第15話 俺は負けないけどな。 ↓
小野寺八橋と別れてから、明梨一同は愛田の実家を目指した。田舎道を延々とリュックを担いで行く様は一見ピクニックか何かのようだが、道程はあまりにも長い。
トットが汗を流しながら、ふらふらとし始めた。人間よりも暑さに弱いとは……。明梨はなんとも言えない気持ちにさせられた。
そういえば、風呂場でも水を激しく嫌っていた。急な温度変化は苦手なのかもしれない。
「あつい……あついです……しんでしまいます……」
「ミュー先輩、水かなんか貰えますか」
「はいはい」
二つ返事で、夢遊は鞄からペットボトルを取り出した。蓋を開けると、トットにそれを手渡す。
トットはペットボトルの匂いを嗅いで……習慣なのだろうか。食べる前にはいつもやっているが。そうして、一口含んだ。
ぴこん、と左右の耳が垂直に立ち上がった。
「あまいです!」
「パカパパン! みゅーちゃんお手製、はちみつジュースだよ」
某猫型ロボットのひみつ道具出現ばりに、ジュースを誇示する夢遊。それを横目で長めながら、明梨は考えていた。
トットの必殺技――と呼べば良いのか、どうなのか――<星屑のスターダスト>。
技名もネーミングセンスのせいで甚だ意味が分からないが、どうやら身体に星を纏う類の技のようだ。しかし、攻撃力が跳ね上がる訳ではなく、スピードが強化される訳でもなく、それ自身に意味は無いように思えた。
だが、それは『必殺技』に成り得る――……
「うちにバニーガールを呼んだ覚えは無いぞ」
ふと、明梨は歩みを止めた。背後の夢遊とトットも声の主に気が付いて、歩みを止める。
出目金のように大きな目をぎょろりと動かして、愛田賢三郎(けんざぶろう)は下から明梨を見上げた。身長百四十センチ程の老人だが腰は曲がっておらず、足腰が強いのか杖も持っていない。
死に装束のように全身真っ白な和服に、長い白髪。一目見る限りでは、三途の川にでも歩いて行きそうな様子だ。
だが、これが愛田賢三郎その人であった。
「久しぶり、爺さん」
「うむ。みゅうみゅうから話は聞いておるぞ」
何故か実の孫を『みゅうみゅう』呼ばわりだった。毎度の事ながら、苦笑いをしてしまう明梨だった。当の夢遊はにこにこと微笑みながら、賢三郎の登場を歓迎している様子だった。
トットが賢三郎を見て、はて、と首を傾げた。
「半魚族の方ですか?」
「おい、誰じゃこのクソ失礼なネコウサギ族は。ちゃんと躾けておけ」
「す、すいませんっ!?」
賢三郎の激昂に、仰天して怯え出すトットだった。しかし、言いながら賢三郎はトットに向かって歩いて行く。何をされるのかと怯えていたトットだったが。次の瞬間。
トットのワンピースの上からでも強調される胸が、賢三郎の手の中に収まった。
「むう……しかし、これはなんという業物……」
「きゃっ!! ちょっと、やめ、やめてくださいっ!!」
「創りは白漆太刀拵……刃は直刃じゃろうか」
まるで何処ぞの刀売りのような口振りで、トットの胸を揉みしだく賢三郎。その様子を見て、明梨は確信した。
――このジジイ、何も変わってねえ、と。
明梨は黙って、賢三郎の頭上に右腕を構える。
「躾けられるのは……おめーだ!!」
容赦なく、その腕を振り下ろした。
「あっふんっ」
情けない声を出して、賢三郎は明梨の制裁を受ける。賢三郎の手から開放されたトットが、慌てて明梨の後ろに隠れた。
へなへなと賢三郎はその場に崩れ落ち、歌舞伎役者のように仰々しい――しかし、その本場とは決して比べてはいけない、下らない三文芝居を始めた。
懐から手拭いを取り出すと、涙混じりに手拭いに噛み付く。
「しどい!! みゅうみゅう、あっくんがぶった!! 薄幸に満ちた老人の頭を殴るなんて、脳震盪でも起こす所じゃよ!!」
「てめーはどっちか言うと腐ってる方の発酵だから大丈夫だよ」
苛々としながら、明梨は賢三郎に悪態をついた。夢遊の祖父と言えども、この破天荒なキャラクターと傍迷惑なトラブルメイカー気質によって、大抵関わるとロクな事がないのだ。
本当に『物好き』な、おおよそ人の道を外れた猛者である。
「はいはい、おじいちゃん。怖かったねー」
夢遊が苦笑して身を屈めると、賢三郎は夢遊に抱き付いた。そのいとも容易く行われる不快な行為によって、明梨の怒りがまた増幅される。
しかし、その時に明梨はある事に気付いた。賢三郎はトットの事を、確か――――
「ネコウサギ族?」
そう、呼んだのだ。
先程まで分かりやすい芝居をしていた賢三郎が、その大きな瞳で明梨を見る。明梨は驚きを隠さず、賢三郎に近付いた。
「何だよ、爺さん。何か知ってんのか?」
賢三郎はキラリと目を光らせると、言った。
