第2話 イッツ・ショウタイム! ↑

 気が付けば、画面上の魔法使いと思われる姿をした小さな娘は、疾風の如く駆け出していた。


 初速こそ遅いものの、最高速度に達すればどのキャラクターよりも速く動く事ができる。それこそが、彼の操っているキャラクターの唯一の長所だった。


 だが、最大の問題は『ダッシュの最高速度に達するまで三秒掛かる』という、あまりにも遅すぎる機動力だった。


 二次元の対戦格闘型ゲームにおいて、『ダッシュの初速が遅い』ということは、生死を別つ重要な項目である。実に一秒間に捲られる六十フレームのアニメーションのうち、何の訓練もしていない人間が反応できるものは〇・二秒、即ちフレーム数に換算して十二フレームまでと言われている。


 そのため各攻撃技は、特殊なものを除いておよそ六~三十フレーム辺りに収まるのが通常だ。


 最高速度まで三秒ということは、その間に百八十フレームを要する、ということ。


 反射神経に重点を置かれる対戦格闘型ゲームにおいて、百八十フレームという時間は余りにも長く、彼が操っているキャラクターの人気に絶大な影響を及ぼしていた。


 故に、最高速度に達する前に逃げられてしまう貧弱な機動力。


 故に、範囲こそ広いものの、一度空振れば後隙の多過ぎる通常攻撃。


 これは、パワープレイをする大型のキャラクターによく見られる特徴である。


 つまり、『こちらから近付けないならより高い火力で迎え撃てば良いじゃない』という戦法だ。


「なっ……これ、本当に『コック』かよ!? なんか滑ってるんだけど!!」


 台の向こう側から、信じられないと言ったような驚愕の悲鳴が聞こえてくる。


 その声を聞いて、青年は密かに笑みを浮かべた。


 コックというのは、彼が扱っているキャラクターの名前だ。


『魔法少女コック』。魔法の杖を振り回し、料理の攻撃をメインに据え、画面上に実にカラフルな料理爆撃を行う。


 だが、その娘を扱うプレイヤーは殆ど居ない。いや、全くと言っていいほど、居なかった。


 先程も挙げたように、『機動力がなく隙が大きいが、火力は高い』というキャラクターは、パワープレイをする大型のキャラクターによく見られる特徴である。


 だが、この娘。


 攻撃力もないのだ。


「……弱、弱、中、中、強。<ステップ>、<ナックルグラタン>」


 まるで呪文のように、彼は呟いた。恐るべき速度で叩かれるゲーム台のボタンに、周囲の客が何事かと目を見張る。


 その中には、先程まで対戦台を挟んで彼の向かいに座っていた、金髪の少女の姿があった。仏頂面をして、彼のゲーム姿を見ている。


「……間違いない」


 その声は彼の耳に届いたのか、届いていないのか。


『魔法少女コック』には、攻撃力が無い。近付いて来た者を火力で圧倒する事が出来ないのに、自分から近付く事は出来ない。


 つまり、攻められ放題ということ。ゲームとして成立しないと言われるキャラクターの一人だった。


 人はそれを、『弱キャラ』と言う。


 だが、どうだろうか。彼の扱っている『魔法少女コック』は地上で走る事をやめ、まるでアイススケートのように滑り、余りにも速いスピードを持って相手の忍者に近付いたのだ。


 これは、通常の『魔法少女コック』のダッシュ速度から考えると、有り得ない事だった。


 そこから、一撃。続けて、連撃。彼の操る『魔法少女コック』が、『コンボ』と呼ばれる連続攻撃を始める。


 こうなってしまえば、後は攻撃が終わるのを待つだけだ。


 対戦台に座り『魔法少女コック』を操っているのは、水色でチェック柄の襟付きボタンシャツを着た青年。しかしながらただのシャツではなく、背中に『鰯(いわし)』と大きく書かれた、あまり普通は見掛けないようなものだった。何年着回ししているのかも分からない、足元がぼろぼろに破けたブルージーンズを穿いていた。


