第4話 理想郷の外殻 ↑
月曜日、既に時刻は二十三時。
某東京都新宿区のゲームセンター前に立っていた明梨は、腕時計を確認して苦い顔をした。
もうじき、ゲームセンターが閉まる。ということは、当然明梨にとってもここに居る意味は無いわけであって。いや、既に元から意味など殆ど無いのだが――……。
昨日出会った少女、神凪爽子が現れないのだ。
もしかしたら中に入っているのかもしれない、とも考えた。だが中を見ても昨日の金髪ゴスロリ少女が居る気配はなく、外で待っていたらこんな時間である。
明梨は十八時から居るので、既に六時間だろうか。
こんな所に居たって、何の意味もない。それは、明梨にも分かっていた。
「……あー、くそ。遅れてごめーん、とかパン咥えて言わねえだろうな」
それでも明梨がここに立ち止まってしまうのは、昨日出会った、黒いスーツの男が残していったゲームの事があるからだ。
『身体から☆出ますよ?』という、人を小馬鹿にしたようなタイトルのゲーム――その中に居るキャラクターである『ゆるふわネコウサギのトット』という娘が、今日の二十四時、新宿区の地下に集合などと宣言したせいだ。
あと、一時間。明梨は向かうべきか向かわざるべきか、非常に悩んでいた。
もしも向かったとして、怪しげな団体に捕まったらどうしよう。東京都はそういった内容の勧誘などが多い。チラシを受け取る事さえ危険な場合があるのだから、注意しなければならない。
まして、ゲームを渡してきたのは深夜に出会った黒いスーツにサングラスの男である。信頼できる要素など、一欠片もないのだ。
では、向かわなかった場合は?
『……絶対、来てください。その後で止めるタイミングは、ありますから』
トットと書かれた名前の、銀髪の少女を思い出す。
罰ゲームとは、何だろうか。とてもではないが、待ち合わせ場所に向かわなかった明梨が法律上の罰則を受ける事など、百パーセント有り得ないことだ。
だが、だからといって、明梨の身に何も起こらないとは言えない。連中は既に、不死川明梨の名前を知っている。特定はされているということだ。
――怖い。
明梨は人知れず、身を震わせた。
「げっ。いた」
ふと声がして、明梨は顔を上げた。噂をすればなんとやら、である。
金髪のツインテール。今日は少し暑いからなのか、その装飾の多いシャツは半袖だった。縞模様のハイソックスが暑そうだ、などと他人事に思う。
「遅かったな」
「……補習になったのよ」
「そりゃ、お気の毒に」
明梨はぼんやりと、無意識にゲームセンターの表にある、綺羅びやかな看板――のライトが、消灯されてゆく様を眺めていた。既に今から中に入る事はできない。とてもではないが、店員に迷惑だ。
かといって、目の前に居る神凪爽子を責める訳にもいかない。学業に励んでいたのだから、ゲームよりは遥かに立派な行為だと考えるべきだろう。従って、明梨は今回のことは爽子がここに現れてくれただけで充分だ、と思う事にした。
「それじゃあ、帰るか。おつかれさん」
「ちょ、ちょっと待ってよ。……なんで、待ってたの?」
爽子は慌てた様子で、明梨に問い掛けた。明梨は爽子の顔を一瞥して、溜め息をついた。
「もし後から来て、入れ違いになったら悪いだろ」
「ごめん、あたし、ジュースくらい奢るよ」
「いーって。学生にフリーターが奢られる訳にいかないっつーか。まあ、俺のアドレス、やるよ。気が向いたら連絡してくれ」
明梨は爽子にメモを渡し、手を振ってそのまま、去ろうとした。
「ねえ、明梨……ちょっと、聞きたいんだけど」
だが、立ち止まった。
最近、このシチュエーションが妙に多い気がする。爽子が去り際に話し掛ける癖があるからなのか、どうなのか。
だが、爽子は非常に思い悩んでいる様子だった。暗がりだったがよく見れば顔色は悪いし、血の気が引いているようにも見える。
いや、それこそ夜だからなのだろうか――……
「……あのさ。『からでま』って聞いて、何のことか分かる?」
身体が反応してしまうことを、抑えられなかった。
爽子は明梨の反応に確信を持ったのか、近寄って明梨の袖を掴んだ――まさかこんな所に、同じ境遇に立っている人間が居るなんて。
微かに、爽子は震えている。怯えているようだった。
