第2話 縁切り地蔵

3日間の有給を取った。

土・日を入れて5連休である。

妻と結婚して8年間、仕事・仕事、妻に貧乏をさせたくない。

そんな思いで、ひたすら仕事に打ち込んだ。

だが、気づけば、子供も無く、いつしか会話も無くなっていた。

……何かを間違ったような気がしていた。

私は、この5連休で妻との関係を、少しだけ戻してみたかったのだ、あの頃に……。


金曜の夜。

「ねぇ、明日は仕事って言ってたわよね?」

「あぁ、1日仕事だ、帰りは遅くなる」

「そう」

明日、土曜日は妻の誕生日だ。

私は、そんなこと、まったく気づかないそぶりで、妻に接した。

もちろん、忘れてなどいない。

サプライズで、明日、妻に渡す指輪を購入済みだ。

明日、仕事に行くふりをして、妻の外出中に戻り、妻を待つつもりだ。

指輪を渡し、翌日から旅行に行く。

同郷である、私たちの思い出の地を巡り。

となりの市の温泉に行く。

そんなプランである。


土曜日、私は普段通りマンションをでた。

しばらく、駅前で時間を潰す。

マンションへ戻ると、車が無い。

妻は外出中だ、私は他の住民に気づかれないよう自室へ戻った。

夕食の買い物だろう、1時間ほどで戻ると思い、しばし昼間のリビングでくつろいでいた。

若いころを思い出していたら、ふと、悪戯心いたずらごころが湧きあがる。

そろそろ、妻も戻るであろう、ベランダで隠れて妻を待つことにした。


ほどなくして、妻が帰宅する……若い男と一緒に。


ベランダから私が覗いているとは思ってない妻は、男にしなだれかかる。

そのまま、キスして、寝室へ……。


私は、ベランダからそっとリビングへ戻った。

寝室から、妻の吐息が漏れる。

(聞いていられない)

私は、そっと部屋を後にした。

靴下のまま、靴を持って玄関をでる、みじめである。


私は、駅前のビジネスホテルにチェックインした。

部屋で天井を眺めること2時間、妻に渡すはずの指輪を箱のまま右手でクルクルともてあそんでいた。


翌日、私は妻と乗るはずであった新幹線で帰省する。

懐かしい故郷だ。

別に両親に会いに来たわけではない。

ある、お寺に用事があるのだ。

私は、駅から人目を避けて、タクシーでお寺へ向かう。

知り合いに会いたくなかったのである。


お寺の奥へ進むと、古びたお地蔵様が立っている。

私は、妻の指輪をお地蔵様に供えた。

プレゼント用の指輪ではない。

妻の指輪のサイズが解らなかった私は、妻の指輪を勝手に持ち出していた。

それと同じサイズをお願いしたのだ。


(もう、2度と妻の顔を見たくない、いや、誰にも会いたくない)

お地蔵様の前で手を合わせた。

どのくらい、そんなお願いをしていただろうか?

気づけば、あたりは暗くなっていた。

(馬鹿らしい)

私が、指輪を取ろうと手を伸ばすと、お地蔵様の足元に、万年筆が転がったいた。

(あぁ、私も妻からプレゼントされたことがあったな~、机に入れっぱなし、こんな色だったかも知れない)

懐かしく思った、本当に間違ってしまったんだ、そんなことを思いながら、夜道を歩いた。

歩けば、目に映る景色は懐かしく、私は自然と変わり映えのしない田舎道へと郷愁が誘うままに足を向けていた。

街灯もない田んぼ道を歩く、横から車のライトに照らされた。

ドンッという衝撃。

私の影と私の身体がゆっくりと近づく……。

私は跳ねられたらしい、不思議と痛くは無く、意識がスッと途切れた。


目を覚ますと、真っ暗だ。

背中が痛い。

気分も悪い。

何か狭い箱に閉じ込められているようだ。

ガタガタと揺れるたびに、身体に痛みが走る。

口も塞がれ、声も出せない。


しばらく、痛みに耐えていると、揺れが止まった。

エンジン音も止まる。

(どうなるんだろう)

病院に運ばれている気はしなかった。


フワッと身体が浮いた、そのまま、浮遊しているような感覚が数秒続いた後、

バンッという音と衝撃。

水の音……波の音……、海水が入ってくる……、潮の香りが箱の中に充満する。

溺れる!、動かない身体でもがく、モガク……苦しい……。

ガボンッ自分の喉から凄い量の泡がでた……それが最後の記憶。

暗闇の中で、最後に聞いた音。


数日後、妻が保険屋と電話している。

「どういうことなんですか?生命保険は下りないんですか?……失踪って、ええそうですけど……」


電話を切り、リビングでへたり込む妻。

悲しんでいるわけではなかった。

「ちゃんと、お願いしたじゃない……、万年筆お供えして……お願いしたじゃない!なんで、死体が出ないの!なんで事故死じゃないの?失踪ってなによ!」

携帯電話を握りつぶさんばかりの力で握りしめ、壁に叩きつける妻。

「もう、払えないのよ……」

と泣き崩れた。


――数週間前、妻は故郷のお寺を訪ねていた。

お寺は昔、縁きり寺として有名な駆け込み寺である。

そこに立っているお地蔵様は、縁きり地蔵として広く知られている。

相手の私物を供えて縁切りを願えば、離別できるという話だ。

妻は、ホストに狂っていた、借金を重ね、クビが回らなくなった妻は、

藁にもすがる思いで、ココを訪れた、私の万年筆を持って。

「夫を事故死させてください、もう顔を見るのも嫌なんです、お金がいるんです」

妻は必死に、お地蔵様に手を合わせた。


その後、私もこの寺で、手を合わせたのだ。

「もう、2度と妻の顔を見たくない、いや、誰にも会いたくない」


縁切り地蔵は、叶えてくれたのだ。

妻の願いも、私の願いも、平等に……無慈悲に……。


私の死体は浮かばないだろう。

誰にも会いたくない、その願いを叶えてくれたのならば。

妻も、私も、互いに顔を見たくないと願ったのだ、どんな形であれ、妻と会うことはもうないのだから。

死体が出ない以上、何年かは失踪者扱いだ。

保険金の支払いも何年も先になる。

ひょっとしたら、妻もほどなく……。

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