第5話 理想郷の外殻 ↓
階段を下りた一同は、そのまま通路を左に抜け、廊下を歩いた。電気は点いていなかったので、スマートフォンをライト代わりに使用し、下を確認した。
通路はどこまでも一本道のようで、鼠色の無機質な壁だけが続いている。暗闇だが廊下は長く、そのために奥まで光が届かず、どこまで歩いたのか判別すら付かない。
「……ねえ、やっぱり戻らない?」
爽子が明梨の腕を掴み、呟いた。ここまで来て、どこへ戻ると言うのだ。明梨はそう言ってしまいたい気持ちになったが、何も言わない事にした。
何しろ、人影が全くないのだ。あのまま待ち合わせ場所に立っていれば、何かが起こったのだろうか――そうとも思えない。約束の時間である二十四時に人知れず扉が開き、その十分後に扉は閉まった。ならば、その扉の向こう側に進めと言われているとしか思えなかった。
「どうでもいいけど、おなか空いたねー」
本当にどうでも良かった。
夢遊の呟きも無視して、明梨は先頭を切って歩いた。娘二人に前を歩かせる訳にもいかない――ここが何処なのかもはっきりとしていないのだから。
やがて、明梨は足を止めた。壁を見ていた爽子と夢遊が、明梨に合わせて立ち止まる。明梨の目かライトが騙されていないなら、目の前の通路は壁に突き当たっていた。
ライトで四方を確認し、辺りを調べる。
「……エレベーター?」
爽子が発見した。
見たところ人が入る事が出来る程度の扉があり、その右側には、上下に動作するためと思われる矢印の付いたボタンがあり、ボタンの上には現在の階層を示すと思われるディスプレイもあった。
一目でそれを判断するなら、エレベーター、だろう。
「わあ、可愛い」
夢遊は相変わらず緊張感が無い様子で、にこやかに呟いた。
確かに、エレベーターのようにしか見えない。だが、そのエレベーターはどうにも様子がおかしかった。
扉の部分は卵型で、その上には現在の階層を示すと思われる、『B二』の文字がある。位置的には更にその下の階層を示すと思われる、『B二』よりも左にあるナンバーは――『AS』とあった。
『B二』が最上階であることも甚だおかしいが、地下階層にしても数字すら書いていない。『AS』などという階層を示す単語は無いはずだ。予想もしないオブジェクトの登場に、明梨は喉を鳴らした。
チーン、と鈴の音がして、エレベーターの扉は開く。まるで明梨達がここに到着したのを待っていたかのように、エレベーターの内部はライトが点き、その場が少しだけ明るくなった。
「ど、どうしよう……どうしよう、明梨」
どうするも、こうするも。乗るしかない、という認識だった。
明梨は先陣を切って、そのエレベーターに乗り込んだ。遅れて夢遊が、一人取り残される訳にはいかない爽子が、順に乗り込んでいく。
エレベーターの中には、ボタンが無かった。ただ、現在の階層を示すディスプレイだけが光っている。『B二』という文字の下に、矢印があった。矢印は確かに、下へと向かう事を宣言していた。
扉が閉まる。
「おわあ!!」「――ひっ!!」
明梨と爽子が、同時に悲鳴を上げた。エレベーターが突然、急降下を始めたのだ。思わぬ速度に、身体が一瞬だけ宙に浮く。
「あらあら……」
この人は死んでも『あらあら』で済ませそうだ、と明梨は夢遊を見て思った。
急降下、と言うべきか。最早これは、落ちているに近いのではないか。明梨は浮かんだ身体をどうにかエレベーター内の手すりにしがみつく事で、コントロールしようと試みた。
「わわっ、何これ……」
今更、夢遊は怯え出した。既に全員、身体が浮いてから暫くしてのことだった。
ガタン、と音がして、明梨達は地面に叩き付けられた。落下時間から考えると、衝撃は驚くほど少ない。エレベーターは少し上下に揺れ、落下の余韻を残していた。
チーン、と先程と同じような鈴の音が聞こえてくる。
そうして、扉は開かれた――――……
「……なあ。今、深夜、だよな」
開口一番、明梨はそう呟いていた。爽子が目を丸くし、夢遊は頬に手を当てて頭に疑問符を浮かべていた。
明梨は一歩、その『日が上る遺跡のような空間』に、踏み出した。
煌々と太陽は明梨達を照り付け、青い空はどこまでも続いている。
深夜の、二十四時に?
