第14話 俺は負けないけどな。 ↑

 新幹線はやがて都会を離れ、緑の目立つ土地へと一同を運んでいく。明梨は頬杖を突いて、窓の外の向こう側の景色を眺めていた。


 天気は良い。こんな快晴の日には釣りにでも行きたいなどと、釣り竿も持っていないのに漠然と考えた。


「わあ……!! なんだか、『グリーングリーン・エッグ』みたいです!! 地球にもこのような場所があるのですね!!」


 向かい側では、ボックス席にした座席で兎の耳をヒョコヒョコと動かしながら、窓に手を突いて子供のようにはしゃいでいるクリーチャーの姿があった。


 窓を覗き込むため、明梨の目の前で耳が上下する。激しく邪魔だった。


 視界を遮ったので、右手で掴んでもふもふと動かす。


「あんっ……、何するんですか明梨さん!!」


 ものすごい声が漏れた。


「邪魔。いいから耳しまえよ」


「生まれて初めてそんな事言われましたよ!?」


 そうか。驚くと、耳は垂直に立ち上がるのか。明梨は頬杖を突いたまま、トットの耳を観察していた。


 疑問符を浮かべると、耳は上下に動く。怪訝な表情になっている時は、小刻みに震えている。トットが頬を染めると、耳は垂れ下がった。


 少しだけ、面白いと感じている明梨がいた。


「あ、あんまり見詰めないでください……耳は敏感なんです」


「弱点丸出しかよ……」


 頬に冷たい衝撃が走り、明梨は顔を上げた。明梨の顔は驚きに染まり、やがて苦い顔へと変化していった。


 顔を上げた先に見えた人影は、また奇妙な帽子を被っていたからだ。


「コラッ! あっくん、トットちゃんいじめちゃ駄目でしょ! ぺちん!」


 全く怖くない顔で、全く痛くないデコピンを受ける。「ぺちん」じゃねえよ、と明梨は心の中で思った。別に可愛子ぶっている訳でもなく、これが素の愛田夢遊その人なのだ。


 それは、ゆるふわネコウサギのトットよりも『ゆるふわ』していた。よもや、このようなゆるふわパーティーで地方に出掛ける羽目になるとは。明梨にとっても、甚だ予想外の出来事なのだ。


 明梨は苦い顔から白けた顔へと移行すると、その有りのままの気持ちを夢遊にぶつける事にした。


「なんでたけのこなんすか」


 今日の夢遊は、たけのこの帽子を被っていた。何かのキャラクターなのか、目と口が付いている。


 あれもまた、クレーンゲームの景品なのだろうか。最近のクレーンゲームは、随分と大きいものを扱うようになったものだ。


 いや、昔からか。別に何も変わっていない。


「きのこもあるよ?」


「聞いてねえっ!! ていうかこんな時でもハブられるきのこ乙!!」


 会話の意味を半分も理解できていないトットが、目を丸くして両耳を上下させていた。


 愛田の実家までは、東京から新幹線で四時間ほど東北に向かった辺りにある。たまたま続いた連休を活かして、明梨一同は愛田の実家――明梨にとっては師となる人間の下へと向かっていた。


 なんとしても、『身体から☆出ますよ?』予選、一回戦は勝たなければならない。トットが絶望しないためにも、どうにかして。


 そのためには、明梨がトットと呼吸を合わせる必要があった。まるで自分の使うキャラクターでトレーニングをするように、明梨とトットもまた、互いの意志が相反しないように訓練をしなければならない。


 予選の一回戦は、休み明け。三日しかない休みだったが、この休日は慎重に費やさなければならない。


 しかし、すっかり夢遊は遠足か修学旅行のテンションだった。


「はいあっくん、きのこあーん」


「本当に持ってきたのかよ!!」


「……なんか、良い匂いがします」


「トットちゃんも食べるー? きのこあーん」


 明梨に向けられたスナック菓子が、トットに向けられる。トットはそれの匂いをふんふんと嗅いで――そして、口を開いた。夢遊がトットの口に、スナック菓子を放り込む。


「きゃー!! 可愛いー!!」


 夢遊にとっては、良いマスコットと化していた。トットは何度か咀嚼をして――びくん、と両耳を跳ねさせ、そして震え出した。


「こっ……これは……!! 神の食べ物ですか……!?」


「やっすいなー、神様……」


 思わず本音が漏れる明梨だった。


 明梨はふと、車内を見渡した。新幹線の乗客はそれなりに多く、あちこちで楽しげな会話が聞こえてくる。その様子を見て、明梨も思わず表情を緩めた。


 やはり、三連休というのはいいものだ。この様子なら、まさか間違っても面倒な事に発展するはずはあるまい――――……


「八橋、このオレンジジュース、オレンジ果汁が五パーセントしかないわ。オレンジジュースなのにオレンジ果汁が入っていないなんて……ふざけているわ。八橋、このオレンジジュース、ふざけているわ」


「あー。何度も言わなくても、分かるから……」


 明梨はトットの隣――車内側の席に座り、トットのベレー帽を強く押し込んだ。


「くひゅっ!?」


 トットの口から、全く対応できていない娘の憐れな声が漏れる。


 ――――――やばいやばいやばい、何故何故何故だ!?


