第8話 お買い物ハプニング ↑
「聞いてないですっ!! お湯が出るなんて!!」
夢遊に手伝って貰い、トットに風呂場の使い方を教える事、三十分。ピカピカの銀髪を愛おしそうにタオルで撫でるトットは、開口一番明梨にそう伝えた。
どうやら、トットの世界では神聖なる何処ぞの池から真水を浴びる風習であり、トットが最も苦手とする行事の一つだったらしい。
池の水を温めて入るなどは、禁忌に触れるので出来ないそうだ。一体どこの宗教だ、とは思ったが。
通りで、獣臭くもなるというわけだ。
葱を輪切りにして、人数分の味噌汁に投下した。まだ朝も早い時間帯なので、夢遊の学校には間に合うだろうか。
……本当は、自分も行かなければいけない学校。
明梨が学校に行かなくなってからというもの、夢遊は毎日明梨の所に『自称昨日の晩ごはん』を持ってくる習慣となっていた。
明梨は盆に人数分の味噌汁を乗せると、トットと夢遊に出した。さり気なく、トットの頭を嗅ぐ。今度は爽やかな、シャンプーの香りがする。
獣臭さが吹き飛ぶと、急に女の子の香りがした。
まして着る物が無かったので、今は応急処置として明梨のシャツとジーパンを着ている。そのことがどうにも気恥ずかしく、明梨は赤くなった顔を隠す為に頭を振って、食卓についた。
「わあ、あっくんのお味噌汁だー」
「ミュー先輩も、食べていきますよね?」
「うんうん、ありがとうー」
トットは目を白黒させて、明梨が出した朝食を見詰めていた。
「トットはこういうやつ、食べられるの?」
「…………あ、はあ……たぶん……大丈夫かと」
……どうしたのだろう。明梨達の知らない世界の住人だ。見たことのない食べ物に、混乱していると捉えるべきだろうか。
明梨がそんな事を考えていると、トットは急に慌てたような雰囲気で、明梨に土下座した。
「ごっ、ごめんなさい、私、思わず水如きにパニックになっていまい……!! まして命の恩人様に、無礼な態度を!!」
「いや、いいけど」
「明梨さん、いや明梨様ですね、私、ネコウサギ族のトットと申しまして、どうぞ奴隷のようにこき使ってくださいますよう――――むぐっ」
率直に感じた事を言葉にするなら、面倒だった。明梨はロールパンを千切ってジャムを付けると、ペコペコバッタと化して上下運動を繰り返す兎耳付き銀髪少女の口にパンを突っ込んだ。
強制的にトットは黙る事になり、目を丸くしたまま、口に突っ込まれたロールパンをもぐもぐと咀嚼する。
ごくん、と喉が動いた。
「うまいか?」
トットの瞳孔が揺れた。何やら口元を押さえながら、頬を赤くしている。目尻には涙まで浮かんでいた。
腹も減っていただろう。明梨は緩い笑みを浮かべて、トットに残りのロールパンを渡した。
ふんふんと匂いを嗅ぎ、一口。バターの香りに感動したのか、きらきらと目を輝かせて、もう一口。次の瞬間、ロールパンは一瞬にしてトットの口の中におさまった。
……余程、減っていたらしい。
「おっ……美味しいですうあ――――――――!!」
しかも、号泣だった。
まるで、行き倒れになっている人を助けたかのような気分だった。まあ、あの檻の中では似たような環境だったのかもしれないが。
「あー、あっくんが泣かしたー」
「誤解を招くようなこと言わないで貰えますかね」
表情の読めない笑顔で自身の頬を撫でながら、夢遊が悪戯っぽく言った。いつも夢遊は、意外と冗談を言うのが好きなのだ。
トットは明梨の隣に陣取ると、またも深々と頭を下げる。
「あっ、ありがとう、ございますっ。ありがとうございます、明梨様、私めのような低俗なネコウサギ族に、このような食べ物を恵んでいただき……」
「あー、そういうのいいから。『様』もいらないから」
「いたっ!! ちょっ、引っ張ら……にゃ、にゃー!!」
明梨は頭を下げたトットの両耳を掴み、真上に引っ張る。強制的に頭を上げさせられたトットは、両手を動かしながら慌てた。
手を離し、トットを正座の状態に戻す。
「別に主人と奴隷の関係って訳でもあるまいし。とりあえず、事情を説明してくれないか? こっちは何が何やら分からない状態で、手の出しようもないんだ」
トットは明梨の言葉に我に返ったのか、目をぱちくりとさせて大きく見開いた。
