第12話 MASK

その女性は生まれつき顔にアザがあった。

顔立ちは決して悪くないのだが、そのアザのせいで辛い子供時代を過ごした。

大人になると、周囲も気にしなくなるのだが、コンプレックスのせいか、

人付き合いは苦手で消極的な性格のまま、30歳の誕生日を迎えた。

恋人には無縁、数少ない友人達は彼女に、ある男性を紹介した。

容姿はいいとはいえないが、男性は優しく、内向的な彼女の性格を理解してくれていた、焦らずに友達から付き合いは始まった。

少しずつ、ゆっくりとではあるが、友達から恋人へと関係は変わっていった。

知り合って1年、彼女の誕生日に彼は結婚を申し込む。

即答できずにいたが、彼女は嬉しかった。

3か月後の彼の誕生日に彼女は彼の気持ちに応えた。

この頃には、友人も増え、みんなが2人の結婚を祝福した。


結婚して1年後、子供を授かる。

幸せだった。

裕福ではないが、人並みの生活が送れる。

子供が幼稚園に行く頃になると、彼女は顔のアザを消す手術決意する。

自分のためではなく、子供のためだ。

自分のせいで子供が苛められたらと思うと、どうしても心配だった。


夫も妻の気持ちを理解してくれた。

手術は成功した。

しばらくの間はマスクをしたままの生活をしなければならないということで、

退院してきた妻は顔を抗菌マスクで覆っていた。


タクシーから降りた妻を夫は暖かい笑顔で迎えた。

幼い我が子、花束を持って妻に走り寄るが妻は子供に視線を向けることもなく、

夫の脇をスッと抜けて玄関のドアを開けた。


夫婦の子供は、花束を持ったまま閉じられた扉を見つめていた。

夫は子供を抱き寄せ

「大丈夫だよ、お母さんは疲れているんだ、今日は寝かせてあげよう」

やさしく言い聞かせたが、妻の態度に我が子より動揺したのである。


2人がドアを開けると、妻の姿は無かった。

夫が寝室のドアに手を掛けると鍵が掛かっている。

「鍵など掛けたことな1度もないのに……」

違和感を覚えたものの、白いマスク姿の自分を見られたくないのだと勝手に解釈して、その日は子供とソファで眠った。


翌朝、子供を幼稚園に送り、会社へ向かった。

妻は部屋から出てこなかった。


午後5時頃、夫の携帯に幼稚園から電話があった。

バスで送ったのだが、迎えが出てなかったので、とりあえず幼稚園に連れて帰ったというのだ。

幼稚園の先生が自宅に電話したのだが、誰も出ないとのことだった。

夫は定時にあがり子供を迎えに行った。

子供と一緒に帰宅すると家の中は静まりかえっている。

妻が寝室から出た気配は無かった。

夫は寝室の妻にドア越しに話しかけたが、返事が無かった。


翌日、夫は幼稚園に息子を送ると、妻が入院していた病院を訪ねた。

「帰宅した妻の様子が変だ」

と医師に相談したのだ。

医師曰く、手術は成功している、マスク姿を人に見られるのが嫌なのでは?

