第7話 どん底ネコウサギ ↓

 並んだ檻の一番端に、見覚えのある銀髪が目に入った。その檻は他と比べて明らかに小さく、立ち上がるようなスペースはない。


 明梨と夢遊は、その檻に近付いた。檻の中には、頭から兎の耳、尻から猫の尻尾が生えた娘が転がっている。


 転がっている、と表現するのが一番無難だろう。その娘はゲームディスクで見たような衣装は着ておらず、布切れを羽織って汚れた床に横たわっていた。目を閉じ、衰弱して、今にも死にそうな様子だった。


 明梨は檻を掴み、トットに顔を近付けた。


「おい、起きてくれ」


 静かに目が開き、ルビーのような赤い瞳が姿を表す。……一見すると、人形か何かのようだ。


 起き上がると、布切れが落ちた。白い素肌が目に入り、明梨は思わず目を逸らした。いくらクリーチャーと言えど、娘の姿をしている者の肌を見ることには抵抗があった。


「お、おい。布、持ち上げてくれ」


「……はい」


 羞恥心に頬を染める明梨とは対照的に、檻の向こう側に居るトットは呆然と驚いた顔で、明梨に従った。


「……これが、あっくんの『クリーチャー』?」


 夢遊が、真剣な表情で呟いた。


 おそらく、「あっくん」の渾名を聞いたからだろう。トットは大きく目を見開いて、明梨を見た。


「あ、あなたは、まさか……不死川、明梨、さんですか」


 明梨は頷いた。トットは瞬間、とても嬉しそうな顔をして――だが、その直後に悲しそうな表情になった。


 何故?


 明梨が聞くよりも早く、トットは儚げにも微笑んだ。痩せこけた、やつれたとも言える頬が動く。


「こんな所まで来て頂いて、ありがとうございます。もう、それだけで『奇跡』――でも、辞退してください。『罰ゲーム』は、そんなに生易しいものじゃないです」


 トットは言う。


 罰ゲーム。あのゲームディスクで、トットが言っていた。ゲームオーバーになったプレイヤーには、『罰ゲーム』が待っていると。それは、そんなにも厳しいものなのだろうか。


 内容が分からないものを警戒する事はできない。明梨は難しい顔で、固まった。


 彼女は他のクリーチャーと違い、自分に自信を持っていないようだった。


「最後は明梨君、君のようだね。それが、『ゆるふわネコウサギのトット』。君に与えられた『持ちキャラ』だよ」


 持ちキャラ、ときたか。明梨はエルクレアを一瞥して、唇を真一文字に結んだ。


 明梨の背後で、エルクレアが言う。それはまるで、明梨が辞退する事を確信しているかのような、そんな声色だった。


 辞退、しないでくれよ。先程の、エルクレアの言葉が脳裏に蘇る。


「ここに来る途中で、色々なクリーチャーを見ただろう。あれが、対戦相手だ。君はその『トット』と、大会に出るかい?」


 ――先程爆発した豚男でさえ、ここに居る『トット』よりは強そうに見える。


「明梨君には『最後の売れ残り』を掴ませてしまったんだ。申し訳ないね。ゲームランキングに載っていない、特別に呼んだゲストだったから、持ち合わせがなくて――でも、君には是非大会に出て欲しい」


 トットが微笑みを浮かべて、首を振った。余程、大会に自信が無いと見える。


 参加か――――辞退か。


 明梨は覚悟を決めて、トットと目を合わせた。


 何故彼等彼女等『クリーチャー』がこのような大会に参加しているのか。事情はさっぱり分からないが、明梨の腹は決まっていた。


 先程の豚男を見て、『シンクロ』しなければああなるのだと分かったからだ。他のプレイヤーの間に悲鳴は聞こえなかった。ということは、あの少年を除いて全てのプレイヤーはクリーチャーと『シンクロ』をしたということだ。


 先程の少年は、辞退した後でクリーチャーが死ぬ事を知らなかった。だが、明梨は知っている。


 ここで辞退を選択することは、彼女を殺す事と同義なのだ。


「『シンクロ』だ、トット。どうやるんだ」


 トットは驚いて、目を丸くした。まるで明梨が何を言っているのか、分からないといった様子だ。明梨は手を伸ばし、トットに微笑みかけた。


「俺は、『からでま』に参加する。よろしくな、トット」


 迷っているようだ。自分が余程の役立たずだと思っているのか、それとも罰ゲームの悲惨さについてなのか。考えれば、いとも容易くクリーチャーの一体を死に追いやるようなゲームだ。人間達は『ゲスト』とはいえ、負ければ客ではないと扱う可能性だってある。