「『爺さん』ではない。これからは、『師匠』と呼んでもらおうか」
明梨の眉が、一瞬跳ね上がる。だが、そんな事は気にも留めずに賢三郎は続けた。腕を組むと、明後日の方角を見詰める。
「今まで……実に長い時を経て、『幻想生物は存在しない』などと教えられて来ただろう。だが、儂はいつか明梨が『ソーシャル・エッグズ』に関わる時が来るだろうと思い、今日までお前を鍛え上げて来たのだ」
「ここ最近は何もしてなかったじゃねーか」
明梨が東京に出てからは、すっかり連絡も取らなくなった筈だったが。
しかし、と明梨は考え直した。夢遊の爺さん、愛田賢三郎が『ソーシャル・エッグズ』の情報を持っているということは、この上ない朗報である。
何か、『ヒト鬼族』または『理想郷の外殻』に関する情報を持っていれば――……
「明梨。今日の所は、長旅の疲れを癒やすと良い。詳細は明日にでも話そう」
「お、おう。良いけど、爺さん」
「『師匠』じゃ」
「……お、おう。師匠。師匠は、『エルクレア』って知ってるか?」
ニヤリと、賢三郎は不敵な笑みを浮かべただけだった。明梨は面食らってしまい、何も言う事が出来なくなっていた。
賢三郎は背を向け、直進方向にある愛田の実家へと向かっていく。無言で一同は、賢三郎に付いて行った。
○
愛田の実家は、古い和の館だ。まるで宿のように広い敷地は、その昔温泉宿として運営されていたらしい。建物が古くなり、やがて愛田の実家で温泉宿を経営する必要が無くなった頃に立札を外し、それきりらしいが――……
改めて敷地内に入ると、その広さには仰天させられる。
すっかり日も落ちた夜。明梨は和室の一部屋を借り、ベランダの縁に体重を掛けて、外の風景を眺めていた。
ここは都会と違い、一度夜になってしまえば明かりなど殆ど無い。静寂に満ちた森の向こうに、何処と無く神秘的な何かを感じた。
「あっくん、お待たせー」
そして、この広い和室には布団が三組敷いてある。
麩(ふすま)を開いて、廊下から長い茶髪を揺らし、夢遊が入ってくる。隣には、トットも一緒だ。
明梨は何度も一人で寝たいと主張したが、夢遊はそれを頑なに許さなかった。三人で川の字になって寝る事を望んだのだ。
親子か。
人知れず、明梨はそう思う。
「さあ、お菓子パーティーといきましょう!!」
夢遊は両手に抱えたレジ袋を明梨に見せ、ハイテンションな口振りで言った。トットが目を輝かせながら、夢遊のレジ袋の中身を凝視している。ふとした瞬間に涎でも垂らしそうな勢いだ。
頭を抱えたくなる気持ちを抑えつつ、明梨は溜め息をついて言った。
「……あのね、ミュー先輩。この連休は俺とトット、修行をするために来たんだから。あんまり夜更かしとか出来ないんですよ。あと、なんでスライムンなんすか」
「あ、わかるー? 可愛いよね、スライムン。癒し系?」
「そこに食いつくなよ」
夢遊は少し照れながら、頭の上のピンク色の帽子に触れた。帽子と言うよりは、ゼリー状の物体が頭の上に乗っているように見えるが。重くはないのだろうか。
長時間付けていると髪の毛にくっつきそうだ、などと無意味な事を明梨は考えていた。
「こ、これはなんですか、ミューさん!」
「それはね、エリーザ。ウエハースの中にチョコレートが入ってるんだよー」
「こ、これは!?」
「それはね、アラフォート。ビスケットの上にチョコレートが付いてるんだよー」
「こ、これは!?」
何故か一つのお菓子メーカーに拘る夢遊だった。
……やれやれ。暫くは、この余興に付き合わなければならないだろうか。明日の朝から本格的な訓練を開始する予定なので、まあ問題無いと言えばそうなのだが。
ふと、明梨のスマートフォンが鳴った。その着信相手を見て、明梨は眉をひそめた――刹那、動きが止まり、夢遊とトットがその異変に気付いて顔を上げる。
何の用事だろうか。――対戦は、すぐに控えていると言うのに。
明梨は電話に出ることにした。
「……もしもし?」
『し、不死川様のお宅でいらっしゃいますか!』
「携帯電話に掛けて『お宅』とは、また新しいな」
『ま、間違えただけよ!! 馬鹿!!』
普段と変わらない様子で、神凪爽子は明梨に悪態をついた。明梨は風呂上がりの髪を夜風に晒しながら、一度は開いた窓を再び閉め、ベランダの縁に身体を預けた。
静かにトットが窓を開いて、ベランダに出て来る。夢遊も付いて来ていた。
『あの……、予選一回戦の相手、明梨だって表示されて……明梨も、された?』
「そりゃ、お前んとこに表示されれば俺の所にもそう出るだろ」
『ん……、そ、だよね……』