 唐突に焦燥感に苛まれた明梨は、トットのよく目立つ耳を何度も押さえつける。その度に、トットの耳はピコンピコンと上下に跳ねた。


「いっ、痛っ!? 痛いです、明梨さんっ……!! 何するんですか!!」


 トットが至極真っ当な抗議の声を上げる。だが、明梨にそんな余裕はなかった。


 あの見た目から一瞬でプライドが高そうなお嬢様だと分かる『マリオネット族』のメアリィが、何故か同じ新幹線に乗っている。これは一体、どういうことだ。


 第十階級であるトットが『身体から☆出ますよ?』に参加していた事自体に激しい怒りを覚えていたようなのに、この上同じ新幹線に乗っていたとあらば、どうなってしまうのだろうか。


 ――新幹線そのものが壊され兼ねない。


 小声でトットに耳打ちをする。


「トット、耳しまえ。いいか、今すぐ、しまえ」


「むっ……!? あのですね明梨さん、人のことミミック族みたいに言わないで貰えます!?」


「あんのかよ、ミミック族」


「これは『ネコウサギ族』のシンボルです!! しまうことはできません!!」


 トットがそれなりに大きい声で、頬を膨らませて主張した。


 明梨は既に、トットの口を押さえる余裕もなかった。


「『ネコウサギ族』…………?」


 ――――終わった。


 明梨は涙目に自虐的な笑みを浮かべながら、その場に放心した。やがて明梨の座っているシートに、白い指が掛けられた。


 夢遊がにこやかに、その金髪のクリーチャーを迎える。


 ギ、ギ、ギ、と軋むように、明梨の視界に殺意に満ちた顔が入ってくる。


 ……駄目だ。……人類は、終わりだ。


 ささやかな遠足気分を楽しんでいたトットは、緩んだ顔でスナック菓子を口に含み、ふと明梨の奥に居る存在を見て――――咀嚼する顎を止めた。


 トットと金髪のクリーチャーの、目が合う。


「ヒイイイイイイイッ――――――――!?」


 瞬間、ムンクの叫びもかくやと言ったような、とてもビジュアルとは一致しない声でトットが叫んだ。


「あ、トットちゃんのお友達?」


 どうしてこの状況で、『友達』だと思えるのか小一時間問い詰めたい。


 夢遊が花のように可憐な笑みを浮かべて、両手を合わせた。だが、対照的にメアリィは棘々しい表情で双眸を見開き――それはもう、目玉が飛び出さんばかりに見開いて、震え出した。


 西洋人形のようなメアリィが目を見開く様は、正に洋物のホラー映画か何かのようだった。


 メアリィはかくかくと、機械的な動きで首と口を上下させていた。


「トッ……トトッ……トットトンッ……」


「いや、怖えから!! 普通に喋れ!!」


 その声は、普段のメアリィの声帯から出ているとは思えないような、恐ろしい低音だった。


 トットは明梨の腕にしがみつき、涙目になって震えていた。


「ナゼ……ダイジュウカイキュウノ……ネコウサギフゼイガ……コノ……ワタクシト……オナジノリモノニ……ノッテイルノ……ダアアアアアア!!」


「にゃ――――――――!?」


 周囲の客に、とてつもない迷惑を掛けていた。


 いや、しかし、これはまずい。メアリィの身体からうっすらと立ち昇るのは、デモ戦でも見た魔法の前兆――魔力のオーラとでも呼べば良いのか、そのようなものが目視できたからだ。


 まだ周囲を気にしているのか、明梨のように近くでなければ分かるレベルではないのだろうが――これは、まずい。


 メアリィは怒りに顔を真っ赤にして、僅かに涙まで浮かべている。この怒りが爆発すれば、少なくともストリングス系の技で車内が荒れる事は必死……!!


「……こんな、こんな新幹ストリングス!!」


 どうでもいいが、糸と線は違った。


 メアリィは左手を上げ、魔力を込めた。ぼんやりとメアリィの左手の先に蒼色の光が産まれかけたその時――……


 気が付けば、メアリィは夢遊に抱き寄せられていた。


「こっちにも可愛い子が!!」


「可愛い!?」


 思わず、明梨は聞き返してしまった。


「なっ……!? この、離しなさい!! 羽交い締めにして手羽先みたいにするわよ!? この!!」


 夢遊はメアリィの頭を何度も撫でていた。明梨はじっくりとその様子を確認して――怒りが治まっていく……だと!? そんな馬鹿な……!!


