第16話 イワシステップ ↑

 やたらと物々しい古びた倉庫に連れて行かれると思ったら、中からとんでもない写真が飛び出した。


 例えるなら、そのような心境だった。明梨は差し出された写真を見て、驚きに息を呑んだ。


 夢遊の祖父、愛田賢三郎はニヒルな笑みを浮かべて、明梨に頷いた。


「――――マジか……」


 思わず、そのような言葉が飛び出してしまう。


 若き日の――と言っても、中年程度の賢三郎と共に写っていたのは、エルクレアと思わしき男の姿と、若き日の明梨の父――不死川明久(あきひさ)の姿だったのだ。


 そこには数名の種族不明なクリーチャーの姿も確認できる。賢三郎と明久の二人はクリーチャーに囲まれ、笑顔で肩を組んでいた。


「儂には分かっておったよ、明梨。お前がいつか、向こうの世界と関わる日が来ると」


 ――――幻想も、化物も、ある。はっきりと、明梨はそう確信した。それは今に始まったことではなく、太古の昔からここではないどこかで、歴史を紡いでいたのだ。


 人間が想像し得る全てのことは、実際に起き得ると言われる。あるいは、『ソーシャル・エッグズ』の世界は人々が摩訶不思議なパワーを夢見た瞬間から始まっていたのだろうか。


 何もない、退屈な世界だと思っていた。


 明梨は、笑みが浮かぶことを抑えられなかった。


「……この時の『ソーシャル・エッグズ』は、どうなっていたんだ? 今みたいに、格ゲーの真似事みたいなのをやっていたのか?」


「いいや、まだ儂等の時期は各エッグ間で絶賛戦争中じゃったよ。供給物資も少なくての、大変じゃったわい」


 昔を懐かしむように賢三郎は写真を軽く撫で、倉庫に仕舞い直した。その瞳には、過去の自分の姿が映っていたのかもしれない。


「……爺さんも、戦争に?」


「儂等はクリーチャーを操る、さながら王のような立場じゃった。自分からは戦いに出ないが、その過去における人類の歴史を使い、戦争を有利に導く――その後彼等がどうなったのか、儂等は一切知らんかったがのう」


 人間と『ソーシャル・エッグズ』のクリーチャーは、明梨の知る遥か昔から、交流を持っていた。明梨は、驚きを隠す事が出来なかった。


 ならば、何故人類は超能力を求めてきたのか。


 それさえあれば何をすることもできる、正に『魔法』と呼ぶべきもの。


 あったではないか。


「爺さんは、どうしてそれを俺に教えなかったんだ。他の、人にも」


 明梨がそう問い掛けると、賢三郎は静かに首を振り。その『過去の遺産』の扉を、静かに閉めた。


 愛田の敷地の一番外れにある、最も人の立ち入らない場所。その倉庫は施錠してあり、決して誰にも開かれないよう、固く閉ざされている。


 昔から慣れ親しんできたその場所の意味を、改めて明梨は理解した。


「……今回のことは、白紙に戻そう。それが、『クリーチャー』の望んだ結末じゃった」


 賢三郎は倉庫を見詰めるその顔に、笑みを浮かべる。賢三郎の言葉の先を待ち、明梨は沈黙を守った。賢三郎は倉庫の扉を解錠前と同じように、固く施錠する。


「儂等の世界と、彼等『クリーチャー』の世界は、あまりに違う。当時、写真に載っているクリーチャーを除いて、『地球』の存在を知っている者はおらんかった――――儂等も見付からないようにしてきた。『地球』に訪れるクリーチャーも、人の姿をしたものだけじゃった」