明梨は振り返り、先程まで自分達が乗っていたエレベーターを見た。卵型のエレベーターは、しかし上へと続いていない。綺麗な卵型をしていて、エレベーターと言うよりは宇宙船のような、奇妙な機械に見えた。
地面の下ならば、まだ可能性はあるが――しかし自分達は、確かに『落ちてきた』筈だ。感覚もあった。……これは一体、どういうことなのだろう。
「あ、明梨。やっぱり、帰ろうよ……」
まるで、不思議の国だ。確かに、面倒事になるまえに引き返した方が良いのでは、と明梨にも思えてきた。誘い込まれたなら行くしか無いというつもりだったが、最早新宿かどうかも分からない場所となると、話は別だ。
薄い土色の舗装された道は広く、辺りには見たこともない生き物が彷徨いている。エレベーターの先は円形の広場のようで、幾つもの出店が並び、生き物がそれを囲っていた。
――――そう、人、ではなかった。
そこのたこ焼き――と思われるものを焼いているのは、頭の両脇に角の生えた男だ。緑色の髪をしていて、黒い翼を生やしている。
天使の輪のようなものが頭の上に浮いている人間も居るし、トカゲをそのまま巨大化させ、二足歩行にしたかのような、武装したトカゲ男も歩いている。
「あっくん――あれは仮装じゃない。なんか、様子がおかしいよ」
「ミュー先輩、なんか探偵気取りですけど、俺達とっくにおかしい事になってますからね?」
「真実はいつも、ひとつなんだね」
やはり、どこかズレている人だと思う。
しかし、円形の広場を囲っている幾つもの建物は――明梨は、そちらに目を留めた。一つ一つ、それを確認していく。
「……なあ、神凪」
「は、はいっ? なんでしょう?」
怯え過ぎて、最早爽子は敬語を使っていた。
「あれ、何に見える」
明梨は遺跡のような建物を指差した。爽子がその建物に目を留め、震えを止める――と同時に、怪訝な表情になった。
やはりか、と明梨は思う。その建物に既視感を覚えていたのは、自分だけではない。間違いなく、爽子にも見覚えのあるものだった。
「え、パチンコ台――……?」
だが、その建物はとても大きく、ゲームをするようなものではない。下には扉もあり、生き物が出入りしていた。既視感があるのは見てくれだけであり、中身は普通の建物、ということだろうか。
「えっ、あれはギター振りっくす、あれはパッペンサウンド……フラメンコレボリューション?」
爽子は次々に建物を見ながら、該当するゲームセンター内の商品名を口にしていく。
「麻雀激戦倶楽部、エキスパンドダーツ……それに、クレーンゲーム!」
良く見れば。
明梨は辺りを見回した。太陽は確かに昇っているが、あれは作り物ではないのか……? 明梨がそう思うのは、太陽の周囲にある雲が、一切動いていないこと。そして、目を凝らして見れば、空はどこか『歪んでいるように見える』――……
つまり。明梨達は、卵型のエレベーターを通してここに来た。そして、この謎の遺跡全体が『建物』であり、ここは世界を模した卵型の、ドームなのではないか。
広場を取り囲むように建っている建物の中には、一際大きな建物があった。それは明梨も、爽子もまた、よく見慣れたものだった。
格闘ゲームの、対戦台。
その方角から、一人の男が歩いて来る。見覚えのあるその姿に、明梨は爽子と夢遊よりも前に出て、二人を守るように動いた。
黒スーツの男は、不敵な笑みを浮かべていた。
「――気に入って貰えそうかな? 不死川明梨君」
明梨をこの場所に呼んだ男。明梨は、精一杯の笑みを返す事にした。
「さあ、まだちょっと、慣れてないもんで。――聞いてもいいか? ここは、どこだ?」
黒スーツの男は、初めてそのサングラスを外した。その顔を見て、夢遊以外の二人は驚いて、身を引いた。
サングラスの向こう側にある瞳は、この世のものとは思えないほどに金色だったのだ。
「ここは、君達にとって至高の場所。最高の決戦の舞台――――ゲームセンター・
男は両腕を広げ、高らかに言い放った。
ゲームセンター? ――ここが、ゲームセンター、だと?