「し、知ってるのね? ごめん、あたしゲーム友達とか、いなくて……。もしかしたら明梨なら何か知ってるかも、と思って」
「知っていると言うほど知らないが、神凪もなのか?」
爽子は自身の身体を抱え、怯えた表情で震えた。
「……うん。変な男に、声を掛けられて。全国のゲームランキングで、六十二位だから、とかで」
どうやら、スーツの男は全員に同じ事を言っている訳ではないようだ――ということは、もしかすると明梨の全国ゲームランキング千位というのは、本当なのだろうか。
爽子とでさえ、あまりに圧倒的な格差。この間は明梨の勝ちだったが、『まぐれ』だったのだろうか。
それにしてはレベルが違い過ぎた、と明梨は漠然と思う。
「負けたら死ぬ、とかって……。怖いよ、あたし。良く分からないままゲームを進めたら、そんな事になって」
爽子は怯えていた。その様子を見て、明梨はふと覚悟をした。
訳の分からないゲームに参加させようとしている、スーツの男。既に二人、対戦格闘ゲームをやっている人間に声を掛けている事が分かっている。ということは、かなり多い人数に同じ事をやらせている可能性が高い。
何のイベントのつもりなのだろうか。
「大丈夫だって、神凪。冷静に考えて、そんな事起こるわけないだろ」
「……う、うん」
「待ち合わせ場所に立って、様子を見てやろうぜ。新宿の地下ってんだから、きっと怪しい所なんだろ。現場をおさえて、警察を呼べばいい」
「そ、そうだよね。そうしよう。……明梨、来てくれる?」
初めに会った時の事を考えると、随分としおらしい態度ではないか。明梨は少し面白くなってしまった。どうやら、本当に怖いらしい。
女子に頼られる事も少ない男だ。たまには、男らしい所を見せても良いのではないか。
どうせならミュー先輩に見せたかったな、と明梨は少し思った。そう思うのは夢遊に恋心を抱いているのか、それとも。
「ま、構わないよ。行こうぜ」
一瞬だけ爽子の表情が開花した向日葵のように明るくなり、直後に不機嫌な表情になった。
照れ隠しだと、一発で分かる表情だった。
○
某新宿地下の出入口の近くに、明梨と爽子は辿り着いた。近くのへこみに隠れ、待ち合わせ場所と思われる場所を覗き込む。
E一出口と言ったら、地下通りの最も端だ。やたらと長い距離を歩かされたような気がする――思いながら、明梨は辺りを見回した。
特に、人が居る様子はない。時刻、二十三時五十五分。五分前だ。
やはり、何かの引っ掛け、悪徳業者の関係なのだろうか。その割には、コンビニで見掛けた黒スーツの男も居ないが――……
「ちょ、ちょっと。近くに寄らないでよっ!」
「仕方ないだろ、隠れる場所が一つしか無いんだから!」
小声で怒鳴り合う二人だった。
それにしても――どうにも、不自然だ。明梨はその不自然さを感じながら、腕時計の秒針を眺め続けていた。
こんな所まで来ることは滅多にないからだろうか。もしかしたら人通りの少ない場所なのかもしれないが、それを考慮に入れたとしても人が居ない。
やがて、約束の二十四時が訪れた。明梨は腕時計で時刻を確認しながら、じっくりと辺りの様子を伺った――……道中擦れ違う人間は何名か居たが、今は全くと言っていいほど無人だった。
ふと、明梨は後ろを振り返って思う。
日付変更時刻とはいえ、新宿の地下街に人が居ない――……?
「あ、明梨」
爽子が怯えた声音で呟いた。明梨は何事かと爽子と目線を合わせる。
ギイ、と扉が開いた。業務員が利用する為のものだろうか。それは無印の扉だったが――その光景に、明梨は絶句して息を呑んだ。
扉は誰が開けた訳でもなく、まるで機械的に、そして自動的に開いたのだ。
更にその向こう側は暗闇ではあるが、まるで液体のように蠢く、紫色と緑色の入り混じったような色の薄い膜が張っていた。いや、気体、だろうか……? 明梨には分からない。
その場には、誰も居ない。明梨は再度後ろを振り返り、その通りに誰も居ない事を再確認した。
そして、何気なく天井から降りている、案内板に目が留まる。
「E、『ゼロ』……?」
今の今まで、全く気が付かなかった。明梨は背筋から冷えていく感覚を覚えながら、思わず喉を鳴らした。
誘い込まれた――……?
一体、いつから?