「……でも、『エッグ』同士は通じ合ったのに」


 賢三郎は空を見上げて、言う。


「人間の科学力を崇拝した彼等は、儂等が『魔法』を崇拝するのと同じように、人間の世界を神聖化したのかもしれん」


 人間と、同じように。


 誰もが、自分の世界には何かが足りないと思っている。自分達の世界には存在しないものを求め、崇め、神とする。


 人間の科学を神聖化するなら、人間も神聖化して然るべきだ。


 だから、全てのプレイヤーは『ゲスト』なのだろうか。


 そして、人間に限りなく近付こうとした、『ヒト鬼族』エルクレア。


 もしかしたら、そのような構図なのかもしれない。


 強い日差しの中、遠くから駆け寄ってくる人影があった。豊かな胸を弾ませ、少女は明梨に手を振る。


 明梨は軽く手を挙げて、挨拶を返した。


「あっくん、お待たせ。トットちゃんの準備、終わったよ」


「おー、ありがとうございます。すいません、手間かけさせちゃって……なんでガスマスク帽? なんすか」


「あ、これ? これはね、コールオブディフィカルトっていうFPSの」「いや、説明はいいです」「がーん!」


 夢遊が説明を終える前に明梨はそれを制し、夢遊に笑顔で示した。


「竹刀持って、闘技室に集合でお願いします。すぐ行きますから」


「え? 私もやるの?」


「多分、いきなり爺さんとじゃきついと思うんで」


「あー……うん、わかったよ」


 夢遊は頷いて、トットの所へと戻って行く。その後ろ姿を暫く眺め、明梨は振り返った。


「爺さん、久しぶりに訓練、頼める?」


「じゃから師匠じゃと言うておるに」


 賢三郎は溜め息をついて、明梨に倉庫から出したと思われる木刀を握らせた。木刀の刀身にはまるで呪文のように、奇妙な文字が記述されている。


 手渡された木刀を見て、明梨は怪訝な顔をした。


「……これは?」


 明梨が聞くと、賢三郎は笑みを浮かべて、言う。


「過去の栄光じゃ。まあ、まじないみたいなものでな」


 特に使用する場面は無さそうだが、お守り代わりに、という事だろうか。明梨は頷いて、木刀を軽く振った。




 ○




 クリーチャーである、トットの訓練メニューは過酷を極めるものだ。


 午前中は走りこみ、筋力トレーニング、長距離、反復横跳びをセットにして何度か回した。その段階で既にトットは息も絶え絶えと言った様子で、限界を訴えていた。


 それでも明梨は訓練を止めない。


 明梨も共に訓練しているのだから、泣き言は言わないで貰いたい。


 夢遊の作った昼食を食べた後は、実際の稽古に入る。明梨は闘技室に立つと、久しぶりの空気を胸一杯に吸い込んだ。道着と畳など、何年ぶりだろうか。


 防具を付けずに竹刀を軽く振ると、昔の感覚が戻って来る。


「……あっ……明梨ざんっ……こ、これは、なんでしょうか……」


 トットが付けているのは、明梨も装備済みの重石だ。反射神経と瞬発力は高いのに、どうやら筋力と持久力に掛けては悲しい程無いというのが、トットの特徴のようだった。


 明梨は崩れ落ちたトットの手を引いて、言う。


「まあ、見ての通りだ。両手両足で一キロずつ。これくらいはいけないとな」


 トットの体重は人間のそれから考えれば少し軽めなので、重荷としては明梨よりもきついという事はあるが。


「ひーっ……ふーっ……もふ、むり……」


 ……鼻水を垂らして絶望的な表情を浮かべる様は、あまりに情けなかった。


 明梨は無言で『ジャッジメント・ベル』を装備すると、トットに示した。それを見て、トットが阿鼻叫喚する。


「ふええっ!? 明梨さん、まさか――……」


「シンクロするぞ、トット」


「無理です駄目です勘弁してください!! 私が壊れてしまいます!!」


 昨夜『ジャッジメント・ベル』を操作していて、明梨は気付いたのだ。


 タッチパネルを操作し、『環境設定』を開く。表示されたメニューから、『シンクロ』を選択。明梨の神経に一瞬だけ違和感があり、明梨はトットに『指示』した。


 ――そう、<戦闘準備レディ>がなくとも、トットは動かせる。


「がうっ!!」


 トットが悲鳴を上げ、強制的に立ち上がる。随分と身体が重いが――トットの抵抗によるものだろう。


 ずしん、ずしん、と巨人が歩くように、闘技室の真ん中へとゆっくり歩いて行くトット。勿論明梨の指示だが、トットは明梨を睨んだままでいた。


 指示を出しているにも関わらず、まるで明梨の神経が磨り減っていくような感覚があった。『シンクロ』中はトットのコンディションは明梨にもトレースされる。互いの意思が相反していると、明梨にも疲労があるようだ。