 驚愕に、目を見開いた。


 メアリィの小学生ほどの身体は、夢遊の両腕にすっぽりと収まる大きさだった。抱き締められ、夢遊のふわふわと浮いたようなオーラに包まれ、メアリィの怒りがすう、と引いていく。


「よしよーし」


 夢遊はとろけた顔で、メアリィの頭を撫でていた。やがてうっとりとした表情を浮かべ、メアリィは夢遊の服の裾を掴んだ。


「…………ママ?」


 んなアホな。


 メアリィは夢遊にしがみつき、頭を撫でられていた。目を白黒させながら、トットがその様子を見守る。なんだろうか。やはり、西洋人形は西洋人形らしく、女の子らしい女の子に慕われると抗えないものなのだろうか。


 明梨は、なんとも複雑な気分になった。遅れて小野寺八橋が登場し、明梨に手を振る。


「こんにちは、不死川さん」


「……おお、小野寺、久しぶり」


 別に久しぶりでもないが、体裁的にそう言わざるを得なかった。明梨が八橋のために席を空けると、八橋は苦笑してトットの隣に座った。


 メアリィは未だ、夢遊の胸の中で夢うつつ、といった様子だ。


「どうしたんだ、今日は?」


 八橋は鞄から眼鏡ケースを取り出すと、眼鏡を外してレンズを拭きながら答えた。


「実は、従兄弟の結婚式があるんです。そこに参加するつもりで……不死川さんは?」


「ちょっと山篭りにな」


「山篭り?」


「はは、まあ気にしないでくれ」


 八橋は向かい側に居る、夢遊を見た。胸の中でうっとりしているメアリィを見て、何が起こったのかと驚愕に眉根を寄せて――そして、愛田夢遊その人の顔をまじまじと眺めた。


 そして、彼女の被っている、竹の子のキャラクターの帽子に目が留まる。


 面食らっているようだ。


「初めましてー、私、愛田夢遊って言います。みゅーちゃんって呼んでね」


「あ、はあ……小野寺八橋です」


「あっくんのお友達? あっくんはお友達が増えたねー」


「友達ってか、この間の『からでま』デモ選で当たったんだ」


 トットがデモ選の事を思い出したのか、項垂れた。それを見て、メアリィが夢遊の胸の中で唇を尖らせた。


「ふん、つまらない戦いだったわ」


 不機嫌そうに、そう呟く。それはトットの成長を願ってのことなのか、はたまた単に機嫌が悪かっただけなのか。おそらく後者だろうか、と明梨は思ったが。


 傷付いた明梨を助ける事で、夢遊にもその実情は幾らか理解できる所だったのだろう。少し不安そうに、夢遊はトットを見ていた。


 八橋が慌てて、トットに手を振った。


「いや、でも最初だから、よく分かんないですよね。僕も分からない事だらけで、大変でしたよ」


 メアリィは何も気にせず、夢遊の膝に腰掛けて、腕を組んだ。


「あの程度で『ソーシャル・エッグズの未来を決める戦い』なんて、茶でへそが湧くわ」


「湧くのか、へそが……」


 どこで覚えたのか知らないが、言葉は盛大に間違っていた。


 トットは俯いたままで、メアリィの言葉を真に受けているようだった。……あれだけ覚悟を決めた筈なのに、まだ自信が無いのか。明梨は溜め息をついて、八橋を見た。


「そっち、一回戦は?」


「ああ、はい。休み明けになりました」


 明梨は頷いた。もしかしたら、予選の対戦時期はどこも同じなのかもしれない。明梨は少し笑うと、足を組んだ。


「そんじゃ、一つ賭けでもしないか? 次の一回戦、俺達のチームが勝利したら、メアリィはトットが『からでま』に参加している事実を認める」


 ぴくん、とメアリィが反応した。明梨の顔を見て、何を考えているのか分からないといった様子で首を傾げた。


「万に一つも、勝てるわけがないわ。『第十階級』は特技を持たないクリーチャーの集団。この無様なネコウサギ族以外に『第十階級』で参加しているクリーチャーは居ない筈で――……」


「御託は良い」


 メアリィの言葉を遮り、明梨は狡猾な瞳でメアリィを見据えた。その気迫にだろうか、メアリィは口を噤み、身を引いた。


「俺達が負けたら、この予選の最中、如何なる内容でもメアリィに協力すると約束しよう。悪くない賭けじゃないか?」


 少しの時間、メアリィは考えているようだった。八橋はメアリィと明梨の顔を交互に眺めながら、少し不安になっているようだった。トットは何を言い出すのかと言わんばかりの顔で、明梨を見ている――……


 明梨は、冷静だった。全く恐れる事なく、ただメアリィの反応を待つ。


 それが、メアリィに何かの変化を与えただろうか。溜め息を付くと、メアリィはやれやれ、と首を振った。


「好きにすると良いわ。ただ、どうせ勝てないけどね」


「んじゃ、約束な」

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