 何かのお守りなのか、紫色の数珠のようなネックレスを首から下げている。


「おいちょっと、なんだよこれ!!」


 対戦台であるため、当然の事ながら彼の反対側にも人が座っている。


 鰯の青年に対抗しているのは、野球帽を被った少年。その隣には、まるでボクシングのセコンドのように眼鏡の少年が下顎を撫でながら立っていた。


「……おい、これ、あれじゃないか? <イワシステップ>」


 呟きを聞いて、『魔法少女コック』の対戦相手となる忍者のキャラクターを操作していた、野球帽を被った少年が振り返る。


 緊迫した表情でその言葉を呟いた、彼の友人と思わしき眼鏡の少年は、生唾を飲み込んで画面を見守っていた。


「<イワシステップ>?」


「ほら、ジャンプした瞬間に何かの攻撃を撃つと、コックだけは地面に着地してちょっと滑るってやつ。最近噂になってるやつ」


「え、だってジャンプしてねーよ?」


 画面では、そろそろ攻撃が終わる頃だろうか。兎のように小刻みに前後する『魔法少女コック』が、大技を放とうとしている。


「もしかして、毎回飛んだフレームにビタで合わせてやってるんじゃ……」


 どうやら隣の眼鏡を掛けた少年の方がそのゲームに詳しいようで、野球帽を被った少年は頭に疑問符を浮かべていた。


 いよいよ戦闘も終盤、という所だろう。『魔法少女コック』は対戦相手の忍者から離れ、パワーを溜めているモーションに入った。


 画面が暗転する。


「ま、こんなところか」


 青年が操作している『魔法少女コック』の杖から、スパゲティのようなものが現れ、大型の鐘を形作っていく。


<ナポリタン・ゴング>。彼女の必殺技で、連続技の締めに使われるものだ。


 その鐘は、忍者目掛けて放たれた。


 青年の画面上に、『YOU WIN』の文字が浮かぶ。


「なんだよこれ、チートじゃねえの!!」


 瞬間、野球帽の少年が座っていた台から罵声が飛ぶ。ボタンを激しく叩いて、少年はゲームセンターを出て行った。うん、と伸びをした青年は横目で、今戦っていた相手が野球帽を被った少年だということを確認した。


 野球帽の少年側の台からペットボトルが落ちる。


 隣に居た眼鏡の少年が、慌てて彼を追い掛けて行った。


「……ゲーム台は叩いちゃ駄目だぜ」


 興味を失ったようで、青年は欠伸をして、対戦台を立った。反対側に人が居ない事を確認して、やれやれ、と青年は首を鳴らす。


 青年の座っていた対戦台には、既に五十八回勝利したことを示す表示があった。もう、誰も対戦しようとしていないのだろう。隣に並んだゲーム台にはまだ人が居るのに、青年の反対側だけは空いたままだ。


 溜め息をついて、青年は今まで座っていた椅子を対戦台の下に押しやり、『魔法少女コック』のストラップが付いたスマートフォンで時間を確認した。


「ぼちぼち行くか」


 独り言を呟いて、青年は対戦台に背を向けた。そのまま、ゲームセンターを出る。




 ○




 不死川しなずがわ明梨あきなしはうんと伸びをして、セピア色に染まる新宿を呆然と眺めた。


 少し遊ぶ予定だったのに、気が付けば随分と長い時間を過ごしてしまった、と明梨は思った。


 喧騒にまみれたゲームセンターを出ると、幾度と無くカラフルな車が通過するこの大通りも、まるで静寂のように感じられる。明梨が先程までいたゲームセンターの、出入口――地下へと続く階段を見て、明梨は欠伸を噛み殺したような表情で言う。


「……このゲーセンなら、と思ったけどな」


 それは、思いの外大した事はなかった、という意味だ。


 明梨は背を向けて、大通りを歩き出した。


「ちょっと!! ちょっと、あんた!!」


 呼び止められて、明梨は振り返った。そこには、彼の対戦台の上に置いてあったと思われるペットボトルを持って、駆け寄ってくる人影がひとつ。金髪をツインテールにして、装飾の多い黒ジャケットにフリルの付いた黒スカート。ゴシックロリータと呼ばれる衣装の一つだろう、縞模様のハイソックスを履いていた。


 うわー、痛い系だ。


 今にも口に出して言わんばかりのげんなりとした顔で、明梨は少女を見た。身長は百四十センチくらいだろうか、かなり小柄だった。赤いカラーコンタクトが痛さを際立たせている。


 極めつけは、黒い革のバッグに付いた、いくつもの骸骨のマスコットだ。都会のゲームセンターではどういうわけか、よく見る格好。半コスプレ状態とでも名付けようか。


 少女は明梨を睨み付けると、ペットボトルを明梨に押し付けた。


「ああ、悪い。ありがとう」


 明梨は申し訳ばかりの礼を言って、ベットボトルを見詰める。


 ――でもこれ、俺のじゃないんだけど。


 そう思った事は、明梨の微かな秘密だった。


 少女はなおも明梨を睨み付ける。何事かと思った明梨は気まずい顔をして、少女を見詰めた。


「あ、あんた――――『いわし』でしょ」


 明梨の襟付きシャツ、胸ポケット部分にも記述されている『鰯』の文字。


 明梨は、少しだけ驚いた。まさか、この場所に自分の事を知っている人間が居るとは。インターネットの世界もすごいのだな、と再確認する。


 その彼自身も、ネット上で対戦を行うことで、対戦格闘ゲームが強くなったという事はあるのだが。


「そうだけど……あんたは?」


 少女は吊り上がった眉を更に吊り上げて、明梨を睨み付けた。


 ……なんか、面倒な奴に絡まれたなあ。明梨は、そう思わざるを得ない。


「『瞬速』!! 『忍者三蔵』の瞬速、知ってるでしょ!?」


 明梨は、うーん、と唸って思考を回転させた。『忍者三蔵』というのは、先程の野球帽を被った少年も使っていた、素早さと火力を兼ね備えた、有名プレイヤー御用達の強いキャラクターだ。