「……随分と強情だな、トット」


「お願いです明梨さん!! せめてあと一時間!! 一時間休憩しましょう!!」


「もう昼飯食って充分休憩しただろ」


「ふええーん……筋肉痛で動けなくなっちゃいますよう……」


 トットは全力で泣いていた。だが、もうじきその涙も恐怖に変わる事だろう。明梨は畳の端に座り、目を閉じ、瞑想を始めた。


 ――愛田賢三郎は、強い。少なくとも、明梨の知る限りでは最強だ。それを自分の身体ではなく、トットの身体を通じて戦う――……


 中々に、難しい戦いとなるだろう。だから、まずは夢遊からだ。


 やがて、更衣室から賢三郎が現れる。明梨と同じように道着で、竹刀を構えていた。その姿はお世辞にも似合っているとは言えなかったが、何故か気迫のあるものだった。


「ほうほう。中々に懐かしい気持ちにさせられるのう」


 夢遊が遅れて登場した。明梨や賢三郎と違い、夢遊は剣道の防具を装備している。見た目の物騒さとは裏腹に、その剣士は飛び跳ねていた。


「わー、久しぶりだよー」


 賢三郎と違い、緊張感の欠片もない。


「ところで、ネコウサギは防具を装備しなくて良いのか?」


 賢三郎が問い掛けると、トットは笑顔で答えた。


「あ、大丈夫ですー。痛いのにはちょっとだけ強いので! ……ていうか、これ以上重くなったらそっちの方が大変……」


 後半は誰にも聞こえないように呟いたつもりだったのだろうが、シンクロしている明梨の耳には届く。


 その選択を、後々後悔することになるだろう。


「では、みゅうみゅう。ネコウサギ。前へ」


 まずは、トットの反射神経と戦闘を眺めるとしようか。明梨は腕を組み、双眼を開いた。


「トットちゃん、本気でいくけど……いい?」


 夢遊が首を傾げて、トットに聞く。トットはまたも笑顔で、夢遊に手を振った。


「大丈夫ですよー、避けるのには慣れてるので!」


「いや、トットちゃんも私に攻撃しないといけないんだけどね……」


 苦笑する夢遊。だが、トットはまだ知らない。夢遊も今のトットと同じレベルの重石を背負っているということに。


 賢三郎が二人の間に立ち、右腕を振り下ろした。


「始め!!」


 おそらく、トットは慢心しているだろう。およそ戦うとは思えない愛田夢遊と一対一で向き合い、剣を振るえと言う。油断という程ではないが、トットは特に恐怖もしていないように見えた。


 だが――夢遊はトットが思っているほど、ヤワではない。


 賢三郎の合図と共に一足飛びでトットに近付き、夢遊は真正面、大上段から剣を振り下ろした。思わぬ攻撃に全く反応出来なかったトットは、夢遊の攻撃を脳天に喰らう。


「ふぎっ――――!?」


 トットの身体は、並の人間よりは丈夫だ。真剣でなければ、致命的なダメージでは無いだろう。


 夢遊が攻撃すると、明梨にも鞭打ちのような痛みが走る。


 放っておけばどんどん攻撃される空間であり、かつその攻撃にトットが狼狽えるレベルの威力がなければ駄目なのだ。やられるかもしれないという恐怖――その中で、トットを混乱させないように訓練しなければならない。


 魔法を使っていないにも関わらず目から星が飛んで、後退するトット。夢遊は間合いを離さず、更にトットへ追い打ちを掛ける。


「ちょっ……!! やめてくださっ……!!」


 ――やはりか。明梨は、その様子をじっくりと観察していた。


 風呂場で明梨のシャワー攻撃を難なくかわしてみせたトット。だが、今はどうだろうか。夢遊の攻撃に為す術もなく撃たれ、好き放題にやられてしまっている。別に剣道のルールに則っている訳でもないので、一本取ったから終わりになる訳でもない所が凶悪だ。


 トットは恐怖を感じた時、動きが鈍くなる傾向にあるのだ。これは、確実と言って良いだろう。


「ひーっ!! もう、もうやめてくださいっ!! ごめんなさい!!」


 トットは頭を抱えて、その場に蹲った。心配した夢遊が攻撃を止め、賢三郎がその様子を呆れ顔で見ている。


 ……やれやれだ。明梨は立ち上がり、トットと夢遊に近付いた。


「ごめんね、大丈夫? トットちゃん」


「い、いたかったです……。思ったよりずっと痛かったです」


 多少以上に、明梨はトットに怒りを感じていた。トットの目の前まで来ると、トットが涙目で明梨を見上げる。


「も、もう終わりですか……?」


 あらゆるクリーチャーが入り交じる、『身体から☆出ますよ?』の中でも最下層に位置すると言われる、『第十階級』。そのクリーチャーとしてゲームにエントリーしていることを、トットはどのように考えているのだろうか。


 ――あまりに、情けない。


「あと千本だボケがああああ!!」


「にゃ――――――――!!」

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