との答えだった。

医師は精神的な変化もあるだろうからと、心療内科を紹介してくれた。


それから2週間、妻の態度に変化はなく寝室に閉じこもるだけの生活であった。

食事も寝室でとり、妻の姿を見るのは食事とトイレ、風呂へ移動するときだけである。

話しかけても返事をせず、足早に夫と子供の前を通り過ぎる妻。

夫の心は心配よりも、不気味さが支配していた。


ある夜。

夫は寝室の鍵を開ける。

ベッドで眠る妻、そっとマスクに手を掛ける。

ヒンヤリとしたマスクの手触り、それは人形を触っているようであった。

マスクを外そうと少し指先に力を込めると、ギロッと妻の目が開いた。

ギョッとして両手が強張る。

妻の目が夫に向けて放つ感情は怒りであった。

表情こそ解らないが、その目は明らかに殺意を宿している。


妻は夫を突き飛ばすと、仰向けにひっくり返った夫に馬乗りになり夫の顔を両手で無茶苦茶に殴りつけた。

気の弱さゆえか、妻を突き飛ばすことができず、ただ顔を覆うばかりの夫。

「やめてくれ!やめてくれ!」

叫ぶ夫の声で子供が寝室に恐る恐る入ってきた。

子供に気づいた夫と妻。

「逃げろ!」

夫が叫ぶと同時に妻が子供に飛びかかった。

我が子を蹴り突け、転がり倒れた子供を上から踏みつける妻。

終始無言で行われる暴力。

「やめてくれ、もう……どうしたんだ……」

腫れた顔を押えながらヨロヨロと立ち上がる夫。

妻は夫の言葉など聴こえてないように、我が子を何度も踏みつける。

もう動かない子供、意識がないのか?いや、もうおそらく……。

歪な、ぬいぐるみのようにクタリとした子供を何度も蹴る妻。

その度に身体はクニャリと歪み、嫌な音をたてる。

「あぁー!」

夫は枯れた花が差しっぱなしになっている花瓶で妻の後頭部を強打した。

バシャン!ガラスが妻の後頭部で砕ける。

妻は倒れぬまま、クルリと首を夫に向ける。

その視線は定まらず、夫を見ているように思えなかった。

「あぁ……あっ」

そのまま床にへたり込む夫。

ペタリペタリと夫に近づく妻、

上目使いで妻を見ると、グルリと妻の視線が夫に向けられた。

両手で首を掴むと、渾身の力で首を絞めてくる。

その力は女性とは思えないほど強く、絞めるより折るといった力の入れ方だ。

夫は抵抗しなかった。

(これは妻じゃない……)


それから数日

幼稚園の先生が家を訪れたまま行方が分からなくなった。

翌日、夫の会社の同僚が家を訪れた、鍵が掛かってヒッソリとした家に不気味さを感じ、警察へ連絡した。

警官が2名、ドアを叩いても返事がない。

同僚から夫が無断欠勤していることなどを聞いた警官はドアを壊し中へ入る。

カーテンが閉めっぱなしで薄暗い室内、充満した空気が一気にドアへ流れると吐き気のする強い腐敗臭を連れてくる。

無線で本部へ連絡する警官、ハンカチで顔を覆いながら懐中電灯を照らす。

ガサリと目の前で音がする。

「誰かいますか?」

音のした方向へライトを向けると、丸い光のさきに白いマスクの裸の女性。

目が合うと、女性は警官にヒタリヒタリと近づいてくる。

「大丈夫ですか?」

無言で近づく女性に恐怖を覚えた警官はホルスターに手を掛ける。

「近づくな!」

後ずさりする警官、女性との距離を一定に保ち銃を取り出す。

玄関では、もう一人の警官はすでに女性に銃を向けている。

妻はお構いなしに警官に向けて歩いてくる。

「警告だ!そこで止まれ!」

止まらない。

ガンッ!威嚇射撃が行われるが妻はビクッともせず近づいてくる。

「くそっ!」

警官は銃を収め、取り押さえにかかる、後ろの警官も走り寄る。

左右から取り押さえられた妻は、暴れたが手錠で拘束され、駆けつけた警官により

病院へ移送された。

家の中は、夫の死体、子供の死体、若い女性の死体が食い散らかされたように転がっていた。


妻は取り調べで

「まったく覚えていない」

この一点張りで泣き続けるばかりである。

医者に移送された後、暴れる妻に鎮静剤を打ち眠っているところでマスクをはずした。

綺麗にアザのとれた女性の顔。

眠りから覚めた妻は手術後の記憶を失っていた。


精神鑑定の結果、妻は多重人格障害と診断された。

医師の見解だが、幼いころの体験、

苛めを押し付けられた人格が確認できたとのこと、その人格は常に幸せになった女性に嫉妬しているのだ。

自分は女性を守るために苛めを引き受けていたのに、なぜ彼女だけが幸せになったのだ?

なぜ、自分は愛されないのか?

主人格への強い嫉妬、アザを消すことで自分を殺そうとしていると思った。

しかしマスクを被ったときに人格が入れ替わる。

2度と閉じ込められたくない!

マスクを剥がそうとするもの、あの女を求めるものを殺した。

彼女は自分を守っただけ、消えたく無かっただけ、愛されたかっただけ……。


妻は今も隔離病棟で過ごしている。

鏡のない部屋。

アザを取ったキレイな自分を知らぬまま生涯を終えるのであろう。

自分の罪も理解せぬまま。

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