確かに明梨と爽子は東京都新宿区の地下街を歩いていた筈だ。業務員用扉の向こう側も、得体の知れない何かに覆われている。
存在しない筈の出口、『E〇』に気付いているのは、まだ明梨だけだ。
「……や、やっぱり、帰ろうか」
その時、遠くから足音が聞こえてきた。明梨と爽子は驚いて、その場に身を隠す。
やがて通路の反対側から、女性が顔を出した。まだ女性はこちらには気付いていないようだったが――その姿を見て、明梨は驚いて隠れていた場所から出た。
「ミュー先輩!?」
声を掛けられて、明梨の先輩――愛田夢遊は、振り返った。花のように可憐な笑みを浮かべる。
「あー、あっくん! 良かった、みーつけた」
「どうしたんですか、こんな所に?」
夢遊は少し不安そうな表情になって、唇を尖らせた。
「どうしたも、こうしたも。びっくりしたよ? さっきそこであっくんを見付けて、そしたらあっくん、『何もない壁に向かって、当たり前みたいに歩いて行く』んだもん」
明梨と爽子は、絶句した。
何もない、壁に? 明梨と爽子は、当たり前のように通路を歩いて来たつもりだ。そのような、摩訶不思議な場所を歩いて来た記憶などない。明梨と爽子にとっては、少なくとも通路は見えていた筈で――……
ということは、E一出口を知らずのうちに通り過ぎ、明梨と爽子は『E〇』出口まで辿り着いた――……?
いや。
そんなことは、有り得ない。
「あ、明梨ー!! どうしよう!!」
爽子が涙目に、明梨の腕を掴んだ。とてもではないが、「近くに寄らないでよ」と発言した少女の態度ではなかった。
「あら、あっくんの友達? 初めまして、私、あっくんの幼馴染な先輩で、愛田夢遊って言います。みゅーちゃんって、呼んでね」
間の抜けた声音で、夢遊は爽子に挨拶をした。この異常な状況で、こんなにも冷静で居られるのは最早特技と言っても良いだろう。
怯えていた爽子だったが、淡く柔らかい雰囲気のある夢遊が危険人物ではないと判断したのか、少しだけ緊張を和らげる。
「あ、あたし、神凪爽子」
「うんー、よろしくね、爽子ちゃん。私ね……あれ? 私って、幼馴染と先輩、どっちが先なんだろ?」
「どうでもいいですよ。ミュー先輩、ちょっと黙って」
「がーん!!」
今は、夢遊の気の抜けた態度に付き合っている暇はない。もしも夢遊の言っていた事が本当だとしたなら、明梨は得体の知れない空間に潜り込んでしまった事になる。
もう、形振り構っている状況ではない。明梨は通路を三百六十度しっかりと確認し、そこに明梨達を除いて誰も居ない事を確認した。
「ミュー先輩、俺達以外に、壁に向かって激突した奴は居ました?」
「ううん? なんだか、誰も気付いていないみたいだったから。私、びっくりしちゃったけど。あのね、私が手を触れたら、魔法みたいに通り抜けて――」「分かった、ありがとう」
明梨は夢遊の言葉を最後まで聞かず、走った。業務員用扉が閉まりかけていたのだ。
夢でも、幻想でもない。明梨達は今、通常の思考では対処しようのない状況に陥っている。だとするならば、トットの言っていた『罰ゲーム』。あれもまた、通常の思考では考えられないような内容である可能性もあった。
「待て待て!! 行くから!!」
明梨は閉まりかけた扉を掴み、無理矢理に開く。
扉は再び開き、一度動きを止めた。
遠目から見てはいたが、改めて目の前で紫色と緑色の入り混じった不思議な膜を目にすることになり、その迫力に息を呑んだ。
まるで、生き物のように蠢いているではないか。
遅れて、爽子と夢遊が走って来た。明梨はごくりと喉を鳴らして、思い切って――静かに、その膜に手を触れた。
触れた感覚は、ない。嘘のように空虚で、気体のようだった。
他に、入り口も出口もある気配はない。ここを通らなければ、元の場所に帰る事は出来ない可能性もあった。
「……行こう」
「ええ!? マジで!?」
明梨の言葉に、爽子が驚く。明梨は爽子の返事を聞かず、その紫と緑の空間に突っ込んだ。
「うわっ――――!?」
瞬間、足を踏み外して明梨は身を庇い、転んだ。
「いてて……」
どうやら、そこまで高い所から落ちた訳ではないようだ。明梨は立ち上がると、先程通り抜けた通路を見た。少し階段になっていたようで、五段か六段程度の短いものだ。
特に何の変哲もない、廊下のようだった。普通でないのは、明かりが一切付いていない事だったが――……廊下は階段に対して垂直に伸びており、T字を描いていた。
右は化粧室。左は、廊下が続いている。
誰かに見付かったら、怒られそうな場所だ。
「あ、明梨!? 大丈夫!?」
階段の上から、爽子の言葉が聞こえる。明梨は再度、階段の上を見た。
明梨から見て、先程の紫色と緑色の空間はない。階段の上では爽子が、焦点の定まらない瞳で明梨の事を心配している。夢遊も、こちらには気付いていないようだ。
――表からしか、視えないのか。
「大丈夫だ、入って来ていい。下りの階段になってるから、気を付けて」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます