退職日、5月31日。社員は死なない。もちろん病死ではない。知りすぎたのだ。
企業社会は戦場である。命がけの社員だけが上に行く。もちろんリスクは大きい。なお、池田雄一を嵌めたのは同期の阿部だった。阿部は森田副部長をゆすったのだ。そこにも人脈の駆け引きがあった。戦場は企業社会ではなく、企業の中なのか。
定例の役員会で人事部は報告した。
「異常ありません」
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