第17話 イワシステップ ↓

 二時間後。


 情けなくも泣き言を連発していたトットだが、何度も繰り返すにつれ、少しずつその本質を理解してきたようだった。


「にゃ――――!! やめてっ――――!! ぎゃ――――!!」


 ……叫びながら、攻撃をどうにか避けていると表現するのが正解かもしれない。


 しかし、その戦いに明梨は一切の手出しをしていない。つまり、トットの実力のみを使い、夢遊の攻撃を避ける事が可能になってきている、ということだ。黙っていれば滅多打ちになるこの状況で助けを求めた所で、誰も手出しはしてくれないという事を理解したらしい。


「自分の間合いに踏み込まれるから打たれる!! ミュー姉を自分の間合いに近付けさせるな!! 本当はそういうの得意だろ、トット!!」


 明梨は遠くに居るトットにアドバイスする。


 実際は、避けられなくても良いのだ。これは、臆病者のトットに冷静さを刻み込ませるための戦い。


「そ、そんな事言ったって――――!!」


 トットはどうにか、その高い跳躍力を活かして飛び跳ね、夢遊の攻撃を交わす。夢遊への攻撃など出来るはずもなく、逃げるのが精一杯だったようだが。


 竹刀を持った夢遊は、相当に強い。クリーチャーと言えど、戦いに慣れていないトットには荷が重いだろう。


 壁に追い込まれたトットは、背中を見て冷や汗を流した。左右へ逃げる事は難しい夢遊の踏み込みが、トットを襲う。


 ――――もう、下がれない。


「ごめんね、トットちゃん……!!」


 夢遊は呟いて、トットの銅目掛けて竹刀を振った。


「――――おお!!」


 明梨は思わず、感嘆に声を漏らした。


 先程まで壁に寄れば打たれっ放しだったトットが、忽然と夢遊の前から姿を消したのだ。夢遊は居なくなったトットを見て、左右を確認していた。


 横で見ていた明梨には分かった。トットが真上に跳躍し、壁を蹴って夢遊の反対側に回ったのだ。


 夢遊がトットの居場所に気付いて、振り返る。


「あれ? 避けれた……」


 トット自身、驚いているようだった。


 ようやく、戦いらしくなってきただろうか。夢遊の間合いと、トットの動きの間合い。どこまで詰めさせてしまえば攻撃がヒットするのか、その感覚を朧げにだが、掴んだように見えた。夢遊の踏み込みに、先程までよりは少し離れた位置でトットは応対する。