「は、はいっ!!」
○
事の展望は、意外と絵に描けば単純だった。明梨はノートを開いて、無駄に鍛えた画力を駆使して図に描いていく。
「じゃあ、トット達『ネコウサギ族』は第十階級の種族なんだな」
「はいっ」
トットの住んでいる、明梨達にとっては『異世界』――『ソーシャル・エッグズ』と呼ばれる、いくつもの閉じられた世界。そこには数百種類にも及ぶ、明梨達が見たことも無いような生命体が住んでいるのだとトットは言う。
『エッグ』とは地球に比べると小さな星の一つであるが、まるで卵のように上空は薄い膜で覆われているため、そう名付けられたようだ。
各『エッグ』間は『エルフ族』を始めとする、高度な制御魔法を使う事のできるクリーチャーが創り出した『ゲート』によって移動することができる。そうすることによって、今日までに数多くのクリーチャー達が共存するようになった『エッグ』は全部で七つ。
やがて、クリーチャーの中でも強靭であり、様々な知識を持つ者達が他のクリーチャーと上下関係を作るようになり、言語体系は統一化されたのだという。
「第十階級というのは、どのくらいの地位なの?」
「えっと、言ってしまえば、殆ど奴隷のようなものです。はした金でこき使われて、生活も苦しく……第十階級のクリーチャーはどうにか子供を作って、育った我が子を上位階級に売りに出すことで、細やかな資金を得て、余命を静かに過ごします」
「えっ? 子供を、売るの?」
夢遊がそう聞くと、トットは寂しそうに微笑んで、頷いた。
「同じように奴隷として仕えさせる契約をする事で、親にもお金が入るんです。そのせいで、欲に目が眩んで子供を自分と同じ立場にしてしまうようになって、どんどん泥沼に嵌っていくんです」
「……自分と同じ、立場に」
「はい。自分もそれでどうにか生きてきたんだから、我が子も大丈夫だと……残された子供はパンを一個買えるかどうかというお金で一日働いて、それだけでは生きていけないので物乞いをしたりですね……」
夢遊が悲壮に満ちた眼差しで、トットを見詰めた。トットはその様子に、自虐的に笑った。
『ヒト鬼族』であるエルクレアのような、権力を持った『第一階級』が異世界から情報を得てくる事によって、『ソーシャル・エッグズ』は進化する。だから、誰も彼等のやり方に抵抗できないそうだ。
ある日、第一階級のクリーチャー達はこぞって集まり、ある企画を立ち上げた。
第二階級から第十階級までの、『ソーシャル・エッグズ』の殻の中で生きるクリーチャー達。
その階級をシステムによって変化させられるようになったら、もっと面白いと思ったらしい。各クリーチャーは代表を名乗り出て、クリーチャー同士で戦いを行うと言うのだ。
その戦績によって、階級が変化する。勿論、エルクレア達の『第一階級』まで上り詰める事は出来ないが――……それでも、『第二階級』まで上がる事が出来るというのは、素晴らしいシステムだと誰もが思った。
あの、『ゲームセンターを模したエッグ』に集まり、ゲームをすることによって――……
明梨は食後の麦茶が入ったコップを傾けながら、面白く無さそうに言った。
「なるほど。
「優勝すると、第二階級の強いクリーチャーと戦う権利が与えられます。第二階級って、『理想郷の外殻』以外に六つある『エッグ』のうち、一つを割り当てられるんです。その中では、ある程度好きにして良いということで……」
「つまり、王様って事だろ」
「はい、そんなところです」
優勝者が決まった段階で最も生産能力の無い――言わば、無能な王とも呼ぶべき『第二階級』のクリーチャーと、『身体から☆出ますよ?』の優勝者が戦う。優勝者が勝てば、立場が逆転する。
確かに、より世界を発展させるために必要であり、第一階級のクリーチャーを満足させるだけの興にはなるだろう。
そのために、第一階級のクリーチャーは『地球』と繋がっている、第一階級のクリーチャーだけが行き来できる『エッグ』を、『身体から☆出ますよ?』のプレイヤーに開放したというのだ。
それが、明梨達の見た『理想郷の外殻』なのだという。
