第13話 靄が晴れる日

モニターの中には泣き叫ぶ老人の姿。

支離滅裂な奇声をあげたり、騒いだり。

部屋をぐるぐる歩き回ったり、突然笑ってみたり、泣いたり。

アルツハイマー患者。


「覚えてますか?あれが半年前のアナタです」

白衣の医師が話しかける。

「いいえ、覚えてません……ですが、ナニカが無くなるような喪失感のような感情に怯えていたことは、なんとなく覚えてます」

「喪失感ですか」

「えぇ、漠然とした恐怖というか……」

「なるほど、記憶は無くても心が感じていた感覚は残っているのですね」


医師の話では、私がアルツハイマーを宣告されてから5年の月日が経っている。

息子夫婦が、施設に入れたようだが、そのことは覚えていない。

その後、新薬の投与の被験者として登録されたらしい。


施設での記憶はない。

昔のことは覚えている。

アルツハイマーが発症する前の記憶。


「先生、私のアルツハイマーは完治しているのでしょうか?」

「今のところは、年相応のレベルまで回復してますが、これからどうなるかはまだ……なんとも……」

「そうですか……」

「しかし経過を見る限りは順調です、いや予想以上の効果なんです」

「再発ってあるのでしょうか?」

「正直に申し上げますと、そこが我々も知りたいところなんですよ」

「私は怖いのです……記憶こそありませんが、恐怖だけは覚えているんです」

「弱気にならないでください。あなたのデータが人類の不安を解消させるんです、これは偉業なんですよ」


被験者の不安は的中した。

徐々にアルツハイマーは再発したのだ。


被験者は結局、遺書を残して自殺した。

一時的な回復を見せたことで監視を緩めたのが仇になった。


以下 遺書の内容である。


私は怖い、忘れることが怖いのではない。

解らないことが怖いのだ。

私は、自分の姿をした別人を受け入れられなかった。

あれは自分ではない。

今も、徐々に思い出せなくなっている。

看護婦の名前を思い出せなかった。

怖くて言えなかったが、夕食を食べてない気もする。

だが、食器はソコにある。

食べたんだ、何を食べたんだろう。


今だから思うことがある。

年老いて忘れていくことは必要なことであると思う。

老いの恐怖や絶望は逃れられないものだ。

長生きは幸せではない。

苦痛でしかない。

その苦痛から、恐怖から、逃れるには『死』以外にはないのだ。

想像が生む恐怖、ある画家が自分の耳を切り落とした気持ちが解る。

無くすという想像から逃げるには、現実に無くす以外はないのだ。

『死』から目を背けた人間に与えられた救い。

それが忘却なのかもしれない。

すべてを忘れて生きることは幸せなのかもしれない。

『死』から逃げ『忘却』を捨てようとする我々が次に目にする恐怖とはなんなのか?

それを考えると私は、恐ろしくて生きていくことができない。

『自死』を選ばせてください。

選べるうちに……。


「靄が晴れても綺麗な風景が広がっているわけではない……ということか」

医師は遺書を読み終えると

「次の被験者の用意を頼む」

この部屋を出る頃には彼は、自死を選んだ被験者のことは忘れているだろう。

ヒトは忘れることで生きていける。

裏を返せば忘れなければ生きていけないということだ。

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