第6話 どん底ネコウサギ ↑

 薄暗い室内には、宙に浮かんだ明かりが無数に彷徨っている。まるで人魂か何かのようだが――……あれは恐らく近くに居る、死に装束のような服を着て、鎌を持った少女が操っているのだろう。黒スーツの男――エルクレア、と名乗っただろうか。彼の隣で、鎌を振っていた。


 エルクレアはステージ端に向かって手招きをした。すぐに、汚いぼろきれのような服を着て、髭を生やした老人がよたよたと歩いて来た。頭には、兎の耳のようなものが動いていた。


 老人はエルクレアのそばで、四つん這いになった。


「なっ……」


 思わず、明梨は眉をひそめて呟いた。


 躊躇もなく、エルクレアは老人の背中に座って足を組んだ。老人には目もくれず、ただ、こちらを凝視している。


「まず、初めに説明しておきたいと思う。もう既にお察しの事もあるだろうが、この世界は君達の生きている世界――『地球』とは、異なる時空間に存在している」


 辺りがざわついた。有り得ない、と言っている者も居れば、本当かよ、すげえな、と感嘆の声を漏らしている者も居る。明梨達は状況に付いて行くことができず、ただ周囲の様子を眺めているだけだったが――……


「予選のルールは既に手渡された、このゲームの『参加チケット』より、説明を受けた事だろう。沢山の『クリーチャー』の中から、自分に合ったものを選ぶ事は出来ただろうか?」


 ゲームの参加チケット……とは、恐らく明梨も渡された、あのゲームディスクで間違い無いだろう。


 しかし――沢山のクリーチャーの、中から?


 明梨は、頭に疑問符を浮かべた。『自分に合ったものを選ぶ』とは、つまり先のゲームディスクにて行われた、『キャラクターセレクト』を指しての事だろう。だが、明梨が実際に選ぶ事が出来たのは『ゆるふわネコウサギのトット』のみだった。


「……あんな、早い者勝ちみたいなの。選び切れるわけ、ないよ」


 爽子が明梨の袖を握り、目を逸らして小さく呟いたのを、明梨は見逃さなかった。


 早い者勝ち、みたいな。


 つまり、明梨がキャラクターセレクトを行った時には、トット以外の全てのクリーチャーは選択された後だったのだ。そういえば、ステータスメーターのようなものがトットの右側に表示された時、そのステータス表示はかなり低いものだったような――……


 あれはやはり、ステータス表示だったのか。と、今更ながらに思う。アルファベットは何かのステータス、ということは、その右側に表示されていたのはやはり、メーターだったのだろうか。


 明梨の選択した『ゆるふわネコウサギのトット』は、殆どがメーターの意味を成さない程の短さだったが……。


「このステージの奥には、君達が実際に選んだ『クリーチャー』が居る。その目で確かめて、親交を深めて欲しい。見事気に入った暁には、『クリーチャー』らと『シンクロ』を行ってくれ」


 エルクレアの後ろの幕が、徐ろに上がっていく。幕の向こう側には、少し見ただけでも幾つもの檻があると分かった。四つん這いの老人についてもそうだが、なんとも悪趣味な――と、明梨は思う。


 その檻の中には、幾つもの生き物――エルクレアが言う所の、『クリーチャー』が居る。クリーチャーは一人ずつ檻に押し込められており、人間達との接触を今か今かと待ち兼ねているように見えた。


「なお、『シンクロ』を行わなかった場合は辞退と見なす。全員がクリーチャーと『シンクロ』を終えたら、今回は転移魔法で家まで送るから、安心して欲しい。もう地球時間では電車も無いからね」


 ステージ奥に向かって、人々は動き出した。この場で反対する事は出来ないし、する理由もないと判断したのだろう。何より、『シンクロ』が終わらなければ帰る事が出来ないのだ。


 そこかしこで、『ゲームだから大丈夫だ』といった類の言葉が聞こえてくる。この異常事態に頭が麻痺してしまっているのか、はたまた人々の中には興味津々で檻へと走って行く者も居たが。


『本当に始めます! よろしいですか? はい/いいえ』


 あの時選んだ選択肢は、つまりもう後戻りは出来ないという意味を持っていたのかもしれない。ならばこのゲームは余程危険なのか、どうなのか。明梨には分からなかったが、目の前に居るエルクレアという男があまり人間的な常識を兼ね備えていない事は、彼がわざわざ椅子ではなく、老人の上に座っている事を見ても明らかだ。