「優勝することで『エッグ』の管理権が与えられるならということで、皆さん、このゲームに参加するようになりました。自分の命を賭けて――……余命が来るまでに一度、『地球』を見ることもできると」
「地下の巨大なゲームセンター……集められたゲーマー。つまり、クリーチャーだけの能力では、簡単には差がひっくり返らなくて面白くない、って事だな」
「……はい」
トットは申し訳無さそうに、頷いた。自分に能力が無いことを知っているからだろう。
自分とその種族の未来を賭けて、一発逆転を狙う数多くのクリーチャー達。それを、半ば神のような視点で上から眺めている『第一階級』。
つまり、そのような構図になっているということだ。
なんとも、傲慢な態度だろうか。誰にでもなく、明梨はそう思う。
夢遊が時計を確認して、言った。
「ごめん、あっくん。私、そろそろ学校に行かないと」
「あー、うん。先輩、肉じゃが、ありがと。うまかった」
立ち上がって、玄関に向かう夢遊。靴を履いて、振り返って明梨を見詰めた。学校に行くか、と問い掛けているように見えた。
明梨は苦笑して、背中のトットを指差す。
夢遊も苦笑して、頷いた。
「じゃあ、また夜に来るね。あっくん」
「うい、行ってらっしゃい」
「何かあったら、呼んで」
明梨は頷いた。
バタン、と扉が閉められ、空虚な静寂が訪れる。トットは正座をしたまま、明梨の事をじっと見ていた。
きらきらと輝く瞳。……俺は英雄か何かか、と思わず明梨は思ってしまったが。トットにとっては、そう大差のない存在なのだろう。
――正直、さっきの風呂のように普通にしていて欲しい。
ふと、何かの音楽が聞こえた。どうにも聞き慣れない音楽だ。
「あっ……」
トットには、何の音なのかが分かったようだった。
見れば、部屋の隅に見覚えのない真っ黒なポーチが転がっていた。よく見掛けるようなものだったが、ポーチの前面には卵のようなロゴがプリントされている。
アルファベットで、『Arcadia Shell』と書いてあった。言葉などの文化も地球のものを引用しているのか。
チャックを開けて中を確認すると、まるで腕時計のようなバンドが登場した。呼び出しているのはその機械だったようだ。ディスプレイの右下に、小さくその機械の名称と思われるものが書いてある。
明梨は、その文字を読み上げた。
「『ジャッジメント・ベル』……対戦に必要な情報を扱うモン、ってとこか? どこぞのカードゲームみたいだな」
「カード?」
「ああ、気にしないでくれ」
『Open』と書かれているボタンを押すと、ディスプレイの横にブレードのような、楕円形のボードが飛び出した。
そのボードには、五つの星が装着されていた。更に星をセットするための空きスペースがあり、星は十個まで装着可能になっている。これが、対戦で賭けるという星の事だろう。
十個集めれば、晴れて予選通過というわけだ。
少し大きめのディスプレイに映った内容を確認する。
「デモ戦……? 今回の戦闘では、星を賭けることはありません。ご注意ください」
トットが擦り寄ってきて、明梨の見ているディスプレイを見詰めた。
どうやら、いきなり対戦とは行かないようだ。明梨は少しだけ安堵した。トットは何やら緊張した面持ちで、画面を眺めている。
対戦相手は、明梨の知らない男だ。
「せめてハンドルネームなら、まだ分かりそうなもんだけどな」
「ハンドル?」
「ああいや、気にしないでくれマジで」
どうにも、何処ぞのネットで覚えたスラングが飛び出す。明梨は苦笑して、手を振った。
時刻は本日、十三時。昼過ぎ、これが学校や会社なら昼休みといった所だろうが。一体、どのくらいの時間が掛かるものなのだろう。
場所も不思議だ。「誰も居ない状態で各種エレベーターに乗り、『スタート』ボタンを押下してください」などと書いてあった。
まさか、エレベーターの中で戦うということはないだろう。ならば、どこか異世界の知らない場所に飛ばされるということなのだろうか。
明梨は疑問が尽きなかった。
「つ、ついに始まるのですね……」
トットは固く拳を握り締めていた。
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