 だが、何故か明梨は気分が高揚していた。それは、未だ見たことのない幻想生物に対する憧れだったのか、はたまた未だ夢のようなこの光景のためか――……


「ははは!! そう来なくっちゃね、明梨君。この『アルカディア・シェル』に、我々の世界に、君が新しい風を齎してくれる事を期待しているよ!!」


 トットは明梨の手を掴んだ。瞬間、明梨の中に、何かの神経が結合するような衝撃を覚える。


 それは、激しい痛みだっただろうか。或いは、永遠に続く快楽のようなものに似ていたかもしれない。


 エルクレアは左腕を振るい、高らかに言った。


「これで、役者は揃った――――さあ、『身体から☆出ますよ?』を始めるぞ!!」


 その名前は何とかならないのか。明梨はぼんやりと、そんな事を考えていた。


 マーシャと呼ばれたエルフが、明梨と夢遊、そしてトットに向かって魔法を放つ。瞬間、明梨の視界は白く濁っていった。


「あ、あっくん!!」


「ミュー先輩、大丈夫。じっとしていよう」


 どこかに、『転送』される。直感的に、明梨はそう感じていた。少なくとも、ゲームに参加する意志を表明したことで、今すぐにどうにかなる事は無いはずだった。


 明梨は目を閉じる――……




 ○




 朝日を感じて、明梨は目を開いた。


 小鳥は和気藹々と家族の団欒を楽しみ、優雅な風は窓の隙間から漏れ、カーテンを揺らしている。六畳一間にダイニングキッチン、テレビの置いてあるリビング。駅までが遠いが、広さの割に安いのが魅力の優良物件。


 明梨の家だ。


「んっと……」


 昨夜は、あれからどうなったのだろうか。いや、全ては夢だったのだろうか。神凪と約束をしていた筈だが、彼女は現れなかった――とうに面倒になってしまい、帰ったのだったか。当時の記憶が無いので、余程疲れていたのだろうか。


 そこまで考えて、明梨は溜め息をついた。結局、ただ眠りこけていただけだ。まして、異世界から幻想生物が現世に現れるなど、考えられるわけが。


 苦笑して、明梨は布団から起き上がり。


「はは、俺も疲れて――――うおおおおおっ!?」


 思わず、絶叫していた。


 思わず絶叫する瞬間など人生のうちにそう多い訳では無いと明梨自身も思っていたのだが、叫ばずにはいられなかったのだ。明梨の布団の上に、汚いぼろきれのような毛布を羽織って眠る人間の姿があったからだ。


 いや、人間ではない。


 巻き過ぎて海苔巻きと化した毛布からは、銀色の艶やかな髪が植物か何かのように生えていた。そして、その頭にはヌイグルミか何かのような、白くてふわふわとした耳がぴこぴこと動いている。


 明梨は、ごくりと喉を鳴らした。


「――――もふもふだ」


 それは、もふもふであった。


 明梨は喉を鳴らして、その耳に触れた。


「もっふ……もっふ……」


 何故か口が動いてしまうのは、大宇宙の法則だったのかもしれない。


「んああっ……」


 鼻に掛かった、艶かしい声が聞こえる。その声を聞いて、明梨は我に返った。


 何を考えているのだろうか、と自分自身を戒める。そのもふもふレベルに抗う事ができず、悦楽的行為に耽ってしまった。


「人類の三大欲求は、食欲、睡眠欲、性欲、そしてもふ欲ってな……」


 既に『三大』欲求ではないことは、暗黙の了解として伏せていた。


「んう……」


 海苔巻き状態の毛布の中で息苦しくなったのか、うつ伏せにトットは首と腕を出した。ようやく、その長い睫毛や白い肌が目に入る。明梨は何度か耳を引っ張り、それが偽物ではないことを確認した。


 鈍い刺激が走るのか、時折唸っていたトットが、ついに目を覚ました。大きな赤い瞳を開くと、起き上がった。


「……あれ、檻じゃない」


 頼りなくも身を隠していた、毛布がはらりと落ちる。


 瞬間、明梨は気付いた。


 ――――すべて、檻の中の状態のままだ。


「わー!! ちょっと待って、ストップ!!」


 反射的に、明梨は叫んでいた。その薄汚れた毛布をトットの胸の前で支える。


 瞬間、トットがその輝くような双眸で、明梨の顔を正面に捉えた。


「……不死川、明梨さん」


「あ、ああ。俺が、そうだけど」


 思わず明梨は、変な回答をしていた。


「本当に、『シンクロ』してくださったのですか」


「ああ、まあ」


 結局、『シンクロ』の内容もいまいちよく分からなかったが。思うように回転しない朝方の頭で、明梨は言う。


 トットの頬から、一筋の涙が流れた。その様子を確認して、明梨は少しだけ穏やかな気持ちになった。


 まさか、現実だったとは。いや、例えそうではなかったとしても、明梨は間違った選択をした訳ではないのだ。そう、再確認する。


「明梨さん――――ありがとうございます。……ごめんなさい」


 例え、夢でも良かった。いや、夢であった方が良かった、と考えるべきなのだろう。彼女が今この場所に居るということは、即ち明梨は『身体から☆出ますよ?』への参加表明をした、という事になるのだから。


