第12話 強者の条件 ↑
夢遊の爺さんが、剣術の師範で良かった。そんな事を、明梨は考えていた。咄嗟に動く身体が無ければ、トットを救出する事は不可能だっただろう。
思い出したかのように、焼け焦げた背中が疼いた。明梨はその痛みを、歯を食いしばって耐える。横で見ていたサトゥーリャが時間を確認すると、メアリィとトットの間に走って来た。
「はい、デモ戦はここまでです……<スキャニング>するから、ちょっと待ってね」
サトゥーリャは目の前に、真っ白に輝く光のスクリーンのようなものを出現させた。メアリィとトットの体力を測定しているようだ。
「メアリィ、六百七。トット、三百二十五。ということはぁ――!! どぅらららららっ!! だーん!! 勝者は、『狂気のマリオネット』メアリィ――――!! イエ――――!!」
ぐるぐると腕を回しながら、叫ぶ。だが会場に観客など居るはずもなく、空間は静寂に満ちていた。一頻りはしゃいだ後、急にサトゥーリャは寂しそうな表情になった。
「……デモ戦ってつまんないよね。まあ、予選自体観客居ないからやること少ないんだけど」
ぽつりと、本音が漏れるのだった。
そんな状況に苦笑する余裕もなく、明梨は背中を確認した。致命傷ではないが、それなりに深手を負っただろうか――……。べっとりと、破れたシャツには血が滲んでいる。
トットは起き上がり、明梨の様子を確認した。大きな瞳が、涙に濡れる。
「明梨さん!? 大丈夫ですか、明梨さん!!」
「ああ、大丈夫だって……。ちょっと掠っただけだ」
「嘘、だってこんな……」
背中は少し、無残な事になっているだろうか。だが、立ち上がる事が出来ない訳ではない。明梨は起き上がると、絶望的な表情でへたり込んでいるトットの頭を撫でた。
あらぬ方向を見詰め、呆然とした顔で涙を流していた。
「ご、ごめんなさい……私の、せいで……」
そう思ってしまうのも、仕方ないだろうか。あの場でトットは、身動き一つ取ることが出来なかったのだから。
だが、明梨は微笑んだ。
「予選の本戦控えてるんだから、致命傷なんて負ったらそれこそ勝ち目ないだろ。これが正解だ、トット」
言いながら、苦痛に顔が歪む。
トットは首を振った。腰が抜けたまま、立てずに居るのだろうか。それとも、自分のせいで明梨が傷付いたとでも思っているのだろうか。
だが、『トットの戦闘法』が分かった今、トットという貴重な戦力を無くす事は避けたかった。明梨はトットの頭を抱え、何度でも艶やかな銀髪を撫でた。
ふと、明梨の視界に影が映る。明梨は顔を上げ、眉根を寄せて明梨の事を憐れんでいる少女を――クリーチャーを、見た。
「有り得ませんわ。なんて、馬鹿なことを……」
「『プレイヤー』と『クリーチャー』は二人で戦ってるんだ。ルールのどこにも、クリーチャー同士の戦いにプレイヤーが参加しちゃ駄目なんてことは書いてなかったぜ。だろ?」
明梨はメアリィから視線を外し、暇を持て余しているサトゥーリャを見た。髪をいじっていたサトゥーリャは急に声を掛けられて狼狽し、両手を振りながら答えた。
「あ、うん、大丈夫だよー? 別にクリーチャーの故意でなければ、プレイヤーが傷付いても、クリーチャーにはペナルティはないし。ただし、クリーチャーからの故意な攻撃は駄目だけどね!」
それを確認できれば、十分だ。明梨はトットの手を引いて立ち上がらせると、再びメアリィに顔を向けた。
「ってことだ。それじゃな、小野寺、メアリィ。予選で当たらない事を期待してるよ」
カラオケボックスのエレベーター内で時間が凍結しているとするなら、あの場所に戻れば元の世界に帰ることが出来るだろうか。明梨は疼く背中に気付かない振りをして、どうにか自然な顔を作った。
あまり、トットに心配を掛けるわけにもいかない。自分を庇って傷付いた明梨を見て、トットは既に自我を無くしていた。呆然と定まらない瞳で、ただ明梨の後ろを付いて行く。
それは、「あまり気負うな」などという、安易な声掛けが出来るような状態ではなく。
逆の立場に立ってみれば、自分でもトットのように思うかもしれない。本来戦闘に参加する筈のないプレイヤーという存在が、クリーチャーの前に立ち向かったのだから。