 ああ、と明梨は手を叩いた。『瞬速』と言えば、ネット対戦には稀にしか顔を出さないが、この新宿区のゲームセンターにおいてはゲーム大会の動画にも出場している、有名なプレイヤーだ。


 まさか、綺麗系の顔の女だったとは。明梨はその白い肌をまじまじと見詰めた。


「何……? ちょっと、気持ち悪い目で見ないで欲しいんですけど」


 まさか、『忍者三蔵の瞬速』がこんなにも性格の悪そうな女だったとは。明梨は、思考を改め直した。


「ああ、まあ、そういうことで」


 明梨は少女に手を振って、背を向けた。


『瞬速』と名乗った少女は、その興味の無さそうな行動に怒りを感じたのだろうか。


「ちょっと、待ちなさいよあんた!! 勝ち逃げする気!?」


 猛然とした勢いで明梨に詰め寄った。……やたらと『忍者三蔵』とばかり戦っていると思ったら、相手は野球帽の少年だけではなかったのか。明梨は思い、頭を掻いて再び向き直った。


「……なに? どうして欲しいの? おこなの?」


「ば、馬鹿にすんな!! このオタク!!」


 ネットスラングをつい現実世界でも使ってしまうのは、インターネット中毒者の兆候である。


 人の事は言えないだろう、と明梨は思ったが。


 少女は顔を真っ赤にして、明梨を人差し指で指差した。


「あ、明日、あたしともっかい対戦しなさいよ」


 ……めんどくさい。


 明梨は率直にそう思った。だが、まあ自分に興味を持っている人間を無碍にすることもあるまい。そう思い直し、悔しそうな顔をしている少女を見た。


「別に良いけど、明日月曜日だぜ? あんた、学校は?」


 まあ自分には学校もないので別に構わないのだが、と明梨は言外に付け加えた。


「が、学校終わってから、来るもん」


 顔を赤らめてそう言う様は、少しだけ可愛いと思わなくもない。


 明梨は苦笑して、答えた。


「んじゃ、夕方頃に来るよ。そこでもう一戦、付き合う。それでいい?」


「わ、……わかった。ねえ、あんた本名、なんていうの?」


 普通、ゲームセンターで声を掛けた相手の本名を聞く等という行為は、中々出来ない。コミュニケーションを苦手としている人も中には居るので、ネット上で公開する自分の架空の名前――ハンドルネームを越えた付き合いというものは、しないのが普通だ。


 それを聞いてくるということは、余程悔しかったのだろうか。


 少し迷ったが、明梨は答えた。


「不死川明梨。明梨でいいよ」


「……あたしは、神凪かんなぎ爽子そうこ


「そか。じゃあまたな、神凪」


 年齢は高校生くらいだろうか。最上学年だったとしても、明梨の方が一歳年上だ。


 さながら、妹のようなものかもしれない――と思っていたら実の妹に怒られそうだったので、何も言わない事にした。


「ねえ、あんた……明梨、あんた噂になってるんだよ」


 結局『あんた』って言ってるじゃないか。しかも二回も。そうは思ったが、明梨は黙っている事にした。


「……噂?」


「ネット対戦しかしない、最弱キャラしか使わない格ゲーマーがいるって。なのに、ネットのランキングはいつも上位、誰も知らない……あたしだって昨日まで、あんたの事は改造ゲーマーなんだと思ってたもん」


 なるほど、そういう噂が流れているのか。確かに、『魔法少女コック』を使った明梨の順位は、同キャラでは堂々たる一位、全国ランキングでも上から数えた方が早い部類に入る。


 強いキャラクターばかりを使っている人間からすれば、改造ゲーマーだと思われても仕方が無い事だろうか。


 爽子は明梨を睨み付けると、言った。


「なんでゲーセンで対戦しないのよ」


「んー……金かかるじゃん。面倒だし、俺はわりといつも金欠なんで。今日はたまたま、コンビニのお釣りで五十円あったから」


 毎日五十円を対戦ゲームに払わなくとも、ネットを使えばいつでも対戦できるのだ。必要ないだろう、というのが明梨の見解だった。


 爽子は納得行かないといったような顔をして、唇を尖らせた。


「大会とかもあって、面白いのに……まあ、あたしには何の関係もないけど」


「まあ、そういうことだから、またな。これからバイトなんだ」


 明梨は今度こそ、背を向けて爽子から離れる。爽子はなおも、明梨の背中に向かって言葉を投げ掛けてきた。


「明日は、あたしが勝つから!!」


 ……やれやれと、明梨は溜め息を付きたい気分だった。

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