 一体、どのような大会なのか想像もつかないが――……。だが物騒な内容だということは、あの豚男の一件で朧げにではあるが、理解していた。


 少なくとも、ゲームのタイトルとは遠くかけ離れたものだろう。


「良いよ、トット。とりあえず――……」


 しかし。明梨は、今世紀最大に言い難い一言を、言うべきかどうするべきか、悩んでいた。


 この娘。


 ――――臭い。


 いや、ただ臭いだけならばまだ良いのだ。良くはないが、まあ檻の中に閉じ込められていた事を考えれば許容範囲だ。だが、なんと言うべきか、そう。


 獣臭い。


 それはアウトだ。


「……風呂、入ろうか」


 やはり、『ネコウサギ』なのだろうか。どうにも、大自然に住む生き物の臭いがする。


 当然、明梨はペットを飼っていない。そもそもペット不可の物件だ。臭いに気付けば、あの昼間から隣の一軒家で飲んだくれている若い大家が何を言い出すか分かったものではない――いや、叩き出されるかもしれない。確かあの大家、猫アレルギーなのだ。


 脂汗を流して言う明梨とは対照的に、トットはきょとんとした顔で、目を丸くして首を傾げた。


「おふろ?」


 ――ガッデム、なんてことだマスター。この少女、風呂の存在を知らないぜ。


 最早明梨の許容範囲を越えた出来事に、明梨のテンションはおかしくなっていた。よく見てみれば、薄汚れた毛布に汚れた身体。そのままでは、病気になってしまうかもしれない。何しろ、今のトットは一糸纏わぬ姿なのだ。


 別に潔癖症ではないが、無意識に布団カバーとシーツは洗わなければならないか、などと考えてしまうくらいだ。


「トット、こっち」


「は、はいっ!」


 明梨はシャツと短パンに着替えると、風呂場に入った。


 彼の目の前には、あられもない格好でこちらに座り、目を輝かせながらこちらを凝視しているトットの姿があった。これから何が起こるのか分からず、興味津々といった様子だ。必死で目を逸らしながら、トットの背中に立つ。


 どうしても、鏡の向こうに見えているトットの正面が気になる。


「こいつは動物こいつは動物こいつは動物……」


 念仏のように唱えながら、明梨は深呼吸をして、シャワーヘッドを構えた。


「これから、何をするんですか?」


「洗うんだよ、身体を。トットがね」


「――――へっ?」


 明梨は、トットに向かってシャワーを放出させた。




「○×△□#$%&――――!?」




 一瞬、何が起こったのか分からず、明梨は何度か瞬きをした。


 椅子に座らせたはずのトットが、湯を出した瞬間、一瞬にしてその場から忽然と消えたのだ。あまりの素早さに、何が起こったのかさっぱり分からなかった。


「なっ、ななななな何ナニなにを……」


 明梨は声のする方へと首を向けた。


 浴槽の隅で、トットは膝を抱えてがたがたと震えていた。


 あまりの状況に思考は停止し、明梨は呆然とトットを凝視した。


「……いや。汚れてるから。身体、洗えよ」


 呆れた明梨の物言いに、トットは全力で笑顔を浮かべた。


「いや汚れてないです綺麗ですー。全然平気ですよ?」


 ――――え、いや。まさか。


 明梨の頭の中では情報が浮かんでは消え、ある複数の現象から、トットの種族的性格を把握。そして、ある一つの結論に達した。


「良いから、こっち来いよ」


「いやいやいや大丈夫ですって。ほら、肌白いでしょ? 平気ですよー」


 猫や兎は、水を被る事に恐怖を覚える場合もあるという。特に、風呂は大嫌いだったりすることも。


 明梨は、眉根が寄って行く事を抑えられなかった。


「お前を洗わないと、俺が大家になんて言われるか分からないんだよ」


「いやちょっと、本当に大丈夫ですから結構ですから。ご心配なさらず」


「覚悟決めろって。俺も困るんだから」


 滝のように汗を流している所を見ると、余程嫌らしい。明梨は浴槽の縁に足を掛け、トットに向かってお湯を向ける。


 器用にも小刻みに飛び跳ねながら、トットは見事に明梨の攻撃をかわした。


 無駄に、速い。


 まるで、全く捕まらない蝿のようだった。明梨のフラストレーションは、次第に溜まっていく。


「……お前……」


「嫌です!! そんな勢いで水なんて掛けられたら、死んでしまいます!!」


 その時、玄関扉がそれとなく開いた事に、明梨は気付かなかった。


 いや、それ所ではなかった。明梨は、目の前の障害に必死になっていたのだ。


「このクソウサギがァ!! 良いから黙って洗われろや――――!!」


「ぴぎゃ――――!!」


 その時、風呂場の扉は開いた。


「あっくん? 玄関、開いてたよ?」


 同じアパートに住んでいる、愛田夢遊という明梨の良く知る人物から、その後『セクハラ』と『動物虐待』という、最も望ましくない且つ見方によっては犯罪者級の変態と捉えられ兼ねない称号を明梨が得るのは、その十分後の話であった。


 決してめでたくはない。

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