「ルールは既に伝えてあるね。君達の『持ちキャラ』がお待ちかねだ。……おや? 本来は招待していない筈の人間が、ここに紛れ込んでいるようだが……」
黒スーツの男は、夢遊を見てそう言った。珍しくも、夢遊はその男の気迫に怯えているようだった。
明梨は舌打ちをして、夢遊を庇うようにして黒スーツの男の視界を遮った。
「たまたまだ。別にいいだろ、ゲームセンターなら観客くらいさ」
ふん、と男は鼻を鳴らし、頷いた。すました顔で笑顔を見せると、瞳以外は人間だった筈の男の耳が、鋭く尖っていく。
つまり、人に見せ掛けていたのだろう。八重歯は有り得ない程に尖り、頭からは二本の角が現れた。黒髪黒スーツの男からそのようなものが生えてくると、余計に奇妙さが目立つ。
「まあ、良いだろう。偉大なるお客様方、こちらへどうぞ」
向かう先は、その巨大な格闘ゲームの対戦台――建物だ。
黒スーツの男に、明梨達は付いて行くように歩き出した。道中、様々な生物達が、興味津々といった様子で明梨達を見詰めていた。周りを眺めていて、思う。どうやらこの世界に、『人間』に当たるものは居ないようだ。
いや、そこのタキシードの中年男性はそうでもないか……?
「ゲヘヘ!! 聞いてくれよ、旦那。今日は珍しく勝っちまったよ」
恐竜のような生物が靴と手袋を身に着け、何枚かの紙切れを隣に座っている髭面の男に見せ付けている。タキシードと思わしきスーツを着た髭面の男は、ものの一瞬で髭面の男から金髪の女性に変化した。
「あら? じゃあ、そのお金で一杯やってく? 今日は安くしておくわよ」
「クハハ、オカマちゃんの相手はごめんだぜ」
「オカマじゃねえよ!! 『無性別』だ、馬鹿にすんな!!」
ぞわりと寒気がして、明梨は顔が青くなってしまう事を抑えられなかった。――なんだ、今の変化は。やはり、一見人間に見えても、彼等は『人』ではないのか。目の前の黒スーツの男も、人ではなさそうだ。
明梨は、ゲームディスクで語られた娘の言葉を思い出した。トット、と名乗っただろうか――彼女は、おそらく自分達のことを『クリーチャー』と。なるほど、確かに人間とは呼ぶことが出来ず、例えるならば『クリーチャー』と呼ぶのが一番良いかもしれない。
黒スーツの男は格闘ゲームの対戦台が巨大化したかのような建物の入り口に立ち、扉に手を掛ける。一度明梨と目を合わせてから、男はウインクをした。
「精一杯、作ったんだ。きっと、楽しんで頂けると思うよ」
――なんだ。この男は、一体自分の何を知っていると言うんだ。明梨は眉をひそめて、金色の瞳を凝視した。
そうして徐ろに、扉は開かれた。
光量の違いに、目を細める。程なくして目が慣れると、徐々に室内の様子が浮かび上がってきた。
「ここは――……」
思わず、呟いていた。薄暗い室内には、無数のゲーム機に模したものがあった。だが、それらは室内の壁を装飾するための飾りでしかなく、ディスプレイは石で出来ており、コインを入れる事はできない。
何より異質なのは、その広場に集められていたのは、先程まで明梨達が見ていた奇妙な生き物達ではなかったということだ。
様々な年齢の、人間達。皆、何故ここに集められたのか分からないと言った様子で、不安そうな顔をしている。
金眼の男は笑みを浮かべたまま、室内の奥にあるステージへと向かった。人間達は彼に見覚えがあるのか、彼を見ると道を開ける。ステージとは言えどもマイクはなく、多少の段差があるだけだ。
男は段差の上まで行くと、振り返った。男の風貌を、より明瞭に確認することができた――……黒いスーツ、黒い髪。二本の角と八重歯、そして輝く金の瞳がなければ、人そっくりだった。
男は人差し指に紫色の光を纏うと、自分の目の前に魔法陣のようなものを描いた。その光は空中で留まり、ゆらゆらと揺らめいている。
「なに、あれ……」
爽子が呟いた。明梨や他の人間達も、その不思議な魔法陣に目を見張っている。
「『アルカディア・シェル』へようこそ、『プレイヤー』諸君。どうやら、全員揃ったようだ」
男が喋ると、その声は大きくなった。近くに立っていた人々が音の大きさに、多少離れる。
どうやら紫色の魔法陣は、メガホンのような役割を果たしているようだ。
「改めて、初めまして。私は『ヒト鬼族』のエルクレア。この『ゲームセンター・理想郷の外殻』で店長をやっている」
男は隠す素振りもなく淡々と、自己紹介をした。そうして、笑みを浮かべたままで言う。
「これより、ゲーム『身体から☆出ますよ?』を始めよう」
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