「――はっ! ――はっ!!」


 流石の夢遊にも、疲れが見え始めただろうか。明梨は夢遊とトットの間に割って入り、戦闘を中断させた。


「ありがとうございます、もう大丈夫ですよ」


 休憩を挟んだとはいえ、二時間も打っていたのだ。過酷な労働であることに変わりはない。夢遊は防具を取ると、長い長髪をまとめていた手拭いを取った。


 その額には汗が浮かんでいるが、夢遊は少し息を切らした程度だった。特別大変だったという事も無さそうだ。


「変わりませんね、ミュー先輩。見事です」


 明梨がそう言うと、夢遊はへらへらと笑い、明梨に手を振った。


「やだー、やめてよあっくん。あっくんの方が私より強いじゃない」


「いや、大したもんですよ」


 ブランクを含めてここまで動く事が出来る人間も、そう居ないのではないか。


「へへ……さっき、ミュー姉って言った」


 夢遊の言葉に、明梨は頬を染めた。昔懐かしい土地に来たことで、言葉が戻ってしまっただろうか。


 トットは集中が切れた瞬間、その場に倒れ込んでいた。もう、一歩も動けないといった様子だった。


「らめれす……もう、限界れふ……」


 明梨は、そのトットの身体に指示する。


 トットはゆらりと立ち上がった。その顔は青褪めていた。折角の『シンクロ』だったが、先の訓練に進む事は出来なかったか。


「あ、明梨さん……? まだ、やるですか……?」


 最早、呂律が回っていない。


 涙目で笑みを浮かべ、トットは卑屈に呟いた。……仕方ない。既に時刻は夕方になっている事だし、これまでだろうか。


 しかし、少しだけ試してみたい事があった。明梨はトットの肩を叩いて、笑みを浮かべた。


「あと五分、な。もうちょっとだけ、付き合ってくれないか」


 ぜえぜえと浅い呼吸をしながら、トットは唇を噛んで、頷いた。


「……お祖父様を助けるため、です。……頑張ります」


 限界を超えて、トットにも幾らかの度胸が付いただろうか。喜ばしい限りだが――……明梨は闘技室の中央で戦闘を見守っていた賢三郎を一瞥した。


「爺さん。一本、頼めないか」


「一本とは……明梨とか? ……いや、ネコウサギとか?」


「勿論、トットだ」


 何事かと、賢三郎が目を丸くする。ただでさえ出目金のような顔が、更に強調された。


「別に構わんが……試合にならないと思うがの? 良いのか?」


 明梨は頷いた。賢三郎から一本取られる事は、然程問題ではない。だが――……


 にやりと笑って、明梨は言った。


「じゃあ、賭けをしよう、『師匠』。もし重石無しのトットが爺さんから一本取れたら、今日の晩飯は俺の好きなもんで」


「……負けたら、どうするんじゃ?」


「当然『師匠』が勝つんだから、それは要らないっしょ?」


 ふむ、と賢三郎は相槌を打った。トットは既に理解しているようだ。夢遊よりも、その祖父である愛田賢三郎の方が、遥かに強いと。


 夢遊よりも強い明梨でさえ、最後の最後まで賢三郎に一本取ることは敵わなかった。だが――――この対戦、行けるのではないか。明梨は、そのように考えていた。


 身震いしているトットの銀髪を、明梨は撫でる。


「トット。重石、取っていいぞ」


「は、はい。でも……」


 トットは、不安そうに明梨を見た。その視線に、確たる意思で応える。


「大丈夫だ。怯えないで、今までやってきた『間合い』を意識して。後は、俺の指示を受け入れてくれ」


 頷くトットを見て、明梨は笑顔になった。夢遊が賢三郎に代わり、審判を務める。賢三郎は身の丈から考えると幾らか長い竹刀を手に取り、何度か振った。


 その表情には、笑みが見て取れる。久しぶりの竹刀に、身体が疼いているのだろうか。


 トットの動きを見ていて、明梨は気付いた。人間として動くのなら、トットはずぶの素人に近い。だが――それが、ネコウサギ族であればどうだろうか。


 あるいは、ネコウサギ族としての動き方のようなものも、やはりあるのではないか。


 風呂場で見掛けた素早いトットは、どのような動きをしていたか。咄嗟の事で、本人にも把握出来ていないようだったが。


 明梨は確かにあの時、素早いトットを見たのだ。


 恐怖よりも先に身体が動いた時のトットは、本当に機敏だったように思える。


 明梨の指示で、トットは賢三郎と向かい合う。トットの緊張が伝わってくる――明梨は、部屋の隅に座った。


「じゃあ、はじめー」


 夢遊がやる気のない合図を出した。


 明梨は目を閉じる。そうして、意識を集中させた――心の中にある、もう一つの目を見開くような気持ちで、意識を遷移させていく。


 瞬間、目の前に鬼神の如く迫り来る賢三郎の姿が見えた。


「にゃ――――!!」


 出した声は、トットのものだろう。


 そう、これもずっと気になっていた。『シンクロ』しているのだから、明梨にはトットの視界が見えても良いのではないか。


 その問いに対する解答は、『見ることができる』。


 飛び掛かった賢三郎の横薙ぎを、真下に屈み、避ける。


「えっ――――!?」


 夢遊とトットが、同時に驚きの声を漏らした。賢三郎の攻撃は、夢遊のそれよりも遥かに速い。それをトットが避けられるビジョンは、想定に無かったのだろう。


 だが、今トットを操作しているのは明梨なのだ。


「む……!?」


 賢三郎が驚き、トットから距離を取った。トットは屈んだまま、竹刀を片手に。


 明梨は心の中で、トットに声を掛ける。


『気負うな、無心でいるんだ。きっとお前は避けられる』


『は、はい……!!』


 再び、賢三郎が攻めに転じる。飛び掛ってくる訳ではなかったので、相手に休む暇を与える事も無いと判断したのだろう。今度は油断の無い、本気の攻めという事ではないだろうか。


 通常ならば、明梨でも反応する事はできない賢三郎の踏み込み。明梨はそれを、トットの反射神経を頼りにした。


 真上から振り下ろされた剣を、小さく横に飛んでかわす。続いて飛んできた攻撃を、今度は小さく飛び跳ねる事で避ける。まるで兎が飛び跳ねるような、或いは危機感を覚えた猫のような動きで、攻撃が当たるギリギリの間合いでトットは賢三郎の攻撃を避けた。