だが、これも戦術の一つだ。
「二度と私の前に顔を出さないことね!!」
去り際に、メアリィの怒りの声が聞こえた。
どうにかカラオケボックスまで戻ると、上昇のボタンを押下する。明梨は痛みを堪えながら、どうにかエレベーターの動きに身を任せた。
ガタン、と振動を感じて、エレベーター内の雰囲気が変わる。やがて、明梨はエレベーターが上昇していることに気が付いた。
世界が、元に戻ったのだ。
少なくとも、明梨にはそう感じられた。
「……明梨さん」
「とりあえず、帰ろう」
平常心を保っているのが辛くなる。程なくして、エレベーターはカラオケボックスにて受付を済ませた際の指定階層まで辿り着いた。だが明梨は再びボタンを押下し、一階の受付まで戻る。
やがてエレベーターの扉が開かれると、そこには今まで通りの受付と、数名の若者がいた。人の姿を見て、明梨は安心する。
元の世界に、戻ってきたのだ。
何やら機種について揉めているようだったが、明梨は何も言わずに会計へと伝票を持っていく。受付に立っていた女性が明梨の顔を見て数回、瞬きをしていた。何しろ、入った時から時間が変わっていないのだ。<フロスト・ワールド>内に居る時は時間の制約を受けないのだろうか。明梨には分からなかったが――そんな事よりも、先に帰る事の方が先決だ。
「あの……お時間まだ残ってらっしゃいますが、よろしいですか?」
「ああ、大丈夫だから」
会計を済ませた後、明梨が振り返ることで、受付の女性は明梨の背中を見て驚愕に息を呑む。一体、この短い時間の間に一体何があったのだろうかと思っていることだろう。
呼吸が浅い。
意外にも深くまで抉られた背中を、庇う余裕もなかった。
そして。
「あの、明梨さん。今日の晩御飯は、私が作りま――――」
カラオケボックスを出ると緊張が解けたのか、明梨の意識は遠く彼方へと飛んで行った。
○
いつから弱いキャラクターばかりを使うようになったのか、明梨はもう覚えていない。
だが確かに言えることは、明梨は強いキャラクターを使って勝つ事に、あまり楽しみを見出さなかったということ。
険しい道を登る苦痛よりも、そこから上に見える景色があることが、明梨にとっては嬉しい事だったのだ。
遠い昔。
本当は、自分にも特殊な能力が潜んでいるのではないか。いつか鍛え上げればそれが手に入るのではないかと、本気で思っていた幼少時代。
それが叶わないと知ってからのこと。自分が駆け上がるべき道を見失い、戸惑った日のこと。
画面の向こう側の世界に逃げ込んだ日のこと。
そして――――…………
「…………」
明梨は目を覚ました。
見慣れた天井に、見慣れない円盤型の電球が付いている。明梨は確か、天井から吊るすタイプの電球を使っていたはず――……自分が寝かされていることに気付いた明梨は、辺りを見回した。
そこら中に転がる、ヌイグルミや流行りのキャラクター。その中には、明梨がやっていたゲームのものもいくつかある。
女子の部屋だ。
通常と違うのは、その流行りのキャラクターの中にはいかにも美少女・美少年な、一概に少女趣味とも言い辛いフィギュアがショーウインドウに飾られていること。
明梨の前髪が、そっと撫で上げられた。目の前で柔らかく微笑む、マシュマロのような女性の顔を見た。
「……なんでペンギンなんですか、先輩」
愛田夢遊は布団の横に陣取り、寝転がる明梨の隣でペンギンの帽子を被っていた。
「あ、これクレーンゲームで釣ったんだー。可愛いよねー」
「いや、そういうことでなく」
明梨は起き上がり、状況を確認した。時刻は――……既に、夕刻だった。空は茜色に染まり、夕暮れの日差しが部屋の中に差し込んでくる。
その光に、ほのかな暖かみを感じた。
「あっくんの携帯から真昼に電話が掛かってくると思ったら、トットちゃんだったんだもん。びっくりしちゃったよ」
――そうか。明梨は、夢遊のその一言で状況を確認することができた。
自分は、カラオケボックスを出た所で倒れたのだ。それから大慌てで、駆け付けてくれたのか。
「救急車は?」
「呼ばれたら、トットちゃんが大変かなーと思って。まず、人目につかない場所に逃げてって言ったの。そしたら、カラオケに入ったみたいで」