どことなく、その声色は悲しそうだった。爽子とは『理想郷の外殻』で転送されて以来会っても居なかったが、デモ選も終わればクリーチャーの事情や、この『身体から☆出ますよ?』の内容もある程度分かっている事だろう。
つまり、完全に星を奪われてしまえばクリーチャーは死に、プレイヤーは罰ゲームを受ける、という顛末を。
『あのさ、明梨。……星、いくつ賭ける……?』
明梨は、暫くの沈黙を置いた。
もしも五つ賭けると互いが了承すれば、この『予選一回戦』は、早くも勝てば勝ち抜け、負ければ罰ゲームに早変わりのゲームと化す。
予選を五回までしか行う事が出来ない以上、勝てる所では勝っておきたい、と明梨は考えた――……
「一個にしようぜ、神凪」
だが、明梨はそう答えた。
『――だ、だよね!! あたしもそうしようと思ってた!!』
瞬間、爽子の肩の荷がどっと降りたように、安堵に包まれた返事が返って来た。
予選一回戦。どんな相手か分からないのに、全賭けなど危険過ぎる。それが、明梨の見出した解答だった。
せめて一度くらいは負ける事が出来る状況で大きく賭けたい、という気持ちもあった。
「そういえば、星を賭ける数ってどっちが決めるんだろうな?」
『なんか、対戦前に星が少ない方が権利を持つらしいよ。今回は両者合意の数だって』
なるほど。確かに、有利な方は好きなだけ賭ける事が出来る。それを踏まえた上での、五回――ということは、一回でも負ければ相手によっては勝利が遠のく場合もある、ということか。
しかし、ある一定の段階――具体的に言えば星が三個を切った時点で、予選勝ち上がりは相当厳しくなるのだ。一個になってしまえば、既に敗北は確定。何故なら、両者が賭ける星の数は対価でなければならない、という制約があるからだ。
つまり、五回戦に満たずに敗退する場合もある、という事になる。
『あのさ、明梨。思ったんだけど、せっかく知人でぶつかったんだし、今回は対戦しないで、引き分けにしたりとか――……』
爽子は、どうやら争いを先延ばしにしたいようだった。
確かに、負ければ中身も不明な『罰ゲーム』に近付く、というものだ。恐怖を感じても仕方が無いとは思う。
だが。
明梨は、笑った。
「――――全力で来いよ、神凪」
電話の向こう側から、しゃくり上げるような声が聞こえる。
だが、明梨は『戦わない』という選択肢は有り得ない事だと感じていた。
「星一つなんだ、負けてもそこまで響きはしない。だから、決着付けようぜ。お前、俺に『リベンジ』したかっただろ?」
新宿の、ゲームセンター。五十八回の連勝のうち、何度か拳を交えた相手。
この、『進化した格闘ゲーム』とも呼ぶべきおかしな幻想生物の争いに、偶然にも二人、巻き込まれている。こんなことは人生にそう有ることではない、と明梨は感じていた。
血が滾る。いつになく、明梨の意識は『身体から☆出ますよ?』に向いていたのだ。
「やってみろ。俺は負けないけどな」
隣で会話を聞いていたトットが、びくん、と反応した。
『後悔、しないでよ? 言っとくけどあたし、新宿で一番反射神経良いんだから。デモ選でもクリーチャー同士の戦いに付いて行けたし、熟知されてるゲームじゃなきゃ負けたりしないわよ』
明梨は、デモ選でのトットとメアリィの動きに全く付いて行けなかった。
思わず、笑みが漏れる。
「上等だ。当日、楽しみにしてるぜ」
明梨がさも楽しそうに言ったことが、爽子には屈辱的だったのだろう。言い換えれば、神凪爽子に不死川明梨は全く脅威を感じていない――そういった、嘲笑のようにも取る事が出来るからだ。
『――――ぶっころす』
そう言って、電話は切られた。
明梨はふう、と溜め息を付いて、スマートフォンの画面を消した。目を閉じ、思考を落ち着かせる。
トットが横で、蒼白になって明梨の腕を掴んだ。
「あっ!! 明梨さん!! なんでわざわざ、全力を出させるようなことを……!!」
何にしてもこれで、爽子の怒りを買う事が出来た。爽子は文字通りの『全力』で、明梨にぶつかって来るだろう。
『忍者三蔵の瞬速』と言えば、十二フレームまでが限界だと言われている格闘ゲームの世界で、七フレームの攻撃を見てから避けるプレイヤー。
時間にして、〇・一秒。文字通りの化物、規格外だ。その反射神経の良さは、明梨もいつかのゲームセンターで嫌と言うほど理解した。
「落ち着け、トット。良いんだよ、これで」
だからこそ、先手を打っておかなければならない。爽子が反射神経を頼りに全力で来る場面でなければ。
予選一回戦は、連休明け。後はトットがこの連休で、どこまでやれるかだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます