第13話 強者の条件 ↓

 明梨が問い掛けると、夢遊は頼りない表情で首を振った。


「あっくんをここに預けて、二階に鞄を持って行って、降りて来ないの。扉をノックしたけど、うんともすんとも言わなくて」


 まだ、気負っているのだろうか。


 明梨は立ち上がり、首を鳴らした。これまではまだ、『デモ戦』。本当の戦いは、これから始まるのだ。


 いつの間にか、明梨はすっかり『身体から☆出ますよ?』というゲームに、『理想郷の外殻』に見惚れていた。


 もしも、本当にそういう『世界』があるなら。


 例え、自分自身には何の力もなくても。


 そこに、全てを賭けても構わないとさえ思う。


「ちょっと、あいつ落ち込んでるみたいなんで。行ってきます」


 明梨は夢遊の使っているテーブルの上に置いてある、数珠のようなネックレスを手に取った。そうして、首に掛ける。


 それは、母親の形見。


 明梨の、唯一の宝物だった。


「ということは……負けちゃったの?」


「デモ戦っつって、練習みたいなもんでね。まだ、何も始まっちゃいませんよ」


 明梨は未だ座ったままの夢遊を見下ろして、笑う。夢遊も釣られたのか、笑顔になった。互いに頷き合って、明梨は玄関口を目指した。


「あっくん」


 不意に呼び止められて、明梨は振り返った。夢遊がガッツポーズをして、明梨に笑い掛けていた。


「女の子を護る男の子は、カッコ良いぞ!」


 玄関扉に手を掛けて、開きながら。明梨は、夢遊に微笑んで、言う。


「ありがと、『ミュー姉』。……大好きだ」


 夢遊が反応するよりも早く、明梨は扉を閉めた。そうして、素早く階段を上がっていく。


 それは、ただの照れ隠しだった。


 だが、気持ちを切り替えなければならない。明梨は頬を両手で叩いて、顎を引いた。このままではトットと共に、自分も『罰ゲーム』行きだ。


 負けてその後、一体明梨の身に何が起こるか分からない。


 明梨に出来る事。それは、トットを思い通りに操作し、トットを勝利に導くことだ。


 ならば、戦わなければ。


 自分の部屋の前に立ち、明梨はふと、自分が鍵を持っていない事に気付いた。しかしその一瞬の戸惑いも、すぐに晴れる。


 僅かに、玄関扉は開いていたのだ。気付かなかった夢遊も大変に夢遊らしいが……明梨はそっと、ドアノブに手を掛けた。


 音を立てず、扉を開く。真っ暗なリビングの向こう側には、和室がある。明梨は靴を脱ぎ、リビングに上がった。


 電気は点いていない。どこか遠くで聞こえる電車の通過音が耳に届く程度には、静かだった。


 部屋の中はセピア色に染まっていて、それも幾らかすると暗くなるのだろうと予感させた。


 明梨は黙って、和室の隅で震えている『それ』に、近寄った。


 ふさふさとした両耳は、だらりと垂れ下がっていた。尻から伸びる猫の尻尾は、緊張感に震えているように見えた。


 柱に左肩を預け、その生き物が両手に持っている、先程まで自分が左腕に装着していたものを、ちらりと一瞥した。


 そこには、確かに書かれた『辞退しますか?』の文字。


 その決定ボタンに両手の親指を合わせて、震えていた。




「何してんだ」




 びくん、と耳と尻尾が跳ねる。


 明梨の『ジャッジメント・ベル』のディスプレイに涙が数滴、落下した。『辞退しますか?』の文字が水滴でぼやけ、画面が不明瞭になる。


 かたかたと『ジャッジメント・ベル』が震えに合わせて機械的な音を立てる。トットは俯いていて、明梨の視点から表情を確認する事はできない。


 だが、何を考えているのかなど一目瞭然だった。


「例え『辞退』したとしても、罰ゲームが無いかどうかは、分からないんだろ?」


 続けて、明梨は聞いた。トットは首を振って、明梨の言葉に応答した。


「星さえ5個から減っていなければ、ペナルティはありません。……さっきまで、それを確認していました」


 その声は、涙に濡れていた。


 自然と、明梨の顔が引き締まる。唇を真一文字に結んで、その双眼はしっかりとトットを見据えた。


「や、やっぱり、私には、無理です。……ネコウサギ族はやっぱり、じっ、地べたを這いつくばって、仕えているべきなんです」


「――――だが、そのボタンを押したら、お前も死ぬんだろう?」


 再び、耳と尻尾が跳ねる。


 何故だろうか。不思議と、明梨は安堵していた。


 それは、トットが今この場所に居て、『ジャッジメント・ベル』を握り締めていたからかもしれない。明梨が目覚めるまで、それなりに時間はあった。


 つまり、トットはまだ迷っているのだ。自分自身の未来を決定する事に躊躇し、『死』を前にして恐れているのだ。


 それは、生き物として当然の反応。人間であっても、『クリーチャー』であっても――……


「聞いてもいいか?」


 トットは答えない。明梨はその沈黙を肯定と受け取り、続ける事にした。


「どうしてトットは、『からでま』に参加しようと思ったんだ」


 戦う事はできず、自分に魔法も必殺技もなく、檻の中で死んだように横たわっていたトット。明梨がトットを選んだ事に驚き、歓喜し、直後に絶望して、明梨に感謝しながらも、『辞退』しろと何度も言ったトット。


 未来に微かな希望を抱きながらも、自分には出来る筈がないと思っていたように――少なくとも明梨には、そのように見えた。


 既に、その両指は『決定』ボタンの所には添えられていなかった。


「…………ったんです……」


「うん?」


 明梨は腕を組み、険しい顔のままで柱に身体を預ける。涙でぐちゃぐちゃに潰れた声は、中々に聞き取り辛いものだった。


 だが、トットは続けた。


「助けたかったんですっ…………!!」


「……助ける?」


 叫ぶように、がなり立てるように、トットは言った。


「私に奴隷生活をさせないため、今も私を『売らずに』奴隷を続けているお祖父様を!!」


 明梨の眉が、僅かに動いた。


「許さないっ……!! あの優しいお祖父様を、あろうことか『椅子』になんて使ってっ――……!! 私達には何も出来ないって知ってて、無茶なことばっかり言って!!」


 ――――そうか。


 あの時、エルクレアの下で四つん這いになっていた、耳付きの老人は。四肢を震わせながら、どうにか重みに抗おうとする、弱い『クリーチャー』は。


 トットの、祖父だったのか。


「……良いんです。『からでま』の参加者に与えられる『名誉死』のお金があれば、私が売られる事よりもちょっとはマシなお金が入るんです」


 明梨の中に、静かな怒りが生まれた。


 それは山火事のように燃え盛る真っ赤な炎ではなく、例えるならば水面の下でじわじわと水を温めるような、青白い炎のようだった。


「それが、『ネコウサギ族代表』として私ができる、唯一のことなんです」


 震えるトットは自虐的に笑い、かたかたと両手の親指を震わせて、再び『決定』ボタンへと向かう。


「怖くなんか、ないです。……私はもう、充分に愛してもらったんです。……こ、今度は、私が恩返しをしないといけない番なんです」


 エルクレアという名の『ヒト鬼族』に招待された、クソッタレな世界。


 ゲームを称し、勝つチャンスを与えるとしながらも、結局は弱肉強食の、弱い者は決して生き延びる事ができない無残な世界。


「明梨さんが負けたら、私の夢に明梨さんを巻き込む事になってしまう……です」


 既に、その声は聞き取る事が出来るのか、出来ないのか。蚊の鳴くような、小さな声だった。


 だが、トットが明梨の身を案じている事だけは、確かだった。


「そんなことは、私には、できない……」


 強者である『第一階級』と、それ以外である『弱者』の立場は永遠にひっくり返らないゲーム。


 ――――まさに、茶番だ。


「じゃあ、例えばそこで『辞退』したとして、お前は死んで、『お祖父様』とやらは喜ぶのか」


 トットが震えた。


「良いのか? お祖父様は本来『奴隷として売る』所を売らないで、生涯奴隷として生きる事を選んだんだぞ。それは、お前の未来の幸せを願ったって事じゃないのかよ」


 初めて、トットが明梨を見上げた。


 既に真っ赤になっている瞳は、これ以上に朱くはならなかったが――泣き腫らした瞼とぐちゃぐちゃになった顔が、妙に印象的だった。


「だって……だって、じゃあ、私はどうしたら……」


 明梨は、考えていた。


 何の為に、自分は『弱い者』を扱って来たのか。


 それは、重なるからだ。


 弱い自分と。


 どうしようもなく、何の能力もなく、社会の中で細々と生きていくしか無い世界の中で、たったひとつ、望んだのだ。


『弱い者が強い者を打ち砕く』という、夢のようなストーリーを。


 願ったのだ。


 いつの日か、自分にもそのような日々が訪れる事を。


 明梨は、トットの両肩を掴んだ。




「なあ、トット。どうしてデモ戦で、『俺達』は負けたと思う?」




 トットは、明梨の言っている言葉の意味が理解出来ないようだった。涙を流したまま、無言で明梨を見詰めていた。