既に料金支払い済みの、カラオケボックス。頼み込んで、入れて貰ったという所だろうか。
明梨の背中から胸に掛けては包帯で固定されており、処置はしてあるようだった。電話帳の一番上にあった夢遊の名前に気付いて電話を掛けたのだろうか。よく、使い方が分かったものだ。
偶然だったが、明梨が夢遊の祖父の下で訓練を受ける際に、夢遊は傷への対処の仕方を学んでいる。これは、不幸中の幸いとでも言うべきだろうか。
傷は完全には治っていないようだが、痛みは引いていた。
「はい、お水」
夢遊は水の入ったグラスを明梨に近付けた。明梨はそれを右手で受け取ろうと思ったが、夢遊は明梨の口元へと、グラスを持っていく。
そうして、水を飲まされた。
「んっ……ちょ、先輩。自分で飲めますって」
「いつからだっけねー?」
「はあ?」
夢遊は明梨に、微笑み掛けた。
「あっくんが私のこと、『ミュー姉ちゃん』って呼ばなくなったの」
明梨は、口を噤んだ。唐突に放たれた言葉に、どう対処していいのか分からなくなる。
まるで母親のような微笑みで、夢遊はグラスを盆に戻した。明梨は頬を僅かに染めて、夢遊から目を逸らした。
「……いつの話、してんすか」
「ミュー姉はミューだから、幻なんだって言ってたよねー。幻なんだから、すごいんだって。幻の意味もよく分からないのに、はしゃいでね。あのゲーム、懐かしいなあ」
「やめてくださいよ、昔の話すんの。……有り得ないだろ、常識的に考えて。母親か」
最後の方は、照れ隠し以外の何者でもなかった。明梨の言葉に、夢遊はだらしない笑みを浮かべて、明梨の頬を突付く。
夢遊は古びたバケツで布巾を絞り、明梨の身体を拭き始めた。話題の方向性とその現状から、明梨はどうにも気恥ずかしくなってしまい、俯いた。
人に身体を拭かれるなんて、何年ぶりだろうか。
だが、夢遊はどことなく寂しそうな顔で言った。
「いつから、敬語になったんだっけね」
高校に入る辺りから、明梨は夢遊とあまり接する事がなくなった。
いや、それまでが異常だったのだ。明梨は思う。明梨にとって夢遊は春の日だまりのようで、一緒に居ると居心地が良くて、そう、それはまるで母親のようで――……
生まれた時から、明梨に『両親』は居なかった。明梨にとって、『親』とは父親を指す言葉だったのだ。
だから、異常だった。明梨にとっての、母親のような『ミュー姉』は。
「……『普通』に、なりたかったんだよ。全部、変えたかった」
夢遊が、明梨の言葉に気付いて、徐ろに明梨の瞳を見詰めた。
「カッコ悪かったから。いつまでも女にすがってるみたいで、中二病丸出しで、未知のパワーは本当にあるって思い込んで」
「……うん。知ってる」
「剣術なんか、習って。いつか、本当に空から化物みたいなのが舞い降りて、世界は混沌に包まれるんだと思ってた」
明梨は、知らず布団を握り締めていた。
「無力な俺は、いつかそういう能力に目覚めて、それと戦うんだ、なんて。子供みたいな――……」
その固く握られた拳に、白くしなやかな指が重ねられた。明梨は思わず、顔を上げた。
「あっくん、でもさ」
夢遊は明梨の頭を撫でて、微笑んだ。
「私達がどうかは置いといて、『未知のパワー』も、『化物』も、いたよ?」
――――そうだ。
明梨に不思議な能力はなかった。どれだけ身体を鍛えても、その両手からは波動は出なかったし、拳が鉄のような硬さになることも、熱を持つ事もなかった。
だが、ここではない世界には本当に、そういう可能性があるんだ。
明梨は、知らず笑みを浮かべていた。
「それは、良いことだったんじゃないかな」
「――……そっすね」
その時、ふと明梨は気付いた。倒れる前には持っていた筈の、鞄がない。そして、明梨が身に付けていた『ジャッジメント・ベル』も、忽然と姿を消していた。
夢遊の部屋を見回すが、別段明梨の私物らしきものもない。明梨の部屋はこのアパートの二階だ。ならば、そこにあるのだろうか。
「そういえば、トットは?」
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