 明梨が勘違いをしていた部分が、一つあった。それは、『トットの武器を明梨は全て使う事が出来る』ということ。


 メアリィとの対戦時、明梨の反射神経では追い付く事が出来なかった。だが、『トットの反射神経ならばどうか』。


 どうやら、それも正解だったようだ。


「す、すごい…………!!」


 夢遊が驚いて、二人の攻防に見入っている。


 トットは前後に飛び跳ね――通常の人間では不可能な程にそれは速く、また正確だ。勿論それは、明梨の指示によるもの――もう、目を開けても大丈夫だろうか。明梨の視界には、トットの視界と明梨本人の視界の両方が視えている。その異常空間に慣れる為に、目を閉じていた――――今ならば、やれる。


 本人の視界と端から見ている視界の両方が使えるのならば、それに越したことはない。


 賢三郎の滅多打ちを、そのリーチの中で全く当たらないように、トットは避けた。


「そうか、明梨!! お前、『操作して』いるな――――!?」


 勿論、賢三郎に『シンクロ』の事は話していない。


 トットは、瞬間的にバックステップを二回。反応出来ない賢三郎に対し、一気に前跳び二回で距離を詰めた。


 明梨は確信する。腕を組んだまま、その光景を見ていた。


 そうして、不敵な笑みを浮かべた。


「トット版、<イワシステップ>だ」


 握られているだけで何の役にも立っていなかった竹刀を、初めてトットが両手で握る。


 初めて、あの『愛田賢三郎』に。


 全身が総毛立つ事を感じた。或いはそれは、トットのものだっただろうか――――…………


 鮮やかに、その竹刀は賢三郎の腹を打つ。


「むうっ――――――――!!」


 接触は一瞬。


 そうして、そのまま通り抜けた。


 宙を舞っていたトットが接地する。賢三郎は竹刀を構えたまま、微動だにしない。


 暫くの間、沈黙が訪れた。


 状況把握に遅れた夢遊が、慌てて右手を上げる。


「一本!!」


 まだ、信じられないのだろう。夢遊は目を丸くして、トットと賢三郎を見ていた。


 あの『愛田賢三郎』に、先程まで夢遊にすら苦戦していたトットが一本取ったのだ。いつの間にか、明梨も汗をかいていた。ふう、と溜め息を付いて、静かにトットとの『シンクロ』を解除する。


「す、すごいよ!! すごいよトットちゃん!! きゃ――!!」


 夢遊が騒ぎ出した。トットもぶるぶると震え、明梨の方を向いた。


「――――明梨さん!!」


 そのまま、明梨に向かって駆け寄って来る。


 慣れない事をして、どっと疲労した明梨は闘技室の壁に凭れ掛かった。そんな明梨に、トットは全力で抱き付く。


 遅れて、夢遊も駆け寄ってきた。


「私、自分が自分じゃないみたいでした!! すごいです、明梨さん!! どうしてこんなことが!?」


「トットを見ていて、思ったんだよ。トットが飛び跳ねる動きってナチュラルで速いから、動きのベースはそこに持って行った方が良い。細かい動きが得意だから、避ける動作は機敏に、出来るだけモーションが少ない方が良い」


 軽い頭痛を覚えて、明梨は溜め息を付いた。夢遊が明梨の不調に気付いたのか、近くに寄って明梨の背中を擦る。


「大丈夫です、先輩。ちょっと慣れない事をしただけですから。……ありがとう」


「……うん。あんまり、無理しないで」


「今日はこれで終わりにしよう。もう日も落ちてるし、明日はゆっくり休んで、予選に備えて。張り切って行こうぜ!!」


 明梨が手を上げると、夢遊が嬉しそうに賛同した。


「おー!!」


 トットも遅れて、気負いながらも控えめに腕を上げる。


「……お、おー」


 さて、晩飯は何にしようか。久しぶりにすき焼きでも食べようか、と明梨が思っている最中、全く動かなかった賢三郎が絞り出すような声で、唸った。


「儂……儂、噛ませ犬みたいになっとるじゃないか……。なんだ、これは……。こんなことはあって良い筈がない……」


 明梨はその呟きを、聞かなかった事にした。

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