 明梨達は一番ステージから離れた入り口近くで、動く事を躊躇っていた。だが、いつまでもここに居る訳にも行かない。


「行こう」


「あ、明梨!」「あっくん……」


 喉を鳴らして、明梨は歩き出した。遅れて爽子が、珍しく緊張した様子で夢遊が、明梨に付いて来る。


 エルクレアは明梨を見ると、嬉しそうに笑った。


「『辞退』なんてしないでくれよ、不死川明梨君。君は私が特別に選んだ、ゲストなんだ」


 エルクレアの言葉を聞いて、明梨は顎を引いた。


 ――ゲスト。


 だから、始めから明梨が選ぶべき『クリーチャー』は決まっていたとでも言うのだろうか。一体、何を企んでいるのか分からないが――……


 明梨は何も言わず、エルクレアの横を通り過ぎた。


 檻の向こう側には、いくつものクリーチャーがいた。皆一様に、首に黒い首輪のようなものを付けていた。妙に猛り立っている者、プレイヤーの顔をいち早く見ようと目を光らせている者。その姿は様々だったが、奇妙にも檻の向こう側に居るクリーチャー達は狂気に満ちていると言うべきか、コントロール不可能な自我に溺れているように見えた。


 未だ、夢のように思える。明梨は四方を眺め、『ゆるふわネコウサギのトット』を探した。


「――――あ」


 檻を見て、爽子が呟いた。澄んだ瞳の向こう側に居るのは、逆立てた水色の髪に忍者装束のような衣装を着た男だった。他のクリーチャーとは違い、静かに腕を組み、檻に凭れ掛かっている。


 異質なのは、男の左腕の筋肉は異様に盛り上がっており、岩のような質感の手が衣装を破り、伸びていた事だった。


「『ゴーレム忍者』の『ハヤテ』……?」


 初めて、見る。檻の向こう側に居る男は口元を黒い手拭いのようなもので巻いてあり、表情を確認することが出来なかった。ぎょろりと、目玉が動いて爽子を見ていた。


「お前が神凪爽子か」


「は、初めまして」


「『ゴーレム忍者』はエルクレアが付けた呼称。俺は『ゴーレム族』だ。あまり気に入っていないので、ハヤテと呼んでくれ」


「うん、わかった……」


 爽子は、自分のクリーチャーを見付けたようだ。奥の方で、檻の向こう側に居るクリーチャーとプレイヤーが光り始めている。光が収まると、一組のプレイヤーとクリーチャーは消えてしまった。


 エルクレアの言う、『転移魔法』とやらだろう。檻の近くには数名の耳の尖った女性がおり、対になったクリーチャーとプレイヤーに魔法を飛ばしていた。


「嫌だ!! 俺は間違えてこいつを選んだんだ!!」


「あっくん、あっち、何か騒ぎになってるみたいだよ」


 どこかで、叫び声が聞こえた。未だ『トット』が見付からない明梨は、その声がする方に向かって行った。


 見れば、何事かとエルクレアが立ち上がり、少年のもとに向かっているようだった。小学生の高学年か、中学生くらいだろうか。少しやんちゃな雰囲気のある少年は、エルクレアに向かって叫んでいた。


 彼の隣に居るのは、慌てふためいている二足歩行の豚――いや、豚男とでも呼ぶべきだろうか。大の大人の二倍はあろうかという巨体だった。


「申し訳ないが、全てのプレイヤーはクリーチャーを選んだ後なんだ。君は彼を選ぶか、『辞退』しかない」


 エルクレアは微笑んで、少年を見た。少年は豚男を見て、嫌そうな顔をしていた。その表情を見て、豚男は滝のように汗を流して、必死で笑顔を作っている。


「オ、オイ。俺、結構役に立つぜ。戦えるぜ。ほら、斧だって楽に持てるんだ。お前と俺なら結構良いところまで行けると思うんだよ。やろうぜ、『からでま』。優勝しよう」


 豚男が甘い言葉を掛けるが、少年は聞く耳を持たなかった。


「エルクレアさん!! もっと格好良いのがいい!!」


 エルクレアは首を振った。


「それは、できない。来年もまた開催する予定だから、その時には新しいクリーチャーを入れるつもりだが――……そうだ! 辞退、するかい? 君は間違えてしまったから――……この場での辞退については、特別に罰ゲームを無くそう。安心してくれ」


 今思いついた訳ではなく、予め用意された台詞であることが分かりきった語調だった。


「……いいの?」


 エルクレアはわざとらしく肩をすくめる。そうして笑いながら、言った。


「『クーリングオフ』って、あるだろう?」


「オイ、やめてくれよエルクレアの兄貴!! なあ少年、オーク族ってそんなに悪くないんだぜ、パワーなら随一だしな!! 魔力がないとか言われるけど、スキルだって結構やれるんだ」


 少年はエルクレアと豚男を交互に見ていた。だが――やがて、諦めたように溜め息を付く。


「……わかった」


「おお!! 一緒に頑張ろうな、少年!!」


 エルクレアを見て、少年は言った。


「来年にするよ」


 堪らずといった様子で、エルクレアが吹き出す。豚男は絶句し、何も言えなくなっているようだった。


「辞退、でいいかな?」


「おじさん、来年も絶対誘ってよ」


「ああ。約束だ。マーシャ、彼を送って差し上げろ」


 マーシャと呼ばれた尖った耳の女性は、無言で頷いた。少年は光に包まれ、その場から消えて行く。檻の中に居る、豚男を残して。


「塾の帰りが遅くなって、親御さんが心配しないといいね。良い夢を」


 目を閉じると、エルクレアは祈りのように、そう呟いた。


「……うわあ、かわいそう」


 夢遊が言った。豚男にとっては考えられる中で最も最悪のシチュエーションだったのだろう。取り残された豚男は、絶望的な表情を浮かべてその場に放心している。エルクレアは堪え切れず、高らかに笑った。


「あ、兄貴ィ!! これは違うんだ!! ……そ、そう、事故なんだ!! 間違えて選んだって言ってたじゃないか。俺のマスターはそう、別に居るんだろ!?」


「いいや。君のプレイヤーは、間違いなく彼だったよ」


「なあ!! 兄貴、俺とアンタの仲じゃないか!! 助けてくれよ!! こんな、こんなのってねえよ!!」


「ルールは、ルールだ。君がそれを選んだんだよ」


 エルクレアは左腕を上に掲げ、目を閉じて人差し指と親指を合わせた。


「ちょっと、待っ――――」


 笑みを浮かべたままで。


「『豪腕のオーク、ポストン』。ゲーム・オーバーだ」


 指を、鳴らした。


 瞬間、豚男の首に付いていた首輪が作動する。強烈な爆風に、近くに居た人間達が悲鳴を上げて屈み込んだ。明梨と夢遊も、思わず目を閉じる。


 暫くの間、風に身動きを取ることが出来ず、明梨は目を閉じたままでいた。やがて風が収まると、明梨は目を開いた。


「キャ――――!!」


 豚男の近くに居た、女性プレイヤーが悲鳴を上げた。その悲惨な光景に、明梨は絶句した。


「あ、あっくん……!!」


 夢遊が明梨の背中に隠れる。豚男の首は、爆風によって飛び――惨たらしい光景が、そこには広がっていた。


 緑色の血液と思わしきものが、そこら中に飛び散る。


 エルクレアは顔をしかめて、鼻を摘んだ。


「何してるんだ、マーシャ。プレイヤーに迷惑だから、早く片付けろ」


 マーシャは頷き、魔法を唱えた。すぐに豚男は光り、緑色の血液と共にそこから姿を消した。


 ――消した?


 移動しただけだ。死体を、どこかに。間違いなく今この瞬間に、一体の『クリーチャー』がこの世界から姿を消した。


 つまりは、そういうことなのだろう。


「プレイヤーの皆様、ご迷惑をお掛けしました。引き続き、クリーチャーとの交流をお楽しみください」


 エルクレアはそう言って、頭を下げた。


 そうか。明梨は、推測する。


 つまり、この『身体から☆出ますよ?』という大会は、クリーチャーにとっては命を賭けた戦いなのだろう。クリーチャーは『道具』、プレイヤーは『ゲスト』。ゲームオーバーになると、クリーチャーは殺されるというわけだ。


「……ふざけた名前のくせして、とんだゲームだな」


 明梨は眉をひそめて、『ヒト鬼族』のエルクレアを見る。


 豚男を処理することに、なんら躊躇いのようなものは感じられなかった。あの豚男はエルクレアにとって、情けを掛ける必要のない、例えるならば奴隷のようなものだったのだろうか。


 それは分からないが――……やはり、地球で言う所の『人権』のようなものは、存在しないと見ていいだろう。


 なんということだろうか。


 一度も見たことがない生き物だとはいえ、こうも流暢に言葉を喋る生き物が目の前であっさりと死んでいく様子を見ると、何も言えなくなってしまう。『シンクロ』を拒否すると、ああなるということか。


 エルクレアは、やはり安全なクリーチャーとは言えないようだ。店長と名乗っていたが……


 爽子はもう、この場所から離れたのだろうか。明梨は先程の檻にハヤテと名乗るクリーチャーが居ない事を確認した。


 続々と、対になったプレイヤーとクリーチャーが居なくなっていく。檻も空席が目立つようになり、探す場所は徐々に減っていった。


 ――――あれは。


 明梨は、足を止めた。


「……トット?」

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