「俺達に、パワーがなかったからか? それとも、確実に相手を倒せるような技がなかったからか?」


 ただ、明梨は語る。


「相手よりも走るのが遅かったからか? 体力がなかったからか? ……それとも、初めから負けると決められていたからか?」


 今までに、明梨が得てきた知恵と、技術。


「違うだろ、トット。俺達が負けたのは、俺達が『負け』を認めたからだ」


 明梨の、夢。


 トットの涙が止まった。明梨の顔を見て、その言葉の真偽を見出そうとしているように見えた。明梨は有無を言わさない決意に満ちた瞳で屈み、トットの頭を撫でた。


 その、どうしようもなく、負ける事に慣れてしまった少女の――或いは、種族の頭を。


「トット。聞いてくれ」


「――……はい」


「俺達にパワーはない。少なくとも、他の『クリーチャー』よりも無いということは分かった」


 トットは俯いて、静かに頷いた。


「俺達にスピードはない。お前は速いが、それは人間の俺から見て、だ。クリーチャーの中では、精々普通か、少し遅いくらいなんだろう」


 トットは視線を落としたまま、顔を上げない。


「俺達に技はない。<星屑のスターダスト>は、星のエフェクトを撒き散らすだけのもんだ。それ自体が攻撃力を持っている訳じゃなかった。そして、『技はたった一つ、それしかない』」


 トットは俯いたまま、涙をこぼす。


「俺達の身体はちょっとだけ丈夫だ。でも、それは他の『クリーチャー』も同様で、多分平均くらいなんだろう」


 明梨は立ち上がり、トットを見下ろした。


 冷静に、現実を突き付けられたからだろう。万に一つも逆転はないと、そう言われているように感じたのかもしれない。


 ひっそりと生きる小動物に、肉食獣の相手が出来ないように。逃げて隠れる事を、本分とするからなのかもしれない。


 ――――上等だ。


 明梨は初めて、その唇の端を吊り上げた。


「んじゃ、逆転劇を始めようか」


 トットは明梨を、見上げた。潤んだ瞳の奥に、果てしない疑問を抱えているように見えた。


 兎の耳が、トットの心境を表すかのように動いた。


「……ど、どうやって、ですか?」


 そんなものでは、明梨は『手詰まり』になんてなりはしない。


 そんな事は、これまでに山ほど経験してきた。その上で、明梨は戦い、勝利してきたのだ。


 自分が持つ、経験と力。


 もしかしたら、エルクレアは明梨のそんな部分を見抜いて、『身体から☆出ますよ?』に参加させたのかもしれない。


 侮るなよ、エルクレア。


 人知れず、明梨はそう思う。


「良いか、トット。勝つための方法は、たった一つしかない」


「……たった、ひとつ」


「それは、『強い』事とは限らない。たった一つの勝つための方法は、『負けないこと』なんだよ」


 明梨は、トットに手を差し伸べた。


「負けないために必要なことは、まず自分を知ることだ。俺はデモ戦を通して、お前の性格、パラメータ、得意分野と不得意分野を理解した。敵はランダムだ。この場合、相手にとってもそれは同じ」


「……同じ?」


「相手も、自分達の事しか分からないってことだ。ということは、より自分の事を多く知っている奴が勝つ」


 トットは意味も分からず、明梨の手に触れる。


「自分が負けない方法を知っている奴は、絶対に負けない」


 その時、明梨の『ジャッジメント・ベル』が鳴った。明梨はトットの手を握りしめ、その予選――第一回戦の相手を確認した。


 思わず、笑みが漏れる。


 はっきりと、明梨は宣言した。




「『弱さ』も武器になることを、俺が証明する」




 トットは、もう泣いていない。それどころか僅かに頬を染め、澄んだ瞳で明梨を見詰めていた。


 そうだ。次は、勝てる。


 明梨は微笑んだ